伍・組み合わせ
証拠品というか、少し気になることがあるということで、大宮巡査は、夜行の部屋で見つけた、木で出来た漢字パズルを持って、稲妻神社へと訪れていた。
訪問することを、皐月に電話で連絡すると、運良く信乃と浜路が遊びに来ていたのだ。
大宮巡査は、彼女たちにも意見を聞きたいと思っていたのだった。
「これって、偏と旁を組み合わせるやつですね」
信乃がそう言うと、葉月と浜路がそれを手に取り、色々と組み合わせながら、遊び始めた。
「これで響くん、漢字覚えてたんだ」
「自閉症の子は、文字を絵として認識するらしくてね、言葉よりも覚えるのが早いのは、そこから来ているそうなんだ」
大宮巡査がそう言うと、「漢字のテストだけいつも成績よかった理由がわかった気がする」
と、葉月は納得した表情で言う。
「里って、田に土よね?」
皐月がそう信乃に尋ねる。
「まぁね。里は会意文字の一種で、筋目だった農地の神を盛り上げまつる集団って意味だった気がする」
信乃がそう言うと、彼女はチラッと拓蔵を見遣る。
「田は農地、土は社を意味しとるんじゃよ」
「なんか、うちみたいだね」
葉月がそう云う。あぁ、確かにと、皐月と信乃は頷いた。
「でも、これがどうかしたんですか?」
信乃が大宮巡査に尋ねる。
「ちょっと気になってね。夜行という男性から受け取ったというメモは持っているかい?」
阿弥陀警部から事の話を聞いていた大宮巡査は、信乃にそう促す。
「あ、はい。これです」
信乃は胸ポケットからメモを取り出し、それを大宮巡査に渡した。
『清らかな紅い土は横にずらせ。さすれば恐れに塗れ、世は憂き世となるだろう』
夜行が渡した暗号のようなメモを、大宮巡査は翼々と見つめる。
「なにかわかるんですか?」
「二人とも、さんずいは何を意味してると思う?」
そう訊かれ、皐月と信乃は互いを見遣った。
「ちょっと、大宮さん? 私たちのこと馬鹿にしてませんか?」
信乃は明白に顔を歪める。
「いや、別にそういう意味じゃないよ。思うに響くんが漢字に詳しいのって、夜行さんの影響もあるんじゃないかなって」
「確かにそう考えると、響くんが誘拐された理由もなんとなく……」
皐月は、ふと葉月と浜路を見遣った。二人はパズルに夢中である。
「爺様、『林』って木へん?」
皐月がそう尋ねると、拓蔵は首を傾げた。
「ああ。『林』は木へんで出来ておるよ。因みに『森』も木へんじゃな」
そう答えると、皐月は遊火を見遣る。
遊火は首を傾げた。「遊びは之繞に族だっけ?」
「族じゃ漢字が違うでしょ?」
と、信乃が首を傾げる。
「ちょっと待て、遊びかぁ――」
拓蔵は腕を組み、うーんと唸るや、居間を出て行った。数分して居間に戻ってくる。
その手には分厚い辞書が持たされている。
「遊びは確か、異体字では『游』とも書くんじゃよ」
そう言うと、拓蔵はメモ用紙にペンを走らせる。
「さんずい?」
皐月と信乃が同時に呟く。
「因みに中国では、泳ぐを意味しておる」
「確かに泳ぐという意味なら、さんずいは納得ですね」
「さんずい…… 水って事?」
信乃は大宮巡査を見ながら、尋ねるように呟いた。
「たぶんね。それと響くんは几帳面な性格なんだろうね。あのパズル以外はおもちゃ箱の中にキチンと直されていたよ」
「パズルだけ、外に出されていたって事ですか?」
信乃がそう尋ねると、大宮巡査は頷いた。
「パズル…… もしかして、文字そのものには意味がないんじゃない?」
皐月がそう言うと、信乃は怪訝な表情で首を傾げた。「いや、意味があるから暗号なんでしょうよ?」
「違うって、私が云ってるのは、文字そのものには意味がないって事」
「いや、だから、漢字だって文字でしょ?」
