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4.林太郎がいなくなった!

あの日以来、林太郎は約束を守って家族であってもこの部屋に呼ぶことはなかった。

まあ、私も鬼ではないので、私が仕事に行っている間にたまに実家に連絡していることには目をつぶってきたのだが、部屋に上げたとなると話は別だ。


「じゃあ、おばあ様がこの部屋を訪ねて来られたのね?どうしてなの?」

「いや・・・あの・・・その・・・。」

「怒ってるわけじゃないの。理由をちゃんと説明してちょうだい!!」

そう強く言うと林太郎は観念したのか、ぽつぽつと理由を説明してくれた。


「金曜日、美野里さんがアルバイト先を紹介してくれるっておっしゃってたじゃないですか・・・。」

「ああ、吉村さんの不動産会社を紹介するって話したわね。忙しくてまだ連絡取れてないけど。」

「それで、考えたんです。おじい様の事務所で働けば、美野里さんが言う通り人脈も広がるし、勉強にもなるんじゃないかって思って。ちょうど愛美姉さんの選挙もあるし・・それでおばあ様に連絡したら今日訪ねて来て・・・。」

「えっ?ちょっと待ってよ。私が吉村さんに頼んであげるって言ったじゃん。それなのに勝手にそんなことしたの?だめだよ。家族のところだったら、絶対に甘えちゃって修行にならないから。かわいい子には旅をさせろって言うでしょ!」

まったく林太郎はわかってない。私の言う通りにしていれば、もっとずっと成長できるのに・・・。


「はい。勝手なことしてすみません。でも、おばあ様は賛成してくれて、学業と両立できるように手配しておくのでぜひ来週から事務所に来るようにと言われてまして・・・。」

私は、林太郎が言うおばあ様、すなわち大曲木議員の奥様を思い出した。

たしか大曲木議員より7歳年上で、大曲木一族の長老。しかも議員を下積み時代から支え続けた糟糠の妻。大曲木議員ですら頭があがらないと聞いている。その奥様がそう言っている以上、顔を潰すわけにはいかないか・・・。


「そこまで話が進んでるなら仕方ないけど。その前に私に一言あってもよかったんじゃないの?」

「すみません。お忙しそうだったので。」

「チッ・・・。」

私が怒りのあまり舌打ちすると、林太郎が2、3歩後ずさった。

「まあ仕方ないんじゃないの・・・。」

そう言って、わざと強く足音を立てながら自分の部屋に入って扉を強く閉めた。


ダイニングでは、締め出された林太郎がきっと落ち込んで慌てているだろう。いい気味だ。


ーー


翌朝、いつものように出社すると、美香が慌てて駆け寄って来た。


「み、美野里さん!大変です!例のAOR社の件、うちに頼むことに決まったと連絡がありました。」

「やったじゃないの!大逆転でビッグディールをゲットだわ!」

私は素直に喜んだが、美香は少しも喜んでおらず、むしろ少し暗い顔をしている。

「それが・・・指定された納期なんですが・・・。見てください。」

美香に見せられたPCの画面を見て驚いた!

納期が1か月後に指定されている。これは間に合うのか・・・?


「こんなの絶対に無理です。さっき開発チームの人も無理だって言っていましたし・・・。先方と交渉して納期を延ばしてもらうか、お断りするしかないのではないでしょうか・・・。」


美香が言うこともわかる。

納期に間に合わなかったり、間に合っても品質が十分でなければうちの会社の信用問題になってしまう。

しかし、もしこの納期通りに高品質の製品を納入できれば・・・。


「やりましょう。すぐに開発の中村を呼んでちょうだい。あと、手が空いている人も集めて。何が何でもやり遂げて、我が社の底力を見せつけてやるわよ。」

「は、はい・・・。わかりました。」

「さあ、これから1か月が正念場。昼夜問わず、休みなく頑張るわよ!!」

これは私の会社が大きくジャンプするチャンスだ。

これが成功して新しい市場に参入できれば、あと一歩届かなかった上場も夢じゃない!!

頑張るのよ!美野里!!


その日から私はほとんど会社に泊まりこんでプロジェクトの陣頭指揮を執った。

少しでも時間を節約するために会社の近くのホテルに仮眠用の部屋を取り、家にはたまに着替えを取りに帰るだけになった。

他のプロジェクトメンバーも不眠不休で頑張ってくれているのに、私だけ家でのんびりするなんてできない。

林太郎にはLINEで報告しておいたが『わかりました。僕もアルバイトが忙しくなりそうなので、しばらく実家から通うことにします。しばらく会えないのは寂しいですがお互いに頑張りましょう。お体に気を付けてください。』と返事があった。


