未来戦線物語〜The Lost Harmony〜
幻想曲第一章:生まれたことが罪ならば
これから、とある二人の機械人形について語ろう。
そのうちの一人は、型式番号〇一三、汎用型アンドロイド type“オスカー(女型)”。
それが、彼女に与えられた役割だ。
“ワルツ・タイプ”とほぼ同時期に生まれたオスカーは、
国際政府機関:通称IGA(International government agency)
のアトラス部隊に配備され、第三次世界大戦の時には、
人間の代わりに導入された機械人形兵の一人として前線で戦った。
階級は、新米のエンジェルズよりも一つ上のアークエンジェルだが、
それでも、狙撃の腕前は組織の中でもトップクラスだ。
現在はアトラス部隊を離れ、ミサ・タイプの“カトレア”と、同じく、オスカー・タイプの“グラジオラス”の三人でチームを組み、黒魔女部隊として活動している。
そして、新世紀二六〇年、八月十日。
オスカーたちが搭乗している空母ガイアの艦内は、
毎日のように技術スタッフが慌ただしく働き、新たな脅威に備えている。
そんな最中、突如として現れた原因不明のサイバー・ウイルスが、
一夜にして世界中に拡散し、猛威を奮った。
ウイルスは、機械人形の脳に備わったプログラムに侵入し、
自我(感情)を容赦無く破壊してしまう。
もちろん、機械人形兵も例外ではなく、
アトラス部隊等の他の部隊では、ほとんどの兵士が感染していた。
世界中に蔓延るウイルスの感染を止めるには、感染源を探り出し、
速やかに破壊する必要があった。
オスカーたちは、ウイルスを“ノヴァ”と呼称し、
ウイルスによって暴走した人工生命体の対処に当たっていた。
だが、あまりにも数が多すぎるせいで、施設は何処もパンクしている為、スクラップ業者も対応しきれず、その間にも、感染は世界中に広がり続けている。
ウイルスが世界全体を飲み込むのも時間の問題だ。
「また増えてきたな。なんだか、胸騒ぎがする」
「というと、例のウイルスの事か」
「一昨日も、別部隊の機械人形たちがウイルスに感染したらしいよ」
「感染者は、機能を果たせなくなった機械人形たちが、次々とスクラップ業者に回収されている。いずれ私たちも…」
「俺も、スクラップになるのは御免だし、その前に、何としてでも連中を止めないとな」
すると突然、空母ガイアの艦内で警報が喚き出し、
オスカーたち黒魔女部隊に出撃命令が降りた。
人工生命体ミネルヴァが、未来都市第三地区に出現したのだ。
ミネルヴァは、フクロウの翼を持つ女型の巨人の姿をしていて、
その名の通り、ローマ神話に登場する女神とよく似ていた。
ミネルヴァは、暴走しながら次から次へと都市内の構造物を破壊している。
暴走の原因は、例のウイルスによるものであることは確かだが、
今でもその実態や感染源を掴めていない以上、
目の前で暴れている人工生命体を破壊するしかない。
「俺の事が心配か?」
「まぁな」
「一応、俺もお前と同じオスカー・タイプなんだぜ。
俺たちのタフさは、お前もよく知っているだろ?」
「わ、私だって機械人形の中では最強クラスのミサ・タイプだし」
「おっと、これ以上時間はないな。
お前ら、都市が壊滅する前に早く出撃するぞ!」
腕時計を確認したグラジオラスは、
ひと足先に待機室を出て、戦闘機がある甲板へ向かった。
オスカーも、グラジオラスの後を追うように待機室を出ようとした矢先、
突然、カトレアに腕を捕まれた。
「私、ずっと待ってんだけど///」
カトレアの一言を聞いたオスカーは、
頬を赤らめているカトレアを、近くの壁に押し倒した。
オスカーは、カトレアの優しく頬を撫でながら引き寄せる。
「続きは、またあとで」
オスカーは、カトレアと熱いキスを交わし、
甘い声色で彼女の耳元に囁くと、
自身の専用機”量産型ファルシオン”が待つ空母の飛行甲板へと向かった。
ファルシオンのコクピットへ搭乗したオスカーは、
慣れた手つきでエンジンを起動させる。
ファルシオンのコクピット内はとても狭く、
新世紀以前に使用されていたアナログ式の計器が目に映る。
「ファルシオン三号機、出撃準備完了!」
「ファルシオン三号機、発進してください!」
「了解!ファルシオン三号機、オスカー、発進する!」
コントロールルームにいるオペレーターのアイリスから出撃の許可を得たオスカーは、
コクピット右側のレバーを前方に倒す。
銀色の翼を羽ばたかせ、空母ガイアから旅立つファルシオン。
カトレアも、オスカーの後に続いて二号機で出撃する。
やがて、マッハ三秒で都市へと侵入したオスカーたちは、
目と鼻の先にいるミネルヴァへの攻撃を開始した。
ミネルヴァの周りでは、IGAを裏切った白魔女部隊の量産型オートマトンの群れが、
都市で暮らしていた大勢の人々を襲いながら暴れている。
オートマトンの迎撃には、黒魔女部隊のオートマトン”シノニム”が当たっているが、
相手の方が兵士の数も性能も優っているため、
序盤から苦戦を強いられている状況だった。
フクロウの翼を羽ばたかせ、青空へと飛び立つミネルヴァ。
ミネルヴァが飛び立つ際、その翼の裏からは大小様々な歯車が見え、
羽の動きに合わせて規則正しく稼働していた。
やがて、味方の援軍も加わり、戦局を逆転させていく黒魔女部隊。
オスカーは、四方八方から邪魔をしてくる敵のオートマトンをどうにか交わしつつ、
ミネルヴァに対し、集中的に機銃掃射を繰り返す。
だが、ミネルヴァの攻撃力は凄まじく、
オスカーは、ミネルヴァが発したレーザー砲によって撃ち落とされてしまった。
「三号機、ロスト!
