あずいず 〜僕は妹の兄なのに、【美少女姉妹ユニット】としてバズりました〜
入学式の日。
僕は、ちゃんと男子の制服を着ていた。
新品のブレザーに、少し硬いシャツ。
まだ結び慣れないネクタイを締めて、下はスカートじゃなくパンツスタイル。
長い髪は、いつもよりきつめにポニーテールでまとめた。
鏡の前で何度も確認した。
よし。
今日は誰がどう見ても男子だ。
本当なら、入学式には母さんが来る予定だった。
でも梓の女子高の入学式と時間が重なってしまい、母さんは梓の方へ行くことになった。
僕の高校は電車で行けるし、クラス表を見て教室に入るだけなら一人でも困らない。
家を出て、最寄り駅から電車に乗った。
高校までは乗り換え込みで45分。
車内では、別の学校の制服を着た女子が僕の足元を見て、それから顔を見た。
たぶん、パンツスタイルの女子だと思われている。
駅を出ると、同じブレザーの生徒が少しずつ増えていく。
この中に混ざれば、さすがに男子だと分かってもらえるはずだった。
そう思って校門をくぐった三秒後、前を歩いていた女子二人組の片方が、こちらをちらっと見て言った。
「ねえ、見て。あの子、パンツスタイルなんだ。めっちゃ可愛くない?」
……違う。
僕は男だ。
心の中でそう叫んだが、口には出さなかった。
なぜなら、これまでの十五年間で学んでしまったからだ。
こういう時に「男です」と訂正すると、だいたい余計に面倒なことになる。
「えっ、嘘でしょ?」
「声も女の子みたい」
「じゃあ、男の子ってこと?」
「かわいい」
「かわいい男の子だ」
「それはそれであり」
……ありじゃない。
僕は普通に男子として生きたいだけなのに、周囲は勝手に僕を珍しい生き物みたいに扱う。
僕の名前は泉。
高校一年生になったばかりの、れっきとした男だ。
ただ、顔が少しだけ女の子っぽい。
………少しではないかもしれない。
双子の妹である梓と並ぶと、初対面の人にはだいたい「姉妹?」と聞かれる。
しかも僕の方が髪が長いせいで、たいてい僕が姉だと思われる。
僕は兄だ。
兄なのに。
この髪も、本当は切りたい。
できればベリーショート…いや、あの伝説のスポーツ刈りに挑戦してみたい!
前髪も短くして、襟足もなくして、誰がどう見ても男子に見えるくらいにしたい!
けれど、家族はそれを許さなかった。
母さんは言う。
「泉、その顔で短髪はもったいないわよ」
梓は言う。
「泉ちゃんが髪切ったら、あずいずのビジュアルが崩れちゃう」
ぜんぜん崩れていい。
むしろ崩して終わらせたい。
でも、そのたびに梓は真顔で続ける。
「だめ。泉ちゃんの横顔と髪の流れは、うちの生命線だから」
生命線ってなんだ。
僕は決して、妹のプロモーション素材ではない。
……とはいえ。
その妹と僕が、いま少しだけ面倒なことになっているのも事実だった。
きっかけは、入学式一週間前。
梓が、僕の作った曲をショート動画サイトに投稿した。
曲名は『聞こえてますか』。
僕が作詞作曲をして、ピアノも弾いた。
メインボーカルは梓。
仮で入れていた僕のコーラスも、なぜかそのまま残された。
理由を聞くと、梓は悪びれもせずに言った。
「だって、泉ちゃんの声が入ってる方が綺麗だったから」
僕の声は、男にしてはかなり高い。
……かなりじゃないかも。
普通に話していても女の子に間違われるくらいだから、歌うともっとひどい。
梓と声質が近いせいで、二人でハモると、まるで同じ声が上下に分かれているように聞こえるらしい。
それが、結果的にバズった。
投稿した翌日には再生数が10万を超え、3日目には50万まで伸びた。
昨日の夜には、ついに120万再生を超えた。
コメント欄は、だいたいこんな感じだった。
『透明感えぐい』
『姉妹でこのハモリは反則』
『双子歌姫きた』
『あずいず尊い』
『梓ちゃんが天使すぎる』
『泉ちゃんの低めの声好き』
『姉妹でデビューしてほしい』
泉ちゃんじゃない。
僕は泉くんだ。
そして姉妹ではない。
