壱・幻想曲
第二十話です。タイトルからもわかるとおり、今回は脱衣婆である海雪の過去の話が出てきます。
福祠町の西側に、『コーポ・はなくも』という、見るからにボロボロな木造二階建てのアパートがある。
そのアパートの階段を、ふてぶてしく太った男が上ると、隅にある部屋のドアを開けた。
開けた途端、ムアッとした生温い空気が、男の鼻をくすぐる。
男は顔を歪めることなく、平然とした表情で靴を脱ぎ、中へと入っていく。――そして、ガラリと個室の襖を開けた。
その部屋の角には小さな勉強机が置かれており、小学六年生ほどの少女が、椅子に座って勉強をしていた。
男がうしろから覗き込もうとするや、それに気付いた少女は、まるで汚いものを見るように、蔑すんだ眼で男を睨んだ。
「なんだ、その目はぁ?」
男は怒鳴り声を挙げると、椅子の背凭れを掴み、少女もろとも床に倒した。
少女が小さく悲鳴を挙げると、男は少女の髪を掴み、少女が着ている白桃色のブラウスを、剥ぎ取るように破り脱がした。
引き千切られたボタンが、部屋の彼方此方に弾け飛ぶ。
年相応とは少しばかりいいえないふくよかな少女の胸を見るや、男はじゅるりと舌を鳴らした。
そして、最早相手の事など考えていないとばかりに、男は少女の胸を乱暴に弄った。
「いいおっぱいしてるじゃねぇか? これで何人の男をたぶらかしたんだ? もしかして、クラスのガキどもにも触らせてんだろ」
男は少女の身体を弄る。そして頃合いを見計らうや、ズボンを下ろし、熱り勃ったソレを少女に見せた。
少女はソレを見ても、表情ひとつ変えようともしない。少女にとって、この性的虐待は逃げる事の出来ない、まさに無間地獄そのものであった。
――いったいどれほど経ったんだろ。
そう思いながら、少女は虚ろな眼を浮かばせたまま、自分の部屋から出ると、ちょうどテーブルに女の姿があった。
少女は女を見るや、憎悪にみちた表情で女を睨んだ。
――自分の母親であるにも拘わらず……
いや、少女が受けている虐待の原因はこの女にある。
袖を巻ぐり上げた女の左腕には小さなくぼみがあり、テーブルの上には、白い粉と注射器が散乱としている。
思考停止した女の頭は、ただクスリがやりたいという事だけだ。
その犠牲となっている少女が、実の母親とは云え、蔑視しても仕方がない。
そんな少女の心を知る由もなく、女はただ呆然と虚空を見つめていた。
風呂場から男の鼻歌が聞こえる。
少女は工具箱から金槌を手に持ち、風呂場へと近付く。
「小父さん…… 私も一緒に入ってもいい?」
そう呼び掛けると、男は入ってこいと伝える。
風呂場のガラス戸を開けると、立ち籠もっていた湯気が消え、男は身体を洗っている最中だった。
少女には背中を向けており、壁に掛けられた鏡は湯気で曇っている。
「おう、ちょっとこっちに来て、洗ってくれねぇか。その大きなやつでさぁ」
男はケラケラと笑いながら少女の方へと向き直した。
『いいよ……洗ってあげる。あんたの穢多で染まった血でね』
少女は手に持っていた金槌を、男の後頭部に叩きつけた。
「――ひぃぎゃっ」
という、男の悲鳴が聞こえたが、少女はその手を、けして止めようとしなかった。
少女の顔と躯には、男の飛び散った血が付着していく。
男の息遣いする気配がしなくなっても、顔が粉々に砕けていても、少女は執拗に男を殴り殺した。
風呂場から出ると、テーブルに女の姿はなかった。
少女は血に染まった金槌を手にしたまま、部屋の中を徘徊する。
玄関には男と女、そして少女の靴が置かれており、部屋を出た形跡もない。
少女は耳をすませる。微かに物音が聞こえ、そちらへと踵をかえした。
そこにはクローゼットがあった。
少女はジッとその前に立ち、クローゼットの戸を開けると、そこには身体を丸く埋めた女の姿があった。「なにしてるの? こんなところで」
少女はそう尋ねると女の服を掴み、中から引き摺り出した。
それと一緒に、服も雪崩のように落ち、女に覆い被さった。
少女は服の下敷になった女の身体目掛けて、台所で手にした包丁を突き刺した。
服で籠もった悲鳴は、少女には確かに聞こえていた。
しかし助ける気などない少女は、追い撃ちをかけるように、包丁を抜いては刺し、抜いては刺しを繰り返していく。
女がピクリとも動かなくなると、少女はふらふらと自分の部屋に戻った。
『そういえば、明日は卒業式だったんだっけ……』
少女は椅子に乗り、天井に吊るした先をわっかにした縄に首をかける。
『どうせ、私がいなくなっても、誰も悲しまないか……』
少女が椅子を蹴り飛ばすと、天井はギシリと歪んだ音を響かせた。
――その翌日。
少女の部屋の外が騒がしい。
誰かが部屋の戸を開けた。小学六年生ほどの少女である。
少女は部屋の中に入り、それに気付くと、腰を抜かし、狂ったように悲鳴を挙げた。
別の場所を見ていた同じくらいの少女が、その悲鳴に気付き、部屋に入ると、悲鳴こそ挙げなかったが、歯をガタガタと震わせ、顔を震わせた。
「……さま、海雪さま」
耳元から声が聞こえ、海雪は片目を開いた。
そこには十二神将の一人である因達羅が、心配そうに覗き込んでいる。その表情に驚いた海雪は、どうしたのかと尋ねた。
「いえ、なにか嫌な夢でも見ていたのかと…… だいぶ唸されていましたし」
「夢……ね…… 死んだ人間も夢を見るのかしら」
海雪は少し笑みを浮かべた。海雪は因達羅の言葉に、心当たりがある。そしてそれが彼女が犯した大罪であることも……
『私はあの二人に、謝っても、謝っても赦してくれないことをしてしまった』
海雪は心の中で慟哭する。彼女にとって、母親と男を殺したことよりも、自殺した自分の屍体を見付けた、同級生二人を傷付けたことの方が辛かった。