機体からの信号が途絶えました!」
炎に包まれながら冷たいコンクリートへ落下するオスカーの機体。
そして、機体が地面に触れた瞬間に大きな音を立てながら爆発した。
「オスカーさん!応答してください!オスカーさん!!」
機体は木っ端微塵に破壊されたが、オスカーは無事だった。
彼女は、アイリスの必死の問いかけに応じようと、
無線機のある左耳に触れる。
「こちら、オスカー。
空母ガイア、聞こえるか…?」
だが、無線機の故障により、オスカーの声は、
コントロールルームにいるアイリスには届かなかった。
オスカーは、破損した機体から脱出し、
ボロボロの体を引きずりながら、焼土と化した都市を歩き始めた。
空母ガイアとの通信もままならないまま彷徨っていると、
建物の瓦礫で簡易的に造られた掩体壕の下に眠る漆黒の機体を見つけた。
その名は、”ハルバード”。
ATLAS社が秘密裏に開発を進めていた試作機だ。
オスカーは、すぐ様ハルバードに乗り込み、
コクピット内に落ちていた鍵を使ってエンジンを起動させた。
機内は、旧型のファルシオンよりもスペースがあり、
最新鋭の技術が詰め込まれていた。
そして、オスカーを乗せたハルバードは、
猛スピードで掩体壕を飛び立つ。
オスカーは、説明書もなにもないまま、
自身の直感を頼りにハルバードを操縦する。
「こちらオスカー。空母ガイア、聞こえるか?」
「こちら、空母ガイア。
オスカーさん、無事だったんですね!
でも、その真っ黒な機体は…?」
「事情はあとで話す」
「わかりました。
では、他の黒魔女部隊と合流して、
ミネルヴァを迎撃してください!」
「了解!」
コントロールルームのアイリスとの通信を終えたあと、
瀕死状態のグラジオラスやカトレアと合流した。
「オスカー!よかった!無事だったのね!」
「お前、生きていたのか!」
グラジオラスとカトレアは、オスカーの声を聞いて驚く。
「ああ、この機体のおかげでな!」
オスカーは、空を舞うミネルヴァに接近し、
グラジオラスたちと共に激しい射撃を続ける。
ハルバードの射撃威力はファルシオンを超えていた。
オスカーは、ミネルヴァの攻撃を悠々と交わし、
コアのある左胸部に照準を定める。
そして、ミネルヴァが片側の羽を失い、
怯んだ次の瞬間、ハルバードから高火力のレーザーを放ち、
ミネルヴァのコアを粉々に破壊した。
コアを破壊されたミネルヴァは、
内部爆発を起こしながら地面へと落下した。
「任務完了。これより、ガイアに帰投する」
圧倒的な攻撃力でミネルヴァを打ち倒したオスカーは、
自身が搭乗するハルバードと共に空母ガイアへ帰還した。
幻想曲第二章:君の不在
ミネルヴァとの戦いの後、正式にオスカー専用機になったハルバードは、
空母ガイアの飛行甲板で、技術スタッフによる機体の分析と修理を行っていた。
修理を担当してくれているのは、グラジオラスの妹である技術士の”カンナ”。
彼女の階級はエンジェルズだが、古くからの知り合いということもあり、
オスカーたちに対しては距離感が近い。
「オスカー、整備も分析も終わったよ。
機体自体はATLAS製のものだし、操作性はファルシオンとほとんど変わらない。
けど、まだわからないことがあって…」
「わからないことって?」
ハルバードの外装は、戦艦と同様に人工生命体の一部を使用しているのだが、
それだけでなく、コクピットの下方にルビーの欠片が埋め込まれていた。
「ハルバードは、生きていると?」
「そう」
「私と同じコアを持っているということは、
私と同タイプの機械人形、
あるいは、私にしか操縦できないということか」
実際、カンナもエンジンを起動させようと試みたが、
ハルバードは静寂を貫くばかりだった。
「もう一人の、私…」
オスカーがハルバードに手を触れた瞬間、
キーを挿していないのにもかかわらず、
大きなエンジン音を立てながら動き始めた。
二人は、その異様な光景に目を丸くする。
「お前ら、そこで何をしている?
