玖・平仄
平仄:辻褄・順序のこと(例文:ーが合わない)
坂本隆平の仕事場から少し離れた場所にコテージがあり、入口を兼ねた玄関に拓蔵と瑠璃の姿があった。
一、二度ほどドアを叩き、中に誰もいないことを確認すると、拓蔵は瑠璃を見る。瑠璃は答えるように小さく頷いた。
中に入り、死体が発見された広間のドアを開けると、瑠璃は発見された首と遺体を白チョークで形とった跡を見下ろした。
「首と遺体の間には、首のように繋がるよう血が流し落とされていた」
「その血液はA型で坂本と鳥居両方の可能性があるでしたね」
拓蔵がそう訊ねると、瑠璃は頷いた。
「ここで発見された遺体は確かに鳥居宏明のもの。ですが坂本隆平の死体は作業場ではなく、道中で発見されている」
「そうなると、別の場所で殺されたという事になりますね?」
「ええ、坂本隆平と鳥居宏明が殺されたのは発見された別の場所…… あなたが以前見た時と同じように」
瑠璃がそう言うと、拓蔵は眉を顰める。
「あれは…… 正直、夏樹が殺された事以上に思い出したくないんですけどね。結局犯人は見つかりませんでしたし」
「でも、あなたの云っていたことは正しかったはずです。殺された子供は発見された場所ではなく、違う場所で引き摺られていた。そして発見された場所で落ちてしまった」
そう話している瑠璃の表情は見るに耐えられないほどに悲しく歪んでいた。
「……話を元に戻しましょう。先ほども言った通り、坂本と鳥居は発見された場所とは違う場所で殺された。その証拠に、このコテージで発見された鳥居の死体には、確かに血は落ちていましたけど、首のように流された血痕以外には一滴も発見されていない」
「それと、警察がここを調べた時には死体がなかった。つまり警察の目を盗んで……」
拓蔵が言いかけた時、瑠璃はドアの方に視線を向けた。
そこにいたのは、坂本隆平の妻である徳子だった。
拓蔵もそれに気付き、驚きを隠せないでいる。
「ここの管理は確か坂本隆平でしたね。そうなると、あなたも同様に管理出来たんじゃないんですか?」
瑠璃がそう訊ねるが徳子は黙ったまま喋ろうとしない。「……様子が可笑しくないですか?」
拓蔵が小さな声で瑠璃に訊ねる。瑠璃も拓蔵と同様に違和感を感じていた。
すると突然、ガタガタと窓が強風で煽られ音を鳴らすや、徳子の身体は小さく震え、首がゴトンと落ちた……
拓蔵が唖然とした表情を浮かべる。
「拓蔵、気をつけなさい。人不成者は人の影すら住処にする」
瑠璃はそう言うや、拓蔵の背中に自分の背中をピタリとくっつけた。
「目の前に集中しなさい。あなたは云いましたよね? 轆轤首は生霊の類だと」
確かに拓蔵はそう云ったことがあるが、この状況に、当の拓蔵は頭がついてこれていなかった。
「生霊はその名の通り、生きた人間の怨念が形になったもの…… 妖怪よりも性質が悪いんですよ」
ふと拓蔵の視線から瑠璃の姿が消えたが、気配があり、視線を下の方に向けると、瑠璃の姿は以前病室で見た時と同じ、幼い少女の姿になっていた。
「えっと…… どっちが本当の姿なんですか?」
「こっちに決まってるじゃないですか? 私は薬師如来さまと同じで権化としてこっちにいますけど、大人の姿って結構力いるんですよ。それにこっちの方が私には合っています」
瑠璃はキッと拓蔵を睨みながらそう言った。「そういうものなんですか?」
拓蔵は本人が地蔵菩薩――子供を護る神仏だという事を思い出す。なら子供の姿が本人には合っているのだろうと自己解決する。
そう考えていると、突然瑠璃は拓蔵の服を引っ張り、背中を駆け上がると空中で何かを蹴り飛ばした。
――それは先ほど落ちた徳子の首であった。
「なっ、首が動いた?」
「まだ理解出来ませんか? つまりあなたの言う通り、今回の一連は轆轤首だったという事ですよ」
瑠璃は拓蔵の肩に足を絡め、落ちないようにしている。
拓蔵は拓蔵で、倒れないようにアタフタとバランスをとっていた
「でも、それじゃどうして水本ではなく、妻である徳子が……」
拓蔵は言い切る前に黙り込む。「坂本隆平の作品は確かにすばらしいものでした。あの破片だけでも魂が宿っているくらいでしたからね…… でも、そんな彼でも自分が納得しないものは他人にわたしはしなかった。いくら納期に遅れようとも、自分が納得いかない作品を売ることはしなかったんでしょう」
瑠璃はキッと床に転がっている徳子の頭を見下ろした。
徳子の顔には先ほど瑠璃から蹴られた痕が痛々しく残っている。
「ただし、それを妻はどう思っていたでしょうね」
拓蔵は瑠璃の言葉にハッとする。いくら完成度の高い作品を作るためとはいえ、納期を遅れるようでは収入は殆どない。
さらに坂本隆平は鳥居宏明がつけていた値段に、ケチひとつ付けようともしていなかった。
そんな夫の失態に妻が納得できようか?
