婚約破棄された経営令嬢、祖母から受け継いだ幽霊城を『楽しいお化け屋敷』として立て直します!《短編版》
「キャサリン・ホワイト。僕はキミとの婚約を破棄する」
「へ?」
それはパーティ会場にて起きた、あまりに突然の出来事だった。
目の前の男――正確に言えば両親が決めた婚約者が発した言葉に、まだ齢十三歳の少女は目を丸くする。
「占い師に言われたよ。このままキミと結婚すれば不幸になると。キミは〝この世とあの世の境〟にいるらしい」
少女の婚約者の名はピーター・ジュルナル。
ジュルナル公爵家の令息で、年齢は十八歳。
比較的端正な顔立ちをしてはいるが、自分よりもずっと背の低い少女を見下ろす目つきは険しい。
とても忌々しいモノでも見ているかのようだ。
――実は、なにを隠そうこの日が初の二人の顔合わせ。
なんなら思春期真っ盛りの少女は、期待に胸躍らせていた。
どんな方が自分の婚約者様なのだろう――と。
にもかかわらず、その期待していた婚約者に、彼女は唐突に婚約破棄を突き付けられたのである。
しかも、大勢の貴族たちが集うパーティ会場のど真ん中で。
ジュルナル公爵家の令息の行動に、周囲の貴族はざわっとどよめく。
「キミは僕の妻に相応しくない。それに――」
「それに私たちは、真実の愛を見つけてしまったのよね、ピーター様」
ピーターの傍にいた女性が、ぎゅっと彼の腕に抱き着く。
彼女の年齢はだいたいピーターと同じくらいで、容姿も美しく、スタイルもいい。
自分の婚約者はこの女に誑かされたのだと、少女にはすぐにわかった。
と同時に「真実の愛もなにも、私とピーター様って今日会ったばかりなのですけれど!?」と心の中で突っ込む。
「そういうことだ。キミのお父上にもこの話は伝えておく。以後、僕の前に姿を現さないでくれ」
そう言い残すと、ピーターは少女に背を向け去っていった。
まだ幼い少女の脳内は、我が身に降りかかった出来事を処理できず、一瞬で真っ白になる。
もはや開いた口が塞がらず、言葉すら発せない。
そして――
「……きゅう」
少女は失神し、パタッと床に倒れた。
▲ ▲ ▲
――少女は夢を見た。
この世界でない、どこか別の世界の夢を。
そこはなにもかもが違う世界なのに、何故か少女は目に映る景色全てに見覚えがあった。
大きな一室の中に何十人ものスーツを着た人々が集い、デスクに座ってPCモニターを睨んでカタカタとデスクワークをしている。
誰も彼も忙しそうだ。
そんな中に、少女の前世の姿はあった。
そこでの彼女は三十五歳まで歳を取り、一際大きな机に腰掛けてバリバリ仕事をこなしていた。
「マネージャー、例の報告書できあがりました」
「ああ、ありがとう。お疲れ様」
「……なんだか疲れた顔をされてますよ? 最近あまり休まれていないみたいですし……」
「休んでなんていられないわ。今回は大きい企画を任せられてるんだもの」
心配する部下。
チームのマネージャーである彼女は多くの部下を持ち、その全員に慕われ尊敬されていた。
彼女は肩をすくめておどけて見せ、
「それに、私には今よりもっとやりたい事があるからね。キャリアの一環として、今回の仕事は失敗――でき――」
椅子から立ち上がった彼女は、突然眩暈に襲われる。
そのまま全身に力が入らなくなり、床へと倒れてしまう。
「マ、マネージャー!? しっかり! は、早く救急車を――!」
部下の言葉が、段々遠くなっていく。
遂に彼女の意識は――暗闇の中へと沈んでいった。
▲ ▲ ▲
「うぅ~ん……」
酷くうなされながら、少女は意識を取り戻す。
彼女が目覚めたのは、自身が普段から使っているベッドの上だった。
どうやら気絶した後に自宅である屋敷まで運ばれ、ベッドで寝かされていたらしいと少女は理解。
「あれ……私、なにしてるのかしら……? 確か大事な仕事をバリバリこなしてたはず……ですわよね……?」
しばし意識が混濁する少女。
だがすぐに気付く。
自分が二つの記憶を持っていること――より正確に言えば〝前世の記憶を取り戻した〟ことを。
「私……私って誰でしたっけ……?」
――ああ、そうだ。
今の私の名前はキャサリン・ホワイト。
前世の名前は佐藤法子。
少女は思い出す。
自分が前世で、過労の末に死亡してしまったことを。
そしてキャサリン・ホワイトという十三歳の少女に転生してしまったらしいということを。
「……なるほど、つまりこれは例の異世界転生というヤツ?」
なんかそういうネット小説とか漫画とか流行ってたわよね……。
まさかそれが自分事になるとは……。
とキャサリンは驚くよりも先に呆れ果てる。
彼女が目覚めた世界はどうにも中世っぽい雰囲気で、部屋の隅々に置かれた家具のデザインはなんともファンタジー。
ベッドから出て窓の外を見てみると、そこには緑が広がる大自然の中にポツリポツリと木造の家々が立っている。
実にノスタルジックな光景だ。
何十階もある巨大なコンクリートの建物が乱立する大都会、道路を行き交う車、スーツや学生服やお洒落着を着て歩く人々……そんなモノはどこにもない。
「なんだか凄い世界で目覚めちゃいましたわね……。それにしても、大きな企画の途中で倒れてしまうなんて……我ながら不覚ですわ~!」
無念そうにキャサリンはギュッと拳を握る。
同時に自分の喋り方がちょっと変で、前世の記憶が戻る前の癖が残ってしまっていることも自覚。
これは所謂この世界の上流階級訛りなのだが――なんだかアラフォーの女がお嬢様を演じてるみたいで、自分で喋っておいてすっごい違和感……なんて思ったりするキャサリンもとい佐藤法子。
まあ別に喋り方なんてどうでもいいけど……今までだってこの喋り方で十三年間生きてきたワケだし……。
彼女はそう思って、ありのままを受け入れることにした。
……というより、これからどうしましょう?
なんてことを彼女が思った矢先――〝コンコン〟と部屋のドアがノックされる。
『お嬢様? お目覚めになられましたでしょうか?』
「ええ、入ってもよろしくてよ」
『! 失礼します』
キャサリンが答えると一人の侍女がドアを開けて入ってくる。
この侍女は、いつもキャサリンの身の回りの世話をしてくれている女性だ。
彼女は元気そうなキャサリンの姿を見ると安堵した様子で、
「よかった、お目覚めになられたのですね……! もう三日間も寝続けておいでだったのですよ!」
「わ、私、そんなに眠りこけてたんですのね……」
「はい。その間、ずっとうなされておいででした。……お身体は大丈夫ですか?」
「勿論! バリキャリである私が大丈夫でない時なんて、あるワケありませんわ~! オーッホッホッホ!」
威勢よく高笑いを上げるキャサリン。
だがすぐに「あ、やべ」と笑いを止める。
「バリキャリ……とはなんでしょう?」
「き、気になさらなくって結構でしてよ! それより、なんのご用かしら?」
「はい。お目覚めになられたのなら、すぐに荷造りを始めてください」
「えっ」
「大変申し上げ難いのですが……旦那様――キャサリン様のお父様は、あなた様がピーター様から婚約を破棄された事実に大変お怒りでございます。ホワイト侯爵家のメンツに泥を塗られたと……」
なんとも悲しそうに言う侍女。
それを聞いて、キャサリンの額からダラダラと冷や汗が流れ始める。
「旦那様はキャサリン様を勘当し、ホワイト家から追放することを決定されました。私もあなた様のお世話係を解雇されることとなりましたので、明日にも荷物をまとめて屋敷から出て行きます。これまでお世話になりました」
申し訳なさそうに侍女は頭を下げる。
え? 私が悪いの? 私がお父様に怒られるの?
私、一方的に婚約破棄を突き付けられたのだけど???
なのに勘当されるって、なに?