兄妹だ。
それなのに、ネットの中では僕と梓はいつの間にか『美少女姉妹ユニット』ということになっていた。
アカウント名は、あずいず。
梓の「あず」と、泉の「いず」。
小学生の頃、梓が適当につけた呼び名だ。
家の中でだけ使っていたその名前が、今では知らない人たちに呼ばれている。
知らない人たちが「あずいず」と呼んでいるだけで、家の中に置いてあった呼び名まで広い世界へと持ち出されたような気がした。
うれしくないわけじゃない。
自分の作った曲が、誰かに届いている。
それは、素直にうれしい。
でもコメントで伸びているのは、曲そのものよりも『姉妹』や『歌姫』という言葉ばかりだった。
僕は男なのに。
僕は兄なのに。
僕は、妹の姉じゃないのに。
そんなことを考えながら、僕は昇降口へ向かった。
入口にはクラス表と校内案内が貼られていて、その横に案内係らしい先輩が立っていた。
僕が足を止めると、先輩は僕の顔を見るなり、にこっと笑った。
「新入生の女の子? 一年の教室は二階だよ」
「男子です」
「えっ?」
「男子です」
先輩の視線は、ブレザーからネクタイ、パンツスタイルへと順に下りていった。
そして最後に、もう一度僕の顔へ戻ってきた。
「……ほんとだ。えっ? ほんとに??」
ほんとだ、じゃない。
疑問形も要らないし、最初からほんとだ。
先輩は慌てて校内案内を指した。
「一年の教室は二階。クラス表で教室を確認してから上がって。ごめん、きれいな顔してるし、髪もポニーテールだろ? 流石に間違えるよ」
きれいな顔。
言われ慣れた言葉だ。
褒め言葉だということは分かっている。
悪意がないことも分かっている。
でも、僕にとってそれは、褒め言葉のまま受け取れない。
男なのになよなよしている。
男なのに女みたい。
男なのに頼りなさそう。
男なのに可愛い。
昔から、そういう言葉を何度も聞いてきた。
男子からはからかわれた。
女子からは可愛がられた。
どちらにしても、男として扱われている気がしなかった。
だから高校では、少しだけ変わりたかった。
梓は女子高へ、僕は共学へ進んだ。
別の学校を選んだのは、妹と並べられる時間を少しでも減らしたかったからだ。
妹と離れれば、少なくとも「姉妹」とは言われないはずだった。
そう思っていた。
思っていたのに。
「え? あの子男子の制服着てるけど…」
「ねえ、あの子、男子なの?」
「うそ、めっちゃ可愛い」
「髪さらさら」
「男装女子じゃなくて?」
「男子制服似合いすぎじゃない?」
教室に入るまでに、僕はもう三回くらい心が折れかけていた。
教室の黒板には、一年二組と書かれていた。
指定された席は窓際の後ろから二番目。
僕はそこに座り、できるだけ目立たないように鞄を机の横に掛けた。
目立たないように。
それは、僕の人生において最も成功率の低い作戦だった。
「前の席だから、たぶん何かと近いよな。よろしく」
声をかけてきたのは、前の席の男子だった。
短い髪に、明るそうな目をしている。
「よろしく」
僕が返すと、男子は一瞬だけ固まった。
それから僕の顔を見て、制服を見て、もう一度顔を見た。
「……え、男?」
「男」
「ごめん。いや、最初ちょっと分かんなくて」
やっぱりか。
「……声、綺麗だな」
「普通だよ」
「いや、普通ではないだろ。なんか、歌うまそう」
何気ない一言に、返事が一拍遅れた。
なんで分かるんだ。
「…別に」
「そう? あ、俺、高瀬。高瀬陸」
「水瀬泉」
「水瀬泉か。名前、綺麗だな」
「男の名前としても普通にあるよ」
「いや、そういう意味じゃなくて」
高瀬は慌てて手を振った。
「悪い。嫌だった?」
「……少し」
「じゃあ言わない。ごめん」
思ったより、あっさり謝られた。
僕は少しだけ驚いた。
こういう時、たいていの人は「褒めてるのに」とか「気にしすぎ」とか言う。
でも高瀬は、それ以上踏み込んでこなかった。
少し、助かった。
やがて担任の先生が教室に入ってきた。
