陸・目目連
福祠町から少し、一里(約、三九二七米)ほど離れた場所に、鬼瓦が目立つ古い民家がある。
一階建ての長屋のようなところで、いたるところに襤褸がきている。その証拠に、鬼瓦の片目が欠けているのも目立っていた。
戸を開けようとすれば、建てつけが悪く、うまく開かない。家に上がり、廊下を歩けば、鶯張りのような音が響き渡る。
そろそろ、壊した方がいいんじゃないのか?と、栢はそう思った。
奥にある部屋の襖を開けると、部屋の中心に小さな卓袱台があり、そこに白髪の老人が座っていた。
「栢か…… 何のようだ?」
老人が背中越しに、そう尋ねると、「ぬらりひょんは来なかった?」
栢が尋ねると、老人は小さく、首を横に振った。
「やつは来とらんし、来たとしても、この部屋には入れんじゃろうよ」
老人はそう云うが、栢は理解出来ないといわんばかりに首を傾げる。
自分もぬらりひょんも同じ妖怪であるにも関わらず、自分は特に何も感じず、この部屋にやってきている。
「それで、なんの用じゃ?」
老人がそう尋ねると、栢はハッとした表情で、「ぬらりひょんがやろうとしていることって何? 一応、響を誘拐して、解読させようとしてるみたいだけど、てんで訳がわからないのよ」
と、栢は老人と対面するように座った。
眉を顰め、老人を見遣る。――老人の相貌は窪んでおり、何もない。
「ぬらりひょんは再び福祠町を壊そうとしている」
「――壊す?」
「福祠町はもとより、ばらばらであった三つの村が合併した時、中心となる神社を、稲妻神社とし、それぞれに三面六臂大黒天の元の姿である、多聞天、弁才天、大黒天の三神を、それぞれの神社の配神とした」
老人はそう言うと、栢の方へと向いた。
「ぬらりひょんは、その三神を元の姿とし、世界を壊そうとしている」
「まぁ、私には関係のないことだけどね……」
栢はそう言うと、ゆっくり深呼吸をした。
老人は念を押すような口調で、栢に告げる。
「ただし、これだけは云っておく。やつがしようとしていることは、やつにとって、百害あって一利なしだ」
「検死の結果、死因は焼死で間違いありません」
デパートで発見された焼死体の検死を行っていた検死官が、湖西主任に、書類と共に報告する。
「ご苦労じゃったな。そろそろあがりじゃから、先に帰ってもええぞ」
そう言われ、鑑識官は頭を下げると、鑑識課から姿を消した。
ちょうど定時である、午後五時をまわろうとしていた。
――死亡推定時刻は……昨日の夜十時前後か。
書類を読んだ湖西主任は、怪訝な表情を浮かべた。
なるほど、確かに、これなら発見された日の開店時間から、発見された時間の間、監視カメラに姿が映っていなかったのも理解出来る。
しかし、いつどうやって男である吉田昌平が女性トイレの個室に入ったのだろうか?
女装してなどという、考えはなく、可能性もない。
何より、身長が高いため、怪しまれるのが落ちである。
一応、阿弥陀如来に連絡しておこうと、湖西主任は携帯を取り出し、阿弥陀警部に連絡を入れた。
――おかけになった電話番号は、現在、電源を切っているか、電波の悪いところに……
という、アナウンスが聞こえ、湖西主任は怪訝な表情を浮かべた。
――常に電源を入れておけ。
と、憤りを露に、机を軽く蹴った。
ゆっくりと日暮れが訪れ、赤蜻蛉が群れを成している。
「阿弥陀警部に連絡が取れない?」
大宮巡査が電話越しに言う。
『ああ。さっきから何度もやっておるんじゃがなぁ、電源を入れておらんみたいなんじゃよ』
湖西主任が苛立った声をあげる。「皐月ちゃん、連絡出来る?」
そう言われ、皐月は自分の携帯で阿弥陀警部に連絡を入れるが、
――おかけになった電話番号は、現在電源が入っていないか、電波の届かない場所に……
そこまで聞くと、皐月は携帯を切った。「取れないの?」
信乃の問い掛けに、皐月は頷いた。
「真達羅、阿弥陀警部の居場所を調べてくれない?」
信乃がそう言うと、真達羅が現れる。「遊火もお願い」
遊火は無数の火の玉となって飛び散り、真達羅もどこかへと消えていった。
「阿弥陀警部に何かあったんじゃ?」
「……まだ決まったわけじゃないけど、そう考えてもいいかもね」
「とにかく、僕は一度警視庁に戻るよ」
そう言うと、大宮巡査は車に乗り込む。
「それじゃぁ、私も帰るね」
信乃はそう言うと、鳴狗寺の方へと帰っていった。
皐月は稲妻神社の母屋に入ると、拓蔵が居間のほうでワンカップの酒を飲んでいた。「皐月ぃ、瑠璃さん知らんか?」
そう訊かれ、皐月は首を横に振る。
「可笑しいなぁ、そろそろ晩の用意をしてもらわんと」
弥生が学校で遅くなるといっていたため、瑠璃が食事を作ってくれることになっていた。
皐月は壁に掛かった時計を一瞥すると、針は午後6時になろうとしている。
「ちょっと、探してくる」
皐月はそう言うと、神社を後にした。
――とはいっても、瑠璃が行きそうな場所って、どこだろう?
と、神社から数米のところで立ち止まった。
こういう時は、海雪に訊いた方がいいのだろうが、それは瑠璃が地蔵菩薩としてである。今は人間として、自分たちと一緒にいるため、海雪が知っているとは思えない。
それでも、ダメでもともと、海雪の気配を探りながら、皐月は気配がするほうへと駆けていった。