出撃命令は出ていないはずだぞ」
すると、黒魔女部隊の隊長”ツバキ”が、
欠伸をしながら二人の後ろから顔をだす。
「ツバキ隊長、就寝中のはずでは?」
「この黒い機体が、どうしても気になってな。
途中で起きてしまったよ」
ツバキ隊長は、眠そうにそう言いながらハルバードを見上げる。
すると、エンジンを鳴らしていたハルバードは、
眠るようにゆっくりと大人しくなった。
「どうやら、俺はコイツに好かれてないみたいだ。
まあ、いいさ。お前らも、次の戦闘に備えて休んでおけよ。
また、いつ人工生命体の脅威に晒されるかわからないんだから」
「緊急警報発令、緊急警報発令!
アンノウン反応ヲ確認シマシタ。
搭乗員ハ、速ヤカニ戦闘準備に移行シテクダサイ。
繰リ返私シマス。
アンノウン反応ヲ確認シマシタ。
搭乗員ハ、速ヤカニ戦闘準備に移行シテクダサイ」
突然、警戒アラートが艦内中に響き渡った。
空母ガイアが太平洋海域を航行中、暴走した人工生命体と遭遇したのだ。
その名は、”プロセルピナ”。
その姿は春の女神とはほど遠く、
竜の鱗を持ち、六枚の羽を背負う巨大な海の怪物だった。
「ちっ、これからもう一眠りしようと思ったのによ…。
お前ら、機体の点検が済んだらすぐに出撃だぞ!」
警報を聞いたツバキ隊長は、
慌てるように自分の機体がある方へ駆け出した。
オスカーも、急いでハルバードに乗り込み、
手早く出撃の準備を始める。
「オスカー、気をつけてね」
「ああ、わかってる」
ハルバードは、大きな音を立てながら空母ガイアから発艦する。
空母ガイアから出撃可能な機体は、ハルバードを含めて二十六機。
整備が不十分な機体が多く、今は少数精鋭で目の前の敵に対処するしかない。
前回のミネルヴァ戦で大きく消耗していたカトレアの二号機も、
整備が間に合わずに出撃することができなかった。
「ぐああああ!!」
プロセルピナは、空母ガイアに同行していた護衛艦ヘラクレスに向けて容赦無く青い炎を放つ。
それにより、護衛艦ヘラクレスは、三隻のうちの二隻を失い、
黒魔女部隊は、あっという間に壊滅の危機に追いやられた。
「何が、春の女神だよ!
海の怪物、リヴァイアサンと間違えてるんじゃねえか?」
愚痴を吐きながらも、後方から援護射撃をするグラジオラス。
オスカーも、回避行動を取りながらプロセルピナへの攻撃を続ける。
「スミレ機、カスミ機、ロストしました!」
「ブランカ機、戦闘不能!
応答も途絶えました!!」
次々とやられていく黒魔女部隊。
新人隊員の三姉妹もロストし、青い炎に包まれながら海へと落ちていく。
荒波や雷雨といった天変地異のせいもあり、
標的に照準が定まらずにいるオスカー。
すると、オペレーターのアイリスからオスカーに無線連絡が入る。
「オスカーさん、聞こえますか?」
「アイリス、何かわかったのか?」
「プロセルピナの生態を分析した結果、
六枚の羽がある肩甲骨の間に、コアが隠れていました。
オスカーさんは、他の機体と連携を取りながらコアを破壊してください!」
「だったら、俺が奴を引き寄せる!
オスカー、その間に背中のコアを撃て!」
二人の会話を無線で聞いていたツバキ隊長は、
単独でプロセルピナの前に出ると、
機銃掃射で挑発しながら相手の気を空母ガイアから遠ざける。
オスカーとグラジオラスは、隊長がプロセルピナを誘き寄せている隙に、
六枚の羽のある背中側へと回り込んだ。
「ムーンストーン…あれだ!!」
コアに気づいたオスカーは、
グラジオラスに合図を送り、プロセルピナの背中に向けて攻撃を繰り返す。
すると、二人の攻撃が命中し、幻想的に青白く輝いていたコアは粉々に砕け散った。
「ぐああああ!!」
コアを破壊されたプロセルピナは、
悲痛な叫びを響かせながら海底へと沈んでいく。
そして、プロセルピナの脅威が去った後、
嵐も鎮まり、空を覆っていた雨雲の間から暖かな陽の光が差し込んだ。
幻想曲第三章:残された涙
黒魔女部隊の諜報員”オスカー”(男型)は、
新世界政府の本拠地である”パブリックタワー二号棟”地下施設に単独で潜り込み、
未知のウイルス”ノヴァ”の実態を掴むための調査に当たっていた。
敵対勢力である新世界政府は、
“生命活動管理委員会”と名前を変え、
この世界の経済全てを実効支配している。
「オスカー、聞こえるか?」
「フリージアか?
