壱:宵の口
*この物語はどうせ作り物です。実際の人物・風景・場所等は何ら一切の関係はございません。また、作中差別的な表現が含まれております事を予めご了承下さい。*
「も、もう誰もいないな?」
肩で息をしながら、長身の男が近くにいる小太りの男にたずねる。「も、もう誰も来てない」
小太りの男がそう言うと、長身の男は笑った。
「まさか、ここまで巧くことが運ぶとはな」
「そうだね。小さい郵便局だったから、監視もなかったんだよ」
小太りの男が、震えた声をあげる。
「いたのは耳の遠いじいさんがたった一人。監視カメラも、もういいだろう」
長身の男は、背負っていたリュックサックを下ろし、ファスナーを下ろしていく。
中を見るや、小太りの男は冷や汗を垂らしながら、ゴクリを喉を鳴らした。
「い、いったいどれくらい入ってるんだろね」
「さぁな……。あのじいさんには悪いが、命相応だと思うぜ」
彼らの視界には、バラバラになった紙幣が入っていた。
「――あの?」
突然声が聞こえ、二人は、うしろを振り向いた。
「そんなところにいたら、風邪をひきますよ? それに、さっき強盗があったって、警察がそこら辺を調べているみたいで」
長身の男は、目の前の少女に犯行現場を見られたのではないかと思ったが、話しかけている以上、それはないと判断する。
仮に自分たちが犯人だと知っていれば、自ら危険を侵しはしないだろう。
「あ、ああ。ご忠告どうもありがとうな。お嬢ちゃん」
長身の男は苦笑いを浮かべながら言った。
少女は小さく頭を下げ、その場を立ち去っていく。
「あ、兄貴?」
「お、臆するな。俺たちがその強盗だってことはバレていないんだ」
「で、でもさ? もしかしたら中見られたかも」
その可能性はある。
「だ、大丈夫さ。もしそうだとしたら……」
長身の男は、震えた声でつぶやいた。
妙に肌寒い五月の中旬、福嗣中の制服を着た少女が、公園の林道を歩いていた。
彼女がふと空を見上げると、眼前に広がっている青空には似つかわしくないほど、どんよりとした灰色の雲が目立っている。
少女が一雨来そうだなと考える間もなく、空からポツポツと氷雨が降り始めた。
雨は次第に強くなっていく。
「――うそっ?」
少女は体を震わせると、慌てて公園の林道を駆け抜けようとした時である。
ピン――と、糸を弾いたような音がするや、少女はその場にひざまずいた。
それよりも先に、なにかが転がる音を小さく響かせながら、次第に道脇の段差に引っかかり止まる。
それが、少女の頭であったことを示すかのように、切られた首から勢いよく血が吹き出し、首を失った少女の前には真っ赤に染まった血だまりと、血の轍ができあがっていた。
少女の遺体が発見されたのは、それからニ、三時間ほど経ってからであった。
発見が遅れたのは、その時から降り始めた雨が原因で、誰も林道に入らなかったからである。
通報を受け、公園内の捜索に当たっていた機動捜査が周りの林から出てきた。
現場に到着してから小一時間ほど捜索していたのだが、なにもなかったといった感じに、各々が納得のいかない表情を浮かべながら各班のもとに戻っていく。
そんな中、一人の若い警官が少女の遺体をジッと見ていた。
口を押さえているので、遺体には、まだ見慣れていないといったところか。
この警官、名を大宮忠治といい、少女の遺体になんらかの違和感を持っていた。
それがなんなのかが分からず、吐き気に耐えながらも、ジッと少女の遺体を見ているのだが、てんでわからない。
ただ、本人の心情とは裏腹に、少女の遺体に見入っているため、周りの警官からしてみれば、肝が座っていると勘違いされていた。
見事というべきに無残で、奇麗な切り口は、鋭利な刃物で切り落とされたものだと、大宮は、最初の思った。
が、それ以外の痕跡が、死体、強いては切られた首元以外に見当たらない。
襲われたのならば、少なからずとも抵抗していたはずであり、背後から襲ったのなら、服に土や埃、砂利などが付いていたはずである。