キャサリンはもう色々と突っ込みたかったが、それ以上に自分はこれからどうなるのかという不安の方が先にきた。
「ちょ、ちょっとお待ちになって……? 追放って……わ、私の身の振りはどうなるんですの……!?」
「旦那様のお母様――キャサリン様の祖母であるグラニー様が身元引受人となってくださるそうです」
あ、身元引受人いるのね? ならよかった……。
と胸を撫でおろすキャサリン。
しかし「ですが」と侍女は話を続け、
「グラニー様はキャサリン様がお生まれになる前に、旦那様と大喧嘩していて……。旦那様によってホワイト家から追われた過去をお持ちなのです。以来長らく絶縁状態が続いていたようですし、確執は相当なモノがあるのではないかと……」
――という説明を追加で聞かされ、改めて目が点になるキャサリン。
「え……あの……私、そんな気まずい関係の方に引き取られるの……?」
「グラニー様が身元引受人となったのも、なにか裏があるんじゃないかと使用人たちが噂しておりました……。こんなお言葉しか掛けられず申し訳ありませんが、頑張ってくださいませ、キャサリン様」
「ア……アハ……アハハ……」
キャサリンの喉から、思わず乾いた笑いが出る。
突然の人生ハードモードに、彼女は心の中で叫んだ。
「最悪ですわああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」と。
▲ ▲ ▲
「……異世界転生モノって、得てして最初は苦労することが多いけれど……流石にクソゲーすぎですわ……」
馬車に揺られながら、革製のスーツケースを傍らにキャサリンはポツリと呟く。
前世ではそれほどゲームはやらなかったし、クソゲーというモノに造詣が深いワケでもないが、それでもこの境遇は間違いなくクソゲーでしょ……とキャサリンは確信していた。
昔「人生はクソゲー」なんて言葉が流行ったりしたが、今この状況がまさにそれ。
もうキャサリンは泣きたかった。
「お客さん、目的地が見えてきましたよ」
馬車の手綱を引いていた御者のおじさんは、キャサリンに向かって言う。
どうやら目的地である『ホプキンス城』が近付いてきたらしい。
――キャサリンの祖母グラニーは、かつてホワイト家が所有していた領地とは離れた別の領地に暮らしている。
ホワイト家を追われてしまったグラニーはかつて懇意にしていたメイトランド家を頼り、その領内にある既に使われていない古城を格安で買い取ったのだという。
それが――『ホプキンス城』。
以来グラニーは『ホプキンス城』に住み続け、これからはそこがキャサリンの家となると。
最初にその話を聞いた時「幾ら使われていないとはいえ他家の人間に城を売り渡すなんて、メイトランド家はえらく太っ腹なのだな」とキャサリンは思ったりしたものだ。
「ハァ……どれどれ、私の新たなお家はどんな場所かしら――」
古城と呼ばれるくらいだし、きっと古びた城なのだろう……と彼女は思いつつ馬車から僅かに顔を出し、進行方向を視界に収める。
すると、確かにそこには城があった。
小高い丘の上にポツンとそびえ立つ、割と大きな灰色の古城が。
あったにはあった、のだが――
「――って、想像の百倍くらいクッソボロボロですわ~ッ!」
キャサリンの目に映った城。
それは彼女が思っていたよりずっとずっと古くてボロボロで小汚い、今すぐ倒壊してもおかしくないレベルのオンボロ城だった。
城全体が碌に手入れもされていないらしく、城壁は草や苔が生え放題。
遠目から見ても本当に人が住んでいるのかと疑いたくなるほど、荒廃し切った古城だったのである。
「嘘……嘘よ……アレが私の家だなんて、なにかの嘘ですわ……」
絶句するキャサリン。
嘘であってくれ、でなければなにかの間違いであってくれと、キャサリンは内心で神様に祈る。
しかし彼女の祈りも虚しく、馬車は古城の方へと向かっていく。
「お嬢さん、これからあの城に住むのかい?」
ふと、御者のおじさんがキャサリンに尋ねてきた。
「ふぇ? そ、そうなのかも、ですわね……」
信じたくないけど、と思いつつ肯定するキャサリン。
すると御者のおじさんは「はっはっは」と笑いながら、
「そうかいそうかい、なら気を付けな。あの古城には〝幽霊〟が住み着いてるって噂だから」
「……はい?」
「幽霊だよ、幽霊。ウチの領内じゃ昔から有名なんだ、『ホプキンス城』は幽霊に憑り付かれた〝幽霊城〟ってな」
完全に他人事として、あっけらかんとして言う御者。
だが対照的に、キャサリンの顔面は一気に蒼白になった。
「ゆ…………ゆゆゆゆ、幽霊~~~~!?」
「ああ、見たって言う人間が何人もいるんだ。頭と胴体が離れた貴族の幽霊とか、宙吊りになった貴婦人の幽霊とか、深夜の廊下を徘徊する顔のない修道女の幽霊とか……な」
ご親切にもアレコレ教えてくれる御者のおじさん。
一方、キャサリンは「なに余計なこと教えてくれてんですの、このオッサン~!?」と心の中でブチ切れまくる。
実はキャサリンは、前世の頃から幽霊だのホラーだのといった類が猛烈に苦手だった。
ホラー映画など鑑賞しようモノならお化けが出てくる前に失神し、夏の特番でよくやる怪談話を聞こうモノなら夜トイレに行けなくなるくらい、とにかくダメだったのだ。
だからある意味、彼女にとって今の御者のおじさんの話はなによりも聞きたくなかった。
だって今日から、その〝幽霊城〟で暮らすことになるのだから。
メイトランド家が何故祖母に城を破格の値段で売ったのか、理由がわかった気がする……とキャサリンは一人納得する。
もっとも、納得したからなんだという話でもあるが。
「ストップ! 馬車を止めて! 私帰ります! 自分の領地に帰りますわ~!」
「もう遅いよ~。ほい、到着っと」
残酷にも、馬車は遂に『ホプキンス城』の前へと到着する。
すると――城の前には、一人の老婆が佇んでいた。
「いらっしゃい。あなたがキャサリンなのねぇ」
馬車から降りたキャサリンを出迎えてくれたのは、優しげな顔をしたヨボヨボのお婆さんだった。
見る限りかなりの高齢で、顔はシワだらけで腰はくの字に曲がっており、杖を突いている。
彼女はキャサリンの姿を見るなりなんとも嬉しそうにし、
「初めまして、私はグラニー。あなたのお婆ちゃんですよ」
「は、はぁ……?」
「長旅疲れたでしょう。さあさあ、城の中でゆっくりしましょう。お茶を淹れてあげましょうねぇ」
温かな歓迎ムードで城の中へと迎え入れてくれる。
なんだか、キャサリンが想像していた歓迎とはだいぶイメージが違った。
彼女はもっと「フン、お前があのバカ息子の娘かい!」みたいな露骨に嫌悪感を露わにされるものと思っていた。
利用できるだけ利用して、ボロ雑巾のように使い捨ててやる……という態度を隠さないような。
借金を苦にして娘を見捨てて蒸発するような父親と、大喧嘩の末に領地から追われたというのだから、それはそれは歪んだ愛憎を全力投球でぶつけられるんだろうな……と。
しかし、グラニーからそういった嫌味な雰囲気は微塵も感じられない。
それどころか文字通り普通に歓迎してくれている様子。
城の中に入り、グラニーが普段過ごしているであろう小部屋へと招かれたキャサリン。
グラニーはキャサリンを椅子へ腰掛けさせると、すぐにお菓子と温かい紅茶を持ってきてくれる。
「さあ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます、ですわ……」
まるで知人から預けられた猫のようにカチコチに緊張したキャサリンは、とりあえず紅茶一口。
うーん、どうやら変なモノは入っていなさそう……と警戒しっぱなし。
だが、
「ウフフ」
そんなキャサリンとは対称的に、祖母であるグラニーはとても和やか表情をしていた。
それはもう、妙なことなんて絶対に考えてもいなさそうな。
これでもし心の内で悪いことを考えているのだとしたら、もうポーカーフェイスを通り越して詐欺師にでもなれるだろう、なんてキャサリンは思ったり。
「あ、あの~……グラニー様?」
「お婆ちゃんって呼んで頂戴な。私たちは祖母と孫なんですからねぇ」
「そ、それではお婆ちゃま? どうして私を歓迎してくださるんですの?」
キャサリンは尋ねる。
どうにも腑に落ちなかったから。
「お婆ちゃまはお父様と大喧嘩して、領地を追い出されたと聞きましたわ。そのお父様の娘である私に対して、どうして……」
「ああ……息子とは確かに色々あったけれど、もう昔の話ですよ。それに孫が困っていると聞かされて、居ても立っても居られなくて」
