伍・恰も
阿弥陀と大宮が稲妻神社に訪れたのは、葉月に云っていた通り、その日の夕方頃であった。
「被害者の名前は野山治樹、三十二歳。M証券に勤めているサラリーマンです。死亡推定時刻は昨日の午前一時前後。時間も時間ですので、目的者がいない」
阿弥陀が拓蔵たちに説明する。
「足を滑らせて転落したんじゃないんですか?」
「その可能性も考えられなくはないので、まだ事故か殺人かの判別は出来てないんですよ」
「それで葉月に霊視をしてもらうわけですね?」
皐月は葉月を見ながら云う。
「ええ。お願い出来ませんかね?」
阿弥陀はふところから遺体が写った写真を取り出し、葉月に渡す。
「その前に、どうして響くんが疑われるのか、理由を言ってくれませんか?」
葉月はキッと、阿弥陀と大宮をにらみつける。
「ええ。まぁ訊かれるとは思ってたので早々に言いますが……、被害者の横腹に子供の靴の足跡があったんですよ。で、昨日の夕方から今日にかけて、福嗣町の小学校……特に葉月さんと同じくらいの学年の子を中心に、授業中を見計らって足形を取らせてもらっていたんです」
「それで被害者についていた足跡と照合したら、霞谷響くんの靴と一致したんだ。それにその子の親御さんが、被害者が亡くなった時間、響くんは部屋を出て行っていたと云っていた」
そう説明され、葉月は腑に落ちない表情を浮かべたが、霊視をすれば早い話だと思い、一、二度深呼吸をすると、写真の上に手を翳し、ゆっくりと目を瞑った。
「誰かが慌てて階段を上がってて、それから誰かが階段を下りてきて……」
葉月がそうつぶやくと、「それじゃ、誰かが階段から突き落としたということですかね?」
「でも、最初に階段を上がってって、それから階段を下りてきてるって事は、少なくとも被害者を発見してるわけですし……。通報があったのは|いつなんですか?」
皐月がそうたずねると、大宮は昨日の明朝六時前だと答えた。
「それだったらなおの事、階段を下りていた人は被害者に気付くはずですよね? 通報だってしていただろうし……」
「でも通報があったのは大宮くんの云ってる時間なんですよね。つまり被害者は踏まれ損してるというわけです」
阿弥陀がそう言うと、拓蔵はあきれた表情を浮かべた。その言葉が言い得て妙だったからである。
「それで被害者はその響くんに踏まれたってことか」
弥生はそう言うと、葉月を見遣った。霊視をした疲れでうつらうつらと頭を俯かせている。
「でも葉月くらいの子だったら、動転するんじゃない?」
「うん。その響くんにその時のことを尋ねても、答えてくれなかったんだよ」
「一緒にいたお父さんはどんな人だったんですか?」
「えっと、ほら修行僧と云ったらいいのかな? 托鉢僧みたいな格好をしていたよ」
大宮がそう説明すると、皐月は、「あれ?」
と、首をかしげた。
「皐月ちゃん、何か心当たりあるの?」
「あ、いや……、昨日コンビニでお菓子を買いに行った時、男の子がいたんですけど、なんか妙な子だったんですよ。買い物の仕方とか教えてもらってたり、私のことをドロボウとか云ったり……」
「ま、まさか皐月、あんた万引きしようとしてたんじゃ?」
「ちゃんと買ったから大丈夫。それに店を出た時じゃなくて、お菓子を手に取った時に云われたの。それでお店に托鉢僧の人が入ってきて、その男の子と一緒に帰ってったから、そうじゃないかなって」
皐月はムッとした表情で弥生をにらむ。
「その響くんじゃったかな? その子少し調べた方がいいかもしれん。ただ相手は子供じゃ、不安を煽るようなことはしないように」
拓蔵にそう言われ、阿弥陀と大宮はうなずいた。
草木も寝静まる丑三つ刻……。もとい午前二時。事件があった歩道橋に夜行の姿があった。
彼の足元には十体というべきか、十枚の、人形に切られた式神が、歩道橋の周りを忙しく調べていた。
――響はここで犯人を見た。しかし、それ以外に何の情報もない。
夜行が考えていると、式神のひとつが何かを発見し、夜行に知らせる。夜行はそこを調べると、階段の段隅に石のかけらがあった。
「これは……宝石か? かけらの大きさは0.1カラットといったところか」
暗闇のため、よく見えはしないが、夜行はそのかけらを指で擦り大きさを図る。
「しかし、よく警察は見つけられなかったな。だが、これが欠けたものだとすれば」
夜行はその後も階段の一つ一つを調べたが、それ以外には何も見付からなかった。
部屋に戻った夜行は、響を起こさぬよう、静かに部屋の中を歩いていた。
そして、寝室の襖を開けると、その違和感に戸惑ってしまう。
窓下に濡女子が壁に凭れるように倒れており、彼女から感じられる力も、風前の灯といわんばかりに、微々たるものであった。
夜行は部屋の電気を点けると、いるはずの響がいなくなっている事に気付き、濡女子に駆け寄った。
『・・・・・・っ』
濡女子は首を絞められたような表情を浮かべ、口を震わせたが、声が掠れてしまい、夜行には届いていなかった。
「なんだ? 何を云ってるんだ?」
夜行は濡女子の唇を見詰める。口読術というやつだ。
『タゴリヒメトカヤガヒビキクンヲ……』
夜行はそう解読すると、険しい表情を浮かべる。
濡女子の首元には、まるで虫に刺されたような腫れがあり、そこから彼女以外の妖気を感じ取った。
夜行は彼女をゆっくりと横たわらせ、右手を刀印の形にして「臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前」
と、九字を切った。
濡女子の表情は徐々に落ち着いていき、息遣いも規則正しくなっていく。
夜行は、濡女子を抱きかかえ、布団に寝かせる。
「すまんな……、元々力もないのに」
夜行は濡女子の濡れた髪を撫でると、静かに部屋を出て行った。
「や、やっと落ち着いて寝てくれたわ」
仄かな光が灯った部屋に鴉天狗の姿があった。
「お勤めご苦労。下がっていいぞ」
上座に座っている男がそう言うと、鴉天狗はちいさく会釈し、部屋を出て行った。
「しかし、どうしてあの子を誘拐なんて? 答えられるわけでもないのに」
横に座っていた田心姫がそうたずねると、男は不敵な笑みを浮かべる。
「無理矢理にでも聞き込むさ……、親に理解されず、捨てられた可愛相な子供だが、やつはとんでもないものを脳の中に入れてしまったからな」
「殺せば済むだけの話では?」
「いや、夜行が封印してしまったその呪文は、呪詛を唱えればどうにかなるが、やつがその経文を焼き祓ってしまい手元にはない」
男がそう言うと、田心姫は険しい表情を浮かべた。
「でも、その子がそれを覚えているとは限らないんじゃ?」
「いんや、覚えているさ。人は邪魔な記憶を消すことが出来るが、響はそれが出来んからなぁ」
男の言葉の意味を、田心姫は理解できなかった。