1.10歳年下の夫
「若手経営者として第一線で活躍されている城内美野里さんに、女性であれば誰でも悩む結婚についてぜひお伺いしたいのですが。城内さんも普通の女性と同じように結婚で悩まれているのでしょうか?」
この日、女性向けキャリアデザインセミナーの講師として、会場で手を挙げた女性の質問を聞いた時、「またか・・・」と小さなため息が出た。
私は29歳、来年には30歳になる。最近はどこで話しても、キャリアに悩む女性からこんな質問をされることが多い。
どうしてみんな、キャリアデザインといえば結婚と考えるんだろう?
「そうですね。私は結婚はただの契約だと思っています。」
期待した答えと違ったのか、質問した女性は怪訝そうな表情をした。
「パートナーとお互いもっと成長できる、高め合える、そのための手段として結婚がベストであれば、もちろん結婚を選ぶべきです。だけど、結婚自体をキャリアの到達点とすることは違うと思います。今の時代、女性には色々なキャリアの選択肢があります。固定観念に縛られて結婚しなければならないというプレッシャーに流されるのではなく、自分の判断で、自分にとって結婚という契約を結ぶことがベストであればそれを選べばよく、メリットがないのであれば、そのような契約を結ばなくてもよいと思います。そうシンプルに考えています。」
私がそう答えると、質問した女性はハッとした表情をしてから、「ありがとうございました。ずっと悩んでいたんですが目が開かれた思いがします。」と言って一礼して席に戻った。
どうやら、うまく刺さってくれたようだ。
だけど本当のことはまだ言えない。偉そうなことを言った私が、10歳も年下の政略結婚で決められた相手と一緒に暮らしているなんて・・・。
★★
「ただいま~。」
私がマンションの玄関を開けるとパタパタとスリッパの音が聞こえて、私の政略結婚の相手である林太郎が姿を見せ、私が両手いっぱいに紙袋を抱えている姿を見るなり困惑したような表情になった。
「またこんなに買ったんですか。食べきれるでしょうか?」
「いいじゃん!休みの前の日の夜は暴飲暴食するって決めてるんだし!」
「健康にも気を付けていただけると・・・。」
「うるせ~!!もう若くないって言いたいの?余計なお世話だ。」
そう言うなり私は、テイクアウトした総菜とワインが入った紙袋を林太郎に押し付け、ドタドタと奥の部屋に向かった。
「クリーニングに出しておきますから、ちゃんと着替えてスーツをハンガーにかけといてくださいね。」
「あいよ~。」
今日で一緒に暮らし始めてちょうど1年目。彼はどう思ってるんだろう?
祖父たちの画策で10歳も年上の私と政略結婚させられることを・・・。
ーーー
1年と少し前、私は入院中の祖父に呼び出され新幹線で故郷に向かっていた。
私にとっての祖父は、ただの親族以上の存在である。
祖父は日本を代表する大手運輸グループの創業者であり、日本の経済界の重鎮である。
そんな祖父は私に見どころがあると思ってくれたのか、幼少の頃から経営の師として帝王学を叩きこんでくれた。学生時代に私が立ち上げた会社の出資者にもなってくれている。
そして、私がその会社を上場直前まで育て上げられたのも、祖父が後ろ盾になってくれたからである。
だからずっと頭が上がらず、今でも話をする時はこの私が緊張で震えることもある。
しかし、急に病院に呼び出すなんて、もしやいよいよ・・・。
私は不安な気持ちを抑えながら病院へ向かうしかなかった。
「おう!美野里、よく来た!!」
「よかった・・・思ったより元気そうですね。」
「ああ、まあ入院とはいっても人間ドッグだからな。どこか悪いわけじゃない。」
私は安心しながらも、じゃあなんでわざわざ忙しい私を呼び出したのかと少し腹が立ってきた。
「じゃあ、元気な顔も見られましたし、私は仕事がありますので帰りますね。」
「待て、今日来てもらったのは大事な話があるからだ。」
そう言うと祖父は、個室に備え付けられた応接セットの方へ移動し、私にも座るよう促した。
「美野里。経営者の心得を言ってみなさい。」
「無私と尽己」
幼少の頃からずっと繰り返し言わされているせいで、もはや反射的にこの言葉が出てくる。
「経営者たるもの、自分の趣味も、交友も、結婚さえもすべて事業に役立てなければいけない。一切の私欲を捨てて全身全霊で己を尽くさなければ成功はない。わかっているな。」
