第11話 ホムラ神
リトと別れたあと、ヒウノはひとり森へ向けて船を走らせた。月のあかりがあるといえ、道標としては頼りない。町との往復を幾度繰り返したか忘れて久しいが、夜闇をゆくのは未だ慣れずにいた。
砂の海の静けさにふとさびしさを感じ、後部席に目をやる。少女の姿を追った自分に、少し驚く。空を翔ける船の墜落跡地を横切るとき、昼間の出来事がはっきりと浮かんだ。
(リトさんは、どうしてここで飛び降りたのだろう。それに、あの力は……)
彼女には、出会いかたからはじまり、気がかりなことがいくつもあった。少なくとも、自身が育った東大陸の住人でないのははっきりしている。では、どこからやってきたのか。それを知る手がかりは、宿帳で目にした名前にあった。
(レレン君とユユエさんの名は、西大陸に住む部族特有のものだった。けれど、リトさんとは一致しない)
少女が見せた超常の力も、もちろん気になる。しかし、もっとも引っかかりを感じたのは姓名であった。家族でありながら、姉弟に一文字も重なりがないのは不自然にすぎる。
(リトさんがレレン君を想う様子に嘘はなかった。そういえば、僕の部屋で名乗り合ったとき、言い淀んでいたような……。明かせない事情があるのかもしれない)
彼女の純朴な人柄にふれたあとでは、どのようにしても害心を抱いているとは思えなかった。だからこそ問い詰めるわけにはいかない。話してくれるのを待つしかないのだ。
(明日会ったとき、態度に出てしまうかもしれない。今は忘れよう)
瞳を閉じ深く息を吐いて、十分に夜の空気を吸い込んだ。心の中につかえ、たまっていた感情が、静かに消えてゆく。
ゆっくりと目を開いたヒウノは、はるか前方を見て違和感を覚えた。
「なんだろう。森に、何か──」
その正体に気づくまで、さほどの時間はかからなかった。荒っぽくゴーグルをはずし、目を細くして彼方を見やる。息を短く飲んだ。森にゆらぐ穂のような光は、ただひとつの事象をおいて他にない。
「ホムラ神」
彼がそう口にするのを待っていたかのように、焔は爆発的に広がり、空を掴まんばかりに立ちのぼった。
大火を前に少年は逡巡する。森に移り住むとき、家族三人でこう決めていたのだ。
「もし、森の外からホムラ神を目にしたのなら、たとえ中に誰がいたとしても近づいてはならない」
自らの命を守り、未来へつなぐための約束。少年は今、それを果たす側にいる。つまりは、父と母を見捨てなければならないのだ。操縦桿を握る手に力がこもる。
(父さんなら、どうするだろう。母さんなら、僕が来ないのをよろこんで受け入れるのかな)
機首を上げ、ゆるやかに旋回動作へうつった。町へ引き返すためである。船体が傾き、ごく短い時間、彼の視界から森の姿が消え去った。それが合図となる。
(きっと僕は間違っている。でも──!)
自身の考えを振り切るように、少年は船を急旋回させた。後部席に誰もいない、ひとりの今だからこそできる曲技飛行。目の端に再び赤い色を捉えた。一時的に失速し船体が垂直に落下する。真っ逆さまに砂の海へ突っ込もうかというぎりぎりのところで、姿勢が水平に戻された。勢い余って船底が数回地を蹴り、やがて一定の高度で落ち着く。
ヒウノは意を決して、船首を森へと向けるのだった。
*
船の通り道はかろうじて火の手を免れていた。しかし、周囲は炎の赤で染まり、痛みを感じるほどに眩しい。幸い、生き物の焼ける臭いはしなかった。
少年は船の速度を一気に上げると、操縦席をはなれ、急ぎ翼を折りたたみにかかった。このまま樹々の間隔が狭まる中を抜けようとすれば、いずれ巨木に激突し船が止まってしまう。熱をともなった風に襲われたが、ヒウノは怯まずに手を動かした。片方の翼が折れると、船の進路がわずかにずれ始める。少年は揺れを体幹の強さでこらえると、そのままもう片方の翼をめがけて飛び出した。
(火のまわりがはやい。でも、焦ってはだめだ)
両翼をたたみ終えると、転げ落ちるようにして操縦席についた。冷静に操舵し、眼前に迫る大樹をかろうじてかわす。見上げると、炎が空に蓋をしているようであった。熱せられた空気の流れが、少年の耳を打つ。
(こんなに嫌な風の音は、初めてだ)
目一杯の速力で進む船に激しく揺られながら、左の袖を口元にあてる。別世界と化した帰路。方角も、時間さえもおぼろになる中、彼の目に宿る光だけはいささかの陰りも見せなかった。ほどなくして少年の家が見えてくる。小さな泉のほとりにあり、大樹からやや離れて建っていたおかげか、炎に呑まれずにすんでいた。しかしそれは、まだ、の話である。
(よかった。無事でいてくれた)
炎の道から機体が飛び出すと、みぎわに身を寄せ合っていた父母が、異変に気づく。船を──正確には、それに乗ってやってきた少年の姿を見た。ヒウノはその視線に気づかずに操縦席から飛び降りると、ふたりのもとへ駆け寄る。しかし、両親は彼を迎えようと手を広げてはくれない。互いに言葉はなく、沈黙が落ちた。
いったいどのくらいの間、そうしていただろうか。上下していた少年の肩が穏やかになると、静寂が打ち破られた。父親は少しかがんでヒウノに目線を合わせ、口を開く。
「ひとつだけ聞きます。まっすぐここを目指さずに、一度は町へ引き返そうとしましたか?」
少年は奥歯をかんで頷いた。それは、自分が選ぼうとした未来の肯定。全身におさえがたい震えが襲ってくる。
「そうであればいいんです。約束を守ろうとした君を、叱りません」
いっそ怒鳴られたほうが、気持ちが楽だったに違いない。父の感情は静かで、なおさらのこと、少年の心は押し潰されそうなほどに重かった。優しい母が自分をいたわってくれない理由もよくわかる。みなの愛情は、実に深い。
そんな家族の思いも知らず、炎は、ゆらりと這い寄ってくるのだった。
第11話 終
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