捌・約束
宮村と銅石、国貴がステージに上がる準備をしている。
「推理が外れましたな」
「いや、Drの人が倒れたのは、耳に大音量が流れたからだと思うんです」
皐月はジッと円谷を見る。円谷は黙々とミキサーの調整に入った。
「Drはどうする? 打ち込みにするか?」
銅石がそう言うと、宮村は「仕方ないだろう。代わりがいれば話は別だが」
「もうお客さんを待たせるのはいけないしね」
国貴も諦めた様子に言う。
燈愛はふと円谷の近くにいる葉月を見た。
「葉月ちゃん、どうかしたの?」
そう尋ねると、
「何であなたは平気なの?」
葉月が円谷に尋ねる。
「な、なにを云ってるの? 私はどこも悪くないわ」
「そうよ、それにPAの人はヘッドマイクを使って、私たちに指示を――」
葉月を円谷から話そうと燈愛はそう声をかけた時だった。
「宮村さん。ちょっとステージに上がって、時間稼ぎにギター演奏してくれませんか?」
そう言われ、宮村は首をひねった。
「別にかまわないが、どうかしたのかい?」
「ちょっと気になることがあって、円谷さん、ヘッドマイク借ります」
燈愛は円谷からヘッドマイクを取り、それを自分に着けた。
「宮村さん、お願いします」
そう言われ、宮村がステージに上がった。
ステージ上に上がったことで、観客が騒ぎ始める。
そして、証明が宮村を照らすや、観客が興奮し始めた。
宮村がギターソロを弾き始めたことで、さらに興奮していく。
「燈愛、いったいなにを」
秀隆がそう尋ねるが、燈愛はそれに答えず、ヘッドマイクを葉月の耳にかけた。
そしてそれを聞くや、葉月は驚いた表情を見せた。
「いったいなにが?」
「聞こえたんです。今、宮村さんが弾いているギターの音が」
その言葉に全員が首を傾げた。
「そりゃ聞こえるでしょ? PAは会場の音も把握しておかないといけないんだから」
国貴がそう言うと、
「それだったらハウリングが起きた時、円谷さんだって耳を悪くするんじゃないんですか?」
燈愛がそう言うと、
「確かにそうですね。スピーカーの音が聞こえているということは、ハウリングが聞こえているはずですからね」
「でも、それじゃイヤホンにはどうやって」
弥生がそう言うと、
「たぶん、こうしたんじゃないかな?」
葉月はヘッドマイクを耳から離し、マイクとヘッドホンのスピーカーを近付けた。
「多分イヤホンから、音が聞こえるはずですよ」
「ほんとだ。うっすらとだけど、宮村さんのギターが聞こえてきた」
国貴と銅石が驚いた表情を浮かべた。
「マイクを通して指示を出していたってことは、ヘッドホンから聞こえる音をマイクに近付ければ、その音がイヤホンにも聞こえてくるんです」
葉月がそう言うと、
「それじゃあ、それを使って、ハウリングを菅原くんにだけ聞かせたというわけか」
葉月は円谷が嘘をついていたことに気付く。
「しかし、いったいどうして?」
国貴がそう言うと、円谷を見た。
「彼がいけないのよ。彼が私とのデートをすっぽかすから」
「付き合っていたんですか?」
「ええ、もう5年以上前からね。彼が人気スタジオミュージシャンだったのは知ってたけど、休日の時はいつも一緒にいたわ。でも、最近は忙しいの一点張り。連絡を取ろうにも取れなかった」
「そりゃ、それだけ忙しかったんだろ? それに、ライブの仕事があれば、PAの君だって似たようなものじゃないか?」
「でも、私は彼にこう云われたのよ。わかれようって」
円谷の目からはうっすらと涙が浮かんでいる。
「それで彼を痛めて、ライブを滅茶苦茶にしようとした」
「そんな見勝手なことを」
「それだけじゃないわ。彼は立派なプロのドラマーなの! それなのにいつも裏側にいる。スポットライトが当たるのは、うまくもないアイドルばかり。今日だって、こんなすぐにでも消えそうな小娘のバックバンドを、知り合いの頼みだからって」
燈愛はその言葉にハッとする。
「違うもん! 燈愛さんは絶対消えない!」
葉月が目に大粒の涙を浮かべながら訴える。
「違わないわ! この業界に長くいるとね、売れるアイドルと売れないアイドルってのがすぐにわかるの。彼女にはその力がない」
