捌・号音
号音:合図の音
「――犯人が自首してきた?」
大宮から事の報告を受けていた皐月に、信乃がたずねる。
「うん。でも証拠不十分で不起訴になるって」
「でもよかったじゃない。事件は解決したし、葉月ちゃんのクラスメイトって言う響って子の容疑も晴れたわけなんだし」
「そうなんだけど……どうもみんな引っ掛かってるみたいなんだよね」
皐月がそう言うと、信乃は首をかしげる。「阿弥陀警部の話だと、犯人が自首して来なければ、この事件は事故で処理されていたんだって」
「確かに引っ掛かるけど、でも人間だし、罪の意識に苛まれたんじゃない?」
信乃があっけらかんとした表情で言う。
「あ、そうだ。皐月、これ何かわかる?」
信乃はズボンのポケットから、折り畳まれた紙を皐月に渡した。
『清らかな紅い土は横にずらせ。さすれば恐れに塗れ、世は憂き世となるだろう』
それは田心姫が鴉天狗に渡し、響に解かせろといっていたメモと同じものであった。
「なに、これ? 信乃がやってるゲームの暗号みたいなやつ?」
皐月はあきれた表情でたずねる。
「そうじゃないわよ。ちょっと知り合いから渡されてね。まったく何のことやら」
「っても、私に訊かれてもなぁ……こういう頭使うの苦手だし」
皐月は頭のうしろに手を回し、ジッとメモを見つめた。
「……あれ? 美音……」
皐月たちの目の前にベンチがあり、そこには美音が足をブラブラとさせていた。
皐月たちが近付いている事に気付いた美音は立ち上がり、皐月たちを一瞥する。
「皐月……ちょっとこっちに来て、信乃も一緒にね」
そう言うと、美音は公園へと入っていく。
美音に付いていくように公園へと入った皐月たちは、美音のほかに人がいるのに気付く。
そしてその一人を見るや、皐月は表情をゆがめた。
「な、なんであなたがここにいるんですか?」
皐月がそうたずねると、男――虚空蔵菩薩は小さく頭を下げた。
「珊底羅、いったい何の用? ……って、皐月さんに信乃さんも」
上空から声が聞こえ、皐月たちはそちらを見遣った。「おばあちゃん?」
上空から降りてきたのは、海雪と因達羅であった。
「これで全員揃ったわね」
珊底羅がそう言うと、皐月と信乃、海雪を見る。
「――な、何をしようとしてるの?」
皐月と海雪は、虚空蔵菩薩をにらむ。二人にとって虚空蔵はトラウマの原因だからである。
「嫌われてますね」
と、珊底羅は虚空蔵菩薩を見ながら話しかける。
その表情は哀れむようなものであった。
「自分で撒いた種じゃから仕方ないんじゃがなぁ。もっと嫌われそうなことをするとなると、気が進まん」
虚空蔵菩薩が頭を抱える。
「でも、やつに対抗する以上、今はあの子の精神にかけるしかないんじゃないんですか?」
美音がそう虚空蔵菩薩と珊底羅に言うと、手に持った扇子をパッと開き――振り上げた。
すると信乃と海雪が風に吹き飛ばされ、木に身体を打ち付けられる。
「信乃っ! おばあちゃんっ!」
皐月が二人に呼びかける。
「な、何よ……これぇ……全然動けない」
信乃と海雪は、自分の身体をジタバタとさせるが、磔にされたように木から体が放せないでいた。
「美音っ! いったい何をしたの?」
「信乃の場合は彼女の影をこちらに封じた。海雪はまぁ動くことを封じたとでも云っておこうか」
美音はゆっくりと扇子で口元に隠し、目を細めた。
「いいから二人を解放しなさいよっ!」
皐月はキッとにらみつける。「二人に邪魔をされては困るのでな……」
そう言うと、虚空蔵菩薩がゆっくりと皐月に近付いた。
