拾壱・あるひとつの返答
「大宮さんも行方不明に?」
信乃は真達羅から、阿弥陀警部たちが行方不明になった事を聞かされ、驚いた表情で聞き返していた。
「ああ、全く――佐々木班全員行方不明になっとるんや」
「瑠璃さんもいなくなってるらしいし、嫌な予感しかしないわね」
信乃は手を顎に当て、うーんと唸る。
瑠璃がぬらりひょんに誘拐され、阿弥陀警部たちの行方がわからなくなってから、既に三日ほど経っていた。
一人や、二人、行方不明になっても、テロップくらいなのだが、警察官数人が行方不明になったとすれば、大問題である。
しかし、どういうわけか、テレビでは、そのことが報道されていない。
「信乃、あんたの嗅覚でどうにかならない?」
「――無理。においってのは、あるからにおえるのよ。そのぬらりひょんが、においをないものとしていたら、それこそ砂漠で小さい宝石を捜すようなものよ。そして、それがあるのかどうかに気付くのだって、どれくらい掛かるのかわかったものじゃないし」
信乃がそう説明すると、因達羅が寂しそうに眉を顰めた。
因達羅は海雪と共に行動をしてはいるが、元々は地蔵菩薩が彼女の本地仏であるため、人間となった瑠璃を今でも主君として慕っている。
「せやけど、毘羯羅が云っていた事が本当やったとしたら、うちらは何も太刀打ち出来へんくなるということやな」
「そうならないように、私と真達羅、毘羯羅の三人は、信乃さんや海雪さん、皐月さんの三人についていなければいけない。それに、他の十二神将も、三人一組でそれぞれの神社を見守るようにと、薬師如来さまから命令が下ったわ」
因達羅がそう言うと、「その毘羯羅は皐月はんのところにおるというわけやな?」
「皐月さんを傷付けた原因は自分にある。その責任がありますからね」
因達羅は海雪を見遣った。
「でも話を聞いてると、そのぬらりひょんってやつ、違う意味で赦せないわね。終わったことを、根掘り葉掘りと掘り起こして、栢って子を唆していたっていうんだから」
信乃はムッとした表情で言う。
「海雪はんが、鴉天狗を見逃したのだって、直感的にそれがわかったからなんか?」
真達羅がそう尋ねると、「わからないわ。ただ鴉天狗が、あの時何を云いたかったのか、話を聞いてると、彼女が虐待を受けていたって気がしないのよ」
海雪はあの時、栢が云っていた『元より、あんなところにいた時よりも、地獄にいたほうが私にとっては天国だから、どんな罰を与えられようが耐えられる』という言葉と、親を殺したという罪から、同じく親を殺している海雪は、自身と重なっていると感じ、攻撃の手を止めた。
しかし、実際は虐待など受けてなどいない。
「それも、これも、ぜんぶ、ぬらりひょんによるもの」
「そう考えて、間違いはありませんね」
海雪の呟きに答えるように、因達羅が呟いた。
毘羯羅は壁に寄りかかり、ジッと皐月を見ていた。
皐月の傷は、既に回復しており、今は毘羯羅が教えた二刀の構えをしている。
――皐月はぎっちょで、右手に長刀、左手に短刀を持たなければいけないことを伐折羅から教えてもらっているから、焔鼠轍にしろ、灸鼠大鑓にしろ、利き手じゃない右手で持った長刀を突き刺す技は、軸がぶれてしまって、簡単に避けられてしまう。
毘羯羅はそう考えながら、「皐月、長刀はあくまで添えるだけでいいの。重要なのは相手に短刀を意識させ、長刀に意識を持たせないこと。使ってる本人が意識したら、相手に読まれるから」
毘羯羅がそう言うと、皐月は意識を、一瞬だけ長刀に向けてしまった。
「てやぁ」
と、夜叉が皐月に切りかかる。バシンと竹刀が皐月の籠手に当たり、皐月は左手に持った短刀を落としてしまう。
「毘羯羅、いきなり話しかけないでよ」
「人のせいにしない」
毘羯羅はそう言いながら、夜叉を見遣った。
夜叉はゆっくりとうしろに下がる。
毘羯羅は自分の影から、長刀と短刀の竹刀二本を取り出し、構える。
「皐月、その目で確と見なさい。霞衣を纏いし踊り子は、靄となりて、陽炎とならん――」
毘羯羅はそう云うや、スーと姿を消したが、足を捌く音だけは、確りと響き渡っている。
皐月は刀を構え、音を頼りにしようとするが、耳が悪い皐月には、無理な話である。「皐月、見えるものが真実ではない。それは音も一緒……」
毘羯羅は助言を呟く。
――見えるものが、聞こえる音が真実ではない。
皐月はそう頭の中で呟くと、ゆっくりと瞳を閉じ、刀を下げる。
――音を頼りにしたって、耳が聞こえ難い私には、相手が寸でのところに来ないと、殆ど聞こえないから、正直役に立たない。なら、逆にその気配を探ったら……
皐月は暗闇の中に自分がいることを想定した。
真っ暗な世界に一人だけ、それでも何かがそこにいる事を意識する。
暗闇の中に、一瞬だけ、小さな波紋が広がった。
「そこぉおおおおおおおおおおおっ!」
そう叫ぶや、皐月は長刀を横一文字に切りかかった。「遅いっ!」
毘羯羅が叫ぶや、皐月の横腹に長刀を切り付けた。
「げぇへぇっ! ほぉっ! がはぁっ! ごほぉっ!」
思いっ切りお腹に竹刀を叩きつけられ、皐月はその場で四つん這いになると、激しく咳き込んだ。
「気配がわかっても、それに応変するまでの時間が遅過ぎる」
毘羯羅はそう言うと、「私は、自分が出来る限りのことを、あなたに教えるつもり。もちろん、あなたが止めたいというんだったら――」
「冗談…… 約束したでしょ? 瑠璃さんも、響くんも――栢も助けるって」
皐月は朦朧とした意識の中、竹刀を手に取り、ゆっくり立ち上がると、毘羯羅を見遣り、構えた。
「だから、毘羯羅が持ってる技術、全部教えてもらうからね」
皐月はそう言うと、小さく笑みを浮かべた。
――全く、こういう負けず嫌いなところは、誰に似たのかしらね……
毘羯羅は苦笑いを浮かべると、「それじゃ、もう一本、相手に――」
と、その先を言おうとしたが、皐月がばたりと倒れた。
「あらら、ちょっと無理させすぎたわね」
毘羯羅はゆっくりと皐月を見遣ると、
――真に恐ろしきは人の心、また、真に美しきも人の心。
そう呟き、毘羯羅は皐月を部屋まで運んだ。