そして抵抗のさい、少女の体のどこかに、防御創というものができるはずで、犯人の皮膚が爪に挟まっていたのなら、それが事件解決の手掛かりになることが多々ある。
だが、それらすべてがなく、少女はまったく抵抗せずに殺されているのだ。首の切り口は、まるで研ぎ澄まされた刀のようにスパッと切られている。
例えば、鋸で切り落とした場合、首の骨に引っ掻き傷が出来るはずなのだが、後の検死結果では、胴体側の切り口に、そのようなものはでてこなかった。
なにより、血は死体の周り一帯にしか残されておらず、現場鑑識の結果でも、少女の周りと血溜まり以外に血液反応は出なかった。
大宮は、ふと、【首なしライダー】という、自分のオカルト知識を頭に過ぎらせた。
向かい合った電柱に結び張られたワイヤーに、猛スピードのまま突っ込んで、首を引っ掛け切り殺されたドライバーの怨念が、夜な夜な殺された場所で走っているという都市伝説である。
大宮がそう思ったのは、目の前にある死体の殺され方と類似していたからだ。
しかし、だからといって、この考えを上司に報告するべきではないと思い、考えを振り払った。
あくまで都市伝説であり、うわさの類に過ぎないからだ。
もし彼が考えているように、ワイヤーかなにかで首が引っ掛けられ殺されているのなら、その対象、つまり少女の歩くスピードにもよるだろう。
しかし人間の、ましてや中学生ほどの少女が走ったところで、引っ掛かる程度だったはずだ。
それなのに切断されているという事は、どれだけの速さで彼女は走っていたのか、もしくは自転車に乗って、林道を走っていたのか。
その自転車が見つからないどころか、公園の木を一つ一つ、それこそ虱潰しに調べても、ワイヤーを巻いたような痕跡は見つからなかった。
一台のパトカーが、公園の中に入って来た。
現場から数十メートルほど離れた場所で停まると、後部座席のドアが開き、中から人影が出てくるや、現場にいた警官全員が、そのパトカーに向かって敬礼をする。
「ああ、いいですよ。皆さんは作業に戻ってください」
降りてきたのは、麦わら帽子を深々と被った、一人の男性であった。
見た目からして四、五十歳といったところか、すこし太った、どこにでもいるような中年男である。
帽子を脱ぐと、ヤーさんかぶれのようなパンチパーマに、銀色の丸縁色眼鏡を着けている。
その男の姿は、傍から見ると、とても警察官とは思えない風貌であった。
「――で、被害者は?」
初老の刑事は、近くにいた若い警官にたずねる。
「あちらです。阿弥陀警部」
警官の一人がその初老の刑事――阿弥陀を、遺体のところまで案内する。
阿弥陀は死体を見るや、手を合わせ、静かに拝んだ。
「ガイシャの身元は?」
「近くに学校指定の鞄が落ちてました。中に生徒手帳が入ってまして、ガイシャの名前は対馬怜菜、福嗣中二年生。家はこの林道を抜けてすぐの住宅地のようですね。殺されてからまだ間もないみたいですが、先程の夕立で血は流れてしまっているみたいです」
報告を聞きながら阿弥陀は少し考え、
「つまりその痕跡も?」
と、聞き返す。
「その可能性は有り得ますね。ワイヤーかなにかで首を絞められたにしても、ここまで奇麗に切られる事はまずないでしょう。つまり被害者は大きな鋏か何かで切られた……と考えられます」
警官の話を聞きながら、阿弥陀は大宮を一瞥する。
「それならガイシャは逃げるでしょ。しかしそのような痕跡どころか強姦された形跡もない。ましてやうしろから襲われれば死体は仰向けではなくうつ伏せになって倒れているはずですよ」
阿弥陀はそう話ながら、これが人間による犯行なのかを考えていた。
途端、小雨が振り出し、次第に強い雨風となっていく。
「――水に流れてしまいましたな」
阿弥陀はそうつぶやくと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。