壱・鸚鵡
ガシャンと、ガラスが割れる音が聞こえ、間髪入れずに銃声が轟いた。バタバタと得体の知れない怪物たちが、赤、青、黄色のコスチュームを纏ったヒーローたちに倒されていく――。
という、云ってしまえば、特撮ドラマがテレビでやっており、少年はジッとそれを観ていた。
少年は番組が終わると、立ち上がるや、側で一緒に観ていた男に向かって、変身ポーズを取る。
「こい悪党! この正義の使者がお前たちを地獄に送り返してやる! くらえ! 飛雷剣っ!」
少年はおもちゃの剣で男を切った。「くぅっ! なかなかやるなぁ! だが負けはせんぞっ!」
男は苦痛な表情をしながらも、不敵な笑みを浮かべる。付き合いのいい男だ。
「これで最後だ! 必殺っ! 神鳥斬ッ!」
少年は、剣を横一文字に振るい、男に切りかかる。
「や、やられたぁ……」
男はうわごとをあげるように、ドタッと倒れた。
「……気が済んだか? 響……」
数秒ほどして、男がムクリと起き上がり、少年――響の頭を撫でた。響はキョトンとした表情で、男を見遣る。
なぜ倒した相手が起き上がったのかというような顔だ。
「わしは倒されんよ。ほら、そろそろ七時だ。ご飯の用意をしなくてはな」
そう言うと、男は厨房へと入っていく。響はまだ遊び足りなく、剣を振り回していた。
「さっきと話が違うじゃないか?」
野山治樹は、憤りをあらわに、恋人である飯田真理子に問い詰めていた。
いや、元恋人と言い換えた方がいいだろう。真理子から一方的な別れ話をされた治樹は、理由を問い質しているのだが、真理子は口を頑なに閉ざしていた。
「なにが理由だ? 何不自由なく与えてきたじゃないか?」
治樹がそう言うと、真理子は不服そうな表情を浮かべる。
「そうか……。だったら、今までお前に貢いできた宝石とかを返してもらう」
云うや、裕樹は真理子の腕を掴んだ。
「痛いっ! 放して!」
真理子は悲鳴をあげ、治樹から逃れようとした時だった。
真理子の視界が、グワンと空を仰ぎ、体が倒れようとする。
「――きゃぁっ!」
真理子は悲鳴をあげる。そして階段から、何かが落ちる音が彼女の耳に走った。
「……っつぅ――」
真理子は頭を抑えながら起き上がった。
そして階段を見下ろすと、下には頭から血を流して倒れている治樹の姿があった。
真理子の体は偶然にも尻餅を付き、反動で頭をぶつけただけに済んだが、治樹は倒れた真理子に動転し、バランスが取れなかったのだ。
「あ、ああ……」
真理子は動転し、口が回らない。
そして、その場から逃げるように、歩道橋の逆にある階段を下りようとした。
時間は午前一時を少しまわった頃で、真理子以外は人が通っていない。そう真理子は思いたかった。
逆の方から誰かが階段を上がってくる音が聞こえ、真理子は立ち止まった。真理子の心臓は、破裂するほどに鼓動を激しくする。
今この状態で死体を見られては、自分が殺したと思われるからだ。
真理子は上がってくる影に脅えながら、ゆっくりと歩き出す。
そして階段を上がり、真理子に近付く影を見るや、真理子は唖然とした。
――子供? 子供がどうしてこんな時間に?
真理子の目の前に上がってきたのは、響であった。
響は真理子を気にもせず、素通りする。
呆然とした真理子はハッと我に返り、振り返った。
今、階段の下には治樹の死体がある。そしてすぐそばにいる自分が疑われると思ったのだ。
「ね、ねぇ、僕? こんな時間にどうしたの?」
真理子はそう声を掛けたが、響は振り向かない。
「僕っ! おねえさんの話聞いてくれないかなぁ?」
真理子は響の肩を掴み、自分の方に振り向かせる。
「ねぇ、おねえさんはいなかった…… いいわね?」
そう言うと、真理子は立ち去っていった。
「――おねえさんはいなかった…… いいわね?」
響は真理子の言葉を繰り返すと、再び歩き出し、階段を下りた。
階段を下りきろうとした時、不意に足元に柔らかい感触があり、下を見ると、治樹が倒れていた。
しかし、響はそれを気にも止めずに歩き出した。
「響ぃっ! 響ぃっ!」
托鉢僧の姿をした男が、必死な表情を浮かべながら、響の名を呼んでいる。
「くぅそぉっ! 寝る前に鍵を閉め忘れたのが仇となったな。まさか起き上がるとは思わなんだ」
男は下唇を噛み締める。
男が角を曲がると、何かがお腹に当たった。
「ひ、響っ!」
男の懐には響がおり、キョトンとした表情で男を見上げている。
「んっ!」
男は笠を脱ぐと、キッと厳しい表情を浮かべ、響を見つめる。
「勝手に出て行ってはいけません」
そう言うと、響はしょんぼりとした表情を浮かべ、「ごめんなさい」
と謝った。
男は出て行った理由を問おうとはしなかった。
鍵を閉めていなかった自分が悪いのだ。響が根本的に悪いわけではない。
男は響の手を取り、歩き出した時だった。
不意に、自分と響以外の気配を感じ、響を見遣る。
「響? 何か見なかったか?」
そうたずねると「響、何か見なかったか……」
と、響は男の質問を鸚鵡返しする。
男は響が答えてくれるとは思っていなかった。いや答えられないとわかっている。
男は懐から紙を取り出し、それを人の形に切り、五芒星の印を切った。
すると人の形をした紙は動き出し、ひとりでに歩き始める。
「響、何か見なかったか?」
男がもう一度たずねるが、「何か見なかったか?」
と、響は聞き返す。
男は響が質問に答えられないことはわかっていた。いや、響に曖昧な質問は出来ない。
何かという曖昧な質問をしても、鸚鵡返しされるのがわかっていた。
――響の足元から人の怨が感じられた。まさか……、響は事故現場に遭遇したのか? いや、あれは不意の事故で亡くなった人の念ではない。まるで、人に殺された恨みの念だった。
男はそう考えながら、響の手をギュッと握り、家路に着いた。