弐・籤運
「当たった」と、葉月が言った。
「食あたり?」と弥生が尋ねると、
「そりゃ、大好きなシチューだからって、おかわり三杯もしてりゃ、腹壊すでしょ?」
皐月がそう言うと、葉月は「違うよ」と頬を膨らませる。
「それじゃ、宝くじ」
「私、九つだから、買えないじゃなかった?」
実際には買えるのだが、未成年であるため、受け取りには保護者同伴が必要となる。
「そうじゃなくて、当たったの。鮎川燈愛のライブチケットが!」
「当たったって、応募してたの?」
興奮しながら話す葉月とは裏腹に、弥生は冷静に聞き返す。
「うん、雑誌に載ってたから、試しにね。わたしと美耶ちゃんと――」
葉月は指折り数えながら、友達の名前を言っていく。
「要するに、友達と葉書を出し合って、当選するか試してたってわけ?」
それで当たったのが、葉月だけだというのを知ったのは、葉月が電話で友人たちに連絡を取り出しての事だった。
「それで一枚に付き、何人まで入れるの?」
弥生がそう尋ねると、「確か、三人までだったはずだよ」
葉月は何かを思い出すと、自分の部屋に戻るや、葉書を一枚持ってきた。
「ほら、これに書いてある」
皐月と弥生は葉月から葉書を受け取り、内容を確認する。
「確かに応募者のほかに同伴者二名までいいって書いてある」
「その同伴者は応募者が決めていいって」
「それじゃ友達と行くの?」
皐月がそう尋ねると、葉月は首を横に振った。
「ううん。未成年の応募には、必ず保護者の同伴が必要だから、大人一人必要になるって」
弥生は、おそらく友人の母親と行こうと思っていたのだろう。と考えていたのだが、
「それでお願いがあるんだけど、お姉ちゃんたち、一緒に来てくれない?」
葉月がそうお願いすると、
「どうする?」
「まぁ、葉月のお願いだからね、行かないわけにもいかないでしょ? それにまぁ、暇だし」
皐月は呆れた表情で言う。
「そうだ、今やってる歌番組に出てたんだ」
そう言うや否や、卓袱台の上に置かれたTVのリモコンを手に取り、TVを点けた。
『それじゃ、今日のゲスト、鮎川燈愛さんです』
映し出された司会者がそう言うや、燈愛が画面に映された。ステージ衣装は赤色のドレスである。
そして、観客の黄色い声がスピーカー越しに聞こえてきた。
「えっと…… 『あゆかわ……』 なんて読むの?」
皐月がそう葉月と弥生に尋ねるが、二人は「えっ?」と言わんばかりの表情を浮かべた。
画面下にテロップで大きく『鮎川燈愛』と出ている。
「あ、あんた知らないの? 鮎川燈愛。今売れに売れてるアイドル歌手でしょ?」
そう言われても、皐月はほとんどテレビを見ない。
見るとすれば、時代劇とF1レースの中継番組くらいである。
「そ、そんなに人気あるの?」
「あるのってもんじゃないわよ。デビュー当時から、出すCDはほとんどトップテン入り。ルックスもいいし、うちのクラスの男子どころか、女子にもファンがいるくらいよ」
弥生はそう言いながら「それに、ステージ衣装も可愛いのもあれば、シックなものも」
そういえば、弥生姉さんって、ゴスロリ(コスプレ)趣味があったんだっけ?と、皐月は頭の中で呟いた。
歌が始まると、葉月がTVの前に座り、ジッと画面を見つめる。
弥生は卓袱台の上にある食器を片付け、厨房へと入っていく。
皐月はその場に座り、卓袱台に肘をつけるや、頬杖をする。
歌が終わり、葉月が「ねぇ、歌もいいし、可愛いでしょ?」と皐月のほうを見るが、
「どうかしたの? そんなに面白くなかった?」と不安そうに訊いてしまった。
皐月の表情が険しく強張っていたからだ。
「ちょっと、さすがに面白くないわけないでしょ? 歌もうまいし、なにより可愛いじゃない」
弥生がそういうと、
「二人とも…… 気付かなかったの?」
皐月がそう言うと、弥生と葉月は首を傾げる。
「テレビだから、作り笑いだってのはわかるよ。でも、あの子…… 目が可笑しかった」
どういうこと?と弥生と葉月はテレビに映る燈愛を見る。
他にも出演者がいるため、あまり映されることはなかったが、それでも何度か、燈愛が画面に映ることはあった。
