拾・朋輩
朋輩:同じ主人に仕えたり、同じ先生についたりしている仲間。
また、同じくらいの身分・年齢の友。同輩。
「うん。精神や霊力に異常はない。反枕による影響もないようですね」
信乃が目覚めてから数十分後、真達羅から連絡を受け、鳴狗寺へと駆けつけた瑠璃は信乃の片目を指で開き、それを見つめていた。
「弥勒菩薩があなたに与えた神霊の力も衰えていない。むしろ今までよりも強くなってる」
「あれ? でもさっき反枕による影響はないって」
皐月がそう尋ねると瑠璃は笑みを浮かべ、首を横に振った。
「元々鳴狗家は犬神に取り憑かれている一族なんですよ。美音が皐月の部屋で見たという青白い炎は恐らく犬神と化したユズでしょう。それが信乃の夢の中に現れ、新たな力……というより、開眼を促したと考えられます」
「開眼? 新しく作られた仏や仏画に魂を請じ入れることだけど」
信乃は考える仕草をする。
「それであの不思議な呪文にも繋がるわけ?」
「ええ。犬神があなたに教えた真言は多門天がもつ真言です」
瑠璃がそう答えると、
「うちは別に真言宗じゃないんだけどね」
「真言は一種の呪いと思えばいいですよ。私も皐月に地蔵菩薩の真言を教えてはいますが」
瑠璃はそう云いながら皐月の方を見やる。
皐月は苦笑いを浮かべていた。
「でも鳴狗家が元から犬神と繋がりがあったなんて知らなかった」
皐月は信乃を見ながら言葉を発する。
「私も家が犬と共に栄えてきたことはお爺ちゃんから聞いてたから知ってたけど、でも確か犬神って憑き物の一種じゃなかった?」
「確かに犬神憑きは憑かれた者は犬のようになり、仕舞いには呪い殺されてしまうものですが、逆に犬神に取り憑かれた家系は富み栄えるとも云われています。鳴狗家がそのような系譜となったのは、犬を狩りの道具としてではなく、元より家族として共に栄えてきたとされているんです。一族の人間が異常なほどに鼻が利くのはそれによるものです」
「――なるほどね」と信乃は自分の鼻を指で擦った。
信乃はふと神妙な表情を浮かべる。
「あれ? でもあの妖怪は何だったのかしら?」
「反枕やユズ以外にも妖怪が出てきたの?」
「ええ。確か体は熊、鼻は象、目は犀、尾は牛、脚は虎って感じの」
「――何それ?」
皐月が首を傾げる。
「恐らく獏でしょうね」
瑠璃がそう答えると皐月と信乃はキョトンとした表情を浮かべた。
「獏って悪夢を見せるっていう妖怪? それじゃ元々はその獏っていうのが見せていたって事?」
「いいえ、獏は悪夢を食べてくれる妖怪なんです。それに夢というのは本人の願望が具現したものとも云われています」
そう言われ、信乃は顔を俯かせる。
「思い当たる節があるみたいですね」
「不本意とはいえ、ユズを殺してしまったことが負い目となっていたようじゃな」
部屋に入ってきた実義がそう言うと、信乃は一度顔を上げたが、すぐに視線を逸らした。
「負い目って」
「わしらの一族は犬を家族同然としておってな、躾という形でならば厳しいこともするが、それ以外のこと、たとえば虐待とかをするとたとえわしであっても折檻され、この寺の敷居を跨ぐことは許されなくなるんじゃよ」
「でも私はユズを見殺しにした。そのことはお爺ちゃんやみんなに話したけど、何もされなかった」
信乃がそう言うと実義はゆっくりと信乃に歩み寄る。
「お前が直接ユズに危害を与えたわけではないし、元より落ち着きのなかったユズが勝手にしたようなものだ。お前を責める理由は特にない」
「でも、結局私がユズを殺したのと……」
「ユズがお前を許しているんだ。それを受け入れることを、自分を赦してやることが一番の供養ではないのか?」
そう言うと実義は部屋を出て行った。
「赦してくれるのかな……」
信乃がそう呟く。
「赦す赦さないはあなたが決めることではありません。ユズが決めることです」
