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森のヒウノと空のリト (全70話)  作者: このはりと
第2章 ふたりが見る世界
24/50

第24話 白い花びら

 リトは自分の身なりを見て、ただならない出来事があったのだと察した。ブラウスの肩口は破れ、靴はなく素足で、手首に残る縄のあとは赤黒く痛々しい。おまけにずぶ濡れだ。何事もなかったと思うほうがおかしい。


「お願いだから教えて。どうか、隠さないでほしいの。わたし、きっと何かしたのでしょう?」


 リトは少年の手を取り詰め寄った。「絶対にそうよ」決めつけるように言い、握った手に力を込める。これまでに似たような出来事が幾度もあった。『お前には感謝しているよ。いつもありがとう』村の大人たちは、そのたび彼女に労いの言葉をかけてくれた。だが、彼女が知りたい肝心なことはひた隠しにされた。どうして誰も話してくれないの。わたしはもう子どもじゃないのに。

 溜め込んでいた不満が、出会って間もない少年の前で弾けた。少年の瞳は、自分をまっすぐに見てくれていた。勝手な思い込みかもしれない。けれど、この人はわがままを許してくれると、そう感じた。


「君は――」


 少年は言葉をさがす必要があった。彼女の力は、けっして穏やかとは言えなかった。尋常ならざる破壊を目の当たりにしてきたのだから無理もない。街での一件は忘れられそうになかった。巨大な建造物を、彼女はいともたやすく崩壊させたのだ。ひとつ間違えれば、命を落とす者が出ていたかもしれない。

 もうひとつ気がかりなことがある。目の前の少女は、自身の持つ力をはたして知っているのだろうか。初めて言葉を交わしたとき、彼女は力について何も語らなかった。飛行機械から飛び降りたときも同様だった。少女が力をふるうとき、そこにはきまって白い砂が姿を現す。白い砂、白い――。


「なにかしら、これ……?」


 ヒウノとリトの目の前を、ひらひらと白いものが舞い降りた。


「雪だ」


 雪片《せっぺん》だった。受け止めようとした少女の手のひらで、それは儚くとけて消えた。


「消えてしまった」


 少女は寂しそうにつぶやいた。

 空を見上げてしばらくすると、また雪のかけらが降ってきた。ひらりひらり、と。未知の美しい光景に、リトの緊張がやわらぎ、口元にうっすら笑みが浮かぶ。対して、ヒウノの表情には険しさが増した。


「まだ雪が降る季節ではないはずなのに」

「雪が降る季節? この白い花びらみたいなものが降る時期があるの?」

「雪を見るのは初めてなのかい?」

「ええ。『雪』というのね。とてもきれい」

「そうだね。でも――」


 ふさわしい季節からはずれた雪。道理に合わない言い伝えが、少年の頭をよぎる。水温の上昇と雪のかかわりは、言い伝えにあるとおりの状況を示していた。ただ雪が降ったのであれば、季節の訪れとして受け入れられたはずなのだ。水の温度は下がり、うっすら凍りつくのが自然である。


「リトはここにいて。僕は森の様子を見てくる」

「わたしも一緒に――」


 一緒に行きたい、と伸ばしかけた自身の手が、彼女を制した。白い肌に残る痛々しい縄のあとが、彼に迷惑をかけるつもりか、と言っているようだった。「ううん、なんでもないの。ここで待っているわ。気をつけていってらっしゃい」そう言って少年の後ろ姿を見送ったのち、少女は再び空を見上げた。

 夜の静けさに不安が押し寄せてくる。


「わたし、ここにいていいのかしら……」


 ひとひらの雪が舞い、彼女をそっと慰めた。


 ヒウノは少女の目に映らないところまで移動すると、琥珀色に光る石を持ち、樹上へ向けて素早く投げ上げた。石は光の尾を引き、かすかな音響を伴って矢のように飛んだ。二十メートル、四十メートルと、光紐は少年の体を樹上へ向けて運んでゆく。 

 樹冠が近づくにつれ、周囲の白さが増した。空気が冷たい。枝葉に雪が積もり始めている。吐く息にも白さがあらわれた頃、ヒウノは巨大樹の頂にたどり着いた。

 周囲をぐるりと見渡す。寒い季節が近づき、夜明けが遅くなりつつある。街の方の上空は、深い藍とオレンジとがグラデーションを描いていた。


「雪が降っている様子はなさそうだ。やっぱり、この森でだけ降っている。本当に、鎮《しず》めの雪なのかもしれない」


 鎮めの雪にまつわる言い伝えは抽象的だった。森が怒りによって熱を帯びるとき、それを鎮めるために雪が降ると言う。季節のうつろいを無視した気象現象だ。「どうして森が怒るの?」幼い時分のヒウノは、素朴な疑問を口にした。昔語りに詳しい父親はこう答えた。『大昔、森に置いていかれた子どもがいてね。親を近くに感じると、どうして迎えに来てくれないのかと腹を立てるんだ』「それはぼくもいやだ」幼いヒウノは子供心に悲しくなった。同時に共感した。自分もきっと怒るに違いない。迎えに来てくれないのなら、自ら会いに行く、とさえ思った。


「水温が上がっているのも、こうして雪が降り始めたのも、何か原因があるはずなんだ。森に怒りを抱かせる、何かが」


 そのとき、遠く、かすかに、鳴き声のようなものが耳に届いた。葉擦れや夜風とは異なる、高い音だ。ヒウノは考えるより先に宙へ身を投げた。

 中央大陸の森に生物は棲息していない。虫も鳥も獣も、命あるものはこの森になぜか根を下ろさないのだ。今、この森で声を発する者は、ヒウノを除いてひとりしかいなかった。



 第24話 終

本話をお読みくださり、ありがとうございました。

もしよろしければ、つづきをお楽しみくださいませ。

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