拾陸・欺瞞
欺瞞:あざむくこと。だますこと。
迦楼羅天が祀られていた仏殿から出た信乃たちは、急ぎ鳴狗寺へと向かっていた。
その間、頻りに信乃は鼻をひくつかせる。
「なに? なんかにおう?」
海雪がそう尋ねると、「いやそうじゃなくて、十月の終わりにしては遅過ぎるなぁって」
信乃がそう言い返すと、真達羅と因達羅は首を傾げた。
信乃の嗅覚は犬と同格か、それ以上であるため、海雪たちは気付かなかったが、逆に信乃は家がそうであるため、そのにおいがなんなのかがすぐにわかった。
――線香の匂いだ。
信乃はゆっくりと足取りを止めた。「どうしたんや? さっさと……」
真達羅がそう云うと、突然四人の周りに旋風が巻き上がった。
「信乃っ!」
「大丈夫、それよりボスのお出ましみたいよ」
信乃がそう云うと、海雪たちは視界の先を見る。
そこには、自分たちよりも幼い少女が立っていた。
だが、違うところがあるとすれば、その少女には羽が生えている。
「か、鴉天狗?」
海雪は虚空から鎌を取り出し、身を構え、「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」
と、弁財天の真言を唱える。
「オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ」
信乃は多聞天の真言を唱えたが、ガクンと足を崩し、倒れる。「あ、あれ?」
当の本人も、どうしてこうなったのか理解出来ない。
「駄目や! さっき使うてしもうたから体力が足りんのや」
「そ、そういうのは先に云ってよ」
信乃は真達羅を睨んだ。
「仕方ない。因達羅、いくよ」
海雪はそう云うと、因達羅は頷き、「ナウマク サマンダボダナン インダラヤ ソワカ」
因達羅は小太刀を構え、自身の……帝釈天の真言を唱える。
「私が相手の動きを封じるから、因達羅はその隙を狙って」
「――御意」
そう合図すると、海雪は鎌を天に翳し、ゆっくりと回し始める。
「ラルゴ(幅広くゆるやかに)、コン・モート(動きをつけて)、トランクィッロ(静かに)、コン・フオーコ(火のように、生き生きと)」
言葉を並べていくと、鎌の刃が熱く燃え滾っていく。
「はぁああああああああああああああああああああああっ!」
鎌を構え、海雪は栢に飛び掛った。
「飆雷……」
栢はそう呟くと、舞っていた旋風が海雪の周辺を覆った。
「えっ……? きゃあああああああああああああああああっ!」
鎌に纏っていた炎は強風によって鎮火し、風の刃によって、海雪はズタズタに切り裂かれる。
「おばあちゃん!」
「はぁあああああああああっ!」
因達羅が飛び掛ると、栢はゆっくりと下がり、「……煈鱗」
そう呟くと、因達羅の周りに炎が現れ、彼女を飲み込んだ。
「あああああああああああああああああっ!」
因達羅は断末魔のような悲鳴をあげる。
「因達羅っ!」
因達羅は地面に叩きつけられる。
「な、なによこれぇ? 前に戦った時よりも強くなってる」
海雪は愚痴を零す。
「でも、どこか可笑しくないですか?」
因達羅がそう呟く。「可笑しいって、どこが?」
海雪は訝しげな表情で聞き返した。
「なにか鴉天狗の表情が、心ここにあらずというか、生気を感じないというか」
「いや、鴉天狗って死んでるんでしょ?」
信乃がそう尋ねるが、「そうじゃなくて、まるで操られている感じがして……」
因達羅がそう云うや、栢はゆっくりと羽根を広げ、周りに羽根を飛ばした。
「な、なんや、何をしようとしとるんや?」
真達羅がそう叫ぶ。
月明かりに照らされた羽根の先は尖っており、先端から水滴が落ちた。
「まさか……毒針?」
信乃がそう云うや、「ちょ、ちょっと待ってよ? この状況であんな夥しいほどの数を避けろっての?」
海雪はフラフラになって立ち上がろうとしたが、うまく立ち上がれない。
「毒針って攻撃力低いけど、クリティカルで即死する時あるからなぁ」
「こういう時に、ゲームの話をしないで下さい!」
因達羅が信乃に突っ込む。
羽根の先端が四人に向けられる。
そして、夥しいほどの羽根が四人に襲い掛かった。
「――護形・護光の袋」
声が聞こえ、信乃たちは辺りを見渡した。
自分たちの周りには金色に輝く幕で覆われており、それが鴉天狗が放った羽根すべてを包んでいた。
そして、その中心には皐月の姿があり、クロスさせた刀を下に構えている。
「二刀・海人」
そう呟くと、皐月はゆっくりと腕を広げ、長刀を栢に向けた。