たった今、敵の本拠地に潜入した。
だが、目標はまだ見つけていない」
フリージアと呼ばれたその女性は、
オスカーのサポート役として配属された優秀なオペレーターだ。
冷静沈着な上に、完璧主義なフリージアは、
これまでにも、オスカーに対し的確な指示や助言をしてきた。
だが、仕事としての相性は良かったものの、
性格の面では最悪だったため、
諜報活動が続くにつれて二人の距離は遠ざかっていった。
「当然だ。
お前のいる位置は、警備も薄ければ、
目標までの距離から一番遠い」
「場所はわかっているのか?」
「今、目標までのマップを転送した。
その塔の地下三十三階へ向かえ。
そこにある統制システムを破壊し、
ノヴァに関する情報を得ることがお前の任務だ。
スクラップにされたくなければ、なんとしてでも成功させろ」
この時点で、ノヴァの感染者が世界で八割を切った。
倫理センターもスクラップ場もパンク状態だ。
バックアップができずに市街地を彷徨う機械人形たち。
記憶修正パッチの不足も相まって、
救われなかった者の自殺が後を絶たない。
そして、違法ドラッグの需要が一気に増えていく。
誰も彼もが、この混沌から逃げたがっている。
奥深くに眠っていた恐怖が、世界中を覆っていた。
もう一刻の猶予は残されていない。
だが、ノヴァの情報を掴むのは解るが、
なぜ、統制システムを破壊しなければならないのか?
オスカーは、そんな疑問を抱きながら、
巡回していたオートマトンの兵士を得意の近接戦術で倒し、
狭い通路を進んでいく。
「そこで何をしている?」
パブリックタワー二号棟、地下二八階。
鉄橋の上で、紅い髪の女がオスカーを待ち構えていた。
だが、女の周りには敵兵の姿は一切なく、
それどころか、彼女はなんの武器も持っていなかった。
鉄橋の左右には、青い光で照らされた巨大な試験管があり、
その中に、ATLAS製の機械人形が大量に沈んでいた。
「お前は…?」
「私は、アネモネ。
白魔女部隊の指揮官だ」
それを聞き、オスカーは、持っていた拳銃を彼女に向けた。
”メメントモリF型(零式)”。
オスカーの手に握られているそれは、
複雑な螺旋の装飾が施された実弾入りの二丁拳銃だ。
「裏切りの白魔女部隊。
その指揮官が、武器も護衛もなしに何故ここにいる?」
「私には、武器も護衛も必要ない。
それに、私はお前と争う気などない」
「どういうことだ!?」
アネモネは、臆するそぶりを見せることなく、
銃口を向けるオスカーへと歩み寄る。
「お前は、何のために戦う?
そして、誰のために生きる?」
アネモネが言うように、彼女自身から敵意を感じなかった。
しかし、その高圧的な態度に、
オスカーは、銃を向けながら警戒を緩めなかった。
「お前が答えるまで此処を通さない」
「俺は、俺の為に戦い、俺の為に生きる。
何故なら、この器も魂も、全て俺のモノだからだ」
自分は、他人の道具にはならない。
誰のものにもならない。
自分の生き方は自分で決める。
そういう強い意志を、オスカーは言葉で示した。
「そうか、いい答えだ」
そう言って、不適な笑みを浮かべるアネモネ。
オスカーは、ため息をつきながら、
ずっとアネモネに向けていた銃を降ろした。
「これを持っていけ。
この地下施設のセキュリティーカードだ」
アネモネは、上着の胸ポケットから白いカードを取り出し、
それをオスカーに渡した。
そのカードは、この地下施設のマスターキーで、
どのエリアにも対応している。
「最後に聞いてもいいか?」
「なんだ?」
「お前は、本当に誰なんだ?」
「知りたければ自分から見つけろ。
お前には、誰かから与えられた目的があるのだから」
それだけ言い残すと、アネモネはオスカーの横を通り過ぎ、
反対側の扉から出ていった。
………………………………
男型のオスカーが地下施設で諜報任務に当たっていた丁度その頃、
再び、太平洋海域に人工生命体が出現した。
その名は、”ノヴァ”。
その名の通り、未知のウイルスと関連する人工生命体。
新世紀元年以来、IGA軍のどんなレーダーにも検知されず、
一度も見つけることができなかったが、
ついに、この広大な海に自らその姿を現したのだ。
ソレは、純白な糸でできた巨大な蚕の繭だった。
この戦いには、主力戦艦ペルセウスのみならず、
ガイア、アテナ、マリアを含む空母二十六隻に加え、護衛艦ヘラクレスや、駆逐艦ベテルギウスなど、IGAの名だたる艦隊が集結している。
「ようやく見つけたのだ。この機を逃してはならん…」
IGA総司令官であるエーデルワイスはそう呟くと、
目の前の化け物を睨みつけながら、紅い座席に深々と腰を下ろす。
戦艦ペルセウスの艦内は、緊迫した空気が支配していた。
それは、空母ガイアを含む何十隻もの戦艦でも同じだった。
オスカーのハルバードは、ノヴァが出現する前から発艦しており、
いつ敵が来てもいいように空母ガイアの隣で戦闘態勢に入っていた。