「学生のバイトと一緒にしないでよ。」

思わずそううそぶいたが、林太郎がやる気を出してくれたことは嬉しいし、忙しい中での林太郎の気遣いには思わず笑みがこぼれてしまう。


「あの・・・お取込みのところすみません。少しよろしいでしょうか。」

「あ、うん。いいわよ。どうしたの?」

美香にニヤついているところを見られたかもしれないと思い表情を引き締める。


「実は・・・会社が大変な中、申し訳ないのですが・・・、しばらくお休みをいただけないでしょうか・・・。」

「何を・・・」

バカなことを言っているの、と続けようとして気づいた。美香の顔がやけに暗い。いつもはどんなことがあっても笑顔を絶やさないのに。


「いったいどうしたの?」

「実はココアちゃんが昨日から具合が悪くて・・・。母に病院に連れて行ってもらったんですが、思ったよりも重い病気みたいで・・・。心配で付いていてあげたくて。」

「ココアちゃんって、たしか美香が飼っていた犬のことよね。どこか業者に預けることはできないの?そのための費用なら出してもいいけど。」

「いえ、母にお世話を頼んでいるのでそれは大丈夫なんですが・・・。でもココアちゃんが苦しそうで、心細いみたいで私が出かけようとすると悲しそうな目をするんです。だから側にいてあげたくて。わがままを言って申し訳ないのですがお願いします。」

「・・・・。」


どうしよう。意味が分からない。

どうしたら大事な仕事を放り出して、ペットの犬の側に付いていたいって発想になるのかしら・・・・?

でも、美香の表情は真剣だ。目に涙もたまってる。とても冗談で言っているようには見えない。


「あの・・・。美野里さんもワンちゃんと一緒に暮らしているんですよね。たしかリンちゃんってお名前の。だったら私の気持ちもわかってもらえないでしょうか?」

リンちゃん?ああ、林太郎のことか。もし林太郎が病気になったら・・・。

まあ心配だけど世話をしてくれる人がいるんだったら、やっぱり仕事優先かな。

私が側にいたって別に結果は変わらないし。


「お願いします・・・・。」

美香の目からとうとう涙が零れ落ちた。

正直、美香の気持ちはまったくわからないが、美香は余人をもって代えがたい人材だし、大事な親友でもある。これまでさんざん苦労をかけてきたし、少しくらいなら仕方ないか。


「わかった。じゃあ、1日だけ有休を取っていいわ。その後も時間休とかリモートとかできるなら、それで対応してくれていい。でも、それが限界よ。会社として大変な時期だからそこは理解して欲しい。」

「はい・・・。わかりました。ご迷惑をかけてすみません。」

美香は一瞬落ち込んだ表情を見せたが、すぐに笑顔になり、深々と頭を下げてから自分のデスクに戻って行った。

しかし、たかがペットにあそこまで感情移入できるもんかね。


その後、プロジェクトの進捗は予断を許さない状況が続いたが、美香も他のメンバーもよく頑張ってくれた。

納期が近づくといよいよ正念場になり、私も林太郎からのメッセにも返信もできないくらい仕事に没頭した。


その甲斐あって、何とか納期通りに納入でき、検収でもいくつか修正点を指摘されたが、いずれも対応可能なものだった。

控えめに言っても、私の賭けは大成功だった。


「ただいま~。」

一大プロジェクトの目途が立ち、肩の荷が下りた解放感と成功した高揚感から、久々に暴飲暴食をしようと総菜とワインを大量に買いこんで家に帰った。

しかし、玄関を開けてもいつもの林太郎の足音は聞こえなかった。


「おかしいな~。今日は帰れるから一緒に祝杯をあげようってメッセを送っておいたのに・・・。」

ダイニングまで行くが部屋は薄暗いままだった。テーブルには何日か前に私が使ったグラスがそのまま置いてあったし、床には私が急いで着替えたシャツなどが散乱していた。


「林太郎、しばらく帰ってないのかな?」

LINEのトークルームを開けてみるが林太郎からの返信はない。ただ、私からのメッセには既読が付いている。


「なんだ、既読無視かよ。けしからんな。」

私は通話ボタンを押したが、林太郎は応答しない。

しつこく何度もかけていると、やっと林太郎は応答してくれた。


「ああ、林太郎?今日いつ頃帰れる?ワインとか総菜とか買って来たから一緒に食べようよ。」

「・・・・すみません。僕はもうその家には戻れません。」

「ああ、何?今日もアルバイト?せっかく案件がひと段落ついて、やっと帰って来れたんだし、おじい様にお願いしてちょっとだけ帰って来れない?林太郎の好きなフォアグラのテリーヌも買っておいたよ。」

