玖・羂索
「――っ……」
皐月の周りには、赫々に染まった熱い光が迸っている。
その中では、恐怖や痛みによる阿鼻叫喚が犇きあっており、周りの凄惨さを物語っていた。
「な、なに? ここ……」
皐月は思考をフル回転させる。
たしか公園で美音やキャンプ場にいた老人なんかといっしょにいて、信乃と海雪は美音に吹き飛ばされて……。
そこまで思い出したが、どうしてこんな状況になってしまっているのかがわからないでいた。
周りにいる人間たちの服装に目をやると、その容姿に皐月は目を疑う。叫び逃げ惑う皆の着ている服は、袴や着物である。
近代的ではあるが、洋服とは云い難い。
――もしかして……、ここって、大正時代とかそこらへん?
皐月は自分の知っている時代劇の知識を思い出す。
「ダキニさま……お許しをぉ……」
男の一人が叫ぶと、ギリギリとまるで引き千切られるような音が聞こえ、グチャリと五体は潰れ、残った胴体がその場に落ちた。
それはその男だけではない。炎の中を走っている女子供問わず引き裂かれたり、顔を潰されたりと、見るに耐えられないものばかりであった。
「ぅぐぅ……」
皐月は跪き、胃から込み上げてくる胃液を吐き出す。
「な、なんなの……ここ……。周りにいる人たちの痛みや苦しみが、まるで自分のことのように感じる……」
皐月は涙目になりながら、ゆっくりと立ち上がる。
「これがあのおじいさんが云ってた、怨みの念……?」
目を細め、周りを見遣る。よく見ると、逃げ惑う皆が同じ場所から逃げていることに気付く。見た事のある本堂に、皐月は目を疑った。
――あれって……私の家?
皐月は表情を硬くし、ふらふらになりながらも、稲妻神社へと走り出した。
鳥居に近付くほど、人の群れが多くなっていく。
途端、皐月は人とぶつかりそうになり目を瞑ったが、吹き飛ばされず、痛みもなかった。人の群れは皐月を擦り抜けているからである。
皐月はこれが幻だと気付くと、足を速めた。
境内に入ると、本殿のほうから激しい火花が、まるで生きているかのように夜空を飛び交っている。
炎の海と化している中を見遣ると、中には神楽舞で着る装束を纏った皐月と同じくらいの子が、目を大きく開き、虚空を見遣っていた。
「なにやってるの? 早く逃げてぇ!」
皐月は少女に向かって叫んだが、聞こえるわけもなく、ただ炎だけが激しく燃え盛り、天井からギシギシと軋む音がこだましている。
「っ……!」
皐月はどうして崩れ落ちる本殿の中に走ろうとしたのか、体が勝手に動いたとしか云えなかった。
本殿は轟音を響かせ、崩れ落ちた。
「っ…… つぅ……」
皐月はうっすらと目を開くと、自分の下で気を失っている少女に目をやった。
「だ、大丈夫?」
皐月は声を掛けたが、少女はピクリとも動かない。
少女の頭から血が流れ落ち、そして生気すら感じられなくなっていた。
「おりんっ! 栢っ! 生きているか? いたら返事をしてくれっ!」
外から声が聞こえ、皐月はそちらに目をやった時である。
突然頭に痛みが走り、立つことすらままならなくなる。
「おりんっ! 栢っ! いたら返事をしろっ!」
発狂したかのように、托鉢僧は、おりんと栢を探している。
「まさか……っ! 朧が死に、封印が解けた妖怪たちが暴れているのか……」
托鉢僧の姿をした男が険しい表情で境内を見渡す。彼は気配を探しているのだが、まったく見付からない。
それもそうだろう。探しているおりんはすでに息絶えているのだから。
「このままではこの村も、周辺の村も、たった一人の神子の死に暴走している彼らによって滅んでしまう」
托鉢僧が歯を軋らせる。皐月は托鉢僧を、どこかで見たことがあると思いながら見みていると、自分の背後に誰かいる気配を感じ、振り返った。
「――っ?」
絶句とまではいかないが、拍子抜けしたとも云い難い。
どう反応すればいいのかわからなかったからである。
そこには先ほど倒れていたおりんが、呆然とした表情で立っており、皐月を冷たい目で見ていた。いや、冷たい目というよりは何も感じない。
瞳の色も何もない、晦冥とした相貌であった。
「私は……、みんなといっしょにいたかった。もっと話したかった。もっと遊びたかった。それなのに……それなのに……」
おりんは表情ひとつ変えず、淡々と言葉を発する。
「おかぁはどこ? おとぅはどこ? ――****はどこ?」
おりんの声は変わらない。だが、皐月は痛いほど少女の声がもつ意味に気付く。
一緒だからである。六年前に起きたあの事故から続いている自分の心と、おりんが口走っている言葉の意味が……。
おりんは探しているのだ。もう見付かることのない家族を――
そして皐月は、虚空蔵菩薩が云っていたことを思い出す。
怨念……。この女の子がその原因だって云うの? 違う……。この子から痛いほど伝わってくる。どれだけ怖いのか、どれだけ強がっていても、心の中では怖くて逃げ出したいのか……。私だってそうだもの。本当は怖くて…… でも、私は皆を護りたいから……護って、みんなと一緒に――。
皐月は不意におりんに手を伸ばした。そして触れられるはずのないおりんの身体を抱き締める。
「大丈夫。あなたの悲しみも……あなたに向けられた怨念も全部私が受け止める―― 。だから……もうゆっくりと眠りについて……」