「はい。もちろんです。」
祖父のこの言葉があったからこそ、私は遊び惚ける同級生を横目に、高校生の頃から一人で起業の準備をし、大学入学直後に自分の会社を立ち上げ、ろくに趣味も持たず寝る間すら惜しんで仕事だけに邁進してきたのだ。
「もちろん結婚もその一つだ。結婚も私情で相手を選ぶのではなく、手段として有効活用しなければいかん。というわけで、お前に縁談が来ている。」
「はっ?」
思わず耳を疑ってしまった。そんな私の反応を見て祖父はニヤリと笑った。私の反応を面白がっているようにも見える。
「大曲木大蔵先生を知っているか?あの田中角栄先生以来の新潟出身の大物国会議員を。」
「はあ・・・何度か一緒に食事をしたことはありますが・・・。」
「その大曲木先生がお前を嫁に欲しいと言っている。」
「ヴェッ!さすがにそれは勘弁してください。」
「ほう・・・?それはどういう意味かな?」
私の言葉に祖父は目を眇めた。
「あの人、80歳近いですよね。下手したら結婚式の直後に葬式をすることになりかねませんよ。」
私がそう答えると祖父は体を揺らして大笑いした。
「ガハハッ・・・まさか本人じゃない、そのお孫さんだよ。」
「なるほど・・・。それなら・・・しかし、それは政略結婚ということでしょうか?」
「そうだ。結婚すれば政界と強いつながりができる。わしの事業も、美野里の事業ももっと大きくできるはずだ。」
正直そんなの嫌だ。
大曲木議員の孫に会ったことはないけど、きっと大曲木議員と似たようなブサイクだろう。
政略結婚とはいえ、30歳近くしかも我が強くかわいげのない私を相手に選ぶくらいだ。
きっと私よりも年上のもてないおっさんに違いない・・。
「お断り・・・できないでしょうか。」
「断ると?経営者として私欲を捨てて己を尽くすという誓いを破るのか?」
「いえ・・・。ただ結婚というのは・・・。」
「ふ~ん、そうか・・・。じゃあ仕方ない。」
そう言うと祖父は立ち上がって窓の方に向かい私の背を向けた。
「たしか・・・美野里の会社には出資していたよな。議決権比率はどのくらいだったか?」
「40%です。」
「それ、たしか買取条項がついていたよな。私情を優先するような経営者がいる会社に出資しておくのは厳しいよな・・・。わしが買取請求権を行使したら譲渡価格はいくらくらいになるかな・・・?」
ざっと頭の中で計算してみたが、おそらく10億円から20億円くらいか・・・。とても出せない・・・。
「なに、ここで答えを出せとは言わないよ。どうやらお孫さんは今年の春から大学生らしい。まあその前に会ってみて、彼が大学を出るまでに決めたらどうかな?」
「えっ?その方は大学生?いやまだ高校生なんですか?いったいおいくつ・・・?」
「たしか18歳。」
「私は28歳ですよ!」
驚きの言葉とは反対に、私の心は乗り気な方向に少し動いた。
自分が病的なくらい年下好きであることを自覚している。これまで付き合ったことがある恋人はみんな年下だし、この間まで付き合っていた彼なんか、いったいいくつ年下だったか・・・。しかも別れ際には醜態をさらしてしまうくらい執心してしまった・・・。
そうか10歳年下の18歳か、それだったら会うくらいなら・・・。
「おっ?乗り気になったか?」
「い、いえ・・・。そもそもそんな年が離れていたら向こうから断られるのではないでしょうか?」
「まあそうだな・・・。本人から断られたら仕方ないしあきらめるとするか。」
そうだよ。10歳も年上の相手なんか向こうから断るって。
まあ変なやつだったら向こうから断らせるよう仕向ければいいし、何といっても祖父も大曲木議員も、もう後期高齢者だ。結婚は相手が大学を卒業してからとか言ってのらくらと時間を稼げば、自然の摂理によりうやむやにできるかもしれない。
ここはとりあえず祖父の顔を立てておけばいいか。
「わかりました。それではとりあえず会って、それから考えるということであれば・・・。」
「おお、わかってくれたか。さすが美野里だ。じゃあ先方に連絡しておくよ。段取りは秘書から伝えさせよう。」
上機嫌になった祖父を残し、病室の扉を閉めると、どっと汗が湧いて出た。
この時は気づいていなかった。「まあ会うだけだったらいいか・・・」こう思ってしまった瞬間が、まさに私にとって年貢の納め時だったのだ。
