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3.そんな美野里さんが好きです

突如舞い込んだAOR社からの見積依頼に対応するため土日出勤し、日曜日の夕方には何とか見積の提出と簡単なプレゼンを終えることができた。

感触もまずまずで、もしかしたら逆転できるかもしれないと密かに期待している。


「ふうっ・・・。みんな休日出勤ありがとね。これからご飯でも行こっか?」

「ありがとうございます!美野里さんが行くお店はいつもおいしいワインがあるので楽しみです!」

秘書の美香が喜んではしゃいでいる。他のメンバーも嬉しそうだ。


2日間ほとんど会えなかった林太郎が恋しいけど、金曜日の夜から休みなく対応してくれた秘書の美香と開発チームをねぎらうためにも、今日は奮発して、とっておきのお店に連れて行ってあげよう。


「美野里さん、何かいいことありました?」

レストランの席で、林太郎に『遅くなるので先に寝ていて』とメッセージを送っていた時、思わずニヤケてしまったのを秘書の美香に目ざとく見つかってしまった。


「そういえば美野里さん、ぐっと雰囲気が柔らかくなりましたよね。以前はいつもピリッと張り詰めていたのに。」

開発チームの中村も美香に同調する。中村は社歴の古い古参なので、私に対してもなかなか遠慮がない。


「そうですよ~。なにかプライベートでいいことあったんですか?」

プライベートでよいこと・・・といえば、もちろん林太郎のこと以外にはないが、結婚式と入籍は林太郎が大学卒業した後なので、さすがにまだみんなに発表するわけにはいかない。

オブラートに包んで説明しておくか。


「う~ん、そういえばしばらく前からペットみたいなのを飼い始めたかな。」

「え~!そうなんですか?ワンちゃんですか、ネコちゃんですか?私もワンちゃんと暮らしてて~!見てくださいよ~!」

適当に答えたのだが、意外にも美香が食いついてきて、スマホでかわいらしい室内犬の写真を見せてきた。

従順そうな感じがなんとなく林太郎に似てなくもない。


「うちも犬みたいな感じかな。リンていう名前の。」

「そうなんですね!うちの子はココアちゃんって名前なんですよ~。疲れて帰って来ても、つらいことがあっても、玄関を開けた瞬間に駆け寄ってきてくれるのを見ると全部吹っ飛んじゃって~。もう救われるっていうか~。」

美香が興奮しながら語る様子を見ながら密かに彼女の気持ちに同意した。

私も林太郎のおかげで救われたこともあるから・・・。


ーー


「まったく・・・あいつはわかってない・・・。」

林太郎と一緒に暮らし始めて数か月が経ったその日、私は一人、自宅でフルボトルのワインを飲みながら、急に退職を申し出てきた社員に対して恨み言を繰り返していた。


「これまでさんざん面倒を見てきたのに、まさかあんな捨てゼリフまで・・・。」

この日、退職を申し出た社員は会社を立ち上げた直後から一緒に頑張って来た古参社員である。


しかもその古参社員は、こともあろうに去り際にこんなことを言ったのだ。


「美野里さんが経営者としてご苦労されているのはわかります。でも、俺たちの気持ちもわかって欲しいと何度もお伝えしてきましたよね。それでも全然変わらなくて、変わる気配すらなくて・・・。俺はもうついていけません。」