グラニーはどこか懐かしむように、言葉を紡いでいく。
「私はどうしても、孫の顔を一度見ておきたくってねぇ」
「私の顔を……?」
「あなたが生まれたと聞いてから、一度も会えずじまいだったから……。やっぱりお婆ちゃんにとって、孫というのは特別な存在なのよ」
グラニーはキャサリンへと近付き、彼女の小さな手を取る。
「……私はねぇ、もう長くないと思うの」
「え――?」
「少し前から、心臓に病を患っていてね。お医者様からは治らないと言われたわ」
「そ、そんな……!」
「いいのよキャサリン。私は充分生きた。それに最後の心残りも、こうして解消できたんだもの」
グラニーは優しい瞳で、キャサリンのことを見つめる。
「あなたを引き取ったのは、私の最後の我儘を叶えるため。――会えてよかったわ、キャサリン」
「お婆ちゃま……」
「ここでの暮らしは裕福とは言えないだろうし、残された時間は短いかもしれないけれど……仲良く暮らしていきましょう?」
「――はい、ですわ!」
この時、キャサリンは確信した。
グラニーには企みや下心などないと。
彼女はただ、孫である自分に会いたかっただけなのだと。
キャサリンはショックだった。
こんな善人が、こんなにいい人が自分の祖母だったなんて――と。
彼女は感謝してもし切れないくらい、心の底から感動していた。
同時に考え始める。
どうすればお婆ちゃまに恩返しできるだろうか、と。
こんなにいい人には、最後まで幸せな人生を歩んでもらいたい。
それでいて、できれば〝形〟として感謝を伝えられればなぁ――なんてキャサリンが思っていると、「ああ、でも」とグラニーが言葉を続ける。
「心残りと言えば、もう一つあるわねぇ」
「? それはなんですの?」
「私が亡くなった後、あなたにこの古い城しか残せないことよ。こんな城じゃ、売っても大したお金にならないからねぇ……」
「なにを仰いますか、お婆ちゃま!」
申し訳なさそうに話すグラニーに対し、キャサリンはドーンと胸を張る。
「売るだなんてとんでもない! 私、お婆ちゃまと一緒に住むこのお城が気に入りましたわ!」
「そ、そうかい?」
「ええ勿論! 私にお似合いのお城でしてよ! オーッホッホッホ!」
祖母の不安を払拭するべく、豪快に高笑いを上げるキャサリン。
しかしこの時、彼女は大事なことを忘れていた。
この城は――〝幽霊城〟と呼ばれていることを。
そして祖母と一緒に暮らし始めたこの日の夜、キャサリンはすぐに自分の発言を後悔することになる。
▲ ▲ ▲
「う~ん……おトイレ……」
――深夜。
キャサリンはグラーニから宛がってもらった自室を出て、トイレへと向かう。
そして火のついた蠟燭を片手に真っ暗な廊下を進み、トイレに到着。
手早く用を済ませた。
「大きなお城っていうのも風情がありますけど、廊下が長くてお手洗いに向かうのが面倒なのが面倒なのが玉に瑕ですわねぇ。まあその内慣れるかしら」
むにゃむにゃ、と半分寝ぼけつつそんな独り言を呟くキャサリン。
――と、その時だった。
〝カタンッ〟
という小さな物音が、どこからともなく聞こえてくる?
「あら?」
物音に気付いたキャサリンは、トイレの中を見回してみる。
『ホプキンス城』のトイレは案外と広く、最大で四名分の個室が容易されている。
個室と言っても薄い木の板で仕切られただけの簡易なモノだが、それでも最低限のプライバシーが守られてはいる。
とはいえ碌に手入れがされていないボロボロの小城なので、所々苔が生えた石畳の床や腐りかけの仕切り板が、なんとも雰囲気を醸し出している。
「なんの音かしら? まさかどなたかいらっしゃったり――なーんてあるワケありませんわよね!」
このお城は私とお婆ちゃまの二人暮らしなのですから! と心の中で笑い飛ばすキャサリン。
しかし、
〝カタンッ〟
また、音が聞こえた。
同じくなんの音かわからない、でもハッキリとした物音が。
二度目の物音を聞いた瞬間、キャサリンの背筋がピンと伸びる。
まるでその音は、自分の発言に返事をしたかのように感じられたから。
「………………」
ドバーッ、とキャサリンの額から滝のような冷や汗が流れ始める。
同時に、彼女の直感が告げた。
今すぐここを離れなきゃ――と。
「オ、オホホ……」
棚に置いておいた蠟燭を手に取り、そろーりとトイレを後にするキャサリン。
トイレを出た直後、彼女は思い出す。
御者のおじさんが笑顔で言っていた、〝幽霊〟の話を。
「あ……ああああり得ませんわ、あり得ませんわ! 幽霊なんているはずありませんもの! 非現実的ですわ! 信じませんわ!」
唱えるように自らに言い聞かせながら、キャサリンは廊下の中をスタスタと歩いていく。
だが『ホプキンス城』の廊下は長く、おまけに夜は蠟燭がなければなにも見えないほど真っ暗なので、雰囲気抜群。
こんな不気味な場所進みたくありませんわ……でも進まないと部屋に帰れませんわ……と彼女はグッと恐怖に耐え、極力周囲を見ないように薄目になって足早に歩いていく。
しかし周囲を見ないようにしても、不気味なほど冷気を帯びた夜風がスゥッとキャサリンの頬を撫でていく。
もう色々怖すぎて、キャサリンは「そうだ、羊を数えよう」と脳内で羊を数え始める。
「ひ、羊が一匹……羊が二匹……羊が三匹……!」
『……もし、お嬢さん?』
「羊が四匹、羊が五匹、羊が――」
『ミス? レディ? 俺の声が聞こえていないのかな?』
「ああもうっ、うるさいですわよ! 今怖くないように羊を数えてた……と……こ……」
ようやっと自分が声をかけられていたことに気付き、キャサリンはバッと後ろに振り向く。
だが、すぐに彼女は後悔した。
振り返ってはならなかったと。
それを――見てはならなかったと。
『ああ、よかったよかった。やっぱりキミは見える人なんだな』
振り向いたキャサリンの目に飛び込んできたモノ。
それは、両手に抱えられた男性の生首だった。
顔立ちだけを見るならおそらく二十代前半。
華やかな貴族衣装に身を包んだ首なしの身体が、生首を両手に抱えている。
つまり、切り離された頭と胴体が動いて、笑顔でキャサリンに話しかけてきているのである。
生首の顔立ちは実に端正で、その笑顔からはキラリと白い歯が覗く。
パッと見ては爽やかなイケメンだ。
だがなにせ胴体から離れているので、幾らイケメンでもカッコよさよりも怖さの方が明らかに勝っている状態。
身体から首が離れているというだけで、キャサリンにとって魅力値マイナス百万点のデバフがかかっていると言って過言ではない。
誰が――どう見ても――それは〝幽霊〟で間違いない存在であった。
本物の幽霊を見てしまったキャサリンは顔面蒼白になり、恐怖のあまりカチコチに身体を固める。
『ようやく振り向いてもらえた。この城の元城主として、新たな住人にご挨拶せねばと思ってね』
「は……ひゃ……」
『俺の名前はハンニバル・ホプキンス伯爵。今からかれこれ三百年ほど前に、城の城主をしていた者だ。どうか〝デュラハン伯爵〟と呼んでくれ給え』
生首を片手で抱え直し、空いたもう片方の腕を律儀にもキャサリンに差し出してくる。
しかしキャサリンにそれを握り返すだけの精神的余裕などなく――
「――ふぎゃあああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
白目を剝いて、絶叫と共にその場に卒倒。
すぐに失神した。
『おっと』
首なしの幽霊は慌てて頭部を本来の位置に戻し、倒れるキャサリンを抱きかかえる。
と同時に片手で蠟燭をキャッチ。火が付いたモノを落とすと火事になってしまうからと。
『驚かせるつもりはあったんだが、まさか気絶されてしまうとはなぁ』
少しばかり反省する首なし幽霊。
彼は白目を剥くキャサリンの顔を愛おしそうに見つめ、
『……俺たちと会話できる生者と出会えたのは、随分と久しぶりだ。歓迎させてもらうよ、可愛いお嬢さん』
▲ ▲ ▲
「――はぁうあっ!」
ガバッ、とキャサリンはベッドの上で起き上がる。
「ハァ……ハァ……ゆ、夢……? アレは夢ですの……?」
びっしょりと冷や汗をかきつつ、彼女はどうにか呼吸を落ち着かせる。
部屋の中はまだ暗いため、どうやら夜は明けていない。
蠟燭が照らす仄かな光が、部屋全体を照らしている。
私は確かトイレに行った帰り道だったはず……でも気付いたらベッドの上……。
そうですわ、アレはきっと夢だったんですの! そうに違いありませんわ!
