芽吹き (前編)
2025年の春、 高校生になって二度目の春
俺、百千 葉は、春休み気分が抜けきらないままの腑抜けた顔で、自身の通っている 都立息吹高等学校へと足を運んだ。
昨日は始業式と新クラスへの移動だけで終わったが、今日の三限目からは通常授業が始まる。考えただけで家が恋しくなるが、一応こんな底辺高校でも学費は払っているのだから授業を聴いとくぐらいの事はしておかないと損だ。
午前8時30分 担任教師がクラスのドアを爽快に開け「おはよう」と声を挙げた、出席率は38分の33、まあこの学校にしては上出来と言ったところだろう。
今日の一・二限目はHRで諸連絡と自己紹介、担任の定型文的な「進級したのだからどうたらこうたらやら」の話を聞かされた俺はもう既に眠気に襲われてしまった。
数学教師のくせに国語教師よりも長く、つまらない話を聞かされるのは朝から耳に悪い、これで鼓膜が腐ったら是非労災扱いにして欲しい。
そんな時間が終わり二限目は遂に自己紹介、ここでふざける勇気は俺には無いので例年通り好きな食べ物はラーメンですと言って後ろの席の奴に回そう。
そういえば、一年の頃喋っていたクラスメイトとはほぼ離れてしまったな、今年も一緒のクラスなのは...豊島ぐらいか。
そんな事を考えている内に自己紹介は順調に進んで行っていた、最初の数人分は聞き逃した、スマン。
「大滝 昇です! 部活はサッカー部で、好きな食べ物はビーフストロガノフです!」
おっと、もう俺の番か
「百千 葉です、部活は入ってなくて 好きな食べ物は味噌ラーメンです」
よし、これでもう俺の仕事は終わりだな、安心感に包まれながら着席した俺は、後ろの席の奴の自己紹介を聞くために腰の方向を45度くらい変えた、そして立ち上がった後ろの女子の顔を軽く見上げた。
今思えば何故この時コイツの顔を見上げてしまったんだと言いたい、良くも悪くも俺の高校生活、いやこれからの人生が全て変わってしまったのだから・・・
「春日野 芽久です!今年からこの学校へ通うことになりました!まだ分からない事が沢山あるので皆さん優しくしてくれると嬉しいです!前の学校では部活動頑張ってたんですけどこの学校では何をするか決めてません!好きな食べ物はモンブランで趣味はウクレレです!」
俺の三倍以上の長さの自己紹介を詠みあげたその女子生徒は、典型的な優等生タイプの大人っぽい黒髪ロングに似合わない、元気溌剌な喋り方でクラスメイトの視線を一網打尽にしていた。
やけに優しく聞き心地の良い声は、一瞬で一限目のクソつまらない話で疲労していた俺の耳を回復させ、強化バフすら授けてくれたように感じる。
そして何より、この女子は顔立ちが非常に優れており、俺は彼女の自己紹介の間ずっと彼女の顔を見続けてしまっていた。
きっとこの時の俺は、いつも以上に醜い顔だっただろうから彼女には気づかれていないと信じたい。
二限目終わりまで20分程度の所で自己紹介が終わり教室内での自由時間と言う事になった、俺は見事に自己紹介で爆死をした豊島の事を慰めてやろうと彼の席の近くに行き声をかけた。
「よっ、これから厳しい一年間になるだろうが心を強く持って頑張れよ」
「酷いな百千、友人なら俺の自己紹介の時 爆笑でもして俺に救いの手を差し伸べてくれても良かったんだぜ?」
「それは無理難題だな、素人の芸人モノマネほど反応に困る物は無い、ましてや俺らの様なクラスカースト下位がそれを行った暁には予定から数万年早く氷河期が到来してしまう」
そんな他愛もない話をしている内に話題はこのクラス、2年6組のクラスメイトの話になった。
「今年のクラスは外れだな、問題児が多すぎる」
