拾・輪舞曲
――意警視庁捜査本部で大口望が殺害されたことによる会議が行われていたところまで遡る。
「どうしたお前たち、驚いたような表情を浮かべて」
会議室に入ってきた老人と、その隣にいる女性を、佐々木刑事や湖西主任、波夷羅、吉塚愛の四人は驚いた表情で見遣っていた。
「そ、そりゃぁ驚きますよ。だってこんなところに虚空蔵菩薩さまがいらっしゃるとは」
佐々木刑事が跪き、老人――虚空蔵菩薩を見上げた。
「じゃが虚空蔵菩薩、おまえさん、一体何を考えておるんじゃ? 皐月のことといい、海雪のことといい、ちぃと遣り過ぎやせんか?」
湖西主任がそう言うと、虚空蔵菩薩は申し訳ないように頭を抱える。
「いや、まぁ、あの時はやつを取り逃してしまったという焦りもあってな…… 今は反省しておる」
「虚空蔵菩薩さまからの伝令は、ちゃんと拓蔵さまや地蔵菩薩さまに伝えています」
虚空蔵菩薩の隣にいる女性――珊底羅がそう皆に伝える。
「確かにな…… その事故があった後、朽田健祐は証拠不十分で釈放されている。共犯である以上、証拠がなくとも重要参考人として取り調べられたはずじゃ。しかし、事故があった事も、増してや朽田健祐という人間がいた事さえなかった事にされているんじゃよ」
湖西主任がうーんと唸る。
「それにな、その事故に関して、浄玻璃鏡がまったく反応せんかった」
「見れなかったということですか?」
虚空蔵菩薩の言葉に、愛が尋ねる。
「ああ、地蔵菩薩がキャンプ場で何があったのかを見ようとした時も見れんかったようじゃしな…… 恐らく奴の仕業じゃろうし、鴉天狗や田心姫が暴走を始めたのもそれがあるかもしれん」
「暴走? しかし鴉天狗は無間地獄を脱獄しております。それは自分の意思なのでは?」
波夷羅が云うと、虚空蔵菩薩は少しばかり顔を俯かせた。
「地獄を抜け出す事が出来んのは、お前たちも重々知っておるじゃろ?」
「しかし、それではどうやって……」
佐々木刑事がそう言うと、湖西主任はハッとした表情で、
「まさか…… いや、やつのちからなら可能かもしれん」
「何かわかったんですか? 薬師如来さま」
波夷羅がそう尋ねると、湖西主任はゆっくりと立ち上がる。
「……ぬらりひょん。やつは嘘の精と云われているからな。人にまやかしを見せていても可笑しくはない。そして、今までのことをなかったことにも出来る」
「では、皐月さんや信乃さん、海雪さんが関わった事件についても、そのぬらりひょんが絡んでいる可能性があると?」
「否定は出来んし、肯定も出来ん。どっちもどっちなんじゃよ。わしもふと思っただけで、確証があるわけではない」
湖西主任はそう言うと、椅子に深く座った。「浄玻璃鏡で調べられん以上、どうする事も出来んという事だ。」
虚空蔵菩薩が愚痴を零す。
「しかし問題はぬらりひょんの行方だ。大威徳明王にもお願いはしているが、捕まるかどうかもわからん」
虚空蔵菩薩はそう言いながら、申し訳ないといった表情を浮かべていた。
「それじゃぁ、私が巧い具合いに、先方に説明しておきますよ」
遊火にお願いし、阿弥陀警部を呼んだ皐月たちは、大宮巡査を病院に連れていってもらおうと考えていた。
重傷を負った理由が妖怪に襲われたからというのを信用されるとは思わなかったのである。
連絡を受けた救急隊員に、阿弥陀警部は色々と説明するため、同伴しようとしていた。
救急車に乗りこもうとしていた阿弥陀警部は皐月を見遣った。
大宮巡査のことを心配して一緒に付いていくと思ったのだ。
「早くしないと、救急隊員の人たちに迷惑がかかるんじゃないんですか?」
皐月にそう言われ、阿弥陀警部は慌てて乗りこむと、救急車のうしろドアが閉められ、救急車は走り去っていった。
「さて……と、色々と訊きたい事があるんだけどね?」
皐月は海雪を見る。その海雪は困った表情で皐月たちを見ていた。
「だから、二人にごめんなさいって謝ったでしょ?」
「私たちが言ってるのは、どうしてすぐに教えてくれなかったかってこと」
信乃は海雪を睨み付けるが、その表情は笑みを浮かべていた。
結局のところ、二人は海雪を責めようとは思っていなかった。