――と自分で自分を納得させるキャサリン。
「ゆ、夢でよかったですわ…。そうですわよね、幽霊なんて実在するワケありませんもの!」
『いいや、実在するぞ?』
「……え?」
『なんなら、ここにいる』
キャサリンの言葉に答える謎の声。
その声は彼女の頭の中で反響するかのように不思議な聞こえ方をして、まるで脳内に直接語りかけてきているかのよう。
恐る恐る、彼女が頭を横に向けてみると――そこには、ベッドの横に佇むイケメンの男性貴族の姿があった。
しかし今度は、ちゃんと首が繋がっている。
「あ……ああああああ、あなた……!」
『先程の失礼はお詫びしよう。だが長らく幽霊なんてやっていると、どうにも生者を驚かせたくなってしまうのだ。許してくれ』
ハッハッハと笑う首なし幽霊、もといデュラハン伯爵。
キャサリンを部屋のベッドまで連れてきたのは、なにを隠そう彼であった。
デュラハン伯爵の姿は生きている人間のそれとなんら変わりなく、むしろ生き生きとしている。
だが全身がやや半透明になっており、文字通りの意味で存在感――というより実体感がない。
彼が幽霊であるという事実は、改めてキャサリンが見ても疑いようがなかった。
キャサリンは困惑する。
幽霊なのに、どうしてこんなに馴れ馴れしいのかと。
彼女が持つ幽霊のイメージはホラー映画などに出てくるソレで、とにかく恐ろしい存在だった。
テレビの中から這い出てきたり、呪いの家に住み着いていたり、化け物には化け物をぶつけてみたり……のような。
しかしこの幽霊、なんだかとてもカラッとしている。
それに当たり前みたいに会話までしてくる。
オマケに笑顔が眩しい。
さっきは驚きのあまり気絶してしまったが、こうして改めて目の前にしてみると、なんだかあまり怖くないような……とキャサリンは頭の上に「???」を並べる。
「え、えぇ~っと……あなたさっきは、頭と身体が離れていらっしゃったような……?」
『ああ、しっかり離れているぞ。ほら』
両手で頭を掴み、スポッと身体から離して見せるデュラハン伯爵。
『俺の最期はギロチンによる断頭でな。それが所以かはわからんが、こうして頭の付け外しができるのだ』
彼は嬉々として説明する。
その光景を見たキャサリンは――
「…………きゅう」
再度気絶。
パタリとベッドの上で倒れた。
『あ、ああっ、すまない! しっかりしてくれ! ほら、怖くない怖くない……!』
デュラハン伯爵は頭を元の位置に戻し、キャサリンの身体を揺さぶってどうにか目覚めさせる。
この時彼は、キャサリンが極度の怖がりであることをようやく理解した。
『わ、悪かった、キミがそんなに怖がりだとは思わなくて……』
「……もし次、また同じことをしたら、今度は私が幽霊になっちゃうかもしれませんわね……」
心臓発作とか起こして、と引き攣った笑顔を浮かべながら言うキャサリン。
とりあえずどうにか平静を取り戻した彼女は、
「それであなたは……なんとお呼びすればよろしかったかしら?」
『俺はハンニバル・ホプキンス伯爵。〝デュラハン伯爵〟と呼んでくれ。この異名が気に入っているモノでね。そういうキミは?』
「私はキャサリン・ホワイト。キャサリンと呼んで頂いて結構ですわ」
軽く自己紹介したキャサリンは訝しげにデュラハン伯爵を眺め、
「それでデュラハン伯爵、えっと……どうしてあなたは幽霊なのに普通に見えて、オマケに会話までできるんですの?」
『いいや、普通は見えないし会話もできない』
「……?」
『キミが特別なんだ。俺たち死者は基本的に、生者と関わることはできない』
物を触ったり持ち上げたりはできるけどね、と彼は説明。
それを聞いて、キャサリンは小首を傾げる。
「じゃ、じゃあ何故私は……?」
『ごく稀にだが、死者と意思疎通が図れる特異な能力を持った人間が生まれることがある。キミはその能力者らしい』
デュラハン伯爵はその場で床に片膝を突き、キャサリンの手を取る。
『俺たち幽霊が見える者と出会えたのは、かれこれ百年ぶりだ。キミと出会えたこと、嬉しく思う』
キリッとした端正な顔立ちと、紳士的な態度。
それはキャサリン胸を一瞬ドキリとさせるには充分過ぎるモノだった。
彼が幽霊でなければ、この瞬間に惚れていたかもしれない。
『改めて自己紹介をさせてくれ。俺は三百年前、処刑されるまでこの城の城主だった。だから元ではあるが、主としてキミを歓迎させてほしい』
「元城主……それなら私やお婆ちゃまを追い出したりしませんの?」
『しない。昔は気に入らない者を脅かして追い出したりもしていたが、もう飽き飽きした』
デュラハン伯爵は「それに」と言葉を続け、
『ミセス・グラニーもキミもいい居住者だ。今では見る影もなくなったこの古城を、大事にしてくれる。それで充分さ』
「デュラハン伯爵……」
『さてと』
デュラハン伯爵は立ち上がり、
『今日はひとまず、これにてお暇させて頂こうと。淑女の眠りを妨げるのは、紳士のやることではないからね』
「え、あの……」
『明日の夜、改めてご挨拶に伺うよ。その時はぜひ、他の幽霊たちも紹介させておくれ』
そう言い残し、スゥッとドアをすり抜けて消えていった。
最後のデュラハン伯爵の言葉を聞いたキャサリンは、
「……他って……この城、まだ他にも幽霊がいるんですのーっ!?」
もの凄く嫌そうな表情で、白目を剥いていた。
▲ ▲ ▲
「お婆ちゃま、このお城〝幽霊〟がおりますわ」
デュラハン伯爵と会話した翌日。
グラニーが用意してくれた朝食を食べながら、キャサリンは昨夜あったことを説明する。
「昨日の夜、首なし幽霊が私に話しかけてきましたの! すっごく怖かったですわ!」
「まぁまぁ、キャサリンは幽霊さんが見えるのねぇ」
おっとりとした様子で、特段驚いた様子もなくキャサリンの話を聞くグラニー。
そんな彼女の態度に、キャサリンはやや拍子抜け。
「お、お婆ちゃまは幽霊が出たと聞いても驚かないんですの……?」
「ええ、この城は昔から幽霊さんが出ると有名だから。でも私は会えたことがなくってねぇ」
話を聞くグラニーは、むしろどこか羨ましそうですらあった。
そういえば、とキャサリンは周囲を見回してみる。
今朝食を取っている小さなリビングには、所々にお供え物のようなモノが置かれている。
バスケットに果物が入れられていたり、花瓶に花が飾られてあったり。
キャサリンの知る限り、この世界にはお供え物という文化は基本的に存在しない。
それでも置かれてあるということは、〝同居人に振る舞う〟という意味合いが強いのかもしれないとキャサリンは解釈した。
「それで幽霊さんは、なにか言ってたのかい?」
「ふぇ? え~っと……私とお婆ちゃまは、いい居住者だと……」
「そうかいそうかい。それはよかったねぇ」
キャサリンの報告を聞いたグラニーは、満足そうに笑みを浮かべる。
「キャサリンよ、もしもまた幽霊さんに会えたら――伝えてくれるかい?」
「い、いいですけれど……なんてお伝えすればいいんですの?」
「――〝私の孫と仲良くしてやってください〟って」
▲ ▲ ▲
――夜。
昨日と同じく城の中は真っ暗になり、キャサリン以外はとっくの昔に寝静まっている。
もっとも、キャサリン以外の生きた人間などグラニーしかいないだが。
「……そろそろ来そうですわね」
ベッドの上でむんずと腕を組み、自分を尋ねてくるであろう来訪者を待ち構えるキャサリン。
すると、〝コンコン〟とドアがノックされる。
「入ってよろしいですわよ」
『ありがとう、失礼する』
