陸・三匹
その晩の事だった。阿弥陀と大宮が稲妻神社に訪れ、葉月に写真の霊視をお願いしていたのだが――、葉月は目を瞑り難しそうな表情を浮かべている。
「大丈夫? 葉月」
皐月が声をかけたが、葉月にはその言葉が聞こえていないかのように反応しない。
数分以上費やしたが、何も聞こえなかったと皆に伝えた。
拓蔵が殺された沢口希の遺体写真を眺める。
「殺されたのは何時なんじゃ?」
「はい。殺されたのは三日前の夕方六時半から七時となっています」
「えっとちょっと待ってください。たしかその時間って」
弥生が驚いた声をあげる。
「ええ。ちょうど弥生さんが道端で血を流していたところを発見した時間帯なんですよ」
「つまりその時に殺されたという事でしょうか?」
そう皐月が尋ねると、大宮は黒いものを取り出した。
それを拓蔵が受け取り、電灯で透かすように翳した。
「レントゲンですかな?」
「本当は持ち出し禁止なんですけどね。何枚も撮ってますし、一枚くすねて来ました」
「くすねてどうするんですか、くすねて」
大宮が阿弥陀に文句を言っている中、拓蔵はそんな事はお構い無しに、ジッとレントゲンを見ていた。
「爺様、何かわかったの?」
「こりゃ灯台下暗しじゃなぁ……。実際の死因は、脳挫傷による出血多量じゃろ?」
遺体の写真を見る限りでは無残に刻まれた顔が死因だと思われたが、阿弥陀もレントゲンを見て初めて本当の死因を知った。
「脳挫傷って、よくわかりましたね?」
「頭蓋骨と脳の間が変な空洞になっておるじゃろ? これは脳の血管が切れて頭蓋骨に血が溜まって脳を圧縮してるからなんじゃよ。脳挫傷の原因は頭部の強打じゃからな」
「どうやら顔を切り刻んでいたのは、身元を判明させないためでしょうね」
「でも財布の中にスーパーの社員証が入っていたって」
犯人が見落としたのかと考えていたらしいが、そうではなかったらしい。
「触れてなかったって、それじゃ強盗殺人じゃないって事ですか?」
「怨みを持った人間の犯行と考えた方がいいでしょうな」
まぁ元々顔をここまでしている以上、そう考えられなくもなかったが……。
「似てますよね? あの事件と」
阿弥陀が拓蔵に尋ねる。拓蔵は険しい顔を浮かべながら弥生を見た。
「遊火を呼んでくれんか?」
そう云われ、弥生は腰を上げ顔を歪める。
襖をスッと開けると、ポツポツと小さな火の玉が集まり形を成していく。
「お呼びでしょうか? 弥生さま」
少女の姿をした遊火が弥生や拓蔵たちに軽く頭を下げた。その姿は病院で見せたゴスロリ姿ではなく、和服人形のような姿をしている。
「遊火、頼んでいたことやってくれた?」
「弥生さまが襲われた近辺はやはり霊力も妖気も感じられませんでした」
「それって今回の事件は妖怪の仕業ではないと言うことですかな?」
阿弥陀がそう云うが大宮巡査はキョトンとした表情で首を傾げていた。
「あの警部、一体誰と話してるんですか?」
大宮の眼前には三姉妹と拓蔵、そして阿弥陀し|《、》かいない。
「まぁ霊感のない人には遊火は見えんじゃろうなぁ?」
そう云いながら拓蔵は皐月を見遣った。その皐月は、阿弥陀の視線を追ってそちらを見ていたが、実際のところ見えてはいなかった。
ただそこに何かがいると言う微々たるものは感じていた。
「それと、事件が起きてから通り魔事件が起きなくなっているのも妙ですね」
遊火の報告を聞き、阿弥陀が少しばかり考えながら、「たしかに今日は通り魔が出たという報告は聞きませんね。事件があったのは大抵夕方五時から夜八時くらいでしたから」
「遊火? あんた病室で風が止まったって云ってたけど、今日はどうだったの?」
弥生の問いに答えるように遊火は首を横に振った。
「被害者のほとんどが夕方から夜にかけての時間帯に襲われている。今回の殺人事件もその時間帯に当たりますから」
「最初は通り魔事件に見せかけた殺人。だけどその通り魔事件の犯人もいまだ特定されていない」