「彼女はそんな夫に嫌気が差し――殺そうとした…… もちろん遺産目的で」
瑠璃はそう言うと、拓蔵の肩から飛び降り、ゆっくりと徳子の頭に近寄る。
「閻獄第一条七項において、夫の不届きに嫌気が差し、そのものを殺めた者は『等活地獄・極苦処』へと連行する」
瑠璃がそう告げると、何処からともなくお札が現れ、徳子の額に付けられた時だった。
パシンッと弾かれる音と共に目映い閃光が走った。
「――なっ?」
瑠璃は驚いた表情で言葉を発した。徳子の近くに拓蔵の姿があったからだ。
「まだ、この人が犯人だって決まったわけじゃないでしょ?」
拓蔵は瑠璃をキッと睨みつける。「確かにそんな理由で夫を殺したんなら、認めるけど…… それじゃどうして坂本徳子はここにいるんだ?」
「それは当然生霊として……」
瑠璃はハッとした表情を浮かべた。
「確かに坂本隆平や、鳥居宏明を殺したのは、坂本徳子の生霊だったかもしれない。でも! それじゃ水本が話していた鳥居宏明を騙ったやつは誰になるんだ?」
「それは水本の狂言…… いや違う、私は根本的なことを忘れていた―― 私たち警察は鳥居宏明の声を知らない。知らない以上犯人はそれが『鳥居宏明』だと騙る事だって出来る」
瑠璃はその場に跪き、ワナワナと肩を震わせた。
「犯人は水本? それを誰かに指示して出るように連絡をすればあたかも鳥居宏明と連絡を取っていたことになる」
瑠璃はそう言うと、自分の顔を両手でパンと叩いた。
その両頬には紅葉が出来上がっていた。
「そういうわけだ。閻魔さまによるあんたの裁きは事件が解決した後。もしあんたが生霊なら、俺たちの協力をしてくれ」
拓蔵がそう言うと、徳子の頭は驚いた表情を浮かべたが、次第に和らげると身体ごと姿を消した。
「何時頃から彼女が生霊だと気付きましたか?」
「瑠璃さんが坂本徳子に視線を向けた時ですよ。丁度彼女のところにも光が差し込んでいた。だけど本来そこに存在すべきものにはあるべきものがなかったんだ―― 影という絶対的なものが」
拓蔵はそう説明する。
『いいえ、それは違います。彼女は身体すべてを霊体に出来るほどの怨みはもう持っていなかった。ただ心のどこかで救って欲しいという気持ちがあったのでしょう』
瑠璃はそう考えると、また別のことを考えた。
『ただ、あの通告はただの人間に遮断されるようなものではない。つまり私の考えが間違っていたという事か、それとも……』
拓蔵の後姿をジッと見ながら、瑠璃はあの不可解な出来事に眉を顰めていた。
坂本隆平の自宅のベルを二、三度鳴らすと、玄関が開き、坂本徳子が応対に出た。
徳子の頬には何かでぶつけた痕がある。『あれって、さっき瑠璃さんが蹴った痕じゃ?』
拓蔵が小声でそう訊ねる。
「あら、これはさっきまで寝ていた時に、枕の痕がついてしまったんですよ」
徳子はそう言いながら微笑を浮かべる。
『生霊の時の記憶は残りませんよ。本人にとっては、全て夢だったと事故解決してしまいます』
瑠璃がそう小声で説明する。
「ここで話すのもなんですし、中へどうぞ」
徳子にそう云われ、拓蔵と瑠璃は頭を小さく下ると、徳子と共に中へと入った。
徳子は拓蔵と瑠璃を居間へと案内する。六畳一間といったところか、大きな屋敷の割には小さく感じられる。
「お茶は飲まれますか?」
「あ、いえ、お構いなく…… 用件が済んだら、すぐに戻るつもりですので」
瑠璃がそう言うと、徳子は残念そうな表情を浮かべた。
拓蔵は瑠璃の隣に座り、卓袱台をはさんで徳子が対面する。
「それで、私に聞きたい事があっていらっしゃったんですよね?」
徳子がそう尋ねると、拓蔵はゴクリと喉を鳴らした。
自分に不利な質問をするというのに、徳子の表情は冷静だったからだ。瑠璃も表情ひとつ変えはしなかったが、拓蔵と同じ気持ちである。
