参・独法師
「そうか…… お前さんはあの馬鹿娘の子供じゃったのか……」
子安神社の本堂で、神主である咲川源蔵が複雑な表情を浮かばせながら、海雪を見遣っていた。
少女の姿をした海雪は、自分が犯した罪を源蔵に話していた。
「道理で、小さい時の雰囲気が似とるはずじゃわいなぁ」
源蔵は溜息混じりに言う。
「ごめんなさい。ずっと隠してて…… 母親があんなんだったから、その父親も同じなんだって思ってたの。でも、お爺ちゃんは想像していたよりも優しくて、すごく素敵な人だったから、本当のことが云えなかった」
海雪の目からはボロボロと涙が流れている。
源蔵はゆっくりと海雪を見つめた。
「過ぎた事は仕方がないし、海雪さんがそう思っても仕方がないな…… まったく、あんたがそんな目にあっていることを知っておったら、娘といえどぶん殴っとったわ!」
源蔵は険しい表情を浮かべる。
「大体、子安様を祭っている神社の娘じゃというのに、それを反するようなことをしよって、恥を知れ! あの馬鹿娘」
「自分の子供でもそう思うんですか?」
一緒に来ていた因達羅がそう尋ねる。
「自分の子が馬鹿なことをしておるのだ。止めるのが親じゃろ?」
源蔵はそう言うと、「じゃが、海雪さんも悪いな」
そう云うや、源蔵は触れられるはずもない海雪の頬を叩いた。
スーと手が体をすり抜けていくが、海雪は頬に痛みを感じる。
「――痛い……」
海雪は頬を摩りながら呟く。「どうして、そんな目にあっているのに、誰にも相談しなかったんじゃ? あんたには皐月ちゃんや信乃ちゃんがおったんじゃろうが? 確かに二人に話したところで、どうにもならんかったかもしれんが、あんたは一番やってはいけんことをしてしもうた。それをどうして死んだ後に気付く?」
「げ、源蔵さん…… もう海雪さんは反省してますし」
因達羅がそう言うと、源蔵はふっと優しい表情を浮かべる。
「あんたは自分がそうなったから、重々わかったじゃろ? 人間死ぬことは一瞬じゃが、残されたものたちの痛みは激しいんじゃよ。それが何日も、何年も続いていく。それが人のつながりなんじゃよ」
源蔵がそう海雪を諭していると――
「すみません、神主はご在宅でしょうか?」
阿弥陀警部と大宮巡査がそう言いながら、本殿へと上がりこんでくる。「あれ? 海雪さん」
「大宮巡査、怪我はもういいんですか?」
海雪がそう言うと、「お蔭さまで、前みたいなことにはならなくてよかったです」
大宮巡査がそう言うと、あれ?といった表情で海雪は首を傾げた。
海雪の姿はあの時、奪衣婆に襲われてからずっと、自殺したあの時と同じ、小学六年生の少女のままである。
この姿で会うのは、実はこれが初めてになる。
それなのに、すぐにわかったのはどうしてなのだろうかと、海雪は首を傾げていた。
「ちょっと、匿って欲しい人がいましてね」
「匿う? 警察が匿って欲しいとは、留置所もたまってしまったか?」
源蔵がそう言うと、「いや、うちらのほうでは匿えないといった方がいいかと」
そう言うと、阿弥陀警部は「珊底羅さん、入ってきてください」
声を掛けると、スッと濡女子を抱えた珊底羅が顔を覗かせ、源蔵と海雪、因達羅に頭を下げた。
「珊底羅? これは一体どういう」
因達羅がそう尋ねると、「夜行がぬらりひょんに殺された。彼女も殺されるだろうけど、彼女が死んだら、響はまたひとりぽっちなってしまう」
「わけありのようじゃな?」
源蔵が珊底羅に尋ねようとすると、「すみません。我々はやることがあるので、これで失礼します」
そう云って、阿弥陀警部と大宮巡査は、子安神社を後にした。
「珊底羅、さっき云ってた、響がひとりぽっちになるって、どういう意味?」
因達羅がそう尋ねると、「響は実の親に理解されず、捨てられたのよ。それを夜行が見つけて保護していた」
「――理解されず」
源蔵がそう呟く。
「夜行は後々から、響が自閉症だってことに気付いたからよかったけど、実の親はそういうのに気付こうとしなかったらしいの。特徴とかははっきり出ていたのにね」
「しかし、自閉症というのは精神的なものだろ?」
「自閉症は先天性の脳による障害。自閉という言葉から、そういう人を自閉症と勘違いするけど、自分が興味のある事に関しては饒舌になる子だっているんです」
濡女子がそう言うと、源蔵は申し訳ない表情を浮かべた。
「仕方がありません。見たところ歳もいっておりますし、昔の知識で申したのでしょう。ですが自閉症というのは、専門家でもわからない事が多いんです」
「でも理解しようとする気持ちがあれば……ということか」
海雪の言葉に、濡女子は小さく頷く。
「とにかく、濡女子をぬらりひょんとの事件が終わるまで匿ってあげてください。それと響のことも」
珊底羅はそう言うと、因達羅を見遣った。「皐月さんは?」
そう尋ねられ、因達羅は海雪を見る。
「今は田原先生の所にいる。昔起きた稲妻神社の話を聞いて、気が滅入ったんでしょうけど、虚空蔵菩薩が田原先生――訶梨帝母を訪ねるといいって云ってたからね」
海雪はそう言うと、深く溜息を吐いた。
――響という少年は夜行に見つけてもらえなかったら、どうなっていたんだろう。
そう考えると、以前、瑠璃に云われた言葉を思い出す。
『大切なわが子のはずなのに、その手にかけてしまう親が、親の心境が』
捨てるということは殺すことと一緒だ。海雪は暗い表情でそう思った。
「響、今からお姉さんが云うこと、しっかりと聞いてくれる?」
毘羯羅が稲妻神社の本堂で、ぬらりひょんの話をしていた、少し前のことである。
栢は響と一緒に、昼食をとっていた。その近くには、瑠璃と田心姫の姿もある。
栢は真剣な表情で、響を見詰める。
「お姉さんね、あなたと同じくらいの時に、怖い夢を見たの。それが今でも忘れられなくて、酷いことを一杯してきた。夜行にだって、私のことを気遣ってくれていたのに、ちっとも、気付けなかった…… いつもそうなんだ。大切なものって、自分の手の届かない、本当に手の届かない場所に消えて、やっと気付くんだ」
栢がそう話をしていたとて、響には何もわからない。
それどころか、話を聞いているのかどうかも、食事をしている響には、理解しているのかすらわからない。
それでも、栢は――
「響、夜行はもういない。あなたは濡女子と一緒に、新しい家で住むの」
栢がそう言うと、「夜行さんはもういません」
響が言葉を発する。「ええ。夜行さんはもういません」
栢がそう答えると、響は寂しそうな表情を浮かべた。
「意味がわかってるのかしら?」
田心姫がそう呟く。「わかっていると思います。恐らく……わかっていると――」
瑠璃が答えるように呟いた。
だが、“人の行方がわからない”という意味のいないと、“死”を意味するいないのどちらを、響は理解したのだろうか、結局のところ、瑠璃たちにはわからなかった。
瑠璃は、栢のオブラートに包んだ言い回しに、少なからずとも、響を傷付けたくなかったのだと、そう思いたかった。