拾・心機一転
「そういうわけデスので、黒川さんが気にすることじゃないデス」
早百合はそう云いながら、ゆっくりとした足取りで歩いていた。
その一歩うしろを皐月は歩いている。
二人とも学校の制服を着ている。
長かった夏休みも終わり、今日から二学期であった。
「それにあの刑事さんが、お母さんは妖怪に取り憑かれたせいでああなったって云ってまシタし、今までのこともありマスから、少し頭を冷やす機会が出来てよかたデス」
「衣川さんは……強いんだね」
皐月はとても目の前で肉親が逮捕されることが想像出来なかった。
――いや、したくなかった。
「強くなんてないデス。わたしお母さん助けられませんでシタから」
皐月は少しばかり早足になる。それでも早百合との距離が縮まらなかった。
執行人としてではなく、死体を発見したという理由で通報しなければいけない。
もう少しだけ一緒にいさせてあげてもよかったんじゃないかと考えても、答えは出なかった。
結局、皐月が後悔しても始まらないだけである。
それに比べて、早百合の表情は穏やかであった。
どこか吹っ切れたというべきか……
「お母サン、先端恐怖症だったデス。でもちゃんと切れまシタ」
そう云われ、皐月は自分の髪に触れる。
今ではすっかり肩まで伸びた髪にも慣れ、皐月はこの髪もいいかなと思っていた。
「それにシテも、やっぱり黒川さんの髪、綺麗デス」
早百合はそう言いながら、皐月の髪を見つめながら、
「羨ましいデス。でも大事にしないとすぐに悪くなりマス」
ビシッと指を突き立て、皐月に注意する。
「気をつけます」
皐月がそう云うと、早百合は笑みを浮かべた。
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「娘をよろしくお願いします」
深々と頭を下げ、早苗は阿弥陀警部と佐々木刑事に云った。
事件から三日後。現場検証のため、一時的に早苗は早百合と再会していたが、会話もなく状況説明のみに終わっていた。
「お母サン……」
早百合はパトカーに乗り込んだ早苗に声をかける。
「ごめんなさい、早百合ちゃん……」
早苗はそれ以上何も云わず、無常にもパトカーは走り去っていった。
「取り敢えず、ご親戚に連絡をっと云いたいんですけど、ちょっと訊きたいことがあるんですが、いいですかね?」
阿弥陀警部はゆっくりと早百合を見る。
「なんデスか?」
「あなたのお父さん、衣川憲輔さんの甥である衣川太一さんが先日事故で亡くなってるのはご存知で?」
そう訊ねると、早百合は答えるように頷いて見せた。
「その、お母さんとその人が会っていたというのは?」
「おじさんは親戚ですからお盆とかよく会いマス」
「頻繁に会ってはいないんですか?」
「おじさん、配達で忙しくて、盆正月以外は殆ど会える人じゃないです。全国回てるようなものデスから」
早百合がそう説明すると、阿弥陀警部は表情を険しくした。
「それじゃ事故が遭った日、おじさんから連絡は? それとお母さんは何処に?」
「連絡があたのは知らないデス。でもお母さんは開店からずとお店にいたデスよ」
「一度家に戻ったとか……」
「お昼の休憩時間に一度家に戻てきてマス。でもご飯を食べるくらいで、30分もいなかったデス」
「それは何時くらいなんじゃ?」
「休憩時間は大体お昼の一時くらいからです」
阿弥陀警部は頭を振る。整理が追いつかない。
「衣川太一が亡くなったのは事故が起きた日の午後二時前後。ですが事故が起きたのは午後三時前後…… つまりこの空白、お母さんは店の中にいたんですよね?」
そう訊かれ、早百合は頷いた。
「交通部の鑑識課にもう一度確認をしてみるか?」
佐々木刑事がそう云うと、
「――ですね。どう考えても早苗さんは犯人ではない。事故があった繁華街まで車で走っても、渋滞に引っかかって時間の計算が狂ってしまうのがオチでしょうし、それに休憩時間が一時間としたら、30分で往復しないといけないってことですよ?」
阿弥陀警部はそう云いながら、早百合を見やった。
家族のアリバイ証言は証言とはみなされない。
そもそも早苗のアリバイは早百合や今は亡き従業員の二人だけではない。
あの日、あの時間、お店の中に早苗がいた事を来客した全員が証言している。
つまりあの日、早苗が午後二時前後に衣川太一に会うことは無理であった。
突然、阿弥陀警部の携帯が鳴った。
「もしもし…… 阿弥陀ですが?」
『阿弥陀か? ちょっとな交通部の鑑識にお願いして遺体の写真を見せてもらったんじゃがなぁ』
電話の相手は湖西主任であった。