「力があるから、アイドルをやってるんでしょ? 一生懸命やってるから」
「一生懸命やってもね! 敵わないものがたくさんあるの! アイドルを目指す人はたくさんいるわ! でも、それでも選ばれる人は、ほんのひとつまみの人間でしかないのよ! 彼女がどんなに頑張ったって売れやしない。今は夢の中で、現実を思い知ることだって必要なのよ!」
円谷がそう言うと、
「私! 燈愛さんの曲大好きだから! 全部練習してみんなで歌うの大好きだから!」
「子供が!」
円谷が葉月を叩こうと、手を振り上げた。
そして劈く音が聞こえたが、倒れたのは葉月ではなく、燈愛であった。
「なっ」
「あんたは、あんたは燈愛のなにを知ってるのよ?」
ゆっくりと起き上がった燈愛がそう呟く。
「な、なにを云って?」
「頑張っても、頑張っても、手に届かないものだってある。そんなの、当の本人が一番わかってるわよ」
燈愛の低い声に全員が驚く。
「わ、わかってるなら、さっさとアイドルなんて辞めなさい!」
円谷がそう言うと、燈愛はキッと円谷を睨んだ。
「やめるわけないでしょ? 小さい時からこの子が夢見てきたアイドルが! やっと手にした夢を、自分から手を離すなんてことは絶対にしない!」
「だから! あんたの実力じゃ売れるわけないでしょ?」
「売れるか、売れないかなんて、そんなの時の運でしょ? この子はその運を手に入れた! 運は絶対に手放したりしてはいけないのよ! がむしゃらに頑張って手に入れた夢を、この運を手放すことは絶対しない!」
それはどちらが泣いているのだろうか、まるでオッドアイのように、片方は諦めたような暗い瞳をし、もうひとつはそれを庇おうと、懸命に相手を睨みつけている瞳であったが、そのどちらも泣いていた。
「円谷さん。すみませんが事情聴取してもいいですかね?」
阿弥陀警部がそう言うと
「待ってください。まだライブが終わっていないんです。彼女をPAにしたのは僕ですし、今回の件は僕が責任を取ります」
秀隆がそう言うと
「しかしですね? 仮にも彼女は人を傷つけていますし」
阿弥陀警部が困った表情を浮かべる。
「僕からもお願いします。ライブが終わってからにしてください」
宮村や銅石、国貴も阿弥陀警部にお願いする。
「あー、もう、わかりましたよ! でも、ライブが終わったら、円谷さんを連れていきますからね!」
阿弥陀警部がそう言うや、秀隆たちはホッとした表情を浮かべた。
「でも、やっぱりDrがいないのは」
燈愛がそう言うと、
「それだったら僕がするよ。これでも昔はバンドでDrをやっていたし、燈愛の曲は新曲も含めて、全部頭の中に入ってるからね」
「あれ? さっき円谷さんが云ってた、菅原さんの知り合いって」
皐月が秀隆を見やる。その秀隆は小さく笑みを浮かべた。
「さぁ、お客さんが痺れを切らしている。待たせた分、最高のステージにしようじゃないか!」
秀隆がそう言うと、全員が鬨を挙げた。
「そうだ、葉月ちゃん」
燈愛が葉月に耳打ちをする。
「この中で――」
暗闇に満ちたステージの上で、ゆっくりと足音が聞こえる。
周りから聞こえてくるのは観客の騒々しい音。
Drがカウントを取り始め、イントロが流れ始める。
ステージを証明が照らすと、燈愛の隣には葉月が立っていた。
「みんなぁっ! 突然中止しちゃってごめんなさい。ちょっとミキサーが不調で、修理に途惑ってたの。でも、もう大丈夫だから、最後まで楽しんでいって」
そう言うと、燈愛は歌い始めた。
『私は―― 私は、この子の後押ししてあげてただけ』
「えっ?」
葉月は不思議そうに燈愛を見上げた。
燈愛は歌っているため、言葉を発するタイミングはほとんどない。
『小さい時から、馬鹿みたいに一生懸命で、一途にアイドルになろうって、本人だってなれっこないって思った時期もあった。でも、この子はそれでも諦めるなんてことはしなかった。売れなくてもいい、ただ自分の歌を、自分の存在を知ってほしかったの』
「――っ」
