漆・女衒
女衒:主に若い女性を買い付け、遊郭などで性風俗関係の仕事を強制的にさせる人身売買の仲介業のこと。
夕暮れ時の繁華街の一角に、人気のない裏通りがある。
そこには夏だというのに、暑苦しいスーツ姿の男性二人組と、李夢の母親である、赤口華蓮が会話をしていた。
「それで話はどうなってるの?」
華蓮は責め立てるように、黒服の男たちに詰め寄る。
「それは先日、きちんと入れられたはずだ」
「ええ。あの李夢を引き取って、町長の言ってるマニフェストに協力しろって話だったでしょ?」
華蓮はそう言いながら、煙草を咥え、紫煙を噴出す。
「そのあとのことはどうだ?」
「あ? あの子だったら、勝手にしてるんじゃないの? こっちは瘤がいるだけで、男が近付きゃしないんだ。大体あの子だって、誰の子供なのかも知らないし」
華蓮が煙草の灰を落とすと、それが水溜りに落ち、ジュッと音が鳴る。
「それにね、あの子は私の子供でも、育てる義理はないんだ。あんたたち行政が、ああいうのを施設にぶち込んでくれればそれでいいんだよ。それをなんだい? お金をやるから引き取ってくれだぁ? ふざけるんじゃないよ」
「しかしな、実の親が子供を引き取るのは、道理だと思うが?」
「さっきも云ったけど、私はあの子を育てる義理はないって云ってるでしょ?」
黒服の一人が、呆れた表情で頭をかく。
「それだったら、支払ったお金を、全額返してもらうが?」
そういうや、華蓮は慌て出し、
「ちょっと、それは困る。こっちは男に騙されて、多額の借金を抱えちまってるんだ。それに、もらったお金は全部そっちに回しちまったから、もう手元には」
それを聞くや、黒服の二人は溜め息を吐いた。
「それで、李夢さんは今、何をしているんです? 一応確認のために、家に行きたいのですけど」
黒服の一人がそう言うと、
「り、李夢は今昼寝中だよ。あの子が起きるくらいに家に着くだろうからね」
「そうですか? それじゃ私たちも――」
「いや、ちょっと困るんだ。部屋は荒れてるし、それに人様が上がれるスペースなんてないし」
華蓮があまりにも慌てるので、黒服の一人が携帯で連絡を入れる。
「どこかに連絡してるのかい?」
「ええ。一応児童相談も兼ねているのでね。まぁ、こちらは“何かが起きなければ、動くことが出来ませんけど”」
黒服がそう云うや、華蓮はホッと胸を撫で下ろす。
その仕草に黒服は怪訝な表情を浮かべた。
「それじゃ、今日はこの辺で失礼します。近々、近況確認をしに、お宅まで伺いますので」
黒服の二人は頭を下げるや、華蓮と別れた。
華蓮は歯軋りを鳴らすや、踵を返し、煙草の吸殻を捨てるや、家へと帰っていった。
「どう思います? 閻魔さま」
黒服の一人が、店の裏側で見張っていた瑠璃にそう尋ねる。
「ええ。ほんと嫌な予感ほど、当たってしまいますね」
瑠璃は残念そうに、そして哀れむような表情で、自分の足元で倒れている黒服の男を見つめた。それは奇しくも、先ほど華蓮と話していた黒服の男である。
「しかし、少しばかり遣り過ぎな気がしますね」
黒服の男――煙々羅は、少女の姿に戻り、瑠璃に話しかける。
「それは、私の遣り方がですか?」
瑠璃がそう尋ねると、煙々羅は首を横に振った。いや、本心では、瑠璃の遣り方に強引なところがあったが、それを云うのはやめたほうがいいと煙々羅は感じていた。
「しかし、不当な方法で子供を親元に帰していたとは」
「信じられませんけど、赤口華蓮の銀行口座に百万ほどお金が入れられていましたよ」
路地の奥から声が聞こえ、瑠璃と煙々羅はそちらを見やる。
「やはり、そちらが調べている鈴崎司郎も関係してましたね?」
瑠璃が尋ねると、阿弥陀警部は被っていた麦藁帽子を脱いだ。
「ええ。町長の命令かどうかはわかりませんが、李夢さんが預けられていた児童養護施設の園長に訊ねたところ、李夢さんを引き取ったのは母親の華蓮ではなく、鈴崎司郎でした」
「施設の人は疑わなかったんですか?」
煙々羅が阿弥陀警部に尋ねると「子供の引き取りには裁判とか、そういうのが必要になるんですけど、そこの園長は何も聞かされなかったそうなんですよ」
「それも不当な方法でってことでしょうね」
瑠璃は煙々羅に視線を送ると、
「阿弥陀警部、子供は何のためにいるんでしょうね?」
その問いかけに、阿弥陀警部は答えられなかった。
――いや、何を答えても、すべてが正解ではないと思ったからである。
むしろ、何を云っても、瑠璃が納得するような答えは出てこなかったといったほうが正解である。
「ただ、今回の事件―― どうして、浅葱はあそこまで協力的なのか、それに、まだ妖怪の仕業だと」
