壱・序曲
「んっ」と、少女の淡い吐息が男の耳元を掠める。
少女の顔は紅潮としており、口はだらしなく半開き。目はトロンとして、視点があっていない。
男はただ無我夢中に少女を愛撫している。
少女は体をピクンッと硬直させるや、仰け反り、男性に巻きつかせていた腕をだらりと落とした。
男はベッドに腰を下ろすと、煙草を一本口に咥え、紫煙をふかした。
月の光が窓から差し込み、部屋の中が滲んだように明るくなる。
余韻に浸るかのように、少女は肩で息をしながら、男性を見つめ、
「今度のアレ、手筈通り進めてくれるんですよね?」
少女がそう尋ねると、
「大丈夫だ。それくらいでヘマを起こすわけがないだろう?」
男はそう言いながら、少女の上に寄りかかる。
「本当に、私を――」
少女は言葉を濁らした。
そして、徐に起き上がると、背中が男の顔に当たる。
男は覆い被さるように少女に圧し掛かっていた。
「もう一回くらいいいだろ? 君は上玉だからな。わたしの云う通りにすれば、いくらでも稼げる」
男はそう言いながら、少女の華奢な躯を嘗め回すように、触り始める。
少女は、先ほど絶頂した時よりも、深くどんよりとした虹彩を浮かべていた。
それは最早、希望を手に入れようとした『絶望感』に他ならなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あるオフィス街の一角に古びたビルがある。
その二階に『橋本芸能プロダクション』と書かれたプレートが貼られた部屋があった。
部屋の中は殺風景としており、あまり人が多くはなかった。
「はい、わかりました。それでは失礼します」
河本秀隆が、携帯越しの相手に頭を下げて応対する。
目の前に相手がいないのに、頭を下げてしまうのは、日本人の性根なのだろうか?
兎にも角にも、電話先の相手はイベント主催者で、結構大きいイベントのようだ。
「やったな、燈愛。今年の夏フェスに出れるぞ!」
秀隆は興奮気味に、ソファに座っている燈愛に声をかける。
容姿は16歳といったところか、肩まで伸びた髪は、赤茶色でウェーブがかかっている。
幼い雰囲気がある以外は、どこにでもいる普通の高校生に見えるが、彼女はこの事務所に所属しているアイドルであった。
「うん」と、燈愛は素っ気無い返事を返す。
「どうした? あの夏フェスだぞ? 人気があるとはいえ、まだデビューして3年しか経っていないお前が、こうやって出れるんだ。もう少し喜んだらどうだ?」
秀隆はそう言うが、燈愛はどこか上の空である。
夏フェスというものは、季節ごとに開催されるロック・フェスティバルの俗称であり、夏に行われるものを言う。
ロックを中心とした音楽イベントであり、多数のアーティストが参加することから集客数が多く、また、出演アーティストの人気のパロメーターを意味している。
ただし、ロック・フェスティバルと題しているので、ロックアーティストしか出ることは出来ない。
燈愛はアイドルであるゆえ、本来ならば出ることは出来ない。しかし、イベント主催者から出演依頼がきてるのだ。
その事から、秀隆はあまりにも大きなイベントであるがゆえの緊張感からきているのだろうと、それ以上の事は訊かず、今日の仕事についての打ち合わせを始めた。
「それじゃ、今日はTVの歌番組があるから、衣装と番組進行の打ち合わせ。それから少しばかり休憩してから、歌の練習」
秀隆が手帳を読みながら、燈愛を一瞥する。
その表情は真剣な表情で、話を聞いていたため、ホッとした。
「河本さん。どうかしたんですか?」
燈愛がそう訊くと、秀隆は、誤魔化すように咳をした。
「今日の歌番組は生放送だからな。失敗は許されないぞ」
「――はい」
「よし。それじゃ、出かけようか」
そう言うと、秀隆はかけていた上着を羽織り、ドアを開くと、そこには男性が立っていた。
「河本くん。これから仕事かい?」
男性がそう尋ねると、秀隆は頷いた。
「はい、社長。これからTV局に」
「そうかい、そうかい。燈愛はうちの稼ぎ頭だからね。存分に売れてもらわないと」
社長である橋本隆平は燈愛を見た。
「今日もまた、一段と可愛いな。アイドルはやはり、癒しの対象でもあるからな」
「あ、はい。今日も頑張ってきます」
燈愛はそういうや、深々と頭を下げる。
俯いた時、燈愛は誰にも聞こえないほどの声で『死んでしまえ』と呟いた。
はい。第十四話です。