肆・見得
福祠中学校にある剣道や柔道などに使われる武道館で、当校の女子剣道部と福祠北中の女子剣道部の練習試合が行われようとしていた。
試合観戦をしている生徒たちの中、一人だけ不思議そうな表情を浮かべていた。
「あれ、信乃は?」
福祠北中剣道部の中に信乃の姿が見えないことに、皐月は首を傾げていた。
「なんか今日は学校休んでるって」
試合に出ない福祠中剣道部の部員がそういうや、皐月は驚いた表情を浮かべた。
「あの信乃がねぇ……」
そう考えながら、皐月は試合の結果を見る。
本来剣道の試合にて、団体戦は先鋒の勝敗で流れが大きく異なっていく。
以前練習試合をした時は、信乃が福祠中剣道部員らを言い包めての勝ち抜きであったため、福祠中剣道部員は信乃に手も足も出せなかった。
しかし、今回は勝者数での勝敗となっている。
まじめに練習している福祠中とは違い、殆ど信乃に任せっきりだった福祠北中はボロ負けの結果で試合は終了した。
「ったく、鳴狗のやつが学校休んだのがいけねぇんだよ」
福祠北中の生徒がそう愚痴を零す。
「そうそう、うちらかったるいんだよねぇ。本気でやるなんてどうかしてるわ」
一人、また一人と信乃に対しての愚痴を零していた。
「それにさぁ、剣道が強くなってどうするっての?」
「こんままばっくれない?」
そう云うや、「お、いいね」と他の部員たちも同意していく。
「弱い犬ほどよく吠える……」
皐月がそう呟くと、福祠北中剣道部員が彼女を見やった。
「はぁ、なんだよ? あんたうちらに文句があるわけ?」
云うや、一人が皐月に詰め寄る。
「やめときなよ。そいつ前に信乃と勝負した時、ズルして勝ったやつなんだから」
部員の一人が笑いながらそう言うと、
「ああ、そうだそうだ。ズルしたやつに云われたくないわね」
皐月を突き飛ばし、部員たちは笑いながら教室を出て行くと――
「だったら、あんたたち全員でかかってきなさいよっ!!」
皐月が吼えるや、その場が一瞬でシンとした静寂が訪れた。
「いま、なんて云った?」
福祠北中剣道部員全員が皐月を睨みつける。
「わたしはズルなんてしてないし、ズルが出来るほど器用貧乏じゃない」
「はぁ? 何云ってんの? あんたなんかが信乃に勝てるわけないでしょ?」
「だったら、あんたたちは信乃の本気を知ってるわけ?」
「し、知ってるに決まってるでしょ? だって部員なのよ?」
部員の一人が戸惑いながらそう云うと、皐月は小さく笑みを浮かべる。
「あんたたちみたいな真面目にやらない人間が束になったって、信乃はおろか、私にさえ一本も取れりゃしないわよ」
「あああああああああああああああっ!!」
皐月の言葉にプチ切れた部員の一人が竹刀を手に取り、それを大きく振り下ろした。
床に竹刀が叩かれ、劈くような音が教室内に響き渡った。
「ほら、これで大人しく……」
笑みを浮かべながら、部員は顔を挙げるや、そこには皐月の姿はなく、二歩ほど下がった場所で、皐月は片目を薄く開きながら余裕綽々と云った笑みを浮かべていた。
「そんなのが、信乃に文句云ってるわけ?」
「こんの! くぅそあまぁああああああああああああああ!!」
もはや感情に任せ、我武者羅に竹刀を振り回すが、皐月は既の所でかわしていく。
「ぜぇ、ぜぇ」と部員はまだ一分も振り回していないのに、肩で息をしていた。
「基礎体力が出来てない。それじゃぁ少なくとも先鋒の人にだって負けるわよ」
「やぁかぁまぁしゃぁあああああああああああ」
叫ぶと、大きく竹刀を振り下ろし、皐月の頭を叩きのめした。
部員の足元で皐月がうつ伏せになって倒れており、頭から血を流している。
よく見ると、竹刀は折られ先が尖っている。振り回しているうちに折れていたのだ。
「はっ!? 云うだけ云って、負けたんじゃ――」
部員が引き攣った表情で笑いながら、皐月を見下ろした。
そして徐々にその表情は青褪めていく――
「さてと…… 私は全員でかかってきなさいって云ったわよね?」
ムクリと起き上がった皐月が上目遣いで福祠北中剣道部員全員を睨みつける。
その相貌は禍々しく、その場にいた全員が皐月に戦いていた。
皐月に竹刀で叩きつけた女子部員はガタガタと歯を震わせている。
「どうしたの? 私は全員でこいって云ったのよ? そんなことすら出来ないやつが! 私の目の前で、信乃の! 友達の悪口言ってんじゃないわよぉっ!!」
皐月がそう叫ぶと、福祠北中剣道部員全員が腰を抜かし、その場にへたれ込んだ。
中には失禁したものさえいる。
「――すまない」
云うや、福祠北中剣道部顧問である布袋智輔が皐月に対して、深々と頭を下げる。
「鳴狗さんに対して数々の無礼。彼女たちの代わりに詫びよう」
布袋がそう云うと皐月はゆっくりと布袋を見やる。
「なんで先生が謝るんですか? 悪いのはそいつらでしょ? 詫びなきゃいけないのはこいつらでしょ? お門違いなことしないでください」
皐月の表情は震えており、両目からは大粒の涙が零れ落ちていた。
「だが、彼女たちの練習を疎かにさせていたのは私の責任だ。――すまない」
布袋はその場で土下座する。
「だから…… やめて…… 私は……」
皐月は震えた声で布袋に声をかける。
「お願いですから、顔を上げてください」
皐月がそう云うと、布袋はゆっくりと顔を上げた。
「許してくれるのか?」