「殺された坂本隆平を、あなたが最後に見たのは何時ですか?」
「殺される6時間くらい前でしょうか、朝食を終え、仕事をすると作業場に入ったきりでしたので――」
「つまり、発見されるまで見ていないと? それを証明出来る人は――もちろん、弟子である水本や、友人の証言は証拠にはなりませんよ。容疑がかかっている人の証言は信用出来ませんから
瑠璃がそう言うと、徳子は目を細め、小さく微笑む。「ええ。ですが、わたしは嘘を云っていません」
「妙に自信たっぷりに言いますね?」
拓蔵がそう言うと、徳子は「根拠のない嘘に自信などもてません」と答える。
「坂本隆平は、金に対する執着心が皆無だったみたいですね。その割には相当な財産があったようですけど」
「夫の作品が売れているだけですよ。確かに夫はお金に関心がなかった人ですから」
「つまり、今回の二件における殺人は、坂本隆平の財産を狙った殺人事件――ですが、殺すまでもないはずです。作品を盗み、それを売ってしまえば、これ以上の殺人にはならなかった」
瑠璃は徳子ではなく、居間に置かれている箪笥を目をやっていた。スーツなどの曲げられない衣類を直すような、両開きの箪笥に隙間が開いている。
拓蔵もそれに気付き、ゆっくり立ち上がると、箪笥に近付き、バンと劈くような音を鳴らすように箪笥を開けた。――が、中に入っていたのは衣類だけで人が隠れられるほどの隙間などなかった。
入っているのはスーツや、半纏、大きなバックくらいである。
「気のせいですかね? 人の気配がしたんですけど」
瑠璃は小さく首を傾げると同時に、卓袱台に指を当て、
『ー・・・ ・・ ・ーー・ ・・・ー』
と鳴らした。
拓蔵は瑠璃の行動に気付くと、すぐさま大きなバックを掴み出す
瑠璃はモールス信号で『バック』と打ったのだ。
「――っ、重っ?」
拓蔵が小さく悲鳴を挙げる。ズシッと、まるで大人一人の重さがあるバックが、拓蔵の腕に重力をかけた。
耐え切れなくなった拓蔵が手を離すと、バックは畳の上で鈍い音を鳴らした。
拓蔵はゴクリと喉を鳴らす。いくらなんでも、こんなことと頭の中で考えながらも、「中身を確認させていただきます」
そう徳子に謝りを入れると、拓蔵は膝を付き、ゆっくりとバッグのジッパーを開けていく。
「うぅげぇ……」
バックが三分の一ほど開けられるまでもなく、その異常な臭いが、拓蔵の鼻を突く。
「――瑠璃さん……これって」
拓蔵はそれ以上云えなかった。というのも、瑠璃の表情はバックの中に死体が入っていることに気付いていたといった表情で、哀れみに満ちていた。
それはこの死体にではない。本来坂本隆平を殺すだけで済むこの一連において、死体は既に三体も出ている。
「恐らく、その死体は坂本隆平の友人でしょうね」
瑠璃がそう言うと、拓蔵はそれ以上死体を見たくないと思い、バックから目を背けた。
「さてと、それじゃこの死体に関して訊いてもいいでしょうか?」
瑠璃が徳子にそう訊ねると、徳子はゆっくりと立ち上がり、厨房へと入っていく。そして、一、二分ほどで戻ってきた。
彼女の手にはお盆が持たれており、その上には大きいものと、それに対して少し小さい湯呑が乗せられている。
「夫婦湯呑ですか?」
拓蔵がそう訊ねると、徳子はゆっくりと頷くと、湯呑を卓袱台の上に置いた。
「これと今回の事件に何の関係が――」
拓蔵は徳子と湯呑を交互に見遣る。
ふと瑠璃は何かに気付き、湯呑を手に取るや、それを隈なく調べる。
「このふたつの湯呑…… 何回か割れた事があるみたいですね。それを修復したところがあります」
瑠璃はそう言いながら、拓蔵に湯呑を渡した。彼女の言う通り、湯呑にはいくつか小さな罅と共に修復された痕がある。