簡単な出欠確認のあと、新入生はクラスごとに講堂へ移動することになった。
入学式はつつがなく終わった。
いや、新入生入場のときに少しだけ騒がれたくらい…だった。
校長先生の長い話と担任の先生の紹介を聞き、僕たちはまた教室へ戻った。
そこから簡単なホームルームが始まった。
自己紹介では、また少しざわついた。
「水瀬泉です。よろしくお願いします」
できるだけ低い声を出したつもりだった。
けれど、女子の誰かが小さく「声まで可愛い」と言ったのが聞こえた。
聞こえている。
全部、聞こえている。
僕は席に戻りながら、心の中でため息をついた。
高校生活初日。
すでに前途多難だった。
そして、問題は昼休みに起きた。
「なあ、水瀬」
高瀬がスマホを片手に振り向いた。
「これ、見たことある?」
嫌な予感がした。
画面には、見慣れた動画が映っていた。
白い壁をバックに黒い電子ピアノがある。
その横に立つ梓。
梓がメインで映っているが、僕もピアノを弾いているので思いっきり映り込んでいる。
流れているのは、『聞こえてますか』。
あずいずの動画だった。
「……ない」
嘘をついた。
人生で一番下手すぎる嘘だった。
「今、一瞬で目泳いだぞ」
「泳いでない」
「これさ、昨日めっちゃ流れてきたんだけど」
「へえ」
「この右側の子、水瀬に似てない?」
「他人の空似じゃない?」
「声も似てない?」
「声は映像じゃ分からないだろ」
「いや、コーラス入ってるし」
名探偵並みに鋭い。
高校一年生、初対面のくせに鋭すぎる。
高瀬は動画のコメント欄をスクロールした。
『あずいず姉妹、顔面偏差値高すぎ』
『妹ちゃんも姉ちゃんも可愛い』
『低音ハモリの方、絶対美人』
『顔もっと見せて』
『デビューまだ?』
学校で見るものでは決して…ない。
「なあ、水瀬」
「違う」
「まだ何も言ってない」
「違うから」
「この『いず』って、泉の『いず』?」
「違う」
「じゃあ、あずは?」
「知らない」
「妹とか?」
「……」
沈黙してしまった。
高瀬の目が、きらっと光った。
「いるんだ、妹」
「いるけど」
「名前、梓?」
「……」
「当たりか」
僕は机に額をつけたくなった。
どうしてこうなった。
「大丈夫。誰にも言わない」
「本当に?」
「っていうかたぶんいう必要はないだろう」
「なんで?」
「いや、でもこれ、もうクラスの女子も見てると思うぞ。周り見て見ろよ」
その言葉通りだった。
斜め前の女子が、こちらをちらちら見ていた。
さらにその隣の子も、スマホを見ながらひそひそ話している。
そして数分後。
「水瀬くん」
女子三人が、僕の席の前に立った。
終わった。
高校生活が、初日の昼休みで終わった。
「この動画の人って、水瀬くん?」
「違います」
「じゃあ、妹さん?」
「それは……」
「『あずいず』って、梓ちゃんと泉くん?」
「……」
「やっぱり!」
教室の一部がざわついた。
「え、本人?」
「あずいずの?」
「姉妹じゃなかったの?」
「泉くん、男だよね?」
「じゃあ兄妹?」
「でも動画だと完全に姉妹じゃん」
「歌ってるの、泉くんなの?」
違う。
いや、違わない。
でも、そうじゃない。
僕は両手で顔を覆った。
「……僕は、妹の姉じゃない」
思わず漏れた声は、教室のざわめきに飲まれると思った。
でも、なぜかその一言だけは妙にはっきり響いた。
一瞬、静かになった教室で、高瀬が小さく吹き出した。
「名言出たな」
「笑うな」
「悪い。でも、ちょっと面白い」
「僕は真剣なんだけど」
「分かってる。だから余計に」
分かっていない。
絶対に分かっていない。
その時、僕のスマホにメッセージが届いた。
梓からだった。
『お兄ちゃん、生きてる?』
僕は机の下で返信した。
『順調に死にかけてる』
すぐに既読がついた。
『こっちもバレた』
『女子高なのに?』
『女子高だからだよ。情報網が怖い』
想像して、少しだけ笑ってしまった。
梓はたぶん、今ごろ女子高で囲まれている。