「あ、私たちもこれからそちらに伺うつもりだったんですよ」
阿弥陀警部がそう云うと、
『まぁ、ちょっとこっちに来る前に…… 葉月ちゃんが霊視で被害者は首を絞められたようなことをいっとたわけじゃな?』
「ええ。でも実際には絞殺された痕はなかったようですけどね」
そう話すと、湖西主任は一瞬間を置いた。
『人はどうして首を絞めたときに窒息すると思う?』
「え? そりゃ首を絞められたからじゃないですかね?」
『頸部が圧迫されることで気道が塞がってしまい、酸素を補給出来なくなってしまう。それによって窒息してしまうんじゃがな…… それじゃと事故に遭った被害以外に異変があるはずじゃろ?』
「ええ。まぁそうですね……」
阿弥陀頸部は湖西主任は何を言いたいのか、わからずにいた。
『窒息にはさっき説明した気道閉塞ともう二つ、動脈閉塞と静脈閉塞というのがあってな、そっちの方も調べてみたんじゃが……』
「何かわかったんですか?」
『虫刺されじゃよ…… ちょうど首の動脈に蜂の針が刺さっておった』
阿弥陀警部は一瞬戸惑った。そしてもう一度確かめるように訊ねる。
『それをふまえて、どうしてあの車に衣川早苗の髪の毛があったんじゃろうな?』
阿弥陀警部は一度携帯に手を添え、湖西主任にこちらの会話が聞こえないようにした。
「すみません。早百合さん…… お母さんがおじさんの車に乗ったことは?」
「一度もないデス。自家用車じゃないデスから、仕事の人以外は乗せられないて言ってました」
早百合が答えると、阿弥陀警部は湖西主任に説明した。
「――だそうです。それと発見された髪は早苗さんので間違いないんですよね?」
『大威徳が言う通り、DNA鑑定をした以上、車に早苗本人が乗っていたと思えるんじゃが、どうも可笑しいんじゃよ』
「可笑しいとは?」
『地蔵菩薩のもつ浄玻璃鏡を通じて、現世の監視が出来るはずなんじゃが、何回やってもぼやけてしまっとるんじゃ』
「つまり…… 人間でもなければ、妖怪の仕業ではない……と」
『こんなことが出来るのは妖怪以上の力を持っているかじゃろ?』
阿弥陀警部は少し考える。
遺体に刺さっていた蜂。そして浄玻璃鏡が映し出せない理由。
それらを組み合わせて、それをした人物を思い浮かべたが……
「何を以って、あの人はそんなことするんですかね?」
そう尋ねたが、湖西主任は答えられなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さ、皐月? どうしたの、それ」
教室に入ってきた皐月を見るや、クラスの女子が絶句する。
逆に男子は歓喜のような声を挙げていた。
「え? ちょ、なに?」
突然大声を挙げられ、さらには詰め寄られる形になっているため、皐月は戸惑う。
「あんた、髪短く切ったわけ?」
「き、切ったけど、それがどうかしたの?」
「黒川さんの髪、サラッとしてて、綺麗だったのにぃ」
「あのキューティクルで、ビューティフルな黒髪が拝めないなんて」
女子の何人かが残念そうに言う。
皐月はもう見慣れているし、今まで長髪だった分、髪を洗うのが何かと楽になっている。
それで残念といわれると、ちょっと心外であった。
「あんたたち、違うわ。皐月は重大な決意があって髪を切ったのよ」
萌音がそう云うと、クラスメイトはごくりと喉を鳴らした。
「じゅ、重大な決意って?」
当の皐月はなんのことやらわからなくなっている。
「ふふふっ、私にはわかるわ。皐月には彼氏がいる!」
そう云うと、クラス全員が驚いた声を挙げた。
「そしてそんな皐月が髪を短く切るということは……」
「ふられたからとか云わないでよ? そんな理由で髪を短くしたわけじゃないし、そもそもふられる理由なんて今のところないんだから」
キッパリと皐月は言った。
「え? 違うの? だって腰まであったのが肩までしかないって、結構切ってるってことよ?」
目を点にしながら、萌音は尋ねる。
「ちょっと短くしたいなって思っただけ……」
皐月はそう云いながら、ふとうしろを一瞥すると、廊下で早百合が歩いてるのが見えた。
早百合はゆっくりと皐月がいる教室のドアまで歩いてきている。
――案の定、早百合は教室のドアを開けた。
「風紀検査をやるデス。夏休み中、ふしだらな行動をしていなかタか、髪はちゃんとしてイルか、じくり調べさせてもらうデス」
教壇に立った早百合がそう告げると、皐月以外のクラス全員が悲鳴にも似た声を挙げた。
九月上旬、窓際の席から見える外の風景は、秋の訪れを知らせていた。
第十七話終了です。