皐月はおりんを宥めるように耳元で囁く。
「吾神殿に祀られし、荼枳尼天の怨よ。この者に溜まりし穢多を、吾心を器に入れ替えよ! 吾名は皐月! 黒川皐月っ!」
皐月が咆哮をあげると、おりんの身体は弓張りのように反ると、赤色の瘴気が皐月の身体に入り込んだ。
「……っ! ……くぅ」
皐月は顔を歪ませ、その痛みや苦しみに耐える。
『ひところし……ひところし……おまえはひとくいのむすめだ――』
『ほら、あんなこどもといっしょにあそんではいけません』
『あのこはころされるためにうまれたんじゃよ。さいしょからいけにえにされるために』
『このむらはかみさまにまもられてるんでねぇ。かみさまにいけにえをささげて、ようやくまもってもらえてるんだよ』
『いけにえはかならずころされる』
『こいつは、おやをころした。ひとではない。おにだ』
心のない罵声が、皐月の脳内にこだまする。
「っさい……、人の気持ちも……、この子の気持ちも知らないくせに……」
皐月は歯を軋らせる。
「でもね。私が全部受け止めてやるから、うちの神社に祭られている神様の業も、怨も、何もかも……」
皐月がそうつぶやくや、突然カッと周りが明るくなり、皐月はその光に包まれた。
「首尾はどうだ? 酒呑童子」
部屋に入ってきた男が歩くたび、何かを踏み潰すような音が響き渡る。
「ほれ、これじゃろう? お前さんが探している鍵とやらは――」
そう云うや酒呑童子は男に手を差し伸べる。
その大きな手には小さな榊の枝が載せられている。
「榊はこの世と神の世を分けるもの。それは悪鬼を復活させるということ」
男が笑いながらそう言うと、うしろから大きな物音が聞こえ、男と酒呑童子は振り返った。
「見付けたぞ! 朽田健祐…… いや『ぬらりひょん』」
夜行が笠を上げ、男――朽田健祐をにらむ。
「おや? どうしてあなたが此処に?」
「話は地獄に堕ちてから、悠々と話そうではないか? それよりもまず、響は何処じゃ?」
夜行が咆哮をあげる。
「もちろん、彼は無事ですよ。彼がいなければあなたが残した暗号も何もかもわかりませんからね。福嗣町に祭られしすべての神仏は、その正体を表し、この世のすべてを破壊する。人は食われ、花と地は枯れはてる」
朽田健祐は大きく手を広げ、歌劇を唄うかのように言葉を発する。
「そうはさせん。お前の企み……。ここで終わらせる」
夜行は小刀を取り出し、朽田健祐の腹部に突き刺した。
「ぐぅふぅっ……!」
朽田健祐の口から大量の血が迸る。
「ぬらりひょん……これで最後だぁっ! 閻獄第八条において、このものを無間地獄へと連行する!」
夜行がそう叫ぶと、お札が現れるや朽田健祐の額に貼り付けられる。
「くぅ……ぐぅおぉ……うぅおおおおおおおおおおおおっ!!」
朽田健祐は断末魔をあげ、そして青白い炎と化して消えた。
夜行は小刀を振るうと、険しい表情で酒呑童子を見遣る。
「お前も同犯の罪により、地獄へと連行する。大人しく観念し……」
夜行は言葉を止め、うしろを見遣った。
「ぬ、ぬらり……ひょん――?」
夜行のうしろから杖で心臓を突き刺しているのは、先ほど連行されたはずのぬらりひょんであった。
「大事なことを忘れては困るなぁ、夜行よ…… わしは嘘を吐く妖怪。あれしきのことで死ぬわけがなかろうよぉ?」
ぬらりひょんはニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。「っ――」
夜行は小さく言葉を発する。それは彼の使う言霊で傷を治そうとしたからである。
「おっと。それはいけねぇぜぇ旦那ぁ? 死人はさっさと死んでくだせぇやぁ」
酒呑童子は夜行の肩を掴むや、口を大きく広げる。
そして、夜行の首元を――噛み千切った。
「………………っ!」
夜行はその場に倒れ、ぬらりひょんと酒呑童子を見遣る。
「形が残っていては、また復活し邪魔をされるかわからん」
ぬらりひょんはそう言うと、ゆっくりと部屋を出て行った。
「さぁて、飯だ飯だぁ。おまえたちぃ、鱈腹食べろよぉ」
酒呑童子が陽気な声で手を叩くと、夥しいほどの小鬼が地面から這い上がってくる。
その小鬼は夜行の身体を覆い隠すようにして、牙を向き出しにすると、もはや彼らの餌としかいいようのない扱いで夜行を食い殺した。
骨の髄も啜り込むほどに――
「だからぁ……そうじゃなくて」
鴉天狗は頭をかかえ、ためいきをつく。
今日だけで何度ついただろうかと数えたくなるくらいにだ。
風呂に入っていた響の着替えを着せるために一応は用意(盗み)はしていたのだが、継ぎ接ぎに着ている。それよりも先ず、パンツを穿いていない。
「なんで先にズボンを穿くのよ? ふつうパンツからでしょ?」
鴉天狗は響の行動に頭がついていけなかった。
「こんなのが、どうしてあんなわけのわからない暗号の解き方を知ってるのよ? まったくぬらりひょんの考えていることがわからないわ」
鴉天狗は響を呼び止めるが、響は壁にかけられたカレンダーを目にやる。
「仏滅…… 仏や如来の入滅・滅度のこと、すなわち死」
響がそう呟くと、鴉天狗は首を傾げる。
カレンダーには確かに仏滅と書いているのだが、詳しいところまでは書かれていない。
カレンダーは奇しくも十月……六曜における仏滅であった。