ーー
「じゃあ、今日で一緒に暮らし始めて1年ということで!かんぱ~い!」
「はい。1年間ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」
シャワーを浴びて部屋着に着替えた私は、お気に入りの店で買ってきた総菜とワインを並べたテーブルに向かい合って座り、チンッとグラスを鳴らした。
「しかし、林太郎はまだ飲めないのか~。残念だな~。」
「はい。まだ19歳ですので。あっ、あのお渡ししたいものが・・・。」
林太郎は椅子の下から紙袋を取り出した。チラッと見えたが若者向けアクセサリーブランドのようだ。
「あの、1年の記念のプレゼントです。この1年間、ずっと一緒にいてくれて僕を導いてくれたことへのお礼です。アルバイトして稼いだお金で買いました。受け取ってもらえますか?」
「え~!うれしい!開けていい?」
包装を解くと、そこにはシルバーのハート型のネックレスがあった。
「あ~、これは私には若すぎるかな・・・。う~ん、でも気持ちはうれしいな!大切に飾っておくよ。」
「あっ・・・すみませんでした。正直、美野里さんみたいな大人の女性に何をプレゼントしたらいいのかよくわからなくて・・・。」
林太郎が萎れた花みたいにシュンとなっている。
フフッ、若いんだし、そうやって失敗から少しずつ学んでいけばいいよ。
「そういえばバイトしてプレゼント代稼いだって言ったよね。」
「はい。前に美野里さんが親からの仕送りでプレゼント買うなんておこがましいとおっしゃってましたので・・・。」
「アルバイトって何したの?」
「大学の生協で紹介してもらって短期で試験監督とか引っ越しの補助とかを・・・。」
「え~!ダメだよ!前から言ってるじゃない。働くにしても、将来のための経験になったり人脈を広げるのに役立つものにしなよって。そんな役に立たないバイトする暇あるならうちの会社でインターンでもしなよ。」
「いや・・・公私混同はまずいですし・・・。」
「じゃあ知り合いに頼んであげるよ。そうだ!吉村さんの不動産会社だったらきっと厳しく鍛え上げてもらえるよ、彼、体育会出身だし。知ってる?こないだ吉村さんの会社に行ったら、すれ違った社員がみんな『ゾスッ』って大声で挨拶してくるんだよ。空手部みたいに。」
「は、はあ・・・。でも大学の授業もありますし、あんまりアルバイトに力を入れるわけには・・・。」
「大丈夫だって。私なんか19歳で会社を立ち上げて、大学なんかほとんど行かないで仕事に邁進したんだよ。大学なんか最低限の単位だけ取っておけばいいって。大学で勉強するよりも現場で経験積んだ方がずっと成長できるよ!!」
「そうでしょうか・・・。でもやっぱり・・・。」
「絶対そうだよ!!林太郎も新しい環境にチャレンジしなきゃ!よしっ! 今度吉村さんに話しておくよ。」
「はい・・・。」
林太郎はいつも素直に私の言う通りにしてくれる。従順でかわいいやつだ。これで、もう少し向上心を持ってくれるともっといいんだけど・・・。
「そうだ!私からもプレゼントあるんだ。はい。」
「あ、ありがとうございます。何ですか?」
「ふふ~ん。開けてごらん。オーダーメイドの財布だよ。革の種類とかデザインとかこだわったんだから。」
「ありがとうございます。あの・・・高かったんじゃないですか?」
林太郎は驚きながらも、少し恐縮しているように見える。こういう謙虚な反応もかわいい・・・。
「う~ん、20万円くらいかな。林太郎の財布がボロボロだったから気になってたんだよね。」
林太郎はまだ19歳の大学生。とはいえ、学生みたいなボロボロの財布を使っていると一緒にいる時に恥ずかしい。
こうやって少しずつ林太郎に本物を与えてセンスを磨いてもらわなきゃ。
「ありがとうございます。一生大切にします・・・。」
「いいっていいって、そんな大げさにしなくても。」
顔を紅潮させながらの控えめな感謝の言葉は私の母性を刺激してキュンとなり、思わず彼の顔を見惚れてしまう。
よしよし。この1年でだいぶ私好みに仕上がってきた。初めて会った頃よりもだいぶ無駄な肉が落ちたしね。
1年前の林太郎は磨けば光る感じはしたけど、まだまだ原石だったもんな・・・。そう思いながら初めて会ったお見合いの日を思い出した。