参・囁
「えっと……?」
福祠駅の近くにある書店で、漫画雑誌の陣列棚を見渡しながら、信乃は首を傾げていた。
目的の雑誌が売り切れているわけではないのだが、どうも釈然としない表情を浮かべている。
彼女が納得していないのは、今日最新号が発売であるにも拘らず、あるものが封入されていないことにあった。
痺れを切らした信乃は近くにいる店員に声をかけた。
店員は仕事の手を休め、信乃のところに駆け寄り、どうしたのかと尋ねられ、信乃は目的の雑誌を店員に見せた。
「たしか、特大ポスターが付録についてるはずなんですけど」
信乃がそう言うと店員は確認のために雑誌を見る。表紙には『特大A2ポスター』と大々的に記載されていた。
A2ポスターはA3サイズの紙を縦にしたものを横に二枚並べたサイズであり、本のサイズはよく見る雑誌のサイズなので、折り畳まれた状態で本に挟まれるのが殆どである。
挟んだ分雑誌が膨らんでいないといけないのだが、そのような膨らみはなかった。
店員が店の奥に入ると数分ほどで戻ってきた。
その表情は申し訳ないような表情を浮かべている。
「すみません。どうやら紛失してしまっているようで」
そう云われ、信乃は文句を言ってやろうと思ったが、
「いや大丈夫です。他の本屋で探してみますから」
そう言って、頭を下げると店を出た。
店を出るや、大きく溜め息を吐いた。
彼女が目的の本が買えなかったというのではなく、色々と本屋を回っていたのだが、殆どが売り切れという結果であり、漸く見付けたのが先ほどの本であったのだが、本があっても、目的のポスターがないのでは価値観に雲泥の差であった。
『ネット予約しとけばよかったかなぁ』
そう呟きながら、途方に暮れる信乃であった。
『いっその事、オークションでポスターだけ落とすって手も……』
そう考えたが、想像以上に高かったらどうしようかと気が重たくなっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「夢ですか?」
稲妻神社の母屋の一階にある居間で、皐月と弥生が首を傾げながら、阿弥陀警部と佐々木刑事の質問を聞き返していた。
警察の二人が尋ねに来た目的は例によって例なので、省略する。
既に葉月の霊視も終了しており、葉月は部屋隅で毛布に包まって眠っていた。
「ええ。近藤武蔵は自殺する前、何かしらの夢を見ていた。そして夢遊病状態で窓から飛び降りたんですよ」
「なんか飛ぶ夢でも見てたんじゃないですか?」
皐月がそう尋ねると佐々木刑事は少しばかり頷く。
「皐月ちゃんの言う通り、そう考えられんわけでもないんじゃが…… 母親の話だと通報前に部屋から大きな物音がしたらしんだが、特に荒らされた後もなかったんじゃよな」
「鑑識の話でも特に不審なものや第三者の指紋は発見されていませんしね」
阿弥陀警部がそう云うと、葉月を一瞥する。
「納得しとらんようじゃな?」
拓蔵が尋ねると阿弥陀警部は頭を振った。
「いや、葉月さんの霊視は間違っていないと思いますよ。何も聞こえなかったみたいですからね。それに私たちは自殺するところを目撃している」
「薬物をやっていたという検死結果もなし。完全に夢遊病によるもの―― おそらく窓から空に飛び出す夢でも見ていたんでしょうな」
「でも、起きないって云うのが可笑しくないですか?」
皐月がそう言うと、阿弥陀警部と佐々木刑事は答えるように頷いた。
「確かにそうよね? 夢を見ていたってことは本人が生きていた証拠なんだし、夢遊病だって死んでたんじゃ出来ないでしょ?」
弥生もその違和感に気付いていた。
「兎にも角にも、起きなかったことに違和感があるんですよ。まるで夢の中で亡くなったみたいな」