「これと同じようにはなりませんでしたね」
徳子はそう言うと、拓蔵から湯呑を盗み取り、力いっぱい湯呑を畳に叩きつけた。
耳を劈くような音が居間に響き渡る。湯呑は破片となって、あたりに散らばった。
「この湯呑みたいに……何回も、何回も修復してこれたらよかったのに……」
「やはり、犯人はあなただったんですか?」
拓蔵がそう訊ねたが、納得はしていなかった。
「その湯呑は恐らく、坂本隆平が自身で作ったものですね。此処にいる黒川巡査長が盗み取ってきた花瓶の破片と同じように、一目でわかるほどすばらしく心が籠ったものでした」
瑠璃がそう言うと、徳子はゆっくりと瑠璃を見遣る。
「でも、もうあの人に、わたしは必要なかった」
「それは違うんじゃないですか?」
拓蔵がそう言うと、瑠璃と徳子は首を傾げる。
「俺、作業場においてあった轆轤を見て思ったんです。坂本隆平は、もしかしたら今やっている仕事以外のことをしたかったんじゃないかって」
「今やっている仕事以外のこと?」
「俺の勝手な想像ですけど、坂本隆平は何か別の理由で作品を作ろうとしていた。それがなんなのかはわかりません。でも、もしかしたら徳子さんに対してじゃなかったんでしょうか?」
拓蔵がそう言うと、徳子は目を大きく広げる。「私のために? 夫が何かを作ろうとした」
「坂本隆平はあなたを必要ないとは思っていなかった。それだけでしょ?」
拓蔵がそう言うと、徳子はその場に跪く。
「わ、わたし…… わたし……」
徳子が譫言を発していると、廊下からドタドタとけたたましい足音が聞こえてきた。
そして、ガラッと襖が開けられるや、徳子は入ってきた人物を見て驚いた。
「――隆平さん?」
「がはははははっ! 見ろ、徳子ぉっ! 新しい夫婦湯呑じゃ」
入ってきた坂本隆平が、大きく口を開けながら箱を抱えている。その箱の中にはふたつの湯呑が入れられていた。
「これでまたお前が淹れてくれる美味しい茶が飲めるというものだ」
隆平は大袈裟に笑う。
「――ええ。こんなに立派なものを…… あなたは……」
「ほれ、徳子さっさと用意せんかっ! お互い地獄に行く前に一服したいな」
拓蔵と瑠璃は坂本隆平の首が発見された首のない六地蔵の前にいた。
「六地蔵は六道の道標に立てられたものです。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上を輪廻し、生まれ変わるという考えにもとついたもの。この六地蔵はそれを見失わないようにする道標みたいなものなんです」
「坂本隆平の首が発見されたのは、どうしてなんでしょうか?」
拓蔵がそう訊ねると、瑠璃は中腰になり、六地蔵に向けて手を合わせる。
「私は確かに地蔵菩薩で、十王における閻魔王ですが、だからといって人の心までわかる神ではありません。浄玻璃鏡で悪事を見たとしても、本当はどんな気持ちだったのかまでわかりませんから」
瑠璃はそう言うと、深々と頭を下げた。
拓蔵はそれ以上訊こうとはしなかった。
坂本隆平の首がどうして此処で発見されたのか、その人物が地蔵菩薩である瑠璃によるもので、あの幻影も瑠璃が坂本徳子の死霊による証言だった。
二人が来た時には、既に徳子は自分の部屋で衰弱した身窄らしい死体になっていた。――ただし坂本隆平に対しては何もしていない。
つまり、あれが本来の未来だったのだ。
サンスクリット語でクシティ・ガルバという名を持つ瑠璃(地蔵菩薩)は、坂本隆平の作品が土を大切にし、それを生かそうとしていた。
そしてそれに納得いかず、已む無く割っていたことに気が付いていた。
そしてあの欠けた夫婦湯呑にも、同じような感じがしていたのだ。
――近くにある鳴狗寺の梵鐘が小さく響き渡った。