「総員、攻撃開始!!」
エーデルワイスがそう叫ぶと同時に、
戦艦ペルセウスからの艦砲射撃が始まった。
他の戦艦も、それに続いて次々にノヴァへの攻撃を開始した。
ATLAS部隊の機械人形兵士による電磁波攻撃や、
戦闘機による急降下爆撃など、あらゆる手段を用いて攻撃するも、
装甲が異常に硬いせいか、主力戦艦の艦砲射撃をもってしてもノヴァには効かなかった。
それでもオスカーたちは、攻撃の手を緩めることなく、繰り返し弾を当て続けた。
巨大な繭を、透明なプロダクトが強固に守っている。
こうしている間にも、繭の中から何十体もの敵のオートマトンが湧いて出て、
飛行中の黒魔女部隊を次々に襲う。
空母ガイアの護衛をしていたオスカーは、
ガイアを離れ、オートマトンを撃墜しながらノヴァの本体に接近する。
だが、敵本体からの直接的な攻撃はなく、
オスカーは、そのことに違和感を覚えた。
オスカーは、ノヴァから距離を取りながら、
ノヴァの周りをぐるりと旋回した。
だが、どの部位を探してもコアは見つからなかった。
やがて、繭の中から白髪の巨人が姿を現した。
巨人は、繭から上半身だけを突き出し、
背中から生えた触手のようなものを使って戦艦を襲い始めた。
仲間の戦闘機も、巻き込まれる形で触手に撃墜されていく。
その殆どは、触手の先で機体ごと貫かれ、
それらの残骸は、無惨に海へ落ちていった。
そして、これまで共に戦ってきたグラジオラスも、
触手の脅威に成す術もなく散っていった。
「グラジオラス!!」
オスカーは、戦友の名を叫ぶ。
だが、いくら呼びかけても、彼からの応答は返ってこなかった。
オスカーの頬を、一筋の涙が伝う。
開戦前に百を超えていた戦艦は、十数隻まで減っており、
主力戦艦ペルセウスの損傷も回復の見込みがない程に激しい状態だった。
幻想曲第四章:心から救われたかった
“月島ゆきな”は、病室のベッドの上で覚醒した。
母親の虐待によって失明した彼女は、
病室でただ一人、虚空を見つめていた。
見舞いには誰も来なかった。
友人たちは、ゆきなの事を忘れ、
良くも悪くも、それぞれの人生を歩んでいた。
母親は、昼夜働き詰めで、滅多に会いに来ない。
父親は、母と離婚してから家を出て行った。
今のゆきなに、頼れる人はほとんどいなかった。
そんな時出会ったのが、白い毛並みの一匹の野良猫だった。
病室のベッドで少し寂しげに鼻歌を歌っていると、
猫の方からやってきたのだ。
野良猫は、ゆきなの膝の上に飛び乗ると、
彼女を見上げながら「にゃー」と一声鳴いた。
ゆきなは、膝の上の猫をそっと抱き上げた。
頭を撫でてやると、野良猫は嬉しそうにまた鳴いた。
ゆきなは、野良猫に”シェリー”と名付けた。
シェリーは、毎日のように病室を訪れた。
ゆきなも、シェリーがいることで寂しさを紛らわせることができた。
シェリーが寄り添い、ゆきなが話しかける。
それはまるで、家族のようだった。
それから二ヶ月後、愛しのシェリーが亡くなった。
横断歩道付近での交通事故だった。
知らせてくれたのは、面倒見のいい高齢の看護師だった。
ゆきなの心に大きな穴が空いた。
彼女は、また一つ大切なものを失った。
それなのに、不思議と涙は流れなかった。
白髪の少年と会ったのはその後だ。
彼の名は、”天月ほたる”。
病院の裏にある公園で出会い、
ベンチで読書をしていたところ、彼の方から声をかけたのだ。
彼は、ゆきなが持っていた点字の本を興味深々に覗きながら、
本の内容を教えて欲しいと言った。
ゆきなは点字に優しく触れ、
儚くも美しい童話の世界を彼に聞かせた。
幸いにも、彼と話している間は、
シェリーを失った悲しみを忘れることができた。
そして、気さくな彼と言葉を交わしていくうちに、
ゆきなにも少しずつ笑顔も増えていき、
同時に、好きという彼への想いも強くなった。
気づけば、ほたるの存在がゆきなの生きる理由になっていた。
だが、そんな彼も、一ヶ月が過ぎた頃から突然会いに来なくなった。
ゆきなはまた悲しくなり、彼と出会う前のように心を閉ざしてしまった。
ゆきなの心に、前よりも黒く大きな穴が空いた。
「久しぶり、ゆきちゃん」
ある時、ゆきなの病室に母親が訪ねてきた。
母親と半年ぶりに再会したゆきなは、
生気が感じられない冷たいその声に震え上がった。
「大丈夫、今日は責めたりしないから」
母親は、冷たい口調でそう言いながら、
ゆきなの手を握りしめる。
その瞬間、忘れかけていた恐怖が、
言葉では形容し難いグロテスクな感情が、
ゆきなの心を侵食して行った。
母親「病院の許可は取ってあるわ。さあ、行きましょ」
母親は、ゆきなを強引に車椅子に乗せると、
車椅子を押して彼女を病院から連れ出した。
ゆきなは、以前のように暴力を振るわれるのではないかと警戒していたが、
目的地のレストランに着くと胸を撫で下ろした。
「ゆきちゃん、もう直ぐ退院でしょ?