布袋がそう尋ねると皐月は小さく頷いた。
皐月は布袋が謝ることに憤りを感じてはいた。
悪いのは信乃の悪口を云った福祠北中剣道部員であり、顧問である布袋ではない。
それが頭の中で理解出来ているから、生徒を庇う行動も理解は出来ている。
だからこそ皐月は頭の中がごちゃごちゃになって、今自分がどういう表情を浮かべているのか、あまりわかってはいなかった。
ただわかったことは福祠北中の生徒が教室を出て行くまで、ジッと睨んでいたことだった。
「今日は、その…… すみませんでした」
福祠中の校門の前で、バスに乗り込もうとしている布袋に、福祠中剣道部の顧問である国崎が頭を下げる。
「いや、彼女の云う通りですよ。鳴狗さんは本当にいい友達を持っている。友達のために感情的になれることはそうそうない」
布袋はバスに乗り込むと、ドアがゆっくりと閉められ、バスは走り去っていった。
そのバス車内のことである。
「なによ? あの子……」
未だ震えが止まらないでいる女子部員が漸く口を開いた。
「大体さ? 本当のことを云っただけでしょ?」
皐月に対して一人一人が愚痴を零していく。
「好い加減にしないか!」
布袋がそう叱り付けるや、部員全員が布袋を見やる。
「黒川さんは君たちを叱ったんだ。もし君たちが本気でやっていたら、彼女は君たちに文句は云わなかったはずだ」
「ってもさぁ? 鳴狗が休んでいるのが」
「人のせいにするな!」
布袋は言葉を遮る。
「それにもし彼女が本気を出していたら、君たちは彼女の云う通り、束になっても勝てはしなかった」
「な、何を云ってるんですか? 私たちは一応形だけでも剣道部の一員なんですよ? あんな素人同然のやつに負けるわけないじゃないですか?」
「そもそも、今日の試合は何だ? 自分たちのことを棚に上げるんじゃない」
そう言われ、部員全員がぐうの音も出なかった。
「戻ったら練習だ。バックれようなんて思うな」
布袋はそう言うや、運転席のほうへと向きなおす。
そんな布袋を見ながら、部員たちはその形相に身を震わせていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「大丈夫?」
福祠中剣道部部長である金門がそう皐月に声をかける。
「すみません。ついカッとなって…… 剣道部の方々にも迷惑をかけてしまって」
「いいのよ。それに私だって、彼女たちの行いには甚だ頭にきてたからね。まるで馬鹿にしてるって感じで」
部長は皐月の頭を見やる。
「本当に大丈夫? 血は止まってるけど」
「大丈夫です。こんなの信乃に比べたら」
皐月はゆっくりと立ち上がる。
「ねぇ? 出来れば鳴狗さんのこと教えてくれない? 私も彼女と試合してわかったことがあるけど、彼女は口が悪いだけで私たちと真剣に勝負していた」
金門にそう言われ、皐月は不服そうな表情を浮かべる。
「信乃はいつだって一生懸命で、ただそれが空回りするんです」
「空回りか…… でも、あなたはどうして友達のためにあんなこと出来たの? もし布袋先生が止めなかったら」
「その時はその時ですから」
皐月がそう言うと、
「ねぇ、あなたうちに入る気はないの?」
「何度も言いますけど、私は剣道自体には――」
そう言おうとしたが、皐月が言うより前に金門が立ち上がり、奥へと引っ込んでいった。
そして、三本の竹刀を手に持ち、長、短刀の二本を皐月に渡した。
「ちょっと軽くでいいから、私と付き合って」
そう言われ、皐月は戸惑いを隠せなかった。
当の皐月は血が止まっているとはいえ、怪我をしている。正直病院に行ったほうがいいのだが、まるでいかなくても大丈夫といわんばかりの言い回しである。
皐月は観念し、ゆっくりと左手に短刀を、右手に長刀をそれぞれ手に持ち、静かに構えた。
本来の正二刀や逆二刀と違い、体の向きを横にし、長刀を相手に向け、短刀を下段に構えている。
「構えから教えたほうがいいかもね」
言うや、金門は右片手上段の構えを取る。
皐月はゆっくりと右、左と送り足をし、金門との間合いを詰めていくが、ちょうど長刀が届くほどの間合いで歩みを止めた。
「どうしたの? もしかして怖気づいた?」
金門がそう尋ねるや、皐月が背中にゾワッと弥立つものを感じた時だった。
「罪を罰するものは、たとえ友人であろうとその罪を償わせるべきである」
――金門は竹刀を振り下ろした。
「そうですか…… 信乃は二日ほど前から目を覚まさないと」
金門の周りには、いくつかの霊魂が漂っている。
「彼女の件は真達羅から聞いてはいましたが、近藤武蔵の件と何か繋がりがあるかもしれません」
そう言うや、金門は少しばかり考え込み、
「もし阿弥陀如来さまが考えている通り、近藤武蔵が夢の中で殺されていたとしたら、自分の力で解決する以外、外にいるものは手も足も出ないことになる」
そして、ゆっくりと床で気を失っている皐月を見遣るや、溜息を吐いた。
「さすがにちょっと遣り過ぎましたね。相手が地蔵菩薩さまの力を4分の1ほど持っているとはいえ、人と大差ない」
そう考えながら、金門は皐月を保健室へと運び込んだ。
保健室に運んでいる途中、金門はふと頭にある妖怪の姿が浮かび上がった。
(まさか…… いや、そうだったとしても、本来は悪夢を滅する妖怪のはず)
そう考えながら、金門は納得のいかない表情を浮かべていた。