弐・顔無
警視庁の一角に小部屋がある。
そこでは小さなテーブルを囲むように、阿弥陀警部と大宮巡査、佐々木刑事、西戸崎刑事の四人が卓を組んでいた。
「雨々ふれふれ、かあさんが、蛇の目でお迎え、嬉しいなっと」
そう歌いながら、佐々木刑事が『北』を切る。
「そういえば、その傘を持ってる男の子って、結構金持ちらしいですよ」
大宮巡査はそう言いながら、『一満』を捨てる。
「へぇ、どんな歌詞でしたっけね?」
阿弥陀警部は『北』を切り、西戸崎刑事は『西』を切った。
「あらあら、あのこはずぶぬれだ、やなぎのねかたでないている。だったと思います」
「しかし、蛇の目とは、また高いものをつけとるな」
佐々木刑事が『二萬』を捨てる。
大宮巡査は山から牌をとり、「蛇の目は和傘ですから、結構なものだと思うんですよね。『立直』」
そう言うや、大宮巡査は場に千点棒を出し、『九筒』を捨てた。
「しかし、これだけ雨が続いていると、酒が飲みたくなりますね。『立直』」
阿弥陀警部も追っかけるように、場に千点棒を出し、『一筒』を切るや、「ロン、立直、一発、平和、一盃口、ドラドラ……」
大宮巡査はぱたりと牌を倒した。
『一筒・一筒・二筒・二筒・三筒・三筒・七・八・九筒・二・三・四索・一萬雀頭』
「跳満、一万二千点です」
大宮巡査がそう告げると、阿弥陀警部・佐々木刑事・西戸崎刑事は愕然とする。
「大宮くんの逆転勝ち……ですかね?」
阿弥陀警部が引き攣った笑みを浮かべながらで言う。
「えっと、ビリは……振り込んだ阿弥陀じゃな。ってなわけで、全員の昼飯代は阿弥陀もちってことで」
佐々木刑事がそう言うと、西戸崎刑事は椅子の背凭れにかけていた上着を羽織った。
佐々木刑事と大宮巡査もスーツの上着を羽織る。
阿弥陀警部はそんな三人を見ると同時に、自分の財布の中身を確認していた。
――先日給料が入り、誰が昼飯を奢るか賭けての半荘麻雀であった。
葉月がクラスメイトと一悶着あった放課後、葉月は市宮と大山の三人で、例の公園へとやってきていた。
滑り台のところに行くと、段ボール箱はすでに撤去されている。
それどころか、子犬が惨殺されたという報せがあってか、公園の周りには大人が数人ほど見回りをしている。――警察の姿はどこにもなかった。
「なぁ黒川、本当にその女の人が犯人じゃないって思ってんのか?」
大山がそう尋ねると、葉月は力強く頷いた。
「でもなぁ、塾に行ってるやつらが見たって云ってんだよなぁ。その大きなマスクをした赤いレインコートの女の人が、犬の首をねじってたって」
それを聞くと、市宮はそれを想像してしまい、口を手で押さえた。
「本当にそうかな?」
葉月がそう言うと、大山と市宮の二人は首を傾げた。
「なんでそんなことが云えるんだよ?」
「だって、この公園…… 灯りがひとつしかないんだよ?」
そう言われ、大山と市宮は周りを見渡した。
道路の方を見ると、街灯はあったが、公園の敷地内には街灯がひとつしかなく、あるのは屋根がある休憩所のところだけである。
「仮にだけど、その灯りが滑り台に届かなかったら、どうなる?」
「えっと、灯りが届かないってことは――見えないってことじゃない?」
市宮がそう言うと、葉月は頷いた。
「それに昨日は雨が降っていて、月が出ていなかった。あの女の人を見たって云ったって、本当にあの人かどうかもわからないし、マスクをつけている人なんて……」
葉月がその先を言おうとした時だった。
「あら? こんにちわ」
「お姐さん?」
三人のうしろから声をかけたのは、昨日葉月と市宮が出会った女性であった。
昨日と同じく大きなマスクをしてはいるが、カジュアルな服装を着ている。
「こ、この人が噂になってる人か? 全然怖くねぇんだけど?」
大山が驚いた表情で言った。
それを見て、「噂?」
と、女性は小首を傾げる。
「えっと、みんなが噂してるんです。この公園にはおばけが出るって」
「ああ、口裂け女のこと?」
女性がそう言うと、市宮は葉月と大山を一瞥し、答えるように頷いた。
「そう……それでこんな大きなマスクをしているから、私が犯人にされたわけだ」
「されたって、どういうこと?」