「一刀・龍女っ!」
長刀が燃え盛り、皐月は栢に切りかかった。
だが、栢はゆっくりと皐月の一刀を避けるが、突然目の前に短刀が現れるや、栢に切りかかった。
「……幻刀・巻絹」
皐月はそう告げるや、長刀で栢に切りかかる。
「っ! ……幻刀・二人静っ!」
そう叫ぶや、栢の周りに風が吹き荒れ、皐月は吹き飛ばされた。
「皐月、大丈夫?」
「う、うん。みんなは?」
「だ、大丈夫とはいえないけど」
そう海雪が苦笑いを浮かべる。
「皐月、油断しない。相手がどう動くか気配で考えて」
「毘羯羅、それじゃぁ皐月さんが強くなってるのって」
「ちょっと嫌な予感がしたらしいからって、稽古を中断して来てみれば……」
毘羯羅は栢を見遣るや、物悲しい表情を浮かべた。
「栢、あなたぬらりひょんに――」
毘羯羅は顔を歪め、歯を食いしばる。
「ま、まさか……」
因達羅は最悪な状況を考えた。「ぬらりひょんは栢の体に偽りを持たせたってこと?」
それを聞くや、海雪たちは驚きを隠せないでいた。
「毘羯羅、夜叉やマトリカスにお願いして、みんなを守って」
皐月はそう告げるや、「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ戦えるわよ」
信乃と海雪は馬鹿にするなといわんばかりの表情で、皐月に言い返した。
「皐月、どれくらいレベルアップしてるか知らないけど、経験は私たちの方が上なんだからね」
信乃がそう云うと、皐月は小さく笑みを浮かべた。
「二人とも、私は栢を助けたい。一番悪いのは栢じゃない、あの子を騙して操っていたやつだから」
皐月がそう告げると、「あんたがどんな考えでそうなったのか知らないけど、そうしたいなら出来る限り援護してあげる」
信乃と海雪が体勢を整える。
「それじゃ、どうする? 皐月が中心?」
「ううん。ちょっとおばあちゃんにお願いがあるの。おばあちゃん、霧雨って出来る?」
皐月がそう尋ねると、海雪は答えるように頷いた。
「信乃は嗅覚で栢の居場所を探って、どんなに気配を消しても、においは消せないはずだから」
そう云われ、信乃は鼻をひくつかせる。
――さっきと同じ、線香の匂いだ。でも、なんで皐月から?
信乃は不思議に思ったが、戦いに支障があってはいけないと、考えを振り払った。
「それじゃ、いくよ!」
皐月がそう告げるや、突然、皐月はうつ伏せになって倒れた。
「さ、皐月?」
「あれあれ? どうしたのかなぁ? 威勢がいいくせに弱いわね? あれくらいの力で私を倒せるとでも思ったわけ?」
栢がケラケラと哂いながら、皐月を見遣った。
「皐月、だいじょ……」
皐月の状態を見遣るや、信乃と海雪は絶句した。皐月の背中には夥しいほどの羽根が突き刺さっている。
「なにか作戦を立てていたようだけど、そんなのムダァっ!」
栢はゆっくりと、刀を構え、「颶ぇっ!」
刀を振るうと、一陣の風が信乃と海雪に襲い掛かる。
「きゃぁああああああっ!」
信乃と海雪が悲鳴をあげる。
「さてと、さっさと死んで……」
皐月たちに近付いたが、違和感に気付いた。
「――ど、どこ?」
栢は驚いた表情で辺りを見渡す。
「な、なんや? 一体何を探しとるんや?」
真達羅と因達羅も、何がなんだかわかっていない。
唯一、毘羯羅だけがそれに気付いており、驚きと同時に小さな笑みを浮かべた。
「我流一刀・羅刹っ!」
声が聞こえ、栢が振り向くと、彼女の体は一閃に切られた。
「……なっ?」
栢は何が起きたのかわからず、戸惑った表情を浮かべる。
「栢、私はあなたに剣術を教えた。でも、それは皐月とて同じ」
毘羯羅がそう叫ぶと、栢は目を大きく見開いた。
「ま、まさか…… 二人静?」
「いいえ、それよりも少しばかり厄介な技ですけどね」
毘羯羅がそう告げると、栢の体は切り裂かれた。
「あ、あがぁあああああっ……」
栢はゆっくりと倒れる。
「す、すごい…… でも、皐月は?」
海雪は声を荒げる。「――っ! そうか、だから私たちに教えたんだ」
信乃は鼻をひくつかせながら言った。
「どういう意味?」
「もし、私が動けなかったら、おばあちゃんが霧雨で皐月の居場所がわかる。逆におばあちゃんが倒れたら、私は匂いで皐月を見つける事が出来る」
信乃がそう説明すると、「な、なによ? どうして見えないやつの居場所がわかるのよ?」
栢がそう尋ねる。
「あんたもそうでしょ? 消えてなんていない。姿と気配を消してるだけ」