声が返ってきたかと思えば、次の瞬間デュラハン伯爵がニュッとドアを貫通して入室。
身体が幽体なので、どうやらドアをすり抜けるのも自由自在らしい。物理的にドアをノックできていたことから、物質に触れる触れないは自分の意志で調節可能ということがわかる。
ちなみに今日はちゃんと首がくっ付いており、一応デュラハンしていない。
だがてっきり普通にドアを開けられるモノだと思っていたキャサリンは、ドアをすり抜けてくる光景に絶句。
一瞬白目を剥いて意識が遠のきかけるが、どうにか耐えた。
相変わらず彼女はホラー耐性が皆無であった。
『こんばんは、ミス・キャサリン。起きていてくれて嬉しいよ』
「あ、予め訪ねると言われているんですもの。なら客人を待つのは礼儀ですわ」
『ハッハッハ、しっかりしたお嬢さんだ』
愉快そうに笑うデュラハン伯爵。
彼はキャサリンの怖がりでありながらもどこか豪胆で、幽霊である自分に対して「対等に話してやる!」という姿勢を見せてくるのが実に好ましかった。
『さてと、それでは参ろうか。皆がキミを待っている』
「……どうしても会わなきゃダメですの?」
『ああ、ぜひ』
エスコートさせて頂くよ、とデュラハン伯爵は手を伸ばす。
正直、キャサリンは凄く嫌だった。めちゃくちゃに嫌だった。
なにが楽しくて新しいホラー体験をさせられなきゃならないねん、と心の中で突っ込みまくっていた。
だが、少なくともデュラハン伯爵は紳士的である。
驚かそうとしてきたりちょっとお茶目なところはあるが、住居人として自分と祖母を歓迎してくれている。
それに元城主というのが本当なら、蔑ろにするのも気が引けた。
キャサリンは「誠実さは美徳であり、大事なこと」だと思っていた。
それはバリキャリだった前世に、大変な仕事を色々やってきて学んだことでもあった。
ビジネスの場面において信頼関係というのはとても大事で、相手を信じられない、あるいはこちらを信用してもらえないという時は、決まって企画が上手く運ばなかったのである。
互いに敬意を払う。相手を信頼する。そして自分も信用してもらう――。
これはとても重要なことだと、キャサリンは骨身に染みていた。
……ここで断れば、ここで逃げれば、デュラハン伯爵との関係に禍根を残しかねない。
同じ場所に住む者同士として、そして祖母のためにも、関係がもつれるのは避けたい――とキャサリンは思った。
「……わかりました。エスコート、お願いしますわ」
キャサリンに覚悟を決め、ベッドを下りてデュラハン伯爵の手を取った。
――デュラハン伯爵に連れられ、キャサリンは城の中を歩く。
真っ暗な廊下を、蠟燭の灯りだけを頼りに進んでいく。
もっともデュラハン伯爵は暗い場所もよく見えているようで、灯りなどなくとも大丈夫そうな様子。
幽霊に連れられて暗い廊下を歩くというのは、なんだか変な感じだな……ホラー映画の主人公みたい……と思ったりするキャサリン。
そうしてしばらく城の中を歩くと、デュラハン伯爵はとある一室の前で立ち止まる。
そこは元々応接間として使われていた場所らしく、今ではほぼ全く使われていない部屋でもあった。
『ここで皆が待っている。きっと全員、キミのことを気に入るだろう』
ワクワクとした様子で、デュラハン伯爵は部屋のドアを開ける。
すると、キャサリンの目に飛び込んできたモノは――
『――まあ、おかえりなさいハンニバル! その方がキャサリンさんなのね!』
『わ、私、恥ずかしいです……。百年ぶりの生者さんと、な、なにをお話すればいいのか……!』
『ふむ、確かに僕たちが見えるらしい。骨が熱くなってきたな』
逆さま状態になって宙に浮く貴婦人、
修道女の服を着た透明人間、
ゆらゆらと燃える青白い炎に全身を包まれる骸骨――
そんな、新たな三体の幽霊の姿だった。
彼女たちを見たキャサリンは、
「…………きゅう」
耐えられず失神。
バターンッ、とその場に倒れるのだった。
▲ ▲ ▲
「さ、先程は失礼を致しましたわ……」
コホン、とキャサリンは小さく咳き込む。
恥ずかしさを隠そうとして。
新たに登場した三人の幽霊を見て思わず失神してしまったキャサリンだったが、すぐにデュラハン伯爵が介抱。
頬を優しくペチペチと叩いて起こしてくれて、どうにか事なきを得たのであった。
――現在、キャサリンは合計四人の幽霊に囲まれた状態で応接間のソファに座っている。
デュラハン伯爵はキャサリンの隣に腰掛け、修道女の服を着た透明人間と燃える骸骨は反対側のソファに着席。
逆さ吊りの貴婦人は天地が逆さまになってプカプカと浮遊している。
『気になさらないで。私たちの姿を見れば驚いて当然ですもの』
逆さ吊り状態の貴婦人が、優しげな笑みを浮かべて言う。
彼女はデュラハン伯爵と同じく華やかな貴族衣装を着ており、艶々な金色の髪が眩しい。
年齢はデュラハン伯爵とあまり変わらないらしく、二十代前半~半ばくらい。
顔立ちもとても美人で、どことなく雰囲気がデュラハン伯爵と似ている。
彼女はとてもいい人そうだな……逆さまなのが気になりすぎるけど……なんてキャサリンは思ったり。
「お、お気遣いどうも……」
『まずは自己紹介をさせて頂戴な。私の名前はクラリッサ・ホプキンス。ハンニバルの姉をしております。以後、よしなに』
『おいおい姉さん、俺のことはデュラハン伯爵と呼べって言っただろ?』
『あらあらそうでしたわ。私は〝逆さま婦人〟と名乗るという手筈なのでした♪』
ウフフ、とお茶目に笑うクラリッサ――もとい逆さま婦人。
アンタら似た者同士か。いや確かに姉弟なんだもんな、そりゃ似てるか……と内心で悪態混じりに突っ込むキャサリン。
「と、ところでその……」
『私が逆さまな理由?』
「……差し障りなければ、お聞きしてもよろしくて? すっっっごい気になるので」
『私はね、逆さ吊りのまま首から血抜きをされて処刑されたの! だからなのか、幽霊として目覚めた時にはこんな風になっていたわ』
――聞きたくなかった。いや、聞かなければよかった、とキャサリンは後悔した。
彼女はホラー全般が苦手で、その中にはスプラッター系のモノも当然含まれる。
だから逆さ吊りのまま処刑される光景を想像してしまい、ちょっと気持ち悪くなった。
当の逆さま婦人は飄々とした様子で語るのだが。
『ずっと逆さまのままなのは不思議な感じがするけれど、世界が逆さまに見えるというのは、慣れたら案外面白いのよ!』
「……そうですの……」
わかりたくないなぁ、その気持ち……とキャサリンはスルー気味に返事。
次に修道女の服を着た透明人間がやや慌てた様子で身を乗り出し、
『わ、私はテレサ・メリンといいます! えっと、〝透明人間シスター〟と呼んでください……!』
あがり症なのか、ややたどたどしい感じで自己紹介。
透明人間シスターは白黒の修道女服に頭巾というわかりやすい出で立ちをしているが、なにせ身体が透明。
服を着ていなければ彼女が修道女なのかなんなのか、そもそもそこにいるのかすらも判別できないだろう。
実際、キャサリンの目からは修道服が独りでに動いているようにしか見えないほどだった。
顔が見えないので年齢はわからないが、声色から察するにきっと若い女性なんだろうな、とキャサリンは判断する。
『ひゃ、百年ぶりに私たちとお話できる生者様とお会いできて、嬉しいです……!』
「は、はぁ……」
『そ、それにこんなに可愛らしいお嬢様だなんて……!』
『ウフフ、この子ったら昨日からとっても楽しみにしていたんですよ? 姿が見えないのにおめかししなきゃ、なんて言って』