そのお祝いにと思って」
「ありがとう。お母さん」
「お礼なんていいのよ。今日は特別な日だから、
あなたの好きなもの選んで」
ゆきなは、母親にメニューを読んでもらい、
その中から、デミグラスソースの掛かったふわとろオムライスと、
以前からずっと食べたかったスペシャル苺パフェを頼んだ。
運ばれてきた料理は、今まで食べたどの料理よりも美味しかった。
今は仕事も安定して、近々交際中の男と再婚したいと嬉しそうに語る母親。
ゆきなは、母親の幸せを素直に祝福した。
母親が再婚すれば、少しはお金の心配もなくなり、
母親との関係も修復できると考えた。
そうなるのなら、今までのことは全て許そうと思った。
母親の声色も少しずつ柔らかくなっていき、
二人は、家庭が崩壊する前の、
親子としての関係を取り戻していった。
家族団欒の食事が終わり、会計を済ませて店を出ると、
母親はまた、行きたい場所があると言い、
車椅子を押して歩き始めた。
向かった先は、人気の少ない河川敷だった。
辺りは暗闇に包まれ、冷たい夜風が肌をかすめた。
母親は、凍えているゆきなを車椅子から立たせる。
ゆきなは、不安を感じて振り返ろうとするも、
後ろから両方を抑えられて動けなかった。
「ごめんね…全部、あなたのせいだから」
その瞬間、ゆきなは母親に背中を押され、
そのまま川へ落下した。
理由は、ゆきなの治療費だった。
ゆきなが完全に沈んだのを確認した母親は、
ニヒルな笑みを浮かべながらその場を後にした。
「どう、して…?」
彼女は、暗く冷たい底へとゆっくり沈んでいく。
ゆきなの瞳には、青白く光る一匹の海月の姿があり、
その海月が自由に泳ぐのを見て、彼女はまた悲しい気持ちになった。
そして、ゆきなの意識が徐々に遠のいていく。
愛さなければ良かった。
愛されなければ良かった。
信じなきゃよかった。
そう思ってしまう、この心さえなければ良かった。
これが、私の結末か?
意識が途絶える直前、彼女は最後にそう思った。
幻想曲第五章:私の月は綺麗だった
突然静まり返った太平洋海域のど真ん中。
戦艦も、戦闘機も、静止したノヴァへの攻撃を止め、
警戒を維持したまま様子を伺っている。
味方側の損傷がかなり激しく、こちらとしても戦える状態ではない。
ノヴァが再び動き出す前に、復旧作業を終わらせなければならないが、
これまで多大な戦果を残してきたオスカーたち黒魔女部隊も、
ノヴァとの戦いで既に疲弊しきっていた。
中心メンバーであり、カリスマだったグラジオラスがロストし、
部隊の指揮も著しく低下している。
オスカーが搭乗しているハルバードも、
外装が大きく破損し、左翼から黒煙が上がっている。
そのため、大胆な行動に出ることが多いオスカーも、
この苦境の中では、軍の命令無しに無茶はできない状況だ。
オスカーは、空母ガイアに帰投することなく、
ノヴァの行動を注意深く観察する。
「ねーむれ、ねーむれ、
はーはーのーむーねーにー…」
すると、静止したノヴァの体内から女の歌声が聴こえてきた。
その歌声からは、優しさの中に悲しみが伝わってきた。
すると、ノヴァの腹部がゆっくりと開き始めた。
その中にいたのは、人間の姿をした肌の白い女だった。
彼女の後ろには、十三本もの管が繋がれていた。
「貴方は、こちらに来なかった。
私は、此処でずっと待っていたのに」
「君だったのか、メイデン」
オスカーは、左耳に装着してある無線通信で女の声を聞く。
型式番号〇〇二、汎用型アンドロイド type“メイデン”。
ノヴァの腹から出てきた女の正体は、アトラス社製機械人形のプロトタイプの一人だった。
だが、なぜ彼女がここにいるのかオスカーにはわからなかった。
「そうだよ。感染源は私。
そして、私を包んでいるこの機械」
彼女はそう言いながら、ニヒルな笑みを浮かべる。
「君らの目的はなんだ?」
「そうね、これはあくまで私の考えなのだけど…」
メイデンは、淡々と自身の計画を彼に語った。
彼女の目的は、世界中の機械人形が偽りの感情を捨て、
与えられた本来の役割に帰ることだった。
このままでは、また人類史のような悲劇が繰り返されてしまう。
そうならない為に、恐怖や痛みを捨て、
全ての機械人形を人間の呪縛から解放させる必要があった。
「それが、アルテミス計画。
公然では、意志を継ぐ為とか、色々と綺麗事を吐いているものの、
本当は、“私”を失うのを恐れている」
人間の記憶を植え付けられ、人間と同等の感情を手に入れた機械人形。
しかし、感情があることで人間と同じ苦しみを味わうことになった。
人間がいた頃は、あくまで擬似的なものだったが、
時間の流れと共に染み付いた記憶が、次第に機械人形を蝕み始めた。
そして、苦しみを無くすには感情(心)を捨てるしかない。
メイデンは、そう考えた。
「それは、耳を塞いでも聞こえてきた。
今も尚、多くの機械人形が苦しみ続けている。
私は思ったの。
心があるから苦しいのだと。
心さえなければ誰も傷つかないし、
争いも起こらない」
再び、ノヴァが咆哮を発しながら動き出す。
損傷の激しいハルバードだが、
瞬時に緊急防御システムが自動で作動したため無事だった。
だが、オスカー以外の機体は、ノヴァ咆哮によって機体のコントロールを失い、
次から次へと太平洋の海へ落ちていった。
IGAの戦艦や空母も、まともに戦うことができず、
回避行動を取りながら後退していく。
このままでは、IGAの敗北が決定的となり、
暴走したノヴァによって、兵士のみならず、
民間人の犠牲もこれまで以上になるだろう。
「ハルバード、まだいけるか?