「でも、また三人で話せたり出来るんだね」
皐月は笑みを浮かべ、信乃と海雪を見遣った。
「まぁ、そうなんだけどね。二人とも、何か忘れてない?」
海雪にそう言われ、皐月と信乃は首を傾げた。
「二人とも、いったい今何歳なの?」
「へ? 14だけど?」
「わたしは1月の早生まれだから、まだ13だけどね。それがどうかしたの?」
皐月と信乃は、海雪の問い掛けに理解出来ないている。
「二人とも来年受験でしょ? 執行人の仕事もだけど、行きたい学校とか、何か計画でもあるの?」
そう言われ、皐月と信乃は互いを見遣った。。
「信乃は剣道が強い学校に行くんでしょ?」
「そう思ってたんだけど、今ちょっと迷ってる」
信乃は皐月を見る。「皐月はどうするの?」
「私はまだ決めてないかな。そんなに頭がいいわけでもないし、あまり遠くに通うのも面倒だしね」
皐月たちが将来のことを話しているのを聞きながら、海雪は小さく笑みを浮かべていた。
「二人とも、これだけは約束して。どんな将来でもいい。その後悔だって、いっぱいしてもいい。ただ自殺することだけは絶対にしないで。した本人が言うと、説得力なんてないけど、死んで初めて自分がバカだったってわかったんだから、二人にはそんなことしてほしくない」
海雪は二人にお願いした。
「まぁ、皐月は大丈夫でしょうね」
信乃がそう言うと、「するわけないでしょ? まだやりたいことだってあるんだから」
皐月は頬を膨らませ、信乃を睨む。
「いや、そうじゃないんだけど……」
信乃は溜め息を吐き、頭を抱えた。
「皐月さま、信乃さん。そろそろお帰りにならないと、お二人とも怒られるんじゃ?」
遊火にそう言われ、皐月と信乃は時計を見た。
時間は既に夜の7時をまわっている。
皐月と信乃は海雪に別れを言うと、慌てて帰宅した。
『うん、またね。二人とも……』
海雪は二人が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
「そうですか…… 奪衣婆にされてしまったのならば、仕方がありません」
子安神社の境内には瑠璃と海雪の姿があった。
海雪はシスターと対峙していた事を瑠璃に報告していた。
「申し訳ございません」
少女の姿をした海雪は、深々と頭を下げている。
「別に謝る必要はありませんよ。あなたがどんな思いで二人を見ていたのかくらい見抜けないのでは、上司として失格でしょ?」
瑠璃はそう言いながら、ゆっくりと海雪の頭を撫でる。
「しかし、大宮巡査を目の前で襲われたとはいえ、皐月は少し感情的になりやすい。近くに信乃がいましたから事無く終えましたが、また暴走して、逆に大惨事になってるところでしたよ」
『そういう感情的になりやすいのも、おばあちゃん譲りなんじゃないのかな?』
瑠璃の言葉を聞きながら、海雪は小さく吹いてしまった。
そんな海雪の仕草に瑠璃は首を傾げる。
「でも、二人と別れてからずっとこの姿なんですよね」
海雪は昔の自分の姿に若干戸惑っていた。
死んだものが年を取るわけがない。今の海雪の姿は、死んだ時と同じ姿であるのだ。
そうあの時に着ていた白桃色のブラウスにデニムスカートである。
「気になるんでしたら、変えたらどうです?」
「ええ。でも前の姿にはもう戻れないんでしょうかね?」
海雪は皐月や信乃と分かれてから、ずっと今までの大人の姿になろうとしているのだが、いっこうになれないでいる。
「別にあの二人に正体がばれてしまった以上、隠す必要もないんじゃないんですか?」
瑠璃はあっけらかんとした表情で云う。その声はどことなく楽しそうである。
「海雪、あなたにはあの二人が幸せになるまで、自分と同じ馬鹿みたいな事をしないのを見守りたいんでしょ? だったら、私は何も云いませんし、あなたを責めたりもしません」
瑠璃はそう言うと、スーと姿を消した。「る、瑠璃さん?」
海雪は声を掛けたが、瑠璃の姿は何処にもなかった。
海雪は首を傾げながら、鎌を取り出し、虚空を裂いた。
そしてその間に姿を消すや、切り裂かれた空はもとの景色に戻っていった。