阿弥陀警部がそう言うと、皐月と弥生は目を点にした。
「ど、どうかしたんですか? 鳩が豆鉄砲食らったような顔をして」
阿弥陀警部は首を傾げ、そう二人に尋ねる。
「いや、だって、目が動いていたってことは夢を見てたってことになるんですよね? それに死亡推定時刻は自殺した午前4時30分くらいだって、阿弥陀警部が言ってたじゃないですか?」
弥生がそう聞き返すと、阿弥陀警部は「そうですけど?」と答える。
「さっきの言葉じゃ、まるで夢の中で死んだ人間が現実でも死んだって云ってるようなものじゃないですか?」
そう云われ、阿弥陀警部は
「確かに夢の中で人を殺すなんてこと出来る訳がないですからね」
三人が話している中、拓蔵は眉を顰めながら、考えことをしていた。
「どうかしたんですか? 先輩」
「阿弥陀警部の言葉も、強ち間違いではない気もするんじゃよな」
拓蔵にそう言われ、阿弥陀警部は首を傾げた。
「――と、云いますと?」
「いや、これはわしの思い過ごしかもしれんがな? 生きている人間がまったく反応しなかったということは、一時的な植物人間だったという考えも出来るんじゃないかと思ったんじゃが」
「確か脳に異常が起きてしまい、体が動かすことが出来なくなってしまう不治の病でしたね」
佐々木刑事がそう言うと、皐月はどういうものなのかと尋ねた。
「正式名は遷延性意識障害といって、重度の昏睡状態を指した病名なんじゃよ。脳死というものは皐月ちゃんたちも知っておるじゃろ?」
「心臓や肺が動いているにも拘らず、脳が死んでいることでしたよね? 確か医者でも判断するのが難しいって」
「遷延性意識障害もそれに近いもので、生きとるが殆ど反応を示さないものなんじゃよ」
「それに目が動いていたってことは、そうとは限らないんじゃ?」
「いや眼球が動いていても、認識することは出来ないとも云われておるんじゃよ。つまり阿弥陀警部や佐々木刑事の言葉を纏めると、まったく反応していなかったにも拘らず眼球が動いていた」
「それじゃ爺様は自殺した近藤武蔵が一時的な植物人間だったかもしれないって考えてるの?」
皐月がそう尋ねると、拓蔵は腕を組むや少しばかり唸った。
「まぁ、思い過ごしかもしれんし、当てになるものでもないんじゃがなぁ」
「でもレム睡眠状態でしか見れないはずの夢を見ていたとすれば、私たちの呼びかけに反応しなかったのも考えられますね」
阿弥陀警部がそう尋ねるが拓蔵は難しい表情を浮かべるだけで答えはしなかった。
――その夜分のことである。
窓から差し込む月明かりに照らされた薄暗い部屋の隅にスタンドライトの淡いオレンジの色だけが点されている。
そんな中、「おわったぁ」と信乃は腕を伸ばしていた。
机の上には勉強道具一式が広がっており、信乃は一息吐くと、それらを鞄の中に仕舞い込んだ。
「赤点取ったのだって部活で忙しかったし、夏休み明けの抜き打ちテストとか鬼かっての」
信乃が愚痴を零すが、勉強が足りなかったのも事実なので、それ以上そのことには触れようともしなかった。
先ほど終えたのも本来の宿題とは別の、抜き打ちテストで出された問題の答え合わせみたいなものであった。
「さてと、そろそろしたら始まるかな……」
云うや信乃は部屋に置いているTVの電源を入れた。
音を極力聞こえるまでに下げ、DVDレコーダーの予約確認をする。
「明日も早いから、リアルタイムで見れないのが辛いんだよなぁ」
そう云いながら、TVの電源を切り、机の上にあるスタンドライトの明かりも消した。
『今日こそ、何もありませんように』
そう願いながら、信乃は目を瞑り、眠りに就いた。
――翌朝になっても、信乃が起きてくることはなかった。