漆・一度
一度:音楽用語で音程のひとつ。音階が違う同じ音のこと。
「殺された? その大口望をラブホテルに連れていったっていう男がですか?」
稲妻神社の母屋の縁側で、信乃が驚いた表情で阿弥陀警部に尋ねる。
「ええ。私たちが事情聴取しようとした矢先、何者かに殺されたようなんです」
阿弥陀警部はお茶を配っていた弥生を見遣る。
「しかも死因が京本福介と似ているんですよ。まるで皮を剥かれたみたいに」
「京本福介って、この前持ってきた写真に写ってた焼死体のこと? それじゃ、やっぱりやったのは妖怪…… でも、京本福介は火車に盗まれる理由があったみたいですからわかりますけど、その大口望の恋人かどうかはわかりませんけど、その人が殺されるみたいな事って」
弥生がそう言うと、阿弥陀警部もどうして殺されたのか見当がつかないといった感じにお手上げ状態であった。
「人間の皮を剥ぐ妖怪かぁ…… 奪衣婆くらいしか思い浮かびませんけど」
信乃がそう言うと、阿弥陀警部は首を傾げた。
「警部、木下良雄の出身地がわかりました」
大宮巡査がやってくるや、阿弥陀警部にそう伝える。「大宮くん? 一体どうやって?」
「ちょっと、気になったんですよ。この前発見された焼死体は皮が剥がされていた事や、木下良雄が皮を剥がされて殺されている事に共通点があるんじゃないかって」
「それはわかりますけど。駄目ですよ、勝手な行動は謹んで」
阿弥陀警部がそう言うが、「それ、阿弥陀警部も同じことが言えるんじゃないんですか? 私たちに協力する事だって、いってみれば違反に近いわけですし」
信乃がそう言うと、弥生も同意といった感じに頷いた。
「こりゃ、二人に一本とられましたな。それで大宮くん、京本福介と木下良雄の共通点というのは?」
阿弥陀警部が苦笑いを浮かべながら、そう尋ねる。
「はい。京本福介と木下良雄は、共に石川県能登地方の出身だったんです」
大宮巡査の報告に、信乃は少しばかり考えるや、「能登かぁ…… あの人って、確か出身がそうだから芸名が」
「いや、その人は金沢の出身で、しかも本名だから、それ」
信乃の呟きに弥生が突っ込む。
阿弥陀警部と大宮巡査は何の事かわからず首を傾げた。
「それで、二人の出身が同じだからって、何がわかるんです?」
話を戻そうと、弥生が大宮巡査に尋ねる。
「皮を剥ぐ妖怪は、一般的に奪衣婆が思い浮かぶんだけど、僕は違うんじゃないかって思うんだ。それで、殺され方が一緒だった二人の出身が石川県の能登だってわかって、多分アマミハギっていう妖怪じゃないかなと思って」
「――アマミハギ? 聞いた事ない妖怪だけど、信乃さんは知ってる?」
弥生が信乃にそう尋ねると、「いや、えっと…… それ妖怪じゃなくて、その地方に伝わる行事じゃありませんでした? 能登のアマメハギっていうのがありますけど」
「信乃さんの言う通り、アマメハギは行事としても有名なんだ。除夜、つまり大晦日に家にやってきて、人の足の皮を剥ぐ妖怪として伝えられている。元々は囲炉裏や火鉢に長く当たると出来る火胼胝のことを、その地方ではアマメといって、それを剥ぐからアマメハギという名前になったと云われているんだ。アマメは怠け者の証とされているそうなんだよ」
「怠け者の証であるアマメを剥ぐ妖怪…… なんか聞いてると悪い妖怪っていうか、秋田のナマハゲみたいな妖怪ですね」
弥生がそう言うと、信乃は首を傾げる。
「ナマハゲも、確かアマメハギと同じで、火胼胝を剥ぎ取る妖怪だったはずですよ。なんか聞いてると、どっちも悪い妖怪って云うか、粛清する妖怪な気がするなぁ」
信乃はそう言いながら、うーんと唸った。
「最初二人が同じ出身だったから、アマメハギがそうなんじゃと思ったけど、なんか二人の話を聞いてると違う気がしてきたよ」
「それじゃ、自信がなかったって事ですか?」
弥生がそう尋ねると、大宮巡査は苦笑いを浮かべた。
「あれ? 大宮巡査、来てたんだ」
二階から降りてきた皐月が、大宮巡査に会釈する。
「こんにちわ、皐月ちゃ……」
大宮巡査は言葉を止め、皐月を見遣った。
弥生と信乃、阿弥陀警部も同じように目を点にしている。
というよりかは、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔である。
そんな四人を見るや、皐月は首を傾げた。「な、なに? みんな変な顔して」
「いや、確か皐月って、スカート履くの嫌いじゃなかった?」
信乃がそう尋ねる。
皐月は白の薄いブラウズに膝上まである茜色のスカートを履いている。その下には黒のタイツを履いていた。
「あのねぇ、いつまでもズボンばかりじゃ……」
皐月は口篭り、大宮巡査を見遣った。「なるほどね。確かにズボンばかりじゃ、彼氏も飽きるわね」
皐月の視線に込められた意図に気付いた信乃は、大宮巡査を見ながら言った。その表情は小さく笑みを浮かべている。
「そ、そういう意味じゃなくてねぇ」
皐月はあたふたと慌てた表情で否定するが、大宮巡査の反応を窺っていた。「……? どうかしたのかい?」
大宮巡査がキョトンとした表情で首を傾げる。
それを見るや、皐月はガクンと肩を落とし、弥生と信乃は、ハァと溜息を吐いた。
「あの刑事さんってさぁ、もしかして馬鹿?」
「いや、馬鹿でしょ? 皐月がスカート履くとかよほどの事よ」
居間の片隅に皐月を連れた弥生と信乃は、小声でそう言い合う。
「ですよね。小学校の時一緒だったからわかりますけど、皐月がスカート履いたところなんて一回も見た事ないんですから。知ってます? 皐月って、スカート履かないから、男子から『男だ、男だ』ってからかわれてたくらいなんですよ」
弥生と信乃がそう話すが、耳が悪い皐月には、「ふ、二人とも、何の話してるの?」
と、あたふたしている。
「とにかく、皐月の努力は認めるけど、二人の先が不安になってきた」
弥生がそう言うと、皐月は首を傾げた。
「何の話をしてるんでしょうかね?」
大宮巡査が阿弥陀警部にそう尋ねる。
「あれは、さっきあなたが見せた反応を見て話してるんですよ。皐月さんが入院中、スカート履いて病院に来ました?」
阿弥陀警部が含み笑いを浮かべながら聞き返す。「いや、一回もありませんでしたけど…… それがどうかしました?」
大宮巡査がそう言うと、阿弥陀警部は唖然とする。
「大宮くんが皐月さん以外に浮いた話がない理由って、そういう鈍感なところがあるからな気がしますねぇ」
阿弥陀警部は溜息混じりに呟いた。