信乃がそう告げ、ある一方を見遣った。
栢はそちらを見遣ると、冷たい潮風が彼女の頬を掠めた。
「――幻刀・松風」
声が聞こえると、栢の目の前に切っ先が現れた。
「さぁ、もうこんなところはやめて」
皐月は栢を宥める。「い、いや…… もういや…… あんなところ…… あんな苦しくて、痛いだけの場所なんて、もう戻りたくない!」
栢は体を震わせ、空へと飛び上がった。
その高さは優に二百米はあろう。
「な、なんか駄々捏ねてるみたい……」
信乃が思わず本音を口にした。
「わ、私もそう思った」
海雪も顔をひくつかせる。
「あれが本当の栢なんだよ」
皐月はそう言うと、刀を構え、ゆっくりと深呼吸する。
「毘羯羅……。あれ、試していいかな?」
皐月は毘羯羅を見遣り、尋ねる。
「あなたがしたいなら、したいようにしなさい。ただしどうなっても、責任は取らないわよ」
毘羯羅がそう云うと、皐月はキッと空を舞っている栢を見遣った。
『オン ドドマリ ギャキテイ ソワカ』
そう告げるや、皐月の周りに紫色の光が地面から舞い上がり、皐月を覆った。
そして、その光が収まるや、そこにいたのは、不思議な衣装を纏った皐月の姿があり、彼女の背中には羽が生えていた。
「凰翼権化っ! 三鬼神大黒天っ!」
そう叫ぶや、皐月は羽を大きく羽ばたかせ、空へと舞った。
「な、何よあのチート……」
「でも、なんで三鬼神?」
海雪がそう云うと、「あの力は大黒天、鬼子母神、閻魔王のみっつの力が合わさったもの」
「なんかいまいち繋がりが見えないわね?」
信乃が首を傾げる。
「いや、あるわよ繋がり…… 鬼子母神は子供を守る神仏。閻魔王は親より先に死んだ子供を獄卒から救済する神仏。そして大黒天は子孫繁栄のご利益がある」
海雪がそう説明する。
「い、言われてみれば、たしかに皐月はんからなんやろ、すごく優しい感じがするわぁ」
真達羅がそう云うと、「まるで母親のような、優しくて怖いような……」
因達羅がそう話す。
「母親? 私を傷つけるやつが母親ぁ? 違う、こんなの違う」
栢は困惑し、顔を歪める。
「栢、悪いことをしたら、罰を与えられる。それは生きていても、死んでいても同じことなのよ」
「うるさい! うるさいっ! あんただって、親を見殺しにしてるじゃないっ! あんたが少し行動をしていれば、両親の片割れくらいは生きてたかもしれないのにぃ!」
栢がそう叫ぶと、皐月は構えていた刀を下ろした。
「ほらぁ、やっぱり、あんたは臆病者なのよ。だから、あんたはさっさと死になさいよぉっ!」
栢はそう叫ぶや、羽を大きく広げ、羽根を皐月の周りにばら撒いた。
そして、その羽根がいっせいに皐月に襲い掛かった。
「皐月ぃっ!」
「きゃはははっ! これで私を苦しめるやつは――」
栢が笑みを消した。
「な、なんで…… なんで傷ひとつついてないの?」
目の前に立っている皐月を見遣るや、恐怖で顔を歪める。
「栢、自分でしてきたことを理解しているなら、わかるでしょ?」
皐月が穏やかでありながら、哀れんだ表情で尋ねる。その表情が栢にとっては恐ろしいものでしかない。
「い、いや…… いやぁっ!」
栢は小さく悲鳴をあげる。
「閻獄第八条三項、自分の両親を殺した者は『無間地獄・無彼岸常受苦悩処』へと連行する」
皐月がそう告げるや、お札が現れ、栢の額についた。
「い、嫌…… もうあんなところにいきたくない」
栢は顔を震わせ、大粒の涙を浮かべた。
「栢、もうわがまま言わないの。大丈夫……お姉ちゃんが一緒に怒られてあげるから」
皐月は宥めるように云った。
「……っ! うん、お姉ちゃんが一緒だったら――」
栢は幼く、小さく笑みを浮かべ、そしてお札とともに青白い炎となって消えた。
術が解けた皐月の体が急降下していく。
「皐月ぃっ!」
信乃と海雪が悲鳴をあげると、大きな影が走り、皐月を受け止めた。
「真達羅ナイスッ!」
「こ、これくらいお安い御用やで」
真達羅の背中に受け止められた皐月の体は、見るに無残な姿をしており、信乃たちは驚いた表情を浮かべている。
「もしかして、実際は攻撃を受けていた?」
「この子なら考えそうなことだけど、でも無茶しすぎよ」
信乃は呆れた表情で云った。「ねぇ、皐月……もしかして泣いてる?」
海雪にそう云われ、皆が皐月を見遣った。
気を失っている皐月の両目からは、大粒の涙が流れ落ちていた。
これにて、長かった鞍馬天狗は終了です。いよいよ本編は佳境に入っていきます。