参・危険物
阿弥陀警部……もとい阿弥陀如来は権化となって人間の世界を監視している。
それこそ様々な事件を刑事として見てきた。
しかしながら、はてさてどうしてと思うことが多々ある。
「どうかしたんですか? 阿弥陀警部」
大宮巡査に声をかけられ、阿弥陀警部はそちらに振り返る。
「いやぁ、何でこんなに安く手に入るのかなぁって」
阿弥陀警部はそう言いながら、ある商品を指差した。
「ああ、ここは百円均一ですから、安く手に入るのは仕方ないですし、そういうコンセプトですから」
大宮巡査はそう云うが、阿弥陀警部は値段のことを訊いているのではない。
阿弥陀警部が指差していたのは包丁である。
「ああ、でもあまり切れないみたいですよ」
大宮巡査があっけらかんと答える。
「こういう危険物って、普通レジの近くに置きません? ここってレジからじゃ死角になってますよ?」
阿弥陀警部の言う通り、二人がいる場所は、レジから数米離れており、見渡しの悪い場所である。
「そういえば、大宮くんって一人暮らしでしたっけ? 官舎とかじゃなくて」
「ええ。都内で一人暮らしですけど、それがどうかしたんですか?」
そう訊かれ、阿弥陀警部は思い出すように、「いや、この前あなたの部屋があるマンションの近くであなたを見かけたんですけどね、その時にきれいな女性が一緒にいたので、誰だろうなぁと思って」
「ああ、あれですか? あれは……」
大宮巡査がその先を言おうとした時、突然彼の携帯が鳴り響いた。
「もしもし、大宮ですが」
『ああ、大宮か、佐々木じゃけどな、至急……』
佐々木刑事から連絡を受け、大宮巡査は表情を険しくした。
「何か事件ですか?」
「そのようです。さっさと買い物を済ませましょう」
そう言われ、阿弥陀警部と大宮巡査は急いでレジへと走り、会計を済ませた。
「遅いぞ、二人とも」
先に現場に着いていた佐々木刑事にそう言われ、阿弥陀警部と大宮巡査は頭を下げた。
「それで遺体は?」
「部屋の中だ。あ、大宮、お前はちょっと覚悟しといたほうがいいぞ」
そう言われ、大宮巡査は首を傾げた。
「酷いんですか?」
「酷いってものじゃないな。人の構造を無視しとったわ」
佐々木刑事が顔を歪めた。
――佐々木刑事の言葉通り、遺体は酷いで済ませられるものではなかった。
下着姿の女性がキッチンで仰向けになって倒れており、その顔は皮が剥がされ、筋肉が剥き出しになっている。
円らな相貌は今にも千切れ落ちそうだった。
「確かに酷いですね」
阿弥陀警部がそう呟くと、答えるように大宮巡査は小さく頷いた。
「被害者の身元は?」
「三守怜子、三二歳。MS社に勤務しているOLのようです」
警官の一人が被害者のものと思われる財布から免許書を取り出し、説明する。
「まぁ、顔が判別出来ない以上、鑑識に回さないといけませんし、いつ殺されたのかも」
阿弥陀警部は台所に目をやる。そして、徐にあたりを探し始めた。
「どうかしたんですか?」
「包丁はどこにいったんでしょうね?」
その言葉に大宮巡査は首を傾げる。
「犯人が犯行に使ったんじゃないんですかね?」
大宮巡査がそう言っている中、阿弥陀警部は戸棚を調べる。
台所を隈なく探しても、包丁のほの字も見つからなかった。
「っかしいですね。包丁がひとつもない」
「阿弥陀警部、それがどうかしたんですか?」
「大宮くん。君、包丁どれくらい持ってます?」
そう訊かれ、大宮巡査は少しばかり思い出すように考える。
「えっと、大体二、三本ですかね。まぁ、一本って人もいるでしょうし、僕の場合は母がりんごとかを持ってきますから、果物ナイフもありますし」
「それにカッターやはさみもありませんでしたね。刃物という刃物全部がない」
包丁のみならず、カッターやはさみもない。
部屋も荒らされた様子もなく、きれいになくなっている。
「犯人が犯行に使った……」
