第33話 すぎた力
「ところでお前さんたち、この湖をどうやってゆくつもりじゃった? 見たところ、ずいぶんと軽装じゃのぅ」
「それは――歩いていくつもりでした」
「歩いてじゃと? それは勇ましい。ほほっ、若さかのぅ」
ヒウノはうつむきながら答えた。それを聞いた老人はからからと笑う。「じゃが」と感心した様子で目を細める。
「たやすくないのは、よぉくわかっておるようじゃな」
少年は無言で頷いた。
そこは、辺り一面、地平の彼方まで澄んだ青色に染まった世界だった。他には何もない。振り返れば大樹が見える。しかし、進むべき前方に道標になるものはひとつとして存在しなかった。道に迷おうものなら、行きも戻りもできず、水に囲まれた世界で朽ちることになるだろう。
「さあて、これは困ったのぅ。困り果ててしもうたわい」
老人は天を仰いだかと思えばがっくりとうなだれ、大袈裟に困ったふりをしてみせた。そのあとで、いたずらっぽく笑みを浮かべた。少年は老人が言わんとしていることがよくわかった。なにもできない、自分の無力さを感じながら、言葉を絞り出した。
「翁、僕たちを助けてください。お願いします」
「よぉ言えたのぅ。うむ、それでよい。お前さんの父親も、かつてそうしたのじゃよ。理由は少し違ったがね」
満足そうに頷くと、老人は飛行機械に歩み寄り、ぽんと船体を叩く。ひげをさすりながら諭すように言った。
「あやつときたら、空を飛ぶ禁忌を前に目を輝かせる変わり者でのぅ。孫娘をやるにはだいぶ不安じゃった。が、悪いようにはしていなかったようじゃな」
「孫娘を――。翁、あなたは僕の」
「ほほっ。そういうことになるかの」
ヒウノは驚きに目を見開いた。思いがけず、家族のつながりを得たのだから。
空を飛ぶ禁忌の技術。ヒウノの父親は、戒砂を訪れる観光客に『翼はただ風を切るだけ』と話し、船は飛べないように見せていた。疑り深い者はもちろんいた。ときには巧妙に細工をして、客に操縦桿を握らせる場面もあった。船は飛べないのだと知らしめるためである。
父は船をどこでどう手に入れたのか多くは語らなかったし、母に尋ねても『ごめんなさい、知らないの』とほほ笑みを返されるだけだった。幼い頃のヒウノには、それが面白くなかった。子供心に、ごまかされていると感じていた。けれど、秘匿すべきなのだと、うっすらわかってもいた。
「これはな、わしらにしか作れぬ代物でな。ああ、西の民の力を借りてはいるがね。大きな力は、人の世を豊かにしてくれよう。が、同時にいさかいの種にもなり得るのじゃ」
生命が根付かない砂の大地を生み出した飛行技術は、いつしか世界中の人々から禁忌とされるようになった。技術を持つことは、当然許されない。
「まだ早かったのかもしれんのぅ。じゃからわしらは、すぎた力の末路を世界に示そうと決めた。そうして生まれたのが戒砂というわけじゃ。檻からみなを救ってやれないのは、申し訳なく思うておるよ」
老人はすまなそうな表情を浮かべ、少女のほうを見た。少女は何かを伝えようと口を開いたがすぐに閉じて、その目をまっすぐに見つめ返した。老人は「いかんいかん」と言って、ふぅと長いため息をついた。
「ほほっ。おかげでこんなところに隠れ住むはめになってのぅ。まぁ、わしらは大地に残れただけ、幸せかもしれぬ。こうして家族に会う幸運が転がり込んできたのじゃから」
暗い話はここまで、と老人は晴れやかに笑って見せた。
「罪滅ぼしにもならんじゃろうが、こいつで湖の端まで連れて行ってあげようかね」
老人は飛行機械の搭乗席のほうへ歩き出した。
思いがけない出会いにより、自然の障壁を越えられる。喜ばしい状況にあるはずが、少女の表情には重い陰が落ちていた。
少年に向けられた彼女の瞳が強く訴えかけている。「あなたはまだ、わたしのことを訊かずにいられるの?」と。
「行こう、リト」
少年は短く言うと、少女の横を通りすぎた。その背を追いかけ彼を引き止めようと伸ばしかけた手を、リトは静かにおろした。
第33話 終
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