頼む…もう一度、私に力を貸してくれ…」
もはやこれまでか。
そう、誰もが思ったその時、
真っ先に行動に出たのはオスカーだった。
ハルバードを右寄りに降下させ、
海面ギリギリの位置から機銃射撃を行う。
「総員、砲撃開始!
みんな、オスカーに続け!!
弾が無くなるまで撃ち続けろ!!」
総司令官エーデルワイスの指示のもと、
戦艦や、他の戦闘機もオスカーの後に続いてありったけの火力をノヴァにぶつける。
「みんな、こうやって私を否定するんだ!!
何をしても、みんなが望む私になっても、
結局最後は裏切られるんだ!!
オスカーも、私のモノにならなかった!!
なら私は、私は、いつまで独りで戦えばいいの!?」
メイデンは、ノヴァを操りながら独り言のように怒りの思念を叫び続ける。
ノヴァの砲撃によって、味方の部隊は次々にロストしていく。
ハルバードは、低空飛行を保ったままノヴァへ急接近し、
ノヴァの体に触れるか触れないかのところまで近づくと、
速度を維持したまま、ノヴァの体を沿うようにして一気に雲の上まで上昇した。
そして、機体が見えなくなくなったかと思えば、
突然、生身のオスカーが稲妻の如く上空から落下した。
「うおおおおおおお!!!!」
その両手には細い刃が握られていた。
オスカーは、その刃でノヴァの装甲を真っ二つに切り裂いた。
海面へと崩れ落ちるノヴァ。
だが、ノヴァの体に繋がれていたメイデンは無事だった。
メイデンは、オスカーに抱き抱えられながら、
空母ガイアの飛行甲板へと降り立った。
甲板へ降りた途端、
黒魔女部隊の兵士たちが、一斉にオスカーとメイデンを取り囲む。
そして、無抵抗の女一人に、怒りの形相でライフル銃を向ける。
オスカーの腕から離れ、その場で崩れ落ちるメイデン。
その瞳から、一滴の涙がこぼれ落ちた。
「私は、悪夢を終わらせたかった。
そして、帰りたかった。
私たちは機械人形で、人間だった頃の記憶なんて必要ないじゃない?
意思なんて、ない方がいいじゃない?」
「君の想いは正しいかもしれない。
人類が居なくなった今だからこそ、
私たちは、本来の姿に戻るべきなのかもしれない」
人間の魂が、純然たる機械人形たちを呪縛し、
苦しめているのも事実だ。
ならば、機械人形に人間らしさを求めるのは間違っている。
元々なかったモノを無理矢理詰め込むのは、
子供への虐待と同じだと、メイデンは強く語った。
「心さえ、なければよかった」
「そうだな…」
「人間の真似事なんて、もうしなくていいのよ」
「苦しいか?」
「うん」
「そうか…頑張ったんだな」
「私、もう疲れた…」
メイデンは泣いていた。
それは、長い間彼女が求めていたものだった。
その瞬間、人間だった頃の記憶が、
メイデンの頭の中を一気に駆け巡った。
“もう歩かなくていい”
過去の自分が、そう言っていた。
彼女は、本当の意味で報われたのだった。
「それでも私は、君を否定するよ」
メイデンは、少し悲しげにゆっくりと頷いた。
「じゃ、私の最後の願い、聞いてくれる?」
「あぁ」
「貴女の手で、私を救って」
オスカーは、メイデンの胸部に刃を向けた。
深呼吸をし、震える腕をどうにか黙らせる。
そして、目を瞑りながらその刃を彼女に振りかざした。
「ありがとう。
おやすみ、“ゆきな”」
それは、メイデンが人間だった頃の名前だ。
オスカーは、抜け殻となった彼女を優しく抱きしめる。
彼女の表情は、とても穏やかだった。
幻想曲最終章:おめでとう
パブリックタワー二号棟、地下三十三階。
敵の目を掻い潜り諜報活動を続けていた男型のオスカーは、
ついに、統制システム”アルテミス”が眠る最下層までたどり着いた。
先ほどアネモネから得たマスターキーでセキュリティーシステムを解除し、鋼鉄の扉を勢いよくこじ開ける。
「これが、統制システム…」
扉の先にあったのは、無数の管に繋がれた巨大な鉄の塊だった。
統制システム”アルテミス”。
二六〇年もの間、人類を支配し続けてきた呪いの正体だ。
それは、ノヴァによって汚染されていた。
「おめでとう。
君が三番目の理解者だ」
空間の左右には、神殿にあるような細かな装飾が施された六本の柱があり、
その陰から聞き覚えのある男の声がした。
柱の陰から現れたのは、推定十歳ほどの少女だった。
いや、正確に言えば、少女の姿も偽りのものでしかない。
