玖・眼鏡
拓蔵から連絡を受けた阿弥陀警部は、急ぎ稲妻神社へとやってきた。
そして居間へと案内され、今回起きた放火事件について、拓蔵と三姉妹に説明する。
「事件の詳細は以上です。何か質問はありますか?」
「事件も何も、放火殺人じゃないんですか?」
弥生がそう尋ねると、阿弥陀警部は首を横に振った。
「そう断言できれば苦労はしないんですけどね。その発火した原因がわからんわけですよ」
阿弥陀警部は葉月を見やる。
「一応、遺体の写真は持ってきてますけど、どうします?」
「やらせてください」
葉月がはっきりそう言うと、阿弥陀警部は少しばかり表情を歪ませたが、写真を葉月に見せた。
葉月は一、二度ほど深呼吸をし、写真に手を翳そうとした時だった。
「っ?」
まるで静電気に当たったかのように、葉月は写真から指を外した。
その余りにも不可解な状況に、葉月は面食らった表情を浮かべる。
もう一度写真に手を翳したが、ふたたび静電気を食らったように手を弾いてしまう。
「……っ?」
「葉月、どうしたの?」
皐月がそう尋ねると、葉月は皆を見ながら、「写真に触れない……、これじゃ声が聴けない」
葉月は少し表情を曇らせる。
「逆に考えたら、葉月が触れないのではなく、触れられないように呪いがかかっていると考えた方がいいかもしれんな。しかもかなり強力な――」
拓蔵がそう言うや、葉月はもう一度写真に触れようとしたが、「っ! あつっ!」
そう叫ぶや、写真が一瞬にして燃え、塵ひとつなく消えた。
「二重に呪いをかけておったようじゃな」
「ごめんなさい」
「いやいや、葉月さんのせいじゃないですよ。むしろこれで犯人が妖怪だってことがわかったじゃないですか?」
阿弥陀警部がそう云うと、拓蔵は少しばかり怪訝な表情を浮かべる。
「いや、これは人の仕業と考えた方がいいかもしれんな。呪いを使えるということは、それだけ思考が高いという事じゃ。ただの妖怪がこのような業が使えると思えん」
拓蔵の言葉に、三姉妹と阿弥陀警部は首を傾げる。
「ですが、今回の事件はまったく火元がわからんわけですよ。これを他殺と見るにはなんとも」
「情報不足ってことですか?」
皐月がそう尋ねると、阿弥陀警部は頷く。
「今回四件ほど火災事件がありましてね。先の二件はリビングが小火騒ぎになり、三件目は台所だけが全焼。そしてこの事件ですよ」
三件目の話を聞いていた時、皐月は遊火が話していた昔話を思い出す。
「しかもその三件、発火理由もまだわからん始末なわけですよ」
「一応説明してくれんかのう。何かわかるかもしれんし」
「ええ。一応共通して、窓際に何かを置いていた事なんですよね」
「――窓際?」
「一件目はリビングに金魚鉢。二件目は同じくリビングなんですが、こちらは水晶玉。これはどうやら家の主が風水をしていたそうなんですよ。そして三件目は水の入ったペットボトル」
「確かに、窓際に物が置いてあったっていうだけなら共通点になるわね?」
弥生がそう云うと、皐月は何かを思い出したような表情を浮かべる。
「あの、事件があった日って、ここ最近だと一番暑かった日でしたよね?」
「ええ。まぁ、確か三十五度以上はあったと思いますよ」
阿弥陀警部が思い出すように言った。
「葉月、確かその日、学校から帰ってきて、境内で何かしてなかった? ほら虫眼鏡出して」
そう云われ、葉月は少しばかり考える。
「うん。学校の実験で、太陽の光を虫眼鏡で……」
「太陽光を集めるってやつ?」
弥生がそう尋ねると、葉月は頷く。
「ありゃ? なんか似たような事件を聞いたことがあるような――」
拓蔵は腕を組み、う~んと悩む。
「でも、それがどうかしたんですかな?」
阿弥陀警部が皐月に尋ねる。
「窓際に水晶玉。水の入った金魚鉢やペットボトルが置かれていたんですよね。それって火事になる危険があるって学校の先生に教えてもらって、確か光を吸収するから」
「……あっ!」
皐月が言い切るより先に、拓蔵が何かを思い出し、声を荒げた。
「爺様、どうかしたの?」
「思い出したわい。それ、七年前に起きた火事と似とるんじゃよ」
拓蔵がそう言うと、三姉妹と阿弥陀警部は首を傾げた。
「葉月、虫眼鏡は何レンズかわかるか?」
「えっと、確か凸レンズ。虫眼鏡が光を集めるのはそれが理由だって、先生から教えてもらった」
「水の入った金魚鉢やペットボトルはそれと同じになって、光を吸収しやすいんじゃよ。当てられた場所が熱を持って、煙が出る。いつしか火となっていくのを収斂火災と言うんじゃよ。水晶玉は元から光を吸収しやすいからな」
「つまり、火災はそれによるものだと?」
「まぁ、そうなるんじゃろうけど、収斂火災は暑い日というより、太陽が沈む夕暮れ時や、冬の寒い時期のほうが起きやすいんじゃがなぁ」
拓蔵は少しばかり顔を歪める。
