参・帝王切開
阿弥陀と大宮が稲妻神社に訪れたのは、事件が発生してから一週間ほど過ぎた頃であった。
出迎えた弥生に居間へと案内された二人は、すぐに神主と三姉妹に事の件を説明した。
「――と云う事件なんです」
「目撃者はなし……。あの坂で妊婦は殺されたという事でよいかな?」
神主は、ワンカップ酒を口にしながら阿弥陀の説明を聞いていた。卓袱台の上には既に二本空けられている。
「――被害者に怨みを持っている人はいなかったんですか?」
弥生がそう尋ねると、阿弥陀は頷いた。
「襲われたガイシャは人付き合いが良かったそうです。――ただ……」
その歯切れの悪い言葉に弥生と皐月は首を傾げた。
「――好かったのは奥さんだけで、夫は悪かったみたいですね。特に女性関係では……」
阿弥陀の代わりに、大宮が警察手帳を見ながら言う。
「殺された女性は【間宮理恵】。死因は恐らく帝王切開の際に起きた大量出血によるショック死ではないかと……」
「ただ湖西主任の見解は少し違うんですよね」
「――と言いますと?」
皐月が首をかしげた。
「帝王切開した際、血は切られた場所に残るはずですよね?」
そうは云われても、そんな事をされた事がない弥生と皐月は想像くらいしか出来ない。
しかもまだ九歳の葉月に至っては、キョトンとした顔で何の事だか解かっていなかった。
「ただ出血は腹部あたりよりも膣あたりが酷かったそうです」
「それじゃ……転んで?」
「――可能性はありますが、ただ臨場した後すぐ総出で行方を探しているんですよ」
「犯人をですかな? 目星がついているとでも?」
「いいえ、犯人は目星すらついていません。見付からないのは子宮にいるはずの胎児が見つからないということなんですよ」
その言葉に周りの空気が固まるのを誰もがわかった。
「見つからないって……どういう事ですか? それじゃ、犯人はその間宮理恵さんを殺害した後お腹の子供を誘拐したって事?」
弥生がそう言うと、「警察は二通り考えています。ひとつは今弥生さんが云った通り、間宮理恵さんを殺害した後お腹の子供を連れ去った事……」
阿弥陀がそう云うと、皐月が険しい表情を浮かべる。
「――もう一つは?」
「嬰児自らが子宮を割いて出て来たか――」
と、阿弥陀が言い切った時だった。
「――どうしたの? 皐月お姉ちゃん」
葉月がそう言うや、全員が皐月を見た。皐月は無意識に、お腹を摩っていた。
「どうしたの? ――お腹痛い?」
弥生がそう訊くが、皐月は首を横に振った。
「いや一昨日くらいからね、どうも調子が悪いのよ。別に変な物を食った訳でも、ましてや月役って訳でもないんだけど――」
それを聞いて、大宮は不思議そうな顔を浮かべた。
「失礼ですけど、月役って?」
そう尋ねるや、皐月はカァーと顔を赤くした。大宮はそれを見て首をかしげる。
「大宮くん? それを彼女に訊きますか? 君携帯持ってるんだからそれで調べなさいよ! 辞書サイトかどこかで」
阿弥陀が訝しく云うと、大宮は何の事だかさっぱりわからず、言われた通りに携帯で調べてみるや。二分後には皐月に土下座をしていた。
月役は月経。云うなれば生理の事である。
「――しかし皐月……。前にきていたのはつい一週間くらい前だろう? そんな早くにくるものでもなかろうて?」
神主がそう言うと、皐月は頷いた。
実際生理がきているかなどわからずとも、多少の態度や体調の変化で生理かどうかわかる。
それくらい、皐月の症状ははっきりしているのだ。
「たしかに生理は一ヶ月周期で来るはずだけど」
皐月は言葉を濁らせた。生理はその日に必ず来る訳ではなく、その周期に来るシステムになっている。
これは女性が子供を産む為の準備をしている為でどうする事も出来ない。むしろ喜ばしい事である。
「ただ生理が来ている時は激しい運動出来ないのよね? 体育の日とか特に」
弥生がそう言う。彼女も経験者である。
「――しかし男の僕が言うのもなんですけど……、生理ってそんなに苦しいんですか?」
