陸・即興曲
大宮巡査は捜査本部のうしろにいた。というより、まだ退院して間もないため、庶務として参加しているわけである。
全快して愚痴のひとつくらい零したいものだろうが、大宮巡査はそんな不満を見せずに責務をまっとうしていた。
「発見されたホテルのロビーにある防犯カメラに、大口望と男が一緒にいたのが映っていました。それと検死結果によると、絞殺ともうひとつ体内から薬物反応もあり、そちらは現在詮索中です」
「その一緒にいたという男の詳細は?」
「男は木下良雄。防犯カメラに映った影像によると、ホテルに入ってから2時間後にチェックインしています」
「死亡推定時刻から察するに、その男が犯人として間違いないでしょう。すぐに書類送検しますか?」
警官がそう言うと、捜査本部長を負かされた灰羅刑事は小さく頷いた。それを見るや、何人かの警官が捜査本部を後にする。
「それと大口望の身体……膣にあったのは、男性の精液で間違いないとのことですよ」
阿弥陀警部がそう言うと、灰羅刑事は「恐らく、行為中による事故……といいたいところだが、SMをしていたという可能性もある。その体内で見付かった薬物がなんなのかがわかれば」
「絞殺痕がある以上、薬物による死因とは考え難いですね」
阿弥陀警部がそう言うと、ドアが開いた。
入ってきたのは湖西主任で、ゼェゼェと肩で息をしている。
「薬物検査の結果が出たぞ。仏さんの体には、シルデナフィルが服用されておったよ」
湖西主任がそう説明すると、「シルデナフィル? 聞いたことない薬名だな」
「あ、すまん。正式名称で言うてしまった。まぁバイアグラといった方がいいかもしれんな」
湖西主任がそう言うと、阿弥陀警部が首を傾げる。
「あれ? でもそれって、確か男性に使うやつじゃないんですか?」
「まぁ、そうなんじゃがな、恐らく媚薬と勘違いしたんじゃろ」
「しかしビデオを見たが、勃起不全になるほど年食ってるとは思えんかったぞ」
佐々木刑事がそう言うと、阿弥陀警部は頷いた。
「最近の若いのでもそういうのがいたりするからな。こればかりはわしらの目分量じゃはかれんじゃろ?」
「とにかく、その男から話を聞かん以上、先には進めそうにないな。皆捜査に戻ってくれ」
灰羅刑事がそう言うと、阿弥陀警部や佐々木刑事、湖西主任以外の警官は捜査本部を後にする。少し遅れて大宮巡査も出ていった。
「ふぅ……」
と、灰羅刑事が溜息を吐きながら、椅子の背凭れに身を任せた。
「大口望を殺したのはその男と見て間違いないでしょうな。死亡推定時刻云々よりも先ず、一緒に入ってきて、一緒に出ていなかったわけですから、疑いようがないですよ」
「しかしなぁ、それだけじゃなんとも言えんじゃろ?」
「でも、その男が殺したという可能性は否定出来ないわけですから、まずはその男から証言を得ることが先でしょう」
灰羅刑事がそう言うと、阿弥陀警部と佐々木刑事は頷いた。
「それともうひとつ、あの焼死体は京本福介のもので間違いはないんですね? 薬師如来さま」
灰羅刑事が湖西主任を見ながら尋ねる。その問いに答えるように湖西主任は少しだけ頷いた。
「うむ。葉月ちゃんの霊視が間違うとは思えんし、DNA検査も一致しておったよ」
「しかし、その件は変死体として処理されたわけですし、妻であるりつは刑務所の中。娘の雨音は精神病棟ですからな」
阿弥陀警部がそう言うと灰羅刑事は少し眉を顰めた。「結局、京本福介は何をしたのかわからんわけですが……」
「火車に死体を盗まれた事といい、こちらもそれを調べてはいるんですけどね」
「そういえば、先日大宮がデータベースで海雪が自殺したことについて調べようとしておったが、全く出ていなかったと、愛くんから聞いておるが」
佐々木刑事がそう言うと、「やはり彼は注意しておかないといけない気がしますね。また襲われたりなんかしたら、元も子もないでしょ」
阿弥陀警部はそう言うと、会議から出ていった。
「して、文殊菩薩は何か言っておったか? 波夷羅よ」
湖西主任がそう尋ねると、灰羅――波夷羅は首を横に振った。
「いえ、特に。ただ虚空蔵菩薩さまは、考えなしに行動するほど馬鹿ではないと云っておりました」
「知恵をつかさどる菩薩ですからな。同じ神仏同士、何かわかるようなことがあるのでしょう」
そう話していると、捜査本部のドアが勢いよく開いた。
福祠町の路地裏で、男が壁に凭れ、肩で息をしている。
くそっと、男は舌打ちした。
すると、カランという音が聞こえ、男はそちらを振り向くと、そこには教会のシスターが被るようなベールをした女性が立っていた。
「な、なんだあんた?」
男がそう言うと、シスターは小さく笑みを浮かべる。
「大口望を殺したのはあなたね?」
シスターがそう尋ねると、男は喉を鳴らした。
「な、何の事だ?」
「あなたは自分の部屋に戻ろうとしても、警察が徘徊してて入る事が出来ない」
そうシスターが告げると、男は懐からバタフライナイフを取り出し、刃をシスターに向けた。
「あいつが悪いんだ。俺を……俺を馬鹿にしたんだぁああっ!」
男は叫びながらシスターの胸にナイフを突き刺した。
胸からはドクドクと血が流れている。
「ゴフゥッ!」
シスターが咳き込み、唇から血が迸らせると、ビクリとも動かなくなった。
「くっ、うぉおおおおおおおおっ!」
男は叫ぶや、路地裏を後にしようとしたが、何かに手を引っ張られ、転倒してしまった。
「な、なんだよ? なんだよ?」
男は悲鳴を挙げながら、それを見た。
そこにあったのは、筋肉が剥き出しになっている自分の腕であった。
丁度、手首のところで皮は止まっている。
「腕時計が邪魔か……」
声の先には先ほど刺し殺したはずのシスターが何かを握っている。
その手は真っ赤に染まっている。
「な、なんだ? なんなんだよ?」
「――罪人の皮は剥ぎ取るもの」
狼狽している男の懐にはシスターの姿があり、その右手は左胸を突き刺している。
「あ…… がぁ……?」
男は白目を向き、ゆっくりと身体をうしろに反らした。
シスターは胸に刺さったナイフを脱ぎ取ると、それを放り投げるや、男の皮という皮すべてを剥ぎ取った。
男の死体が発見されたのはそのすぐ後であった。
通報したのは声を変えているのか男かも女なのかもわからなかったという……