伍・水子
阿弥陀と大宮が血相を変えて病院を出て行った後、皐月は院内の新生児室をガラス越しに眺めていた。
近くには夫婦と思われる何組かの男女が自分の子供を幸せそうに眺めていた。
そんな中、皐月は寂しそうな表情を浮かべた。
自分もそうだが、弥生や葉月も父と母の“記憶”がない。
自分よりも幼い葉月ならまだしも、葉月を小さい頃から見ている皐月が覚えていないどころか、それよりも姉である弥生ですら記憶にないのが不思議でしようがなかった。
一度両親の事を祖父である神主に尋ねた事があるのだがやんわりと返され、その事は禁句となっている。
故に祖父が彼女たちにとっては父親代わりであり、弥生が自然と母親代わりとなっている。
(玉依姫の近くで姑獲鳥が出て来ることはまずない。だけど被害者はその参拝に行っていた)
犯人はその後を追い人目のない場所で殺した。と推測出来る。
(だけどそれじゃ、腹を割いてまで子供を奪った理由がわからない)
方法よりも、どうして帝王切開紛いな事をしてまで嬰児を奪ったのかということが気になっていた。
被害者である間宮理恵を殺す事よりも、胎内にいた嬰児を奪う事が目的だという事になる。
それから数十分後、皐月は被害者が殺された子安神社への山道を歩いていた。
周りでは横に捌けてはいるが、事件を解決しようとしている警官たちが何かないか探している。
「おや、あんた稲妻んとこの娘さんやないかぁ?」
皐月に声をかけて来たのは袴姿の老人だった。
「いつも祖父がお世話になってます。咲川のおじいちゃん」
皐月はそう云いながら頭を深々と下げると老人はケラケラと笑った。
この老人、名を咲川源蔵といい、先にある玉依姫命を祭っている小安神社の神主であり、皐月たちの祖父である稲妻神社の神主とは飲み仲間である。
皐月ら三姉妹は小さい頃よく遊んでもらっていた。
「皐月ちゃんがここに来たという事は、阿弥陀警部が何か頼りに来たという事かいな?」
「――あ、いや……」
阿弥陀が事件に関して頼りにきたのはたしかなのだが、ここに来たのはあくまで皐月個人の理由だった。
「ねぇ咲川のおじいちゃん? 妖怪が神様を恐れない……何てことあるの?」
「何か引っ掛かることがあるみたいだねぇ?」
「うん。被害者の近くにどの鳥にも見られない羽根が落ちていたって……」
「それで皐月ちゃんは姑獲鳥の仕業ではないかと思った――」
そう云われ皐月はギョッとしたが、隠しているわけでもないため頷いた。
「それはわからん。妖怪も人間と同様に欲望によって作られた権化じゃからなぁ。姑獲鳥も“産女”という俗称故に子を思う余り人ならぬ事をする場合がある」
つまり殺した犯人は女性を殺すよりも、その嬰児を奪い取ることが目的だったのではないかと咲川は告げる。皐月は自分の考えた推理が他の人も同感だと感じ、複雑な表情を浮かべた。
――皐月の心情……自分の考えを出来れば否定して欲しかったのだ。
「人間の出産は大凡九ヶ月といわれているが、被害者はそれを疾うに過ぎていた」
「それは周りの人も知ってるんじゃ……」
途端、皐月の携帯が鳴り響く。
「もしもし――」
「あ、皐月?」
声の主は弥生だった。
「弥生姉さん、どうしたの?」
「あんた、今どこにいるの?」
「どこにって、悟帖ヶ山のちょうどまんなか辺りだけど」
「って事は咲川のおじいちゃんのところに行ってるって事?」
皐月は行ってるというよりも、途中の坂で偶々《たまたま》会ったと説明する。
「あんた、田原先生のとこにも行ってるわよね? 先生から家に電話が来てたわよ」
「へっ? なんで家に? 私の携帯番号受付の時に書いてたはずだけど」
元々三姉妹が生まれた時どころか母親である遼子が生まれた時から贔屓にしているため、家の電話を知っていたとしても不思議ではない。
携帯番号は頻繁に変わったとしても固定である家の電話番号がそんなに変わることはない。
「それで田原先生はなんて……」
「阿弥陀警部が後から来て、その後に何かあったって――」
「それじゃ、その後連絡はあったのかってこと?」
そう訊くと弥生はそうだと答える。もちろんその後に連絡は来ていない。
その後いくつか会話をし、最終的には帰りに牛乳とニンジンを買ってきてほしいと催促された。
「それじゃ失礼します。咲川のおじいちゃん」
「おう元気でなぁ……あ、そうじゃ」
ふと咲川が何かを思い出し皐月を呼び止めた。
「皐月ちゃん。あんたのお母さんとお父さんに関して、拓蔵に何が聞いておらんのか?」
拓蔵というのは皐月たちの祖父。つまり、稲妻神社神主のことである。
「――いや爺様からは何も」
そう答えると、咲川は少しばかり苦虫を噛むような仕草をし、「そうか……ならええんじゃ。いつか話すじゃろうし、わしらが関与する事でもないじゃろしな。すまんな、弥生ちゃんや葉月ちゃんにもよろしく云っておいてくれ」
そう言いながら咲川はクルリと踵を返し、先にある子安神社の方へと歩いていった。
皐月は咲川が何を云いたかったのかが気になりながらも、頼まれた買い物を済ませ、家路に着いた頃には雨が降り始め、何時しか土砂降りへとかわっていた。