「姉妹ユニットって本当?」とか「お姉さん綺麗だね」とか言われているに違いない。
お姉さんではない。
兄だ。
梓からさらにメッセージが来た。
『今日、放課後そっち寄る』
『なんで』
『新曲の仮歌録る。あと、お兄ちゃんが髪を切らないように監視する』
『切らないよ。今日は』
『今日は、って何』
『いつか切る』
『だめ。絶対だめ』
『僕の髪なんだけど』
『あずいずの財産です』
僕はスマホを伏せた。
またそれだ。
僕の顔。
僕の髪。
僕の声。
全部、自分のもののはずなのに、いつの間にか誰かの期待に巻き込まれていく。
可愛い。
綺麗。
姉妹みたい。
歌姫みたい。
そう呼ばれるたびに、僕の顔も髪も声も、僕より先に勝手な役を与えられていく気がした。
でも。
梓の歌に自分の声を重ねた時だけは、誰かに決めつけられた声ではなくなる。
女の子みたいだと言われる高い声も、妹と同じように聞こえる声も。
その時だけは、僕が選んで鳴らしている音になる。
梓の声の隙間に、僕の声がすっと入る。
旋律が二つに分かれて、また一つに戻る。
一人では出せない響きになる。
その瞬間だけは、僕は自分の声を嫌いになれない。
◇
放課後。
案の定、校門の外には梓が立っていた。
女子高の制服を着た妹は、今日も悔しいくらい可愛かった。
同じ顔のはずなのに、なぜか梓はちゃんと女の子に見える。
僕は男に見えないのに。
「泉ちゃん!」
梓が手を振る。
その瞬間、周囲の視線が一斉に集まった。
「え、似すぎ」
「双子?」
「あずいずの子じゃない?」
「やっぱり本人?」
梓は、そんな視線をまったく気にしていない様子で、僕の前に立った。
「無事?」
「見ろよ。これ無事に見える?」
「バレた?」
「半分くらい」
「半分ならセーフ」
「何が?」
「全部バレたらアウト」
「アウトの基準がおかしい」
梓は楽しそうに笑った。
僕と同じ顔で。
僕よりずっと堂々と。
「それで、どこで録るの?」
「録る前提なの?」
「うん。新曲、今日の朝できたんでしょ?」
「……できたけど」
「じゃあ録る」
「僕、今日入学式だったんだけど」
「だからいいんじゃん。高校生活初日に作る曲なんて、一生に一回しかないよ」
そう言われると、少しだけ言い返しづらかった。
僕たちは学校近くの小さな音楽スタジオに入った。
家の部屋でも録れる。
でも今日は、学校で浴びた視線や、校門で梓が笑っていたことまで、その日のうちに音にしておきたかった。
スタジオの中で、梓はマイクの前に立った。
僕は電子ピアノの前に座る。
楽譜はない。
コードとメロディは、もう頭の中にある。
「タイトルは?」
梓が聞いた。
「まだ決めてない」
「じゃあ仮で」
「『僕は妹の姉じゃない』」
「それ曲名?」
「今日の気分」
梓は吹き出した。
「いいじゃん」
「よくない」
「でも、泉ちゃんらしい」
僕らしい。
笑って返そうとしたのに、すぐには声が出なかった。
梓はヘッドホンをつけた。
僕も片耳だけヘッドホンを当てる。
指を鍵盤に置いた。
最初の音を鳴らす。
まだ冷たい春の空気も、新品の制服の硬さも、知らない教室で向けられた視線も、鍵盤の上で形を変えていく。
パンツスタイルの女子だと思われた朝も、あずいずだとバレかけた昼も、校門で笑っていた梓の顔も、指を動かすたびに旋律の中へ混ざっていった。
梓が歌い出した。
透明で、まっすぐな声。
僕はその下に、自分の声を重ねた。
僕の声は低すぎず、高すぎず、梓の声を支える位置に入る。
でも、ただ後ろに隠れるのではなく、同じ場所に立つように重ねた。
歌いながら、ふと思った。
僕はずっと、この声が嫌いだった。
男なのに女みたいだと言われる声。
男なのに可愛いと言われる顔。
男なのに男扱いされない自分。
でも、梓の隣で歌う時だけ、この声はちゃんと僕のものになる。
誰かに決められた「姉妹」ではなく。
誰かに押しつけられた「可愛い男の子」でもなく。
梓と泉。
あずいず。
二人でしか作れない音になる。
録音が終わった後、梓は再生ボタンを押した。