「そうなのか?限られた人間としか関わりが無いので他者の評価を全然知らない」
「まず未成年飲酒の佐々木だろ?教師に殴りかかった高橋、万引きの若崎も居る」
「この学校の治安の悪さにはいつも驚愕させられるな、他の学校なら即退学にしても文句無いだろうに」
「公立の底辺学校なんてこんなもんさ、悪人の受け皿になって他所に迷惑が掛からないように叩き直すしかない」
ちゃんと叩き直せてない気がするのはこの学校の鍛冶職人のレベルが低いからか?とも思ったが、いつも職員室で電話越しに頭を下げている生活指導部の先生方を見ていると口に出す気にはなれないな。
「でも女子に関しては当たりだ、水木に相沢、栗田も居る、皆この学校では上位のヒロインだ」
「ヒロイン?と言うほど俺には光って見えないが.....全員 茶髪 金髪のギャルオンパレードじゃないか」
「それはお前と俺の趣味の違いだ、俺はギャルが好きだからこの学校に来た」
「よくもそんなこっぱずかしい話を人前で堂々と言えるもんだ......」
二限目終了のチャイム音が聞こえた。
俺は三限目の授業準備の為に、クラス外にある自分のロッカーに向かうため豊島の席から離れようと後ろを振り返ったが、何やらクラスの後ろの方で人塊が出来ていた。
俺の席には金髪ギャルの栗田さんが後ろを向いて座っており、その周りにも6、7人程度のクラスメイトが、どんな美容用品使ってるの?だとか、LINE交換しよ!などの声が聞こえてくる、どうやら転校生の春日野さんへの質疑応答をしているらしい。
「すげー人気だな春日野さん、やっぱり美女に質問をしたくなるのは男女変わらないか」豊島がそうつぶやく。
「ギャル好きの豊島でも黒髪ロングの人を美女と評価できるんだな」
「いや、普段は評価しないぜ?でも何て言うか、オーラから違うって言うか、少なくともこの学校では見たことの無いレベルで綺麗だからつい....」
「人の趣味を超えるレベルの美女か、時代が時代なら世界何大美人にも選ばれてたかもしれんな」
そんな事をダラダラと話していたら三限目開始のチャイムが鳴ってしまった、授業準備が出来なかったじゃないか許せねぇぞ美女。
そんなこんなしていると、あっという間に4限目まで授業が終わってしまい、45分間の昼休みになった。
「春日野さん一緒にお弁当食べよ~」と、俺の席近くまで群がってくるギャルやチャラ男を横目に見ながら、俺と豊島は自分達のクラスから一番遠い2年1組へと弁当箱を片手に移動し、教卓周辺で机椅子を並べてコロニーを形成している部族たちへの仲間入りを果たした。
こいつ等5人とは1年生の夏休み明け辺りから交流が始まり、それ以来 昼休みになると一緒に机を囲み弁当を食いながら雑談やスマホでゲームをする[ 昼休み皆で集まれば怖くない]友達と言った所だ。
今日の雑談の話題はそれぞれのクラスの雰囲気についてで、1組の担任はハズレだとか2組の男子陣が運動部ばっかで体育祭は優勝候補だとか、そんな感じの話を聞きながら、俺は母お手製の野菜炒め弁当を食っていた。
「てか6組ずるくね?とんでもなく可愛い転校生が来たんだろ?」そう話を振って来たのは1組の石神だ、どうやら彼女の噂はもう学年全体に行き渡ったらしい。
「俺、三限の体育終わりに6組を覗いたけど本当に一人だけレベルが違ったな、間違いなくこの学校で一番の美女だ、百千 あんな可愛い子が後ろの席なんてずるいぞ、さっさと息絶えろ」と3組の仲野が因縁をつけてきた。
「それは年度始めでは名前順で席を決める事にした先生達に言ってきて欲しいんだが」
「かもしれないな、スマン悪かった」
物分かりが良いのか悪いのか.....