「黒闇天っ、いったい何を考えているんですか?」
因達羅が小刀を翳し、美音をにらみつける。
「因達羅……これは虚空蔵菩薩さまの考えがあってのことなのよ」
「考えがあって? 今の今まで苦しめておいて、それも考えだというの?」
「皐月さんの持つ大黒天の力……。いいえ、本来祭られている祭神その本来の力を、今の貴女では扱うことすらできない」
「な、何を云って……」
皐月が戸惑った表情を浮かべ、珊底羅を見遣った。
「大黒天の本地仏である摩訶迦羅は、大いなる暗黒を意味し、本来は死の神として崇められてきた。破壊神シヴァの化身であることはお前も知っておろう?」
「ええ、それがどうしたの?」
「闇は人の怨。それらすべてを受け入れることが出来るか……」
虚空蔵菩薩はゆっくりと手を挙げると、周りに黒い玉が現れ、皐月を包み込む。
「――皐月さまっ!」
因達羅が近付こうとすると、珊底羅がそれを止める。
「閻魔王の従者ならば、その孫娘を信じなさい。彼女のもつ大黒天の力は本来扱えるものではないのよ。それに、この絶望を心に宿さなければ本来の力を使う前に皐月は心を蝕まれる」
珊底羅がキッとにらみ、因達羅を黙らせる。
「心を蝕まれたら、皐月はどうなるの?」
「そのままの意味。生ける屍……いいえ、廃人といった方がいいわね」
珊底羅がそう言うと、信乃と海雪は憤怒の表情を浮かべ、珊底羅と虚空蔵菩薩をにらんだ。
「それが本当だとしたら、今すぐやめて! 皐月は本当は臆病者で、虫も殺せないくらいだったのよ!」
「それに今のままでも充分強いじゃない? それをどうしてこんなことするの?」
信乃と海雪がそう叫ぶと、美音は吉祥天と黒闇天の二つに分離した。
「吉祥天? ……あなたも止めて! こんなこと他の十王に知られたら」
因達羅が吉祥天に話しかけたが、彼女は顔を俯かせ、目を合わせようとはしない。
「十王に話しておったら行動がどんどん遅れてしまう。じゃからわしらは独自でやる事に決めたんじゃ……。もっとも、本来ならお前たちは関わることはなかった」
虚空蔵菩薩は中腰になり、皐月を見遣った。
「あ……あがぁ……ぁやぁ……」
皐月は恐怖で顔をゆがませ、目を大きく開き、溢れんばかりの大粒の泪を流している。
口を半開きにして、うわごとを発する。
「苦しいか、黒川拓蔵の孫娘よ。それが本来の祭神、荼枳尼天に選ばれたものが受け継ぐ、執行人としての業なんじゃよ」
虚空蔵菩薩は、ゆっくりと皐月の髪を撫でる。
「朧……、お前の血は再び闇に蝕まれようとしているが、あの時とは違う。この子は思ってくれる人がいる。お前が最後まで望んでいたものをこの子は持っている。出来れば護ってやってくれ」
虚空蔵菩薩はスッと立ち上がり、珊底羅を見遣った。
「吉祥天、黒闇天、皐月さんをお願い。私と虚空蔵菩薩さまは夜行を追います」
珊底羅にそう告げられ、吉祥天はうなずいた。
「夜行? あなたたち、夜行さんのことを知ってるの?」
信乃がそうたずねたが、虚空蔵菩薩と珊底羅は何も答えず、スーと姿を消した。
「黒闇天、説明して、虚空蔵菩薩さまたちは何をしようとしてるの?」
「今はこの小さな心を信じましょう。神を宿すということは、どれだけ重たいものなのか……」
黒闇天はそう言うと、信乃と海雪の身体を更に縛り上げる。
「――きゃああっ!」
二人は悲鳴をあげた。
「あなたたちもこの子の親友ならば、この子を信じなさい。因達羅、すぐに地獄へと戻り、十王たちに知らせなさい。あなたたちも結局は人間と同じだとね。すべてが終わってからでは遅すぎると」