スタジオのスピーカーから、僕らの声が流れる。
梓は目を閉じて聞いていた。
僕は、自分の声が聞こえるたびに少しだけ落ち着かなくなった。
そして曲が終わる。
梓が言った。
「やっぱり、泉ちゃんの声が入ってる方が好き」
「……僕は、たまに嫌になるけど」
「知ってる」
「男に見られたいんだよ」
「知ってる」
「姉妹って言われるのも、正直きつい」
「うん」
梓は、いつもの軽い調子ではなく、静かに頷いた。
「でもね、泉ちゃん」
「何?」
「あずいずは、泉ちゃんがいないとただの私になる」
僕は黙った。
「私の歌を一番分かってるのは、泉ちゃんだよ。私の声を一番綺麗にしてくれるのも、泉ちゃん。だから、顔とか髪とか声とか、そういうの全部抜きにしても、私は泉ちゃんと歌いたい」
「……ずるい」
「何が?」
「そう言われたら、断れない」
梓は少しだけ得意げに笑った。
「知ってる」
その日の夜。
僕たちは新しい動画を投稿した。
梓の歌と僕のコーラス、それから僕のピアノは、そのまま映っていた。
ありのままの二人がそこに映っていた。
投稿ボタンを押してから、十分もしないうちにコメントが流れ始めた。
『新曲きた!』
『あずいず待ってた』
『やっぱり姉妹ハモリ最高』
『声の相性よすぎ』
『低音の子、今日ちょっと切ない』
『歌詞が刺さる』
『この二人、絶対デビューする』
また姉妹と言われている。
僕は画面の数字を見たまま、コメント欄から指を離した。
隣で梓が笑っている。
「泉ちゃん、コメント返す?」
「返さない」
「姉妹じゃなくて兄妹ですって書く?」
僕は少し迷った。
指が、コメント欄の上で止まる。
いつかは言いたい。
ちゃんと、僕は兄だと。
梓の姉ではなく、泉という男だと。
でも今は、まだ。
言葉より先に、歌を届かせたいと思った。
僕はプロフィール欄を開いた。
そこには、梓が勝手に書いた紹介文があった。
『双子姉妹ユニット、あずいずです。梓が歌って、泉が曲を作っています。』
僕は「姉妹」の二文字を消した。
そして、こう書き直した。
『双子ユニット、あずいずです。梓が歌って、泉が曲を作っています。』
たった二文字。
でも、僕にとっては大きな二文字だった。
「泉ちゃん」
「何」
「ちょっと前進?」
「…たぶん」
「じゃあ、髪は?」
「切りたい」
「だめ」
「そこは前進しないんだ」
「そこは事務所から連絡が来るまで保留」
「もう来てるよ」
「えっ?」
僕はスマホの通知を見せた。
動画サイトの公式アカウントと、聞いたことのある音楽レーベル。
その両方から、メッセージが届いていた。
梓が固まった。
「……泉ちゃん」
「何?」
「髪、絶対切っちゃだめ」
「そこ?」
「そこ!!」
僕は笑ってしまった。
本当は、少し怖い。
明日学校に行けば、今日よりもっと騒がれるかもしれない。
あずいずの泉だとバレるかもしれない。
またパンツスタイルの女子だと思われるかもしれない。
また姉妹みたいだと言われるかもしれない。
それでも。
僕の作った曲が、誰かに届いている。
僕の声が、梓の歌を支えている。
僕たちの音楽が、少しずつ遠くへ行こうとしている。
なら、もう少しだけ。
この長い髪も。
この高い声も。
この困った顔も。
全部抱えたまま、歌ってみてもいいのかもしれない。
僕は妹の姉じゃない。
もちろん、歌姫でもない。
でも、梓の隣で声を重ねる時だけは、僕は確かに「あずいず」の泉だった。
スマホの画面で、再生数がまた一つ増える。
コメントが流れる。
『あずいず、好き』
僕は増えていくコメントをもう一度見て、梓に言った。
「次の曲、作るよ」
梓は、当然みたいに笑った。
「うん。待ってた」
こうして僕の高校生活は、入学初日にだいたい終わった。
そして同じ日。
あずいずの三年間が、たぶん始まった。
たまにはこういう作品もいいかなって作りました。
『会社をクビに…』や『ダンジョン湖畔…』の箸休めとして見て頂ければ嬉しいです。




