5.才女は失敗から何かを学ぶ
やっぱり、私は人の心がわからないのだろうか。
それで実はみんなに嫌われているのだろうか・・・・。
いや、一人だけいる。こんな私を好きだと言ってくれた人が。
林太郎と話したい。彼と会ってあの夜みたいに慰めて欲しい。
そう思って林太郎に電話したが、やはり出てくれなかった。
「まったく・・・何で出てくれないの?どうしたら林太郎に連絡が取れるの?」
林太郎の実家との関係は最悪だからそちらに連絡することもできないし、共通の友人もいない。林太郎に友人を紹介してもらったこともない。
「そういえば、林太郎はおじい様にも話をしてあると言ってたわね。おじい様は何か知っているかもしれない。気が進まないけど電話してみるか・・・。」
そうつぶやきながら祖父の秘書に電話したところ、タイミングよく今ならば電話で話せるということだったので、すぐに祖父につないでもらった。
「ああ、美野里。今回は残念だったな・・・。」
電話に出た祖父の声は、いつもの力がみなぎる感じとは違って心なしか元気がない様子だった。
「おじい様、何かご存じなんですね。なぜか林太郎と連絡が取れないのですが。」
「うん・・・。まあ、今回は縁がなかったということで仕方ないと思う。先方も無かったことにしてくれると言ってくれているし・・・。」
「ちょっと待ってください。私は1年以上も一緒に暮らしたんですよ。突然何もなかったことになんてできませんよ!!理由を説明していただけませんか。」
「美野里・・・もしかしてまったく身に覚えがないのか?」
「もちろんです。この1年、林太郎が立派になるようかわいがって育ててきました。それなのに急に縁談を無かったことにするなんて言われて納得できません。」
きっぱりと伝えると、電話口の向こうで祖父がたじろいだ様子が伝わって来た。
「先方、具体的には大曲木先生の奥様が、美野里は一切家事をせず、林太郎君にすべてやらせていたと言っていたのだが・・・。」
「・・・・それは、林太郎が自主的にそうしてくれただけで・・・。」
「それから林太郎君の家族が訪ねて行っても部屋にも入れてくれず、林太郎くんに家族と会うことすら禁止していたとか・・・。」
「それは・・・お母さまがずうずうしく私の家に上がりこんでこようとしてくるから・・・。」
「高価なプレゼントを買わせるために大学を休ませて不動産会社でアルバイトさせようとしたとか・・・。」
「それは、林太郎の成長のために・・・。」
「壁に向かってグラスを投げつけたこともあったとか・・・。」
「それは林太郎がお気に入りのグラスに罅を入れたからイラっとして・・・。でも林太郎に当たらないよう気をつけたわよ!」
電話口の向こうから祖父の嘆息が聞こえる。
「美野里は、小さい頃から女王様というか、あまり人の気持ちを考えない子だった・・・。経営者としての心構えよりもそちらを先に教えるべきだったかもしれん。今回のことは良い教訓にして、林太郎君のことはあきらめなさい。」
そう言って、またため息を一つつくと、祖父は電話を切った。
なによ・・・どういうこと?林太郎がそんなことを言ってるの?
記憶にある林太郎はいつもはにかむような笑顔で、素直に私の言うことをよく聞いてくれた。
あのかわいい林太郎がそんなことを言うはずがない。あんなことで私と別れたいなんて言うはずがない。
「わかった!きっとお母さまが邪魔してるんだ!!それで、あることないことを大曲木議員やその奥様に吹き込んだんだ。くそ~っ!まさかこんな方法で意趣返しされるとは!!」
そう思い至ると居ても立ってもいられなかった。
きっと林太郎のスマホに連絡しても応じてもらえないのもお母さまの邪魔のせいに違いない。
だったら林太郎と直談判だ。直接話して彼の意思で私の家に帰ってきてくれたら、お母さまとか邪魔な家族も手を出せないはずだ・・・。
ーー
私は林太郎と直談判するため、彼が通っている大学の図書館で待つことにした。
幸いなことに、私は彼が通っている大学のOBで、大学図書館に多額の寄付をしているので永年の入館証を持っている。
図書館で張って、林太郎が通りかかったらすかさず捕まえよう。
長期戦も覚悟していたが、あっさりと図書館の近くを歩く林太郎の姿を見つけることができた。
大学キャンパスにいる彼を見るのは初めてだが、こうしてみると普通の大学生に見える。
「林太郎~!!」
「えっ?うわ!!ぎゃ~!!」
図書館から勢いよく飛び出した私を見つけるなり、林太郎は腰を抜かしてしゃがみこんでしまった。
失礼な。ひさびさに会う愛しの美野里様に対して、そんな怪異現象を見るみたいな態度を取って・・・。
「ちょっと話があるから場所を移しましょう。」
「は、はい・・・。」
林太郎は私に素直についてきてくれた。
ほら、やっぱり林太郎は私の言うことを聞いてくれる。
きっと縁談を無かったことにして欲しいという話も、私に家事とかを強制されていたとかいう話もお母さまとかに無理やり言わされたに違いない・・・。
