壱・雨合羽
それは六月終わりの、少しばかりジメッとした昼下がりのことであった。
「葉月ちゃん、帰ったら一緒に遊ぼ」
「いいよ。何して遊ぼっか?」
ランドセルを背負っている葉月が、友人である市宮と一緒に歩いていた。
周りにもランドセルを背負っている小学生の姿がある。
今は夕方四時。学校の授業を終え、家に帰る途中であった。
「公園で縄跳びとか、わたし、三重跳び出来るようになったんだよ」
市宮がそう言うと、葉月は驚いた表情を浮かべ、「私はまだ二重跳びまでなんだよね。それじゃ、縄跳びにする?」
葉月がそう尋ねると、市宮は同意するように頷いた。
「じゃぁ、家にランドセル置いたら、縄跳びの縄を持って、葉月ちゃん家の神社に集合ってことに」
市宮がそう言った時だった。
空からポツポツと雨が降り始め、終いには、土砂降りと化していた。
「ちょ、は、葉月ちゃん! ど、どこか雨宿りするところない?」
市宮がそう尋ねると、葉月は辺りを見渡した。
そして、信号の下で立っている白い男を見ると、男は人差し指で、公園のほうを指した。
ここから神社に帰るよりも、公園に行った方が雨宿りする場所はあるだろう。
そう考え、葉月は市宮の手を引っ張り、そこへ向かった。
葉月は男の前を通るや、「ありがとう」
と礼を言うや、男はスーと、姿を消した。
後日わかったことだが、その男性は、この横断歩道で事故に遭い、亡くなった男性であった。
公園の敷地内に屋根のある休憩所がある。葉月と市宮はそこで雨宿りすることにした。
二人とも薄着だったこともあり、服が肌に引っ付いている。
雨の音は轟々と鳴り響き、すぐにやんでくれる気配がない。
「葉月ちゃん、バスタオル使える?」
「使わないほうがいいかもしれない。ここで拭いても、雨でまた濡れるだろうし」
葉月がそう言うと、市宮は自分たちのプールバックを見るや、「天気予報のうそつきぃ!」
と、喚く始末であった。
今日は久しぶりのプール授業で、その時間は肌寒かったが、雨が降るような気配はしなかった。
それもTVの天気予報で、降水確率は昼夜ともに20%とあったため、まさか降るとは思っていなかったのだ。
この土砂降りが、局地的な大雨であったことを二人が知るのは、家に帰ってからであった。
「くぅーん」
と、どこかから犬の鳴き声が聞こえてきた。
葉月と市宮はその声に気付き、声がしたほうを見ると、視線の先には滑り台があり、その下に段ボール箱が置かれている。
葉月と市宮は互いの目を見やり、そこへと走った。
その中を覗き込むと、小さな子犬が震えている。
「捨て犬かな? 首輪がつけられてない」
「もしかしたら野良犬かもしれないよ」
二人が話していると、うしろに誰かが立っている気配がし、葉月と市宮はそちらに振り返ると――
カッと雷が鳴り響き、逆光となった人影は、まるで黒い塊のようであった。
「きゃあああああああああっ」
葉月と市宮が悲鳴を挙げると、「ご、ごめんなさい。驚かせちゃったみたいね」
女性が二人に謝る。葉月と市宮は女性を見やった。
女性は腰まで伸びた黒髪に、赤い|雨合羽を着ている。
そして二人が何よりも驚いたのは、女性が口につけている大きなマスクであった。
顔の半分を埋め尽くすほどに大きく、女性の目がはっきりと見えない。
「お、お姐さん誰なの?」
市宮が震えた声でそう言うと、「わたし? わたしはね、そこにアパートが見えるでしょ? そこに住んでるの」
女性はそう言いながら、アパートを指差した。
声の感じから、見た目ほど怖くなく、どちらかというと優しいお姉さんといった印象だ。
「それじゃ、この子犬はお姐さんの?」
葉月がそう尋ねると、女性は首を横に振った。
「ううん、わたしはこの子が可愛そうだから、ミルクとかドックフードをあげてるだけ、この子が誰かに拾われたのなら、それは嬉しいことなのよ」
女性はそう言いながら、子犬を抱きかかえた。
子犬は震えながら、女性の頬を舐める。
「その子、お姐さんのこと大好きって云ってるんじゃないかな?」
葉月がそう言うと、女性は不思議そうに葉月を見た。
「あなた、この子の気持ちがわかるの?」