「そう考えるのが妥当でしょうけど、それって包丁だけの話でしょ? 被害者はOLだそうですから、事務用品としてはさみとカッターはもってると思うんですけどね」
「会社では使うけど、家では使わないんじゃないんですか? この部屋結構綺麗……」
大宮巡査が言葉を止めた。
その仕草に阿弥陀警部は首を傾げる。
大宮巡査は徐に押入れの襖を開けた。
「――何も入ってない」
押入れの中は何も入っておらず、クローゼットや箪笥などの中身も、その言葉通り蛻の殻であった。
「――あれ?」
台所で弥生がおたまを持ったまま、冷蔵庫の中を漁っている。
「あれぇ、使い切っちゃってたかな……?」
首を傾げ、冷蔵庫の戸を閉めた。
彼女が探していたのは、素麺などを食べる時に使う麺つゆである。
お吸い物に使おうと思っていたのだが、醤油を使うよりも使い勝手がよく失敗しにくい。
「葉月ぃっ! ちょっとお願いしていい?」
弥生は居間を覗き込むや、TVを見ながら寛いでいた葉月に声をかけた。
「お願いって何?」
葉月は首を台所のほうに向けて聞き返す。
「ちょっとスーパーまで行って、つゆ買ってきてもらっていい? あ、ストレートじゃなくて、二倍のやつね」
そう言いながら、弥生は財布から五百円玉を取り出し、葉月に渡すと、葉月は防犯用ブザーを持って、神社を出ていった。
――その道中、単調故、省略。
買い物を済ませ、帰路についていた時である。
子犬が殺されるという事件が遭った公園が見え、葉月はその横を通り、フェンス越しに滑り台のほうを見やった。
ちょうど夕暮れ時ということもあってか、公園の街灯が灯っていたが、滑り台のところまでは光が届いていなかった。
(やっぱり見えないんじゃないかな……)
そう考えると、葉月は「遊火」
と呼び寄せた。
葉月の目の前に無数の火の玉が集まり、ひとつにまとまるや、少女の姿に変わった。
「葉月さま、お呼びでしょうか?」
「遊火、ちょっとあの滑り台の下で子犬を抱えるような仕草してくれない?」
葉月がそうお願いするが、事情がわかっていない遊火は首を傾げた。
言われた通り、遊火は公園の滑り台の下に立ち、虚空に指をさすと、そこに無数の火の玉を集め、子犬の形にするや、それを抱え込んだ。
(やっぱりここからじゃ何も見えないや)
遊火は鬼火の一種であるため、自らが仄かに光を放っている。
しかし子犬を殺したと思われる犯人はあくまで人間であり、体を発光させることは出来ない。
逆光になって、子犬は影になるのがオチである。
「葉月さま、どうかしたんですか?」
戻ってきた遊火が葉月に尋ねる。
「遊火、もし暗い場所でものを見るとしたらどうする?」
「ものを見るとしたらですか? 昔で考えると月明かりでも結構見えるものでしたが、今は目が光に慣れていて、突然の暗闇では目が慣れるのに結構時間がかかると思いますから」
「そうなんだよね。爺様から暗い場所では本を読むなって言われてるし、それって目が悪くなるからでしょ?」
「昔は蝋燭の灯で書物を読んでいましたが、目が悪くなったからといって、めがねを使うという概念はなかったようです。それに、どちらかというとお天道様の下で読むといったほうがいいですね。自然の光のほうが目によかったですし」
遊火が言う自然の光とは太陽の光である。
電球が世に広まって、百三十年以上経つが、そのあいだ電灯の明るさは、時代や要素によって変わっていった。
そして人の目が捕らえる光の濃度も、時代によって変わってきている。
『月夜に提灯』という諺がある。
これは月明かりがある夜道に、灯りである提灯は必要ないという意味から、不必要なことのたとえなのだが、どこもかしこも光に満ちており、月の光は必要ないのかもしれない。
「――っと、早く帰らないと、弥生お姉ちゃん、料理作ってるんだった」
葉月は思い出すや、急いで自転車を走らせる。
そんな葉月を人影が物陰から見ていた。