皐月が阿弥陀を見ながら、葉月の容態を窺っていた。
「皐月、どうかした?」
「いや今日友達から云われたんだけど、昨日通り魔に襲われたって」
「どうしてそんな大事なことを言わなかったんですか?」
皐月の言葉を待たずに、阿弥陀は顔を近づける。
「いや、その友達の脹脛を見ましたけど、何処も怪我してなかったんですよ」
「嘘を吐いてるという可能性は?」
と訊かれたが、皐月は首を横に振った。
「だから通り魔事件の犯人は“かまいたち”じゃないかって」
「それは襲われた私も思って遊火に調べてもらったけど、何も感じなかったって」
「そこなのよ。かまいたちなら妖怪だから同じ妖怪である遊火が気付かない訳がない」
そう云われ遊火は困ったような、申し訳ないような複雑な表情を浮かべた。
皐月は見えてはいないが、自分が発した言葉が彼女を傷付けていた事に気付く。
「――別に遊火が悪いわけじゃないわよ」
皐月は謝りを入れるが、抉られた傷が簡単に治るわけがないことを皐月は身をもって知っていた。遊火は無言で、部屋の片隅に座った。
「かまいたちであってかまいたちではない……」
拓蔵がスッと立ち上がり、部屋を出て行ったが数分ほどして戻ってきた。
「それはこれではないか?」
持ってきた一冊の古い書物をテーブルの上に乗せ、頁を捲った。
『窮奇』と書かれたその妖怪の絵には、いたちではなく牛のような姿をしている。
「これは中国の妖怪で名を窮奇というんじゃがな。別の読み方で“かまいたち”とも云われているんじゃ。妖怪図で有名な鳥山石燕の画図百鬼夜行でもそう書かれておるしな」
「こんなに違うのに?」
「昔、日本の知識人は中国にいるものは日本にもいると考えておったらしくてな、窮奇とかまいたちを同一視しておったらしんじゃが……」
拓蔵は遊火を一瞥する。その視線に気付いたのか、遊火もそちらを見遣った。
「窮奇は風神であったことから、同じ風の妖怪であるかまいたちと重ねておったそうじゃよ」
「つまり遊火が何も感じなかったって事は妖怪以上の力があったって事?」
恐らくそうであろうと、拓蔵は皆に告げた。
「じゃが今回の事件に窮奇は関係ないじゃろう。問題は脹脛に傷を付けられていた事じゃ。かまいたちは地上五十センチまでしか飛べなかったと云われておってな、襲われた婦女子のほとんどが脹脛に傷を付けられていた事にも納得がいくじゃろ。そして皐月の友人が襲われたにも拘らず傷が治っていた事にも説明がつく」
「三匹でのかまいたちなら……という結論って事ですか?」
阿弥陀と拓蔵は納得いくようないかないようなといった感じだ。
「そう云えば今日妙な事がありましたね」
大宮が思い出した様に言う。
「なにかあったんですか?」
「いや殺された沢口希の近辺を調べていて、夫が運営していた町工場に行ってきたんだけど、そこに一匹のいたちがいたんですよ。で、そのいたちが壁の穴を潜って裏の家――沢口修造の家に行ったら、その家の隣に老人が住んでましてね。沢口修造の家にいたちが住んでいることを云ってたんですが」
「何か納得いってないって感じですね」
そう皐月に言われ、大宮は頷いた。
「私たちは“いたち”を見たと云っただけで、その老人は『あん子“ら”』と云ったんですよ。つまり何匹かがその家に住み着いてる事を知っている」
「まぁいたちはねずみとかを食べるから食べ物に困る事はないでしょうけど」
「でも可笑しくないですか? その老人、自分が飼っているような言い回しもしてましたし」
そう聞かされ、拓蔵は阿弥陀を見遣った。
「その老人。少しばかり調べてくれんかのう。後五年前の事件も徹底的に洗い直しておいてくれ」
そう告げられ、阿弥陀は頷いた。
そんな阿弥陀警部と拓蔵の遣り取りを横で見ていた弥生が、「そう云えばさぁ、どうして爺様って阿弥陀警部にああも命令が出来るのかしら? 私が襲われた時も阿弥陀警部を私の迎えによこしていたらしいし」
弥生の問い掛けに皐月も奇妙に思っていたが、何もわからず、首を傾げていた。