瑠璃はそう言うやスーと姿を消した。
部屋に残された皐月はスッと立ち上がり、部屋を出て行こうとすると、
「待って、皐月」
信乃に呼び止められ、皐月は立ち止まる。
「その…… 今までごめん」
信乃がしおらしい声でそう言うと、皐月は振り向きはしなかったが戸惑った表情を浮かべていた。
「私…… 皐月のこと勘違いしてた。人も妖怪も一緒だって、そんなの絶対違うって…… でも助けてくれる妖怪や、自分の過ちに気付かせてくれる妖怪だっている」
皐月はゆっくりと歩き出そうとすると
「私はそんな事にも気付かないで、ただ妖怪だって云う理由だけで今まで妖怪を殺してきた。ユズを殺したのが何なのかを碌すっぽ調べもしなかったくせに…… ただユズを殺した何かを探してたんじゃない。ユズを助けられなかった自分への嫌悪心に対して、妖怪をただの八つ当たりで殺してきた」
「……っさい」
皐月がそう呟き、信乃の言葉を堰き止める。
「私はどんな罰でも受け入れる。もう皐月やみんなに迷惑を……」
「だったら、だったら今度はそんな人たちを止めなさいよ」
皐月は振り返り、信乃の肩を掴んだ。
「自分の罪がどれだけ重いのかわかったんでしょ? それがわかって、どれだけ辛いことなのかもわかったんでしょ? それなら、今度は自分と同じ立場になった人を悔い改めさせることが出来るんじゃないの?」
皐月は慟哭するように信乃に言葉をぶつけた。
「私は六年前、あの事故でお父さんとお母さんを助けられなかった。それを弥生姉さんや葉月、それに爺様や瑠璃さんも知ってる。でも誰も私を責めなかった。あの時、目を覚まして人を助けることが出来たはずの私を誰も責めなかった。それがどれだけ辛いかわかる? 私だって、本当は執行人なんてしたくない。本当は怖くてしようがないの。でも何かしないと……」
「皐月……」
涙をボロボロと流しながら、愚痴を零す皐月を見ながら、信乃は目を細めた。
『変わらないんだよなぁ、皐月って…… 馬鹿みたいに優しくて、馬鹿みたいに責任感が強くて…… 自分のことより人のことを最優先する』
信乃はそう思いながら、ゆっくりと皐月の頭を撫でた。
「覚えてる? 六年前、あなた達三姉妹が稲妻神社に引き取られて間もない時、お爺ちゃんから知り合いの孫が引っ越してきたって云われて、まだ小さかった浜路と一緒にお爺ちゃんの手に引かれてきた時のこと」
信乃がそう尋ねると、皐月は小さく頷いた。
「あの時、皐月ったら拓蔵さんのうしろに隠れて、ジッと私を警戒するように怖い目で見てたのよ。浜路は同い年だったってこともあるけど、葉月ちゃんとすぐに仲良しになってたけどね」
「そ、そうだったかな?」
皐月は首を傾げながら思い出す仕草をする。
「その時の私はただ人見知りの激しい子だなぁって思ってたけど、皐月は私を警戒してたんじゃない。責められるのが怖かったんだって…… 今になって理解出来たわ」
信乃はそう言うと、自分の肩から皐月の手をゆっくりと離した。
「私もユズを目の前で殺されて気が動転してた。多分皐月が執拗に私のことを気にかけてくれてたのは自分と同じだったから?」
そう訊かれ、皐月は何も云えなかった。
いや、確かに同じ状況である。しかし違うとすればそれはユズが完全に死んだことがわかっている事だ。
三姉妹の両親である初瀬神健介と遼子は未だに死んでいるという報告はない。
似ているようで似ていないことを皐月は信乃に云えなかった。
「……ごめん信乃、わたし帰るね」
「うん。ごめん引き止めちゃって」
二人はそう言葉を交わすと、今度こそ皐月は部屋を出て行き、鳴狗寺を後にした。
ふと、信乃は布団の片隅に二本の竹刀が置いてある事に気付く。
そして自然と笑みが零れ、明日返しに行こうと考えるのだった。
皐月もそうだが、弥生や葉月、拓蔵にも迷惑を掛けてしまった。そのことに関する謝罪をするために……