大宮巡査の言葉に皐月と弥生は目を点にした。
「まぁ個人差はありますけど――頭痛がする人もいれば立つ事すら侭成らない人。症状は人によって様々ですし平気な人もいるって云いますよ」
弥生が淡々と説明していき、「因みに皐月は後者で、何故か朝の血の出は多いくせにケロッとしてますしね」
と付け加えるや、皐月は慌てた表情で「なんでそんなこと云うかな?」
と睨んだ。家族以外の前で話されて、顔が怒りで紅潮している。
「だって、月役の時に布団のシーツ見てみなさいよ? ナプキン使ってても間に合わないくらい血出るでしょ? それで低血圧にならない方が可笑しいわよ」
姉妹喧嘩になりそうになったので、神主が咳き込んで止めた。
「まぁ男性には一生味わう事はないですけどね」
「――私は男性特有の痛みの方がわかりませんけど?」
売り言葉に買い言葉か、阿弥陀の言葉に、皐月は直様反論した。
途端、柏手が一、二度鳴らされる。
「――して阿弥陀警部? どうして嬰児がお腹を割いて出て来たと?」
神主が鋭い眼光で阿弥陀警部に問い掛ける。
「――先程も言った通り、被害者である間宮理恵のお腹は鳩尾からではなく膣から割かれたものなんです。普通だったらそんなところから切らないでしょ?」
「まぁ、異常者だったら解かりませんけど――」
神主も今回ばかりはお手上げに近かった。
「――それで写真は?」
葉月がごく当たり前に尋ねたが、阿弥陀と大宮は互いを見遣った。
「それが今回ばかりは――。写真を持ってきてはいるんですけど、お腹が切られていると説明しましたよね? 実は私たちも見るのが少しばかり億劫なんですよ」
外傷で身体がボコボコに腫れているものも、強行課である彼らなら見る機会は何度もある。
しかし、今回の件は内蔵がまるまる見えているため、慣れていなかったのが理由だった。
そう阿弥陀が説明するや、神主が笑い出した。
「なに写真を裏返しにしてくれればいいよ。――葉月……出来るか?」
神主にそう云われ葉月は頷いた。
大宮は躊躇いながらも、写真を裏返しにして葉月の目の前に差し出した。
葉月は小さな手を写真に乗せ、ゆっくりと摩っていく。
葉月の能力は写真に写った被害者が最後に聞いた音を聞く事が出来る。
サイコメトリーに近いものがあるがそうではない。
あれは【物の記憶を読み取る】力であり、葉月の能力は写真に写った被害者の声を聞く力だ。
「――かきつばた……」
「そう言えば、あそこには結構杜若が咲いてましたね?」
しかしそれ以外見つからないのか、葉月は不服そうな表情を浮かべた。
「葉月、杜若しかわからんのか?」
「――うん。その人が触った途端お腹が痛くなったみたい」
「それじゃその時に殺されたと言う事でしょうか?」
「しかしお腹が痛くなるというのは如何せん可笑しいですな?」
「――といいますと?」
「いや、その時殺されたという事は犯人と一緒だったって事になるでしょ? しかし犯人の指紋も何も被害者の持ち物から検出されなかった。近くを散策しても殺害に使われたと思わしきものは何一つ見つかってません。湖西主任の話だと切り傷はまるでメスのようなもので綺麗に切られていたと――」
阿弥陀が説明している間も、葉月は手掛かりを探そうと、必死に写真を摩っていた。
途端――その手をピタリと止める。
「どうしたの?」
弥生が葉月に声を掛けた途端、葉月は弥生に抱きついた。
身を震わせ、力強く弥生にしがみついて離れようとしない。
「――何か聞いたの?」
弥生がそう尋ねると、葉月は激しく顔を震わせる。その表情は恐怖で青褪めていた。
「――ねぇ? お腹の子供って勝手に出てくるの?」
その不可解な言葉に全員が絶句した。
葉月の説明によると、被害者が倒れた後お腹が割き、そこには既に形の出来ている嬰児が何者かに連れていかれた――との事だった。
阿弥陀が想像していたひとつの仮説が、有ろう事が成立していた。