「その漢字に、暗号の意味があるんじゃないのかって、云ってるの」
皐月と信乃は、言い合っているようで、実は確認しているのである。
漢字は象形、指事、会意、形声という四つから作られる。
それぞれの説明は、以前にしているので割愛するが、皐月は文字としての意味ではなく、漢字の組み合わせに意味があるのではないかと、皆に説明する。
「いい? さんずいに青で『清』らか。糸へんにエで『紅』。木へんに黄色で『横』」
皐月がそう説明する。
「水・青・糸・エ・木・黄色…… 他のやつは?」
信乃がそう聞き返す。「わかんない」
と、皐月はそう呟く。それを聞くや、信乃は溜息を吐いた。
「いや、もしかしたら、前半の部分にだけ意味があるんじゃないかな? 後半の部分は封印を解いた時の事を暗示しているって気がするし」
大宮巡査がそう言うと、信乃はうーんと悩むように唸った。
「夜行さんって、どんな人だったの?」
皐月がそう尋ねると、「確か、陰陽師だったって、おじいちゃんが云ってたけど?」
信乃がそう言うと、拓蔵はハッとした表情を浮かべる。
「神主、どうかしたんですか?」
大宮巡査がそう尋ねる。「そういうことか?」
と、拓蔵は小さく笑みを浮かべた。
「遊火、瑠璃さんを呼んできてくれんか?」
そう言われ、遊火は隙間から外へと出て行く。
――数分して、瑠璃が居間に入ってきた。その手には買い物袋がぶら下がっている。
弥生と買い物に行っていたのである。
その弥生も部屋へと入ってくる。
「瑠璃さん、羂索を知らんか?」
「羂索ですか? 確か秦広王(不動明王)が持っていたと思いますが?」
そう聞き返すと、拓蔵は「羂索は五色の糸から作られている仏具なんじゃったな?」
そう尋ねると、瑠璃は頷く。
「それがどうかしたんですか?」
まだ内容が理解出来ていない瑠璃は皆に尋ねる。
「羂索…… 確か、鳥獣を捕まえる時に使う縄だったはず」
「もしかして、この漢字って、五行からきてるんじゃない?」
皐月が驚いた表情で叫んだ。
五行とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の五種類の元素からなるという考えからきている。
「そうだとしても、水と木しかないわよ?」
「いえ、メモの中に、五行思想のすべてが含まれてますよ」
瑠璃は大宮巡査から受け取ったメモを見ながら言った。
「まず、清らかという文字は『水』を意味するさんずいと『青』による会意文字。『青』は五色で木を表します。紅は『火』を意味する五色。横は『木』と『黄』。『黄』は土を表す五色」
瑠璃がそう説明していく。
「今出てるのは、木・火・土・水…… 残りの金は?」
弥生が指折り数える。「――憂き世……」
信乃がそう呟くと、瑠璃は答えるように小さく頷いた。
『憂』は感情を表す五志であり、金に分類される。
「全部入ってるね」
皐月がそう言うと、「ぬらりひょんは何をしようとしてるんでしょうか?」
瑠璃が拓蔵に尋ねる。
「わしは紅という言葉を入れたことが気になるな。じゃから、瑠璃さんに羂索のことを尋ねたんじゃよ」
拓蔵がそう言うと、瑠璃は懐から煙管と取り出し、紫煙をふかした。
「なんかシュールよね? この中では一番年上なのはわかってるんだけど」
信乃がそう言うと、皐月は答えるように頷いた。
瑠璃の見た目は、葉月や浜路となんら変わらない、幼い少女である。
しかし、煙の妖怪である煙々羅を呼ぶには、こうする他ないのだ。
「煙々羅、秦広王に羂索のことを尋ねてきてくれませんか?」
そう命じられ、煙々羅は頷くや、スーと姿を消した。
ふと、拓蔵は壁にかけられているカレンダーを、一瞥する。
――仏滅か……
眉を顰めて、そう思った。