そう言われた瞬間、私は何も言い返せず絶句するしかなかったが、今になって次から次へと反論の言葉が浮かんでくる。


「俺たちの気持ちって・・・誰が苦労して仕事を取って来て稼いでると思ってるのよ・・・。」

「高い家賃払ってオフィス環境も充実させて、給料も引き上げて・・・。いったい何が不満だったのよ。」

「そんな甘えたこと言ってたら、どこへ行ってもやっていけないよ!!」


ワインを飲みながらそんなことをブツブツ言っていると、いつの間にか向かいの椅子に林太郎が座っていた。

「美野里さん、大丈夫ですか?僕でよければお話聞きますよ。」

「ハッ!学生が生意気に!」

社会に出たこともないのに笑止千万と思い、憎まれ口を叩いたにもかかわらず、林太郎は立ち去らなかったため、私はそのまま、ぽつりぽつりと独り言のように語り続けた。


「社員の気持ちがわからないって何よ・・・。私ほど社員のことを考えている経営者なんか他にいないわよ。」

「・・・・・・。」

「これまで社員のためと思って必死で頑張って来たのに・・・。そんな私の気持ちは伝わってなかったのかしら・・・。」

「・・・・・。」

「どうせ私は他人の気持ちを察することが苦手だよ!だけど、気持ちをわかって欲しいって何よ!そんなの無理に決まってるじゃない!!」

「・・・・・・。」

「林太郎もそう思ってるんでしょ!!私が人の心がわからない冷血だって!」

「えっ・・・あっ・・・あの・・・僕は・・・。」

突然話を振られた林太郎は明らかに戸惑っている。

でも、これは林太郎が悪い。

機嫌が悪い私の前に不用意に座ったのが悪い。


「たしかに・・・美野里さんは他の人の気持ちを察することは苦手だし、相手の意見に構わず自分の考えをストレートにぶつけるところがあると思います。」

「ハアッ?あんたも説教なの?」

「い、いえ・・・。でも、美野里さんのそんなところが好きな人もいっぱいいると思います。もちろん苦手に思っている人もいるかもしれませんが、それよりもずっとたくさんの人が美野里さんを尊敬して敬愛していると思います。それに・・・」

私は次のセリフを待ったが、林太郎はそのまま黙ってしまった。


「それに・・・?」

「それに・・・、僕も・・・美野里さんのそういうところが好きです・・・。」


彼のストレートな言葉が新鮮だったのか、少し赤みがさした戸惑ったような幼い表情が母性をくすぐったのか・・・私の心が少しざわついた。


「・・・・・。」

「あっ、あのすみません。生意気なことを言って・・・。」

そう言って上目遣いでこちらを見ている林太郎に、私は両手を広げて突き出した。


「んっ!」

「えっ?」

「抱っこしてベッドまで連れてって。もう歩けないから・・・。」

「はい・・・じゃあ肩を貸しますので。」

「やだ。抱っこで!」


林太郎は顔を真っ赤にしながら私をお姫様抱っこしてベッドまで連れて行ってくれた。

その夜、私は林太郎を抱きしめながら思った。

こんな私でも彼みたいに好きと言ってくれる人がいる。だったら私はこのままで大丈夫だ。


ーー


「フフフッ・・・。」

「美野里さん、ご機嫌ですね。」

「うん。ちょっとペットのことを思い出しててね・・・。」

「あ~、そうですよね。ついつい表情が緩んじゃいますよね~!」

美香とは社長と部下の関係だが、私と同い年だしプライベートでは親友のように思っている。美香もきっと同じ気持ちだろう。


これからも私は私のままでいよう。私を批判する奴らに迎合するんじゃなくて、林太郎や美香みたいに、私を認めて好きと言ってくれる人を大切にしよう。

そう決意を新たにした。


 ーー


社員をねぎらうための食事会を終え、自宅に帰り着くと、もう日付が変わって月曜日になっていた。

さすがに林太郎も寝ているようだ。


「私も水でも飲んでから寝るか~。」

そうつぶやきながらキッチンの方へ向かうと違和感に気づいた。

お気に入りのグラスがいつもの場所にない。

ふと横を見ると、洗い場のカゴの上に、洗ったそのグラスが2個置いてあった。


使って洗っておくのはいい。しかし、2個?