「ああ。それなんですけどね。ちょっと気になることが――」
阿弥陀警部がそう言うと、瑠璃と煙々羅に耳打ちをする。
話を聞いている瑠璃と煙々羅の表情は見る見るうちに険しくなっていく。
「もし、児童養護施設に預けられた原因がそれだったとしたら、また再発してるって可能性もあるじゃないですか?」
そしてそれが、李夢が感情を麻痺している理由だとすれば、取り返しのつかないことになると、阿弥陀警部は二人に伝えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
赤口華蓮と娘である李夢が暮らしているアパートの近くに、小さな公園がある。
敷地内には、砂場やブランコ、滑り台と、極めて一般的な遊具が置いてあり、李夢はそこのブランコでゆらゆらとこいでいた。
「李夢ちゃん」
誰かに声をかけられ、李夢はそちらに振り向くと、
「お兄ちゃんのこと覚えてる? ほら、昨日デパートで会ったでしょ?」
話しかけた相手が穐原だとわかるや、李夢はブランコから降り、そそくさと砂場へと走っていく。
そして、周りを見渡し、何かを見つけたのか、それを取りにいく。拾ったのは木の枝である。
李夢はそれを手に取り、穐原を手招きした。
穐原は首を傾げながらも、李夢のところへ駆け寄る。
「なに? ここに何かあるのかい?」
穐原がそう尋ねると、李夢は枝で砂場に何かを描いていく。
「えっと? 何か描いてほしいの?」
李夢の描いたものはぐにゃぐにゃとしているが、何を描いてほしいのかはすぐに理解する。
「ちょっと待っててね。今お兄ちゃんスケッチブック持ってないんだ」
穐原はリュックを背負っていない。つまりは財布や携帯以外は、何も持っていないということになる。
それがわかるや、李夢は露骨に残念そうな表情を浮かべた。
「あ、ちょっと待って。李夢ちゃん、その枝貸してくれないかな?」
そう言われ、李夢は首を傾げたが、持っていた枝を穐原に渡した。
穐原は砂場の盛り上がった場所を靴で均し、描きやすくする。
「何を描いてほしいの?」
そう尋ねると、李夢は何かを描くような仕草をし、少し考えるや、ハッとした表情で、それを破り取る仕草をする。
そして、その紙を誰かに渡すというジェスチャーを見せた。
「えっと、もしかして、この前描いたやつ?」
そう言うと、李夢は激しく頷いた。
「そっか。それじゃ、ちょっと可笑しくなるけど」
穐原は枝を手に持ち、砂場に絵を描いた。
それはあの時、デパートで穐原が李夢に描いてあげた、アニメのキャラクターであった。
「これでいいかな?」
そう尋ねると、李夢は笑みを浮かべた時だった。
「李夢っ! どこにいるの?」
アパートの方から、母親の声が聞こえてきた。
「李夢ちゃん、そろそろおうちに帰らないと」
穐原がそう言うと、李夢はポケットから手袋を取り出し、穐原に渡した。
「これは?」
穐原が尋ねようとするが、李夢は逃げるように母親の元へと走っていった。
穐原は受け取った手袋を見つめ、それをポケットに入れたときだった。
手袋に膨らみがあり、その中身を見ると、白い粉が袋に入っていた。
穐原は首を傾げ、公園をあとにしようとした時である。
「その粉…… 警察に届けたほうがいいわよ。それにその手袋もね」
少女がそう言うと、穐原は驚き、少女のほうを振り返ったが、すでに少女の姿はなかった。
ガラガラと、ものが雪崩落ちる音が狭いアパートの中で響き渡った。
「ないっ! ないっ! ないっ! ないっ!」
華蓮が部屋の中をひっくり返すかのように、箪笥の中や積み重ねたゴミの山を漁っている。
「どうして? どうしてアレがないのよ? アレがないとだめなのよ!」
半狂乱になりながら、華蓮はゴミを撒き散らしている。
「李夢っ! あんた、白い粉知らない? 小さい袋に入ったやつ!」
そう尋ねるが、李夢は答えなかった。
「このゴミがぁっ!」
怒りで我に忘れた華蓮は、李夢のおなかを思いっきり蹴った。
「げぇ、ほぉっ! げほ、ごほ」
李夢は横たわり、咳き込む。
「まったく、どこにいったのかしら? 手袋もなくなってるし」
華蓮はそう言いながら、李夢を睨みつける。
「まさか、あんた――私がいない間に」
華蓮はそう考えるや、思考するよりも前に、李夢に手を出していた。
「あんたはやっぱり疫病神よ! あんたなんて死ねばいいんだ! ええ。そうよ! 餓鬼はやっぱり餓鬼なのよ!」
その怒号を、もはや李夢の耳には聞こえていなかった。
『助けて――』
小さな悲鳴は、聞こえなくなった。