「いえ、今日だけじゃなくて、もうその家には戻りません。もう美野里さんとは一緒に暮らせません。」

「ちょっと・・・どういうこと?そんな大事なことを突然電話で話すなんて!ちゃんと説明してちょうだい!」

「何度もお話をしたいとメールもお送りしていたと思いますが、お返事をいただけてなかったですし。それに美野里さんのおじい様にももう説明させていただいています。」

林太郎の口調は、いつものおどおどした感じはまったくなく、硬く、そして断固としたものだった。


「ちょっと!!待ちなさいよ!そんなこと許されるわけないでしょ!!」

思わず大声をあげると、通話が切れてしまった。その後何度か通話を試みたがまったく応答してくれない。


「まったく・・・。どういうことよ!!」

落ち着いて林太郎からのメッセージ履歴を見返すと、数週間前から『会ってお話がしたいです。』『落ち着いて話す時間をとれませんか』という内容のメッセがいくつも届いていた。


てっきり、寂しくて私に会いたいという意味だと思って、忙しさにかまけて無視していたが・・・。

林太郎の部屋を覗いてみると、私が用意した家具はそのままだったし、服とか小物とかもかなり残っていた。

ああ、これは戻ってくるつもりのちょっとした家出だな。


「まあこの1か月ちょっと、まったく構ってあげられなかったもんね。少し拗ねちゃったかな?」

そう言いながら林太郎にメッセージを送っておいた。


『忙しくて全然連絡取れなくてごめんね。会社の方はひと山越えたからもう大丈夫だよ。今度休みを取るから一緒に箱根の高級旅館にでも行こうよ!いつでも戻って来ていいからさ。でも心配だから連絡ちょうだい。』


しかし、このメッセージにもすぐに既読がついたが、返信が来ることはなかった。


ーー


「なんだ、林太郎のやつ。あんなにしつこく怒ることないじゃないか。まだ学生だから、私が外でどれだけ苦労して戦っているのかわかってないんじゃないの?」

ひさびさに土曜日と日曜日の両方休みが取れたので、あの後も林太郎に『買い物に行こう』『おいしいものを食べに行こうよ』と何通かメッセージを送ってみたけど、どれも既読無視だった。こうなってくると私も腹が立ってくる。勝手にしやがれ!!


もやもやした気持ちを抱えながらも、月曜日の朝にはいつも通り出社した。


「おはようございます。美野里さん。あの、今日どこかで時間をとってもらえないでしょうか・・・。」

浮かない顔の美香に声を掛けられたのは、私が席に着くか着かないかくらいのタイミングだった。

もちろん私に異存はなく、すぐにミーティングルームに移動した。


「あの、急な話で申し訳ありませんが、来月で退社させてください。」

「ちょ、ちょっと!どうしたの急に?何か会社に不満でもあるの?」

美香は秘書として余人をもって代えがたい。

しかも私は親友だと思っている。ここで辞められてしまうのは精神的にも痛手だ。


「いえ・・・あの・・・会社には不満はないんですけど・・・。」

「遠慮しないで何でも言って。待遇とかに不満があるならできるだけ改善するから。」

「いえ・・・待遇とかじゃなくて・・・。実はココアちゃんが土曜日に亡くなってしまったんです。私はココアちゃんが病気で苦しんでいた時もずっと仕事で側にいてあげられなくて・・・。何でこんな大事な時に働いていたんだろうって思って、それで自分を見つめ直したくなって・・・。」

「は?ココアちゃんって美香が飼ってた犬よね・・・?犬が死んだから辞めるの?」

「そんなひどいこと言わないでください。ココアちゃんは私の大事な親友で・・・。いなくなってしまったら、もう働く気力もなくなってしまって・・・。」

そう言うと美香はしくしくと泣き出した。


しかし、噂には聞いていたけどペットロスで仕事辞める人って実在したんだ・・・。

いやいや、美香は道を誤ろうとしている。ここは親友として引き留めてあげないと。


「ペットが死んでしまって悲しい気持ちはわかる。でも、犬が死んだくらいで仕事を辞めるなんて社会人としてあり得ないと思うわよ。そうだ!新しい犬を買うなら、その費用を補助してあげることならできるわよ。そうしたら?」

我ながら名案だと思ったのだが、泣いていた美香は顔を上げて、キッと鋭く私を睨みつけてきた。


「犬が死んだくらいとか、新しい犬を買えばいいとか、どうしてそんなひどいことが言えるんですか?前から思ってたんですが、美野里さんは人の心がないんですか?ココアちゃんが苦しんでいて側に居てあげたいってお願いした時も全然聞き入れてくれなかったし・・・。」

「いや、でも冷静に考えてみて。ペットが死んだから辞めるって絶対におかしいって。きっと後悔するよ。これは社長としてじゃなくて親友としての警告だよ。」

しかし美香はフルフルと首を振った。


「ごめんなさい。私は美野里さんのことを上司として尊敬していますが、親友と思ったことはありません。ココアちゃんのことは思い切るきっかけになりましたけど、辞めることはずっと考えていました。正直言って、美野里さんの下で働くのは限界です。いつも正論と厳しい要求に追い詰められて、ずっと苦しかった・・・。」

そう言いながら、またシクシク泣き続ける美香に対し、もはや私がかけられる言葉はなく、そっとミーティングルームを出た。



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