「林太郎!!」

私が声を上げると、慌てた様子で林太郎が部屋から飛び出してきた。


「どうしました?」

「これは何?」

「グラスです・・・。すみません。拭いてしまっておくつもりだったんですが、忘れてしまって。すぐに片づけます。」

「そうじゃなくて、どうして2個あるの?」


そう伝えると、林太郎は「あっ!」と言って青くなった。

無断で人を私の家に入れるなと厳しく言ってあることにやっと気づいたのだろう。


「誰を私の家に入れたの?まさか浮気じゃないよね?」

もちろん本当に浮気なんて疑っているわけではない。私と出会うまで彼女すらいたことがなかった林太郎がそんな大胆なことをできるわけはない。

ところが予想に反して林太郎は戸惑い、焦り、ついには震え出してしまった。


「ちょっと!本当に浮気だったの?」

「いえ・・・違います。あの・・・。」

「じゃあ誰を部屋に入れたのよ?潔く白状しなさいよ!!」

「はい・・・実は昼に祖母がこの部屋に来まして・・・。」

おそるおそる切り出した林太郎の言葉を聞いて私は頭に血が上るのを感じた。


部屋に無断で人を入れることを禁止した目的、それは林太郎の家族がこの部屋に入ってくることを防ぐためだったからだ。


ーー


林太郎がこの部屋で暮らし始めてから半年が経つが、私には気に入らないことがある。

林太郎の両親が事あるごとに部屋に訪ねてくるのだ。


「美野里さん、ごめんなさいね。近くに来たから寄ってみたんだけど、美野里さんがお休みとは思わなくて・・・。ほら、いつもお仕事でお忙しいから。」

この日も急にやって来た林太郎の母親はにこやかに話しているが、言葉の端々に私に対する敵意を感じる気がする。


林太郎の政略結婚は祖父と大曲木議員の間で決められたもので、林太郎の両親にはだいぶ話が進んでからの事後報告だったらしい。

特に林太郎の母親は初めて会った時から私に対してあまりいい印象を持っていなかったようで、会うたびに縁談に反対という態度を隠そうともしていない。


「ええ、今日は二人でゆっくりしようと思ってわざわざ休みを取ったんですよ。それで今日はどんなご用件でしょうか?」

「いえね。ちょっと息子の顔を見て、ご飯でも作ってあげようかと思ったのよ。ほら、最近この子痩せちゃったじゃない?まだ若いし栄養のあるものを食べさせた方がいいと思って。」


そういえば食材が入ったエコバックを持っている。私の家でそんな勝手なことをするつもりだったのか!!


「すみません。キッチンが汚れるのが嫌なので、うちではあまり料理しないことにしているんです!!今日もこれから林太郎と外食の予定ですので、そのままお持ち帰りください。」

「え~っ!せっかく林太郎のために買って来たのに。しかもこの重い荷物を持って帰れって言うの~?今日だけいいでしょ?お肉とか生ものも買って来たし・・・。」

「いいえ。すみませんがお持ち帰りください。それに、うちのことは私が決めますので、これからはそのような勝手なことはしないでください。」

「なによ!そんなこと言わなくたっていいでしょ!料理もしない嫁と結婚させられる息子を心配するのは当たり前でしょ!だいたい私は林太郎が結婚するなんて話も反対だったのよ。林太郎が自分で選んだ相手だったらまだしも、こんな気の強い10歳も年上の女とむりやり結婚させられるなんて林太郎がかわいそう・・・。」


この言葉でふだん温厚な私もキレてしまった。

林太郎と結婚したけど、母親と結婚したわけじゃない。

それにこの母親は大曲木議員からはあまり気に入られていないと聞いているし、少し厳しく言っても問題ないだろう。


「結婚は決まったことですのでお母さまが気に入られなくとも関係ありません。それにお母さまも政略結婚ですよね?だったらちゃんと状況を理解されたらどうですか?これからは私が責任をもって林太郎を立派に育てあげますので、余計な口を出さないでください。もうここにも来ないでください。」

「なんて・・・、なんてことを言うのよ、この人は・・・。」

「はっきりお伝えしないと伝わらないようでしたので。生ものもお持ちのようですし、早く帰宅された方がよいのでは?」


ここまで言うと林太郎の母親もようやく口をつぐみ、やっと帰ってくれた。


「じゃあ、お母さまも帰られたし、私たちも出かけよっか?お店の予約に遅れちゃう。」

「は、はい・・・。」

一仕事終えて笑顔で林太郎の方を振り返ると、その顔面は蒼白で少し震えていた。ずうずうしい態度の母親にあきれかえっているのだろうか?

彼の顔を見て私の中で少しいたずら心が湧いてきて、林太郎を試したくなった。


「林太郎が不満なら、お母さまと一緒に帰ってもいいのよ。ほら、荷物も重そうだったじゃない。持ってあげたら?」

優しい口調でこう言えば、きっと知らない家に連れて来られた子犬のようにおろおろして戸惑うかわいい姿が見られるに違いない。しかし私のそんな期待は良い意味で裏切られた。


「いえ。僕が帰る家は美野里さんがいるここだけです。実家には帰りません。」

林太郎はさっきまでとは一変し、表情を引き締め、私の目を見て断固とした口調でそう言ってくれた。


「林太郎・・・。」

林太郎は母親じゃなくてはっきりと私を選んでくれた!私の完全勝利だ!


「あっ、そうだ!これからは家族の人が来ても無断で私の家に上げないでね。これは新しいルールだからね!」

「は・・・はい・・・。」


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