「そもそも何でそんな美人がこの学校に転校してきたのかが俺は不思議でしょうがない」
「あれじゃねー実は頭がおばかなんじゃなーい?」
「そんな事もなさそうだけどな、さっきの英コミュで英文をスラスラ和訳して先生に褒められていたし」
石神と同じ1組の清水と鳥津の話に豊島が口をはさんだ。確かにそれは俺も疑問に思った、何故こんな学校をわざわざ選んでしまったのか、まあ公立学校に簡単に転入したいという理由なら、ここみたいな底辺校を志望するというのも一つの手だと思うが、だとしても勿体ない気がする。
そして最後に
「美女は怖いぞ、大抵裏があるもんだ」と小さめの声で2組の木林が吐き捨てた、このメンバーの中で一番恋愛に詳しい木林が言うんだ、ある程度の信憑性は見込める。
今後あの転校生と話すことはほぼ無いと思うが一応警戒しておくか、そう思った時、昼休み終了のチャイムが鳴った。
五・六限目は特に何もなく終わり、今日の授業はこれで終了だ、やけに間の10分休みでクラス前の人通りが多かったが、どうせ転校生を一目見たいからと言うしょうもない理由だろう。鎌倉の仏像みたいに拝観料金を取ったら結構儲かるかもしれないな。
放課後、俺は1年生の頃から続けているルーティーンを遂行するため校舎1階の図書室へと向かった。
毎週、火 水 木は図書室へ赴きライトノベルを1巻分読み終えて家へ帰宅する。元はと言えば高校デビューのスタートダッシュに失敗して、一緒に遊びに行くような友人も作れなかった俺が、学校で何か成し遂げた感を出すために図書室にあるラノベを全作品全巻読んでやると意気込んだ事から始まった行為だ。
如何せん、小さい図書室の割に貯蔵されているライトノベルのラインナップが豊富なせいで、全ての作品を読み終えるには、このペースで行くと二、三回は留年しないと間に合わなそうだがな。
図書室には余り人が来ないせいで、この学校にしては珍しく集中して物事に取り組む事ができる。
かく言う俺は、いつも集中してライトノベルの主人公に感情移入をし、物語の世界に入りこんでいた。こんな生活を一年近く続けていると、日常生活中の思考や喋りも意図せずラノベ主人公的な振る舞いになってしまうから気を付けなくては。
図書室に入った俺は、司書さんに軽く挨拶をし、今読み進めているラノベシリーズを一冊手に取り、いつも通り長机の端っこの席に座った。
それから5分ほど経った時、俺の左肩方向にあるドアが開いた音がした、きっと真面目な3年生が受験勉強でもしに来たんだろう、そう考えながら手にあるラノベのページを一枚捲った。
「おや、見ない顔だね、新入生?」と司書さんが声をかけた
「新入生じゃ無くて転校生です!よろしくお願いします!」
聞き心地の良い声に元気の良い喋り方、見なくても分かる、春日野 芽久だ。確かに見た目は典型的な優等生タイプだし、図書室に足を運んできてもおかしくないな。
「そうなんだ、上履きの色的に2年生かな?3年になると忙しくなっちゃうから本を読むなら今の内だよ~」と司書さんが読書を促し、それに対して春日野は
「そうですね、じゃあ早速読んで行こうかな!」と元気な喋り方で返していた。
そんなやり取りには顧みず、図書室を徘徊している春日野の足音を聞きながらも、俺は目の前のラノベに集中していた。
暫くすると興味のある本が見つかったのか、春日野の足音は俺の座っている長机の方へと向かってきており、そして、俺が座っている椅子と机を挟んで向かい合わせの椅子に春日野が座った。
何故?長机は4卓もある、更に一つの机につき椅子は10脚もある、何故わざわざ俺の前に座るんだ?
「百千君だよね? 私後ろの席の春日野 芽久! 」 そう彼女が俺に声をかけてきた。