『う、うぅ……言わないでください……』
逆さま婦人に告げ口されて、恥ずかしそうに顔を真っ赤にする透明人間シスター。
いや、顔が見えないんだから真っ赤になってるのかなんて知りようがないけど、たぶん絶対そう、とキャサリンは彼女が恥ずかしがり屋さんなのを理解する。
「えっと、あなたが透明なのは……」
『わ、私は自分の最期を覚えていないのですが……生前からすごい人見知りで……。人と顔を合わせるのが恥ずかしくて、誰にも見られたくないなと思って生きていたら……』
「死後、透明人間になっちゃったと?」
『はい……』
恥ずかしがり屋さんにもほどがあるだろ、とキャサリンは突っ込もうとしたが、どうにかグッと喉の奥に押し留める。
『では最後は、僕の番だな』
最後に、燃える骸骨が声を発した。
『僕はダニー・ブレイズ。生前は名誉ある騎士をしていた。このような姿で淑女と相まみえること、どうか許してほしい』
――骸骨の声は、すっごいイケボであった。
そのままアニメなどに出演できてもおかしくないような、声だけでイケメンだとわかるレベルのちょっと渋いイケボ。オマケに話し方が紳士のそれ。
そんな渋い声の紳士は、見た目とのギャップがあまりにも酷すぎた。
なにせ彼の姿は、頭のてっぺんから足のつま先まで真っ白な骨だけの完全な骸骨人間。
さらにそんな骸骨は青白い炎に包まれており、さながら人魂のように常にメラメラと燃えている。しかし骨しか残っていないせいで熱さを感じないのか、当人は至って涼しげだ。
彼の外観をファンタジー風に例えるなら燃えるスケルトン、日本風に例えるなら燃えるガシャドクロ、そんな感じ。
そんなガシャドクロが、渋いイケボ紳士なのだ。イケボで喋る度にカタカタと口が開閉し、歯や顎の骨を鳴らしているのだ。
キャサリンはギャップで風邪をひきそうなくらいだった。
『そんなにまじまじと見ないでくれ給え。これでも恥部を曝け出している気分なのだ』
「も、申し訳ありませんわ。えっと……」
『ああすまない、僕も渾名を名乗るべきだったな』
ダニーという骸骨はスッと右手の人差し指を掲げ、
『見ての通り僕は全身が火で包まれていて、指先で触れるだけで蠟燭に火を灯せるのが自慢なんだ。だから僕のことは〝着火マン〟と呼んでくれ給え』
「……お願いでしてよダニー様、〝着火マン〟だけはおやめになって」
『何故かな?』
「えっと、うんと、なんと申しますか、お姿やお声とのギャップがさらに酷くなってしまいそうで……」
前世が日本人であったキャサリンにとって、イケボ紳士を〝着火マン〟呼ばわりするのには猛烈に抵抗があった。例え見た目が、よく燃える骸骨であったとしても。
渾名をキャサリンに気に入ってもらえなかったダニーはちょっとだけ残念そうにしつつも、
『ふむ、では〝人魂スケルトン〟ではどうだろうか?』
「そちらの方がよろしいと思いますわ。ええ絶対に。それであなた様は、どうして燃える骸骨のお姿をされていらっしゃいますの……?」
『僕の死因は火炙りによる処刑だったのだ。だがどうも火の勢いが強すぎたらしくてね。幽霊になった後も骨しか残らなかったというワケさ』
冗談交じりに語ってくれる人魂スケルトン。
本人にとっては既に冗談で言える話なのかもしれないが、人が骨になるまで燃やされる光景を想像しかけたキャサリンは気分が悪くなった。
同時に「よくもこんなイケボ男性を骨になるまで燃やしてくれたな」と、三百年前に彼を火炙りにした者たちを心の底から恨む。
せめて首吊りとかであったら、ここまで声と外観のギャップを感じることもなかったはずなのに……と悔しがるキャサリン。
そうして幽霊たちの自己紹介が終わった所で――
「コホン……それでは私も自己紹介をさせて頂きますわ」
四人の幽霊たちに対し、キャサリンは丁寧に自己紹介。
礼儀には礼儀で応える。
これも彼女にとっては大事なことだった。
▲ ▲ ▲
「つまり皆様は、同じ時代同じ場所で過ごされていた方々であり、今はこの城に囚われた地縛霊――というワケですのね」
幽霊たちから色々と話を聞いたキャサリンは、彼らが生前からの知り合いであることを教えられる。
同時に、四人共『ホプキンス城』と関わりの深い者たちであったことも。
デュラハン伯爵はコクリと頷き、
『ああ、三百年前の『ホプキンス城』は優に百人以上の人間が暮らす、それはそれは賑やかな城だったのだ』
『私と弟は領地を治める貴族として、テレサは城と併設された修道院の労働者として、ダニーはホプキンス家に仕える騎士として城に関わっておりました』
デュラハン伯爵の言葉に続くように、逆さま婦人が言う。
『私たちが生者だった頃は、毎日大勢の人が往来する活気ある城だったのですが……』
『敵国の侵略を受けて城も土地も奪われて以降は、徐々に寂れて人の往来もなくなっていき……気が付けば〝幽霊城〟と揶揄されるまでに落ちぶれてしまった』
ため息を交え、残念そうに語るデュラハン伯爵。
〝幽霊城〟と呼ばれるようになった原因はあなたたちでは……? と内心で思ったりするキャサリンだったが、重めの空気感だったので口に出すのはやめておいた。
『まったく嘆かわしい。この城が寂しく朽ちてゆくのを、ただ見守っていることしかできんとは……』
「……デュラハン伯爵は、このお城に人が戻ってきて欲しいと思っておられますの?」
『当然だ』
デュラハン伯爵は、力強く頷く。
『城主――いや領主にとって、城を訪れて笑顔を見せてくれる人々の姿がなによりの宝だったのだ。あの日々が恋しくないワケはない』
『デュラハン伯爵様の仰る通りだ』
うんうん、と頷く人魂スケルトン。
頭を上げ下げする度にカタカタと音が鳴る様子はとてもシュールだな、とキャサリンは思ったり。
『我ら一同、民の笑顔を心より愛していた。今の静かな暮らしも悪くはないが……幾百年の静寂は長すぎた』
「テレサ様……透明人間シスター様も同じようにお考えですの?」
『ふぇ!? わ、私は……』
透明人間シスターは若干しどろもどろになりつつも、
『私は、人に顔を見られるのは恥ずかしいですけれど……人の笑顔を見るのは、好きかもしれません……』
やはり城に活気が戻ってきて欲しい様子だった。
「……」
うーむ、とキャサリンは考える。
この考えるというのは、彼女の生前からの癖だった。
――例えば会社の中でなにか新しい企画を動かしたいと言われた時、例えば他の会社が○○をやり始めたと聞いた時、例えば「最近仕事が上手くいってなくて……」と相談を受けた時。
彼女は自然と、誰に言われるでもなく自分の頭で考え始めるという癖が付いていた。
自分ならどうするか? どんな企画なら成功しそうか? 他の会社が○○を始めたのなら、自分の会社ではどんなことができるだろうか? 今の状況なら一体なにができるだろうか? もし自分なら――
この「自分ならどうするか」「どうしたら上手くいくか」「今なにができるか」と無意識に考え始めるのが、キャサリンもとい佐藤法子の癖であり習慣でもあった。
もっともこれは、彼女が意図的に習慣化した思考回路でもある。
何故なら、彼女にはバリキャリ時代からの一つの目標――いや〝夢〟があったから。
そして彼女は――ある一つのアイデアを思い付く。
『キャサリン嬢?』
「……もし、ですけれど――この城に活気を取り戻せるかもしれない、と言ったらどうします?」
『『『『え?』』』』
四人の幽霊たちの声がハモる。
「勿論、そのためには皆様のお力が必要となりますけれど……ご興味、おありかしら?」