「別に可笑しなところはないわよ」
弥生がそう言うと、一緒に見ていた皐月も、勘違いかなといった感じに首を傾げた。
皐月は燈愛の曲が特別いい曲だとは思わなかったのだ。
芸能界に疎いとはいえ、いい曲だという判断は出来る。
しかしながら、燈愛の歌に売れるほどの要素が見つからなかった。
売れる曲は、それだけ人を引きつけているのだから売れる。
だからこそ、皐月はそれが不思議だった。
燈愛の可愛らしさは認めるとして、そこがどうしてもわからなかった。
まるで『彼女自身は人を魅入らせていない』かのように――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「それじゃお疲れ様でした」
番組スタッフがそう言うと、「おつかれさま」と出演者や、スタッフが互いに言い合う。
「あ、燈愛ちゃん。今日のステージ最高だったよ」
番組プロデューサーにそう言われ、燈愛は笑顔でかえす。
「それにしても、今度ある夏フェス、初めての出演だから大変でしょ?」
「はい。アイドルなのに、出させていただいて、すごくありがたいと思ってます」
「それで、どうするの? 燈愛ちゃんはソロだから、バックバンド必要じゃない?」
そう訊かれ、燈愛は少しばかり考え、
「それだったら、大丈夫だと思います。秀隆さんがいい人を紹介してくれるって」
「そうかい。それじゃ頑張るんだよ」
燈愛は別れ際、挨拶をし、楽屋へと戻った。
燈愛は「ふぅ」と溜息を付き、楽屋のドアを開ける。
汗で崩れたメイクを整えようと、部屋隅においていた鞄から、化粧ポーチを取り出し、そこから化粧類を探り出した。
「今日の仕事はこれでおしまい。帰ったら、新曲の練習しないと」
確認するように、燈愛は独り言を言う。
そして、鏡台の前に座ると、スーと、誰かがうしろに立つ気配を感じた。
「今日のステージはどうだった?」
燈愛は誰かに尋ねるように呟く。
「どうもなにも、全然つまらなかったわよ? 音程は外れてるし、踊りもミスが目立っていた」
燈愛しかいない楽屋の中に、まるで誰かがもう一人いるかのように、燈愛は会話している。
「辛辣だね」と燈愛は苦笑いを浮かべた。
「当たり前よ。芸能は今昔かわりなく、厳しいものなんだから」
そう言いながら、鏡に映る人影は笑った。
「あの男が言ってたことって、今度のイベントのことでしょ?」
「多分、そうだと思う」
燈愛は化粧を直しながらも、表情は徐々に曇っていく。
「自分の体を犠牲にしてまでやるなんて、そこまで執着する理由がわからないわ。『佳人薄命』って言葉知ってる? 人気なんて、それと一緒よ」
影は嘲笑するように、燈愛を貶す。
「わかってる。この世界が厳しいってことくらい。でも、自分で決めたことだから」
「たまたまルックスがよくて、たまたま応募したのがきっかけで芸能界入り。だけど、売れるどころかゴミ同然の扱いだったじゃない?」
「それを今の社長が拾ってくれた」
燈愛がそう言うと、影はケラケラと高笑いする。
「拾うも何も、あんたを金があるだけで買ったんでしょ?」
「でも、売れないと、約束を守ったことにはならない」
影はゆっくりと燈愛の体に触れる。
「だったら、あんたのその可愛らしい団栗眼を潰して、瞽女にでもしてやろうか? あんたはわたしの力を借りて売れてるだけの小童でしかないのよ。人を引き付ける実力もない人間なんだから」
燈愛は影を睨むわけでもなく、黙々と鏡を見つめる。
『わかってる。私の力なんて、高が知れてる。結局は一般人と一緒なんだ』
燈愛はそう頭の中で呟いた。
瞽女:「盲御前」という敬称に由来する女性の盲人芸能者。近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線、ときには胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人である。
団栗眼:どんぐりのように丸くてくりくりした目。また、まん丸く大きく開いた目。