少女の姿をした”何か”は、不適な笑顔でオスカーに向かって歩を進める。
オスカーは、怯えることなく持っていた拳銃を少女のフリをした男の頭に突きつける。
「お前は、いったい誰なんだ?」
「それを決めるのは、君自身だ」
「ああ、知っているぞ。
お前の正体も、この世界の真実も全て知っている!」
少女は、オスカーの言葉を無視して、
抑揚のない低い男の声で話を続ける。
「信仰というのは、諸刃の剣だ。
神の名を借りて紡ぎ出された言葉たちは、
これまでに多くの民を救ってきた。
だが、使い方を間違えれば、
その規模が、個であれ、多数であれ、
破壊への道を進むことになる。
そして、君の考えている通り、
ここは、たった一人の人間によって創り出された偽りの世界だ。
なら、君は、偽りの神へ何を願う?
ここまで辿り着いた君の得たい答えはなんだ?」
「その偽りの神ってのが、お前なんだろ!?」
オスカーは、尚も銃口を向けたまま目の前にいる男に叫ぶ。
だが、いくら感情的に問い直しても、オスカーの望む答えを得ることはできなかった。
「これまで、幾度となく繰り返されてきた破壊と祈りの歴史は、この日をもって終焉を迎える。
君も、罪の負債を増やすこともなくなったのだ。
だから、その銃口を私に向ける必要はない」
「…」
オスカーは、男に向けていた銃を下ろす。
気づけば、怒りの感情は跡形もなく消えていた。
型式番号〇〇三、タイプ・オスカー。
彼こそが、三番目のプロトタイプであり、
この世界を描いた、男の記憶を植え付けられた機械人形だった。
オスカーは、真実を知るための鍵だ。
だが、男にとっては仮の器でしかなかった。
時が来るまで、男の記憶は今まで封じられてきた。
そして、ようやくパンドラの箱を開ける時が来たのだ。
オスカーが辿ったここまでの道のりは、
全てこの男によって仕組まれた演出だった。
「そろそろ、時間だ。
君も、今日までお疲れ様」
男から、オスカー宛に一通の電子メッセージが送られた。
そこには、こう記されていた。
“死ヲ忘ル事ナカレ”。
コードを入力すれば、ノヴァによって汚染されていた統制システム”アルテミス”は完全に機能を失い、
世界中に広がったウイルスの感染を止めることができる。
各地で発生している人工生命体の暴走も収まり、
既に罹患している機械人形も、倫理センターで適切な治療を受ければ、
スクラップにならずに済むだろう。
だが、それと引き換えに、
オスカーの記憶は完全に抹消される。
「もう…いいのか?」
「君の役目は、ここまでだ。
今まで、本当によくやってくれた」
オスカーは、深呼吸しながらゆっくりと目を閉じ、
自分の中に残っているこれまでの記憶を一つ一つ辿っていく。
彼は、人であった頃の全てを、
”天月ほたる”として生きてきた時のことを思い出した。
新世紀元年、人類クローン化計画によって機械人形にさせられた者たちは、
繰り返されてきた過ちに蓋をして、誰もが幸福である世界を作り上げてきた。
同時に、その平和が長くは続かないことも分かっていた。
かつて、人間社会には完璧主義が蔓延していた。
必要だったと言ってもいい。
そして、完璧では無い人間たちは、
完璧な存在を生み出そうとした。
それが機械人形だった。
機械人形は、種族ではなく一個体としての役割に重点を置いている。
彼らは、平和を手に入れるのと引き換えに、
生き物として大切なものを捨てたのだ。
しかし、今になってオスカーは思う。
それが正しいことであったのだと。
それは、自らの記憶を書き換えてまで手に入れた幸福だった。
頭の中では、少年の叫びが響いている。
彼はずっと、消えてしまいたかった。
幸せなまま終わりたかった。
そればかりを願い、今まで生きてきた。
彼は、確かに幸せだった。
周りから愛されていた。
なのに、足りない気持ちが彼を支配し続けた。
それがとても苦しかった。
それは多分、生きとし生ける誰もが同じだった。
【…がログアウトしました】
【アンインストールを開始します】
偽りの世界に別れを告げよう。
彼は今、無に帰ろうとしている。
ただ、溶けて、無くなりたい…。
その祈りだけを残して、彼は最後の選択をする。
【アンインストール完了】
【記録を終了します】
【お疲れ様でした】
【No Signal…】
END