「わかるって云うか、姉の知り合いにすごく犬に詳しい人がいて、犬が人の顔を舐めるという仕草は、敵意がなかったり、好意を持っているって」
葉月が云っている知り合いとは、信乃のことである。
まだあの事件が起きる前までは、葉月も一緒に遊んでもらっていたため、信乃から犬に関することを色々と教えてもらっていた。
「それで、あなたたちはどうしてここに? 雨も強いのに」
女性が尋ねると、葉月と市宮は屋根のある休憩所を指差した。
「なるほど、突然雨が振り出したから、雨宿りしてたってわけだ」
そう言うと、女性は子犬を段ボール箱の中に戻す。
「ねぇ、どっちか、この子を引き取ること出来ないかな?」
そう訊かれ、葉月と市宮は互いを見やるが、「うちは駄目なんです。お姐さんの部屋みたいにアパートだし、お父さんが犬嫌いで……あ、葉月ちゃんの家はどう? 神社だから」
市宮がそう言うと、女性は首を傾げ、「へぇ、あなたのお家って、神社なんだ」
「あ、でも、うちにはハムスターがいて、あまり大きな動物は飼えないんです」
葉月がそう言うと、女性は「そうか、残念ね」
と言った。
「ごめんなさい。協力出来なくて」
二人が女性に頭を下げると、「いいのよ。この子が誰に拾われても、幸せならそれでいいんだから」
三人が話していると、雨の音が静かになっていき、雲間から太陽がのぞきこんできた。
「あ、雨やんだみたいね」
「ほんとだ。葉月ちゃん、帰ろう」
そう言うと、葉月と市宮は女性に頭を下げ、足早に立ち去っていく
女性は二人が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
――その翌日のことであった。
「葉月ちゃん、大山くんたちが運動場でドッジボールしようって」
市宮が葉月を誘いに来る。
「うん。今日は負けないようにしよう」
葉月が両手で、ギュッと拳を作る。
「それじゃ、急ごう」
葉月と市宮が教室を出ようとした時だった。
「なぁ、聞いたか? あの話」
葉月のクラスメイトたちがなにやら話をしている。
「俺見たんだよ。この前、変な女の人が公園の滑り台に立っててさ、段ボールの中見てんの」
「ああ、あの女の人だろ? 怖いよな? 雨が降ってないのに赤い雨合羽着てて」
(――赤い…… 雨合羽?)
葉月は立ち止まり、男子たちの話を聴きはじめた。
「そうそう、それに髪が長くて、口にはこんな大きなマスクしてんだぜ? あれ絶対おばけだよな?」
男子が大袈裟な仕草をする。
「それでさ、おれ、昨日塾の帰りに段ボールの中を見たんだよ。そしたらさ…… 子犬の死体が転がってたんだよ。あれ、絶対あの女の人が殺したに……」
「うそだぁっ!!」
突然、葉月がそう叫ぶや、騒がしかった教室内は静まりかえった。
「は、葉月ちゃん?」
隣にいた市宮は驚いた表情で葉月を見た。
「ど、どうしたんだよ? 黒川、驚かすんじゃねぇよ」
男子の一人が葉月にそう尋ねる。
「お、お姐さんが、あの子犬を殺すわけないでしょ?」
「おまえ、あの女の人と知り合いなのか?」
そう尋ねられたが、葉月は首を横に振った。
「昨日初めて会っただけだけど、でも、あのお姐さんが、子犬を殺すわけない!」
葉月は、信乃から教えてもらったことを考慮に入れての反論であった。
犬が好意を持つということは、その相手を信頼しているということだ。
信頼しているからこそ、犬はその人に懐く。信頼心がなければ、たとえ飼い主であろうと懐くことはない。
昨日、公園で会った女性がそんな残酷なことをすると、葉月は思えなかった。
確かに怖い印象はあったが、それは最初だけで、子犬を抱きかかえていた時や、自分たちに話しかけていた時、葉月は優しそうな印象を女性に持っていた。
「そうよ。それに私も一緒にいたけど、みんながうわさしてるほど、全然怖くなかった」
「おい、黒川、市宮……早く来いって、大山きれそうだぞ」
廊下からクラスメイトの一人が呼びに来る。
「とにかく! あのお姐さんが殺したなんて、絶対信じないから!」
葉月はそう言うと、教室を出て行った。
お待たせしました。(HPで読んでる方がいらっしゃるかもしれませんが)第十六話です。基本的に学校の怖い話関係は葉月メインでやっていきます。