葉月は燈愛の表情を見る。それは本当に真剣で、それでいて楽しそうに歌っている姿が輝いて見えたのだ。
『私はこの子が売れるようにって、人を魅入らせるようにしていた。でも、歌も踊りも、この子の実力なの。これからもずっと…… 私はこの子の背中を押してあげるだけ』
川姫が葉月の頭の中に話しかけていると、曲が終わった。
「それじゃ、今日、最後の曲です」
燈愛は一瞬だけ葉月を見た。その表情は吹っ切れたような、そして決意を固めたような表情である。
その直後、葉月は燈愛から川姫がいなくなったのを感じ取った。
「この曲は、私が小さい頃、一緒に歌手になろうって約束した友達がいて。でも、その友達は夢を終わらせてしまいました。だから、私は彼女の『鮎川媛乃』の分まで、一生懸命に足掻いて、みんなに私の歌を、この思いを届けたいと思います。天国にいる私の大切な友達のために―― 聞いてください『嘆きの天使』」
燈愛の瞳には大粒の涙が零れ落ちていた。
葉月は自分の手を握っている燈愛がギュッと握っているのを、何も云わず、ただその曲をジッと聴いていた。
この曲は戦争に行った恋人を追って、戦地へとやってきた少女の歌。
だがこれは、夢半ばに死んでしまった、鮎川燈愛の友人である『鮎川媛乃』に送る贐として作った曲でもあった。
曲が終わると、観客は歓声を挙げる。
「いいぞぉ!」「すてきぃ!」「燈愛ちゃん、さいこー!」
観客席から惜しみない拍手と黄色い声が聞こえ、燈愛はホッとした表情で葉月を見た。
そしてステージのライトは消えた。
「それじゃ、円谷さんを署まで連行しますね」
阿弥陀警部はそう言うや、円谷に声をかける。
「円谷さん、菅原くんは自分から進んでバックバンドの仕事を引き受けてくれたんだ。確かに彼の実力ならメインになってもいいくらいだ。でも、仕事をきちんとこなすのがプロなんだよ」
秀隆がそう言うと、円谷は何も言わず、阿弥陀警部と一緒にバックステージを後にした。
「燈愛ちゃん、今日のステージ、すごくよかったよ」
「ええ。とてもいいステージに参加させてもらって、光栄に思ってるわ」
宮村と国貴が燈愛に握手を求める。
「あ、ありがとうございます」
燈愛は照れくさそうに、返事をする。
「よし、次の曲は俺が作るよ」
銅石がそう言うと、「いいえ、私が作るわ」
国貴が反発するように言う。
「あーもう、そういうのは他所でやりなさい」
宮村が二人の間を宥めに入った。
「燈愛、今日はよく頑張ったな。今までで一番いい舞台だったぞ」
秀隆が声をかけると、燈愛はようやく笑みを浮かべた。
「河本さん。私これからも頑張ります」
「え? ああ、そうだな。僕も君のマネージャーとして、ついていくよ」
二人が会話をしている時、葉月はジッと皐月と弥生の手を繋いでいた。
「どうかしたの?」
「川姫は、本当に悪い妖怪じゃなかった」
葉月がそう言うと、弥生と皐月は首をひねる。
「三人とも、私の控え室に来て、そこでお話します」
燈愛にそう言われ、三姉妹はそれに従った。
キャンピングカーに入ると、燈愛は冷蔵庫からジュースが入ったペットボトルを取り出し、それを紙コップに注いだ。
「あなたたちが言っていた川姫は、わたしがデビューする一年前に、事故で亡くなった友達なの」
「事故?」
「ええ。友達が事故にあった先日、局地的に激しい大雨があったの。それでダムの水が溜まってしまって、調整するために放流をした」
「それじゃ、その友達は」
「その時、川には彼女一人だけしかいなかった。一緒にいた友達は離れていて、難を逃れた」
それはなんとも皮肉な話である。
「それじゃ、燈愛さんに取り憑いていた理由は?」
弥生がそう尋ねると、燈愛は紙コップを口につけ、ジュースを一口飲む。
「アイドルになろうって、約束してたからじゃないかな?」
燈愛はそう言うと、天井を仰いだ。
「媛乃さん、燈愛さんのこと応援してた」
「そういってもらえるとうれしいな。私は媛乃には勝てないって思ってたから」
葉月の言葉に燈愛は笑顔で答える。
「私は媛乃の分まで頑張るよ。そして絶対、アイドルの頂点に立つ!」