不敵に笑うキャサリン。
この後にキャサリンが言い出した提案は、彼らにとって思いもよらぬモノであった。
▲ ▲ ▲
――キャサリンが幽霊たち四人と邂逅した翌日。
「……このお城で、〝お化け屋敷〟を経営したい……?」
突然キャサリンから受けた相談に、グラニーは些か困惑する。
「そうですわお婆ちゃま! このお城で〝お化け屋敷〟を経営して、ひと儲けしてやるんですの!」
意志のこもった力強い声で、キャサリンは熱弁する。
思い付いたら即行動。昨夜幽霊たちと話したことで、彼女は『ホプキンス城』が持つビジネスチャンスに気付いたのだ。
バリキャリだった前世から、キャサリンには一つの〝夢〟があった。
それは――自分の会社を持つこと。
自分で起業し、自分で経営し、自分が理想とする会社を大きくすること。
その夢のために大企業に勤めて様々な経験を積み、経営に関する知識を吸収して、やり手のキャリアウーマンとして周囲から認知され始めた――そんな頃、無念にも過労によって命を落としてしまったのである。
――この世界で前世の記憶を取り戻し、『ホプキンス城』などというボロ古城に住まわせられるとなった時、キャサリンは最初こそ「もう人生の終わりだ」と絶望した。
けれどグラニーという優しい祖母に迎えられ、個性豊かな幽霊たちと出会った時、彼女の意識は切り替わった。
同時に思ったのだ。「この城の持ち味を生かしてお金を儲け、立派に再建したい」と。
それは祖母グラニーに少しでもいい暮らしをして欲しいがため。
そして幽霊たちの「この城に活気を取り戻したい」という願いを叶えるため。
そんな二つの願いを一緒に達成する潜在的価値が『ホプキンス城』にはあると、キャサリンは見抜いたのである。
キャサリンは既にざっとではあるが城内を見て回っており、ここがどんな城なのか、どこになにがあるのか、部屋の数はどれくらいなのかなどを概ね把握していた。
『ホプキンス城』は立派な城であるが、砦という観点で見るとそこまで極端に大きな建築物ではない。
まず、元からなかったのか既に取り壊されてしまったのか、一般に城壁と呼称される城の周囲をぐるりと取り囲むそそり立つ壁は存在しない。
代わりに小高い丘の上に建てられているのと、丘の斜面下の地面が抉られたようにやや窪んでいて天然の堀のようになっているため、正門に続く長い橋を渡らないと敷地の中に入れないようになっている。もしかしたら、昔はこの堀のような窪みの中に水が溜められていたのかもしれない。
正門を潜った先には中庭があり、天守、礼拝堂、使用人居住区、馬小屋などにアクセスできるようになっている。
天守とされる部分は四階建てで、普段キャサリンやグラニーが過ごしている空間は天守の中。
もっとも天守と言っても、『ホプキンス城』のそれは礼拝堂や使用人居住区などとほぼ全ての建物と内部が繋がっていて、外に出ずとも直接行き来できる構造になっている。故に俯瞰して見ると全体で一つの建築物と思えるデザインとなっており、区画の区切りはやや曖昧な感じだ。
城というのは要塞の役割も兼ねているから、無駄に広いリビングがあるかと思えば人一人通るのがやっとなほど狭い通路もあり、さらには分厚い石壁で覆われているため不気味なほど無音な見張り塔まで存在する。
キャサリンが調べた限り、城の総部屋数は用途問わず大小含めれば約百部屋前後。鍵がかかっていて立ち入れなかった場所なども複数あったため、少なくともキャサリンが把握している限りでは、となるが。
とはいえデュラハン伯爵が言っていたように、かつて多くの人間がここで暮らしていたことが伺える間取りとなっているのは間違いない。
どうやら地下にも色々と空間が広がっているようだが、キャサリンは流石にそこまでは見て回れていない。
ともかく――これら『ホプキンス城』の間取りは、〝お化け屋敷〟としては理想的な条件を満たしているのだ。
キャサリンは怖いモノが苦手だ。苦手というか大嫌いだ。
できれば一生関わりたくないと思っていたし、もしどこかの遊園地にある適当なお化け屋敷に入ろうモノなら、即座に失神するだろう。
それだけ彼女は、人一倍怖がりなのだ、
だが逆を言えば、それだけキャサリンは「どんなモノが怖いのか」「どうすれば人を怖がらせることができるのか」を理解しているとも言ってよい。
だって自分が怖いと思うモノを素直にアウトプットすればいいのだから。
怖がりであればあるほど、怖いモノをクリエイティブに創造することができる。
だからキャサリンは「いける」と思ったのだ。
勿論、彼女は本音を言えば「お化け屋敷なんて嫌ですわ~!」と思っている。
人一倍怖がりなのに、なにが悲しくて率先してホラーに関わらなきゃならないのかと。
何故あまつさえその事業を展開しなきゃならないのかと。
でも、それはそれとしてお化け屋敷を経営したい――。自分のやっている行為が完全に矛盾していると、キャサリンは自覚していた。他人に言えば頭がおかしいと思われかねないということも。
しかしキャサリンの経験と直感が告げるのだ。これは「成功する」「絶対に上手くいく」と。
そしてなによりも――怖いのを我慢してでも、祖母に恩返しをしていい暮らしをさせてあげたい、幽霊たちの願いを叶えてあげたいと、彼女は思ったのである。
この優しい性格と善性こそ、彼女がバリキャリ時代に多くの部下に慕われる理由でもあった。
もっとも一言に〝お化け屋敷〟をやると言っても、ここは日本ではない異世界。
ありとあらゆるモノの勝手が違う。
だがそれも込みで、キャサリンには勝算があった。
「お願いですわお婆ちゃま! 私にチャンスをくださいまし! 絶対、お婆ちゃまには迷惑をかけないとお約束しますから!」
「う、う~ん……そう言われてもねぇ……」
「お金のことは自分でなんとか致します! お婆ちゃまの手を煩わせるようなことはしませんから……!」
僅か十三歳の孫娘に迫られ、なんとも困り顔のグラニー。それは至極真っ当な反応であった。
しかしキャサリンも退くワケにはいかない。祖母を説得せねば、祖母に今以上のいい暮らしをさせてあげられないのだから。
グラニーはしばしの間考え、
「……キャサリンや、一つだけお婆ちゃんと約束しておくれ」
「? なにを、ですの?」
「〝後悔しないこと〟」
グラニーは、優しい手つきで孫娘の頭を撫でる。
「私のことは気にしないでいいよ。でもやるからには、精一杯おやり。後々になって後悔しないようにね。約束できるかい?」
「……! 勿論ですわ! 私、絶対に後悔なんてしません! 精一杯やりますわ!」
「うんうん、それなら思う存分やってみなさいな」
グラニーは、キャサリンのアイデアを了承する。
この時――キャサリンの〝ホプキンス城お化け屋敷計画〟は始動した。
▲ ▲ ▲
「さて……それでは作戦会議を始めますわよ」
グラニーからお化け屋敷を始める許可を貰ったキャサリンは、その夜さっそく幽霊四人を集めていた。
「お婆ちゃまはこのお城でお化け屋敷を始める許可をくださいましたわ。ですからお婆ちゃまのためにも、絶対に失敗できなくてよ!」
『キャサリン嬢、さっそくなのだが質問いいか?』
デュラハン伯爵が挙手。
キャサリンは質問を許可する。
『お化け屋敷の経営を始めるのはいいんだが……どこにそんなお金が?』
『そうよキャサリンさん。私たちお金なんて持っていないし、城にあった金銀財宝もとうの昔に奪い去られてしまったわ』
逆さま婦人が残念そうに言う。
彼女たちがまだ生前だった頃、貴族が住む『ホプキンス城』には金目の物が大量にあった。