「今日のお昼頃だったかしら。職場に警察の人が来てね、この公園で犬の死体が発見されたって。その犯人を見たっていう小学生の目撃証言から、私の容姿に似ていたから事情聴取を受けていたの」
「それで、お姉さんはその時間、なにをしてたんですか?」
市宮が控えめな声で尋ねた。
「確か午後十時くらいだったかしら、その時間だったら、コンビニに行っていたわ。確認してもらったら防犯カメラに映っていたから、アリバイはあるのよ」
それを聞くと、葉月はホッと胸を撫で下ろした。
それを見て、女性は「どうしたの?」と尋ねる。
「葉月ちゃん、お姐さんのこと心配してたんです。みんなが犯人はお姐さんじゃないかって云ってるから、カーとなって」
「だって、犬が心を許している人に悪い人はいないって」
葉月は頬を膨らませて言った。
「ありがとう。でも……残念だな、こんなことになるんだったら、隠してでも、アパートで飼えばよかった」
物悲しそうに俯く女性を見るや、「だったら、その子犬を殺した犯人を探し出そうぜ!」
大山がそう言うと、葉月と市宮が「えっ?」とキョトンとする。
「だから、お姐さんの無実を証明するんだよ。お姐さんはこの公園にはよく来んのか?」
「え、ええ。部屋が近くだから、それにあのこの餌とかもやってたからね」
「つまり、いつもここにいるから、みんなは犯人がお姐さんだと思ってしまったってこと?」
葉月がそう尋ねると、大山は頷く。
「考えられなくもないね。犬が殺されたって云われてる時間、ずっと雨が降ってたはずだから、お姐さんをしっかり見たとは思えない」
市宮がそう云うが、女性は心が晴れていなかった。
それを葉月が指摘する。
「仮に私だったとして、どうやって犬が殺されるところを目撃するの?」
そう言われ、葉月はハッとする。
「犬が殺されたところを……離れた場所からじゃ見れない」
葉月がそう言うと、市宮と大宮も驚きを隠せない。
「ちょっと待てよ! それがどうかしたのか? さっき黒川が自分で云ったじゃないか。公園の街灯はあそこにしかないって」
大山が休憩所近くに設置されている街灯を指差しながら言った。
「それが可笑しいの。目撃したのが公園の中じゃないと犯人が犬を殺したところが見えない」
「えっと……」
市宮が何かを云おうとしたが、口を閉ざした。
何者かが犬を殺した。この事実は何一つ変わらない。
しかし、それをどうやって目撃したかに重視されるのだ。
葉月の言う通り、公園内に設置された街灯は休憩所の近くにあるものしかない。
公園自体がさほど大きくはないのだ。
葉月の予想通り、この公園の街灯は滑り台まで光が届かない。
それどころか、逆光になって、遠くからでは見えない。
――にも拘らず、目撃者は何者かが犬を殺しているところを見ているとされており、それは少なくとも犯行を滑り台の近くで見る以外方法がなかった。
「ところで、さっきお姐さんが云ってた『口裂け女』ってなに?」
「昔、流行ってた噂話。昨日の私みたいに赤いコートの大きなマスクをした女性が、突然声をかけるの『わたし……きれい?』って」
「それでどうなるの?」
「『きれい』っていえば、女性は大きなマスクを外して、素顔を見せるの。その素顔は、口が耳まで裂けている。そして答えた人は鎌で殺されてしまうの」
それを聞くや、市宮と大山が肩を窄めた。
「答えたのに殺されるなんて、理不尽だな」
「そうね。それに『ふつう』って言ったほうがいいみたいだし、たとえ本当に美人だったとしても、その人がきれいかどうかなんて、受け取る側が決めることでしょ? 逆に不細工が好きな人だって、世の中にはいるわけだから」
「蓼食う虫も好き好きってこと?」
葉月がそう言うと、女性は驚いた表情を浮かべた。
「へぇー、あなた小学生なのに、難しい言葉知ってるのね?」
葉月が云った言葉の意味は、辛くて苦い蓼を好んで食べる虫がいるように、人の好みは多様性に富んでいるということ。という意味である。
「さぁ、最近、不審者も出ているらしいから、早くおうちに帰りなさい」
「お姉さんが不審者じゃねぇの?」
『大山くん!!』
葉月と市宮がキッと大山を睨みつける。
それを見て女性は否定するわけでもなく、ただクスクスと笑うだけだった。