「爺様、遊火が昔いたお寺で起きた事件と何か関係があるんじゃないの?」
「まぁ、あれは今考えれば、確かに同じ収斂火災だったとはいえ、ガス爆発じゃからなぁ、ただ、どうも運が悪すぎるんじゃよ」
その言葉に皐月は首を傾げる。
「ガス爆発はガスや、気化したガソリンがライターの火に引火するもんじゃろ?」
「うん。遊火の話だと、それが原因だって」
「それをどうして、あの小坊主が気付かんかったんじゃろうな?」
そう云われ、皐月と、その上を浮遊していた遊火は驚いた表情を浮かべた。
「ガスとガソリンは無臭ではないからな。必ず違和感を持つはずじゃろ? 当然そんなところで煙草なんぞ吸うてみろ。ライターの火花だけでドカーンじゃろうが」
言われていれば確かにと、皐月は思った。
「しかも、遊火が見えていた小坊主に話を聞けば、その寺なぁ、台所に水の入ったペットボトルを置いておったんじゃよ。花を一輪ほど入れたな」
「それじゃ火災の原因って……」
皐月は咄嗟に遊火を見やった。
「いや、花を置いたのは、他ならぬ住職の妻だったんじゃよ。しかも、燃え始めた時、勝手口の鍵は閉まっておって、廊下から台所に入るには戸を開けないかんのじゃがな、閂が刺さっておった」
「それじゃ、火事に見せかけた殺人ってこと?」
皐月がそう尋ねると、拓蔵は少し考えてから頷いた。
「でも、共通して窓に何かを置くって、風水か何かかしらね?」
「そう云えば、もうひとつ共通したものがあったんですよ。家の住人がある占い師から窓際に水がはいったものや、水晶玉を置くと運気が上がるって云われたそうなんですよ」
それを聞くや、三姉妹と拓蔵は呆れた表情を浮かべる。
これは別に阿弥陀警部に対してのものではなく、被害者に対してである。
「要するに、素人を騙していたってことだけど、それを狙っていたとは考え難いですね」
「阿弥陀警部? その占い師、少し事情聴取出来んかのう?」
「まぁ、やってみます。火災が起きた原因もわかったわけですが、やはり焼死体の原因もそれなんでしょうかね?」
阿弥陀警部がそう尋ねると、拓蔵は難しい顔を浮かべる。
「だといいんじゃがなぁ……」
その言葉に三姉妹と阿弥陀警部は首を傾げた。
――翌日、阿弥陀警部は拓蔵から云われたとおり、事件があった家の人間に助言を与えたという占い師のところに来ていた。
占い師の店は商売繁盛、結構有名のようで、祝日という事もあってか、行列が出来ている。
「これ、終わるのって何時くらいなんでしょうかね?」
阿弥陀警部が呆れたように、隣にいる佐々木刑事に尋ねる。
「わしは占いなんぞ信じんほうじゃからなぁ? まったく人に左右されて何が面白いんだが、神様仏様なんぞ云っとるがなぁ、結局やるのは己の力じゃろうよ?」
佐々木刑事はそう言いながら、煙草を一本吹かした。
『ははは、その頼られる仏様がここにいるんですけど。まぁ、私たち神仏は何をするわけでもないんですよね。ただ頼るのは何かに縋りたいからでしょうけど』
阿弥陀警部……いや、阿弥陀如来は苦笑いする。
夕方くらいになると、人も疎らになり、そろそろ店仕舞いだと判断するや、阿弥陀警部と佐々木刑事は占い師の店の裏側に回った。
店のドアから占い師が出てくるや、阿弥陀警部と佐々木刑事は彼女に近づいた。。
「すみません。私警視庁の阿弥陀と申しましてね。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですよ」
阿弥陀警部が警察手帳を見せ、占い師に話しかける。
「警察の人が何の御用でしょうか?」
「実は、先日四件ほど火災事故が起きましてね。その原因が収斂火災によるものなんですよ。――で話を聞くと、被害にあった家はあなたから占いの結果で、窓に水の入ったペットボトルやら水晶玉を置くようにと云われたそうなんですよね?」
「ええ、確かに私はそういいました。ただ……」
「――ただ?」
「それもまた運命でしょう。占いとは本来相手に助言することですから。あの方たちには水と光が足りませんでしたからね。光を集めるという意味でしたまでのこと」
占い師が微笑するや、阿弥陀警部を一瞥する。
「その結果として、今回の収斂火災ですが、それは見通せなかったってわけですか?」
「私の占いが原因で火災が起きたのなら謝りましょう。ですが、それを断言できるとは思えませんが?」
占い師はもう一度阿弥陀警部を見る。
その表情は先ほどの微笑とは違う、どこか禍々しいものがあった。
「とりあえず、署までご同行願えませんかね? あなたには色々と訊きたいこともありますから――特に七年前の事件に関してをね」
阿弥陀警部は佐々木刑事の車に占い師を乗せる。
阿弥陀警部と佐々木刑事は、占い師が抵抗すると思っていたが、占い師は素直に車に乗った。