私たちはキャンパス前にあるレトロな喫茶店に入った。店内は静かな雰囲気だし、ここなら落ち着いて話せるはずだ。
「さて・・・。林太郎とはしっかり話さないといけないと思ってたんだけど、忙しくてなかなか時間が取れなくてごめんね。」
「は、はい・・・。でも、これからの話はもう電話でお伝えしましたし・・・。」
まずは大人な雰囲気の笑顔で話を切り出したのだが、林太郎のコーヒーカップを持つ手はカタカタ震えている。
「おじい様から聞いたわよ。家事をすることが不満だったら言ってくれたらいいのに。でも、大丈夫よ。これからは業者に頼むことにするから。」
「いえ・・・あの・・・。」
「それから、お母さまとご家族のことは・・・。定期的に外でお食事会を開きましょう。林太郎のことが心配な気持ちを分かってあげるべきだったわね。会食を重ねればきっと不安も解消すると思うわ。」
「それも・・・違うんです。」
「わかってる。誤解させた私も悪いんだし、お互いに少しずつ歩み寄ることにしましょう。それから、アルバイトも・・・私は別にプレゼントが欲しくてアルバイトして欲しいって言ったわけじゃないのよ。林太郎に成長して欲しくてそう言ったの。だから林太郎がおじい様の事務所で働く方が成長できるなら続ければいいし、他にもっと良いところがありそうなら私も探してみるから・・・。」
「それも・・・そうじゃなくて・・・。」
「うん。いずれにしてもこれで問題は解決よね。ほら。こうやって二人で話し合っていけば問題は解決できるんだから。さあ、私たちの家に帰りましょう。」
決まった。これで林太郎も素直にうなずいて今日から帰ってくるはず・・・、ん?おかしい。林太郎がなかなかうなずかない。むしろ遠い目をしている・・・。
「どうしたのよ?返事は?」
「返事はノーです。もうあの家には戻れません。もう美野里さんと一緒に暮らすのは無理です。」
「ちょ、ちょっと待ってよ。問題は全部解決してるでしょ?なんで帰ってこれないのよ。なんで無理なのよ。ちゃんと合理的に説明してちょうだい。」
「・・・・・・美野里さんは、僕をどうしたかったんですか?」
「それは、もちろん私の夫としてどこに出しても恥ずかしくない大人の男に成長して欲しくて。」
「でも、それは僕を美野里さんの理想に合わせようとしてたってことですよね。僕がどうしたいかに構わないで。僕の普段の振る舞いも将来の仕事も家族や友達との付き合いも自分の言いなりにしようとして・・・。」
「待って。それは違うわ。私はちゃんと林太郎の意見も聞いてきたはずよ。それで私の提案の方が合理的だから、結果としてそっちを選択しただけでしょ。」
「僕もはっきりと意思を示さなかったのは悪いと思います・・・。だけど、僕が意見を言おうとすると、『お気楽な学生は考え方が甘い』『林太郎は苦労してないからわかってない』とか言われて、何も言わせてもらえなかったじゃないですか。」
「それは・・・。」
「それに、美野里さんは思う通りにならないとすごく不機嫌になるじゃないですか。その圧が凄すぎて、最初の頃、僕は毎日吐きそうでした。それで家事をしたりプレゼントを用意したりしてできるだけ機嫌を損ねないよう頑張って来ました。だけど、それでも気に入らないことがあるとすぐに・・・。覚えてますか。ペットボトルを僕の方に蹴り飛ばして来たり、突然シーツを投げつけて来たり、間違って食洗器に入れたグラスに罅が入ってしまった時なんか、グラスを壁に投げつけてましたよね。あの時、僕がどんな気持ちで割れたグラスの破片を拾ってたかわかりますか・・・。」
林太郎の口調は静かだったが、興奮しているのか顔は紅潮し、目の端からは涙もこぼれている。
「プレゼントだってそうです。美野里さんが喜んでもらえるものを選べなかった僕も悪いですが、美野里さんに少しでも喜んでもらえたらと思って頑張って働いたのに・・・。それにプレゼントという名目で僕の持ち物をダメ出しして、美野里さんの思う通りにさせられるのも嫌でした・・・。気づいてましたか?美野里さんからもらった服とか鞄とか財布とか、全部あの家に置いてきたことを・・・。」
「わかった。そういうところも改めるから。これからは林太郎の意見を尊重するようにするから・・・。」
最大限の譲歩をした私の言葉も林太郎の心には届かなかったようだ。彼は軽く嘆息した。
「それは・・・難しいと思います。美野里さんは結局人の心がわからなくて、自分の考えだけが正しいと思っているはずです。それが美野里さんの本質だからそこを変えることはできないと思います。1年以上一緒に暮らしてきてそれがよくわかりました。美野里さんは、そんな美野里さんを受け入れられる人を探した方がいいと思います。僕には無理です。」
「えっ?ちょっと待って。そんなありのままの私が好きって言ってくれたじゃん。あの言葉は嘘だったの?私のことは好きじゃなかったの?」
その言葉を聞いて林太郎は静止し、少し遠い目をした。
「・・・・お見合いで初めて会った時、こんな素敵な人がいるんだって驚いて、正直言って一目ぼれでした。また、その後何度か二人で会って、一緒に暮らすようになってからも僕の目を開かせてくれるような色々な話をしてくれて・・・。僕は美野里さんを尊敬していましたし、好きだという気持ちは嘘じゃなかったと思います。」
「だったらさ・・・。だったらやり直せるって。人間なんだからさ、良いところも悪いところもあるって。悪いところも受け入れてあげないと、誰ともやっていけないよ。」
林太郎はゆっくりと2回、首を横に振った。
「僕も以前はそう思っていました。だから一緒に住んでいる時は、そんな嫌な美野里さんも我慢して受け入れるべきだと思っていました。だけど、実家に帰ってゆっくり考えてみると、いくら美野里さんを尊敬できたとしても、我慢してあの生活を一生続けるのは到底無理だとわかりました。だから・・・。」
「待って。お母さまがそう言ったんでしょ?林太郎は流されやすいから。そんな大事なことを他の人の意見で決めちゃだめ!一生後悔するよ!」
しかし、林太郎はまた首を横に振った。
「これは僕の意見です。自分で考えて祖父と祖母に相談して決めました。むしろ美野里さんと一緒にいた時の僕はある意味、美野里さんに洗脳されていたんだと思います。今の僕は洗脳が解けて自分の意思で判断できています。」
「そんな・・・。」
断固とした林太郎の態度を見て、もはや私の口からは何の言葉も出てこなかった。
林太郎も無言のままコーヒーを飲み「次の授業がありますので。さようなら。」と言って去って行った。私は立ち上がることすらできず、その後ろ姿を見送るしかなかった。私の前には空になった林太郎のカップと、手つかずのコーヒーが入った私のカップだけが残った。
★★
「それでは質問の時間に移らせていただきます。講師の城内美野里さんに質問のある方は挙手いただけますでしょうか。」
あれから数か月が経った。私はなんとか気持ちに整理をつけ、政略結婚が破談になったことを受け入れた。
あの経験から、私がどうすべきであったのか、これからどのように生かすべきかについても原因分析を終えている。
「城内美野里さんは、私と同年代だと思いますが、女性のキャリアデザインを考える上で避けて通れない結婚についてどう考えていますでしょうか。」
だから不躾にこんな質問がぶつけられたとしても何とも思わない。むしろあの経験から得られた教訓を語るいい機会だ。
「私は、結婚は契約だと思っています。結婚はゴールではなく手段です。自分にとってその契約を結ぶことにメリットがあれば契約を締結すればよく、メリットがなければ契約を締結しない、そうシンプルに考えています。」
そう答えると、質問者の女性はうなずきながらも質問を重ねてきた。
「ありがとうございます。ちなみに城内さんは、どのような場合に結婚という契約を締結することにメリットがあると考えていますでしょうか?」
「そうですね。結婚という契約は期間が永年の専属契約であり、解除事由も限られています。どうしても自分専属として拘束しておきたい相手が見つかった場合には、早い段階で結婚という契約を締結しておいた方がよいと思います。」
そう答えると冗談だと思われたのか会場は笑いに包まれた。
しかし、私は大まじめだ。
林太郎の件で、私は何が間違ってたのか思考実験を繰り返し、一つの結論に至った。
私が間違っていたこと・・・それは林太郎が大学を卒業するまでなんて猶予を与えず、すぐに結婚しておかなかったことだ。
結婚さえしておけば、私に人の心がないなんて不合理な理由で縁談を解消されることもなかった。
民法に基づく夫婦の同居義務を主張して林太郎を実家に帰さず、ずっと側に置いて、余計なことを考える時間を与えないこともできた・・・。
林太郎が言う通り、私が変わることは不可能だろう。私が他の人の心を察して、他人を尊重するなんてあり得ない。
だから次は、相手が私の本質に気づいても契約で逃げられないようにしておけばいい・・・。
ーー
「ああ、佳子?電話もらった?」
セミナーが終わった後、私は新しく採用した秘書の佳子に電話をかけた。
思えば余人をもって代えがたいと思っていた美香についても、簡単に代わりが見つかった。
「ああ、はい。実は美野里さん宛に、大学の学園祭での農業をテーマにしたシンポジウムへの登壇を要請する依頼が来ているんですがどうしましょう?スケジュールは大丈夫そうですが、特にメリットもないし断りましょうか?」
「大学・・・?いいわ。受けておいて。」
もしかしたらそこで林太郎の代わりが見つかるかもしれない。
私好みの育てがいのありそうな年下の彼が。
もし適任が見つかったら次は躊躇することはない。
私好みに育ったら、次こそは裏切れないように、早く契約で縛っておこう・・・。