しかし他国からの侵略を受けたことで全て奪い去られ、三百年も前にもぬけの殻に。
それが残っていれば最初にどれほど楽できたことか……とキャサリンは思ったりするが、ないものはないので頭を切り替える。
「お金に関しては、私たちが取れる選択肢は二つに一つ。投資あるいは融資を受けるか、でなければ自前の資金でどうにかするかですわ」
投資というのは、個人投資家などを集って資金を集める方法。融資というのは、銀行などの公的金融機関から資金を借り受ける方法。
この世界の場合は、裕福な貴族であったり銀行ギルドからお金を借りることを指す。
これらは新たに起業するに当たってごく一般的に行われる金銭の貸し借りであるが、いずれにしても借金であることには変わりない。
キャサリンとしては、借金をするというのはできるだけ避けたかった。
特に最初の最初は。
勿論選択肢としては常に持っておくべきなのだが、それは多少なりともお化け屋敷の経営が軌道に乗り始めてからにしたいと思っていた。
「私は現状、借金をすることは考えておりませんの。まずは今手元にあるモノだけでスタートさせるつもりですわ」
キャサリンが自分の考えを言うと、人魂スケルトンが「う~む」と唸る。
『つまりお金を用意せずに事業を始めようということか? 果たしてそんなに上手くいくものか……』
「その考え、よろしくなくてよ」
『なに?』
「なにかを始めるに当たってお金をかけないと不安……というのは、逆を言えば〝お金をかけさえすれば成功するはず〟という先入観を生みます。これは経験の浅い起業家のみならず、多くの大企業すらも陥るジレンマですわ」
キャサリンは前世において、多額の予算を用意したがそれでも失敗した企画を幾つも見てきていた。
他にもビジネス書を読み漁って「何故○○という世界的大企業の○○という企画は失敗したのか?」といった大企業が起こした大失敗の歴史――詰まる所の〝失敗学〟に関する知識を豊富に有していた。
言うなれば、彼女は自分の中に「やってはいけないことリスト」のようなモノを持っていたのだ。
そしてこの「やってはいけないことリスト」を脳内に持つと同時に、その裏を返した「やらなければならないことリスト」もきちんと自身の中に備えていた。
確かに莫大な資金を投入すれば、企画が成功する可能性はぐっと高まる。特に宣伝費に多額を費やせたなら、返ってくる見返りもより大きくなる。
だがそれは、あくまで大きな会社が取れる手法だ。
それにキャサリンは気付いていた。本質的に「準備資金の多さ=成功ではない」ことを。
「事業を成功させるに当たって、重要なのは資金を用意することではなく市場調査と工夫、そして行動……。私は、成功の本質を〝アイデアの実行〟だと思っていましてよ」
『で、でも、そのアイデアが上手くいくとは限らないんじゃ……』
不安そうに透明人間シスターは言った。
その言葉を受けて、
「確かにそうですわね。だからこそ入念な調査によって市場の動向を掴み、試行錯誤を繰り返すことが最初は特に大事になってくるんですの」
キャサリンはフッと不敵に笑う。
「試行錯誤を繰り返すことで、アイデアというのは確実に磨かれていきます。闇雲に資金を集めて散財するのは、浪費となにも変わらなくってよ」
――巷ではよく「自分への投資」という言葉が使われる。自分を成長させるため、学びを得るためのお金をケチってはならない、といったニュアンスで。
キャサリンはこれを非常に大事なことであると理解していたが、いざ事業展開となった場合には〝必要な投資〟と〝不必要な投資〟は分けるべきとも考えていた。
つまり「お金の選択と集中」はあって然るべきだと。
なにに資金をつぎ込まねばならないのか? それは今投資すべき事柄なのか? なにより、その投資は本当にいずれ自分に戻ってくるモノなのか――?
そういった自問自答を踏まえ、その上でやるべきと確信を持ったモノに資金を投入する。それがキャサリンのお金の使い方だった。
キャサリンは「それに」と言い足し、
「今、皆様が不安になられている原因は〝想像している目標が高すぎる〟ことにありますわ」
『想像している目標、とな?』
デュラハン伯爵が小首を傾げ、思わず頭を床に落としかける。
キャサリンはそんな彼から微妙に目を逸らしつつも話を続け、
「皆様は、お化け屋敷が成功すればすぐに大きなお金が入って城に活気が戻ると無意識に思っておいでです。ですが現実はそう上手くはいきませんわ。基本的に事業が軌道に乗るまで、五年~十年はかかると思った方がよろしくてよ」
『つまり……最初は大きく稼ごうと思わず、段を踏みながら小さな成功を収めていこう――ということだろうか?』
デュラハン伯爵が言うと、キャサリンは少しばかり楽しそうに頷いた。
「そういうことですわ。まずは最小限の成功から……それを雪だるまのように、徐々に大きくしていくんですの」
『ふ~む、なるほど……』
「借金をして最初に大きな資金を準備すればするほど、失敗した時のリスクも大きくなります。それを許容できるだけの資本金がないのであれば、リスクを負うべきではなくってよ」
キャサリンはビシッと宙を指差し、
「起業する、組織を立ち上げるのであれば、中~長期的な視野を持つべきなのです! その上で思い立ったら即行動という胆力を持つ! この相反する考えを併せ持って、上手く使いこなす広い視野と判断能力を獲得することこそが、事業を成功させる鍵ですわ!」
堂々と演説してみせる。
その姿はなんともカッコよく、幽霊たちが思わず見惚れてしまうほどだった。
――と同時に、
『『『『…………』』』』
「な、なんですの……? 皆様、鳩が豆鉄砲を食ったようなお顔をして……」
『いやな……齢十三のいたいけな少女が、どうしてこれほど事業経営に詳しいのかと……』
目を丸くして、なんとも不思議そうにデュラハン伯爵が言う。
他三人の幽霊たちも、全く同じことを思っていた。「キャサリン・ホワイトというこの少女、一体何者……?」と。
キャサリンは若干慌てふためき、
「オ、オホホホホ! わ、私も伯爵家の娘ですから!? お金のことに関しては、多少は勉強しておりましたのよ!」
『いや、それにしても……』
「そ、それより! それよりですわ!」
どうにかキャサリンは話題を変える。
「まずは最小限の成功を目指すとはいえ、起爆剤が必要なのは事実です。どれだけご立派なお化け屋敷を始めても、人々に知られなければ意味ありませんもの」
『それはそうだが、ではどうするのだ?』
「決まっておりますわ――〝情報発信者〟を頼るんですのよ」
▲ ▲ ▲
キャサリンが思い付いたアイデアはこうだった。
まず『ホプキンス城』をお化け屋敷にするに当たって、基本的に改装は行わない。
とにかくお金をかけることを避け、キャサリンや幽霊たちの人数でできることをする。
具体的には城中の掃除と、お客さんに見てもらうルートの模様替え。所謂本格感を演出するため、あえてボロボロで小汚いままにしておく場所もある。
数日かけて城内の清掃を終えたら、その後は調査だった。
キャサリンがやった調査とは、「オカルト好きの貴族・作家・町の権力者」などを見つけること。
もっと言えば、オカルト好きのコミュニティを見つけようとしたのである。
『ホプキンス城』は人里からはやや離れた場所に位置しているものの、幸いなことに『アルバ=ナポカ』という領内でも比較的大きな町が最寄りにある。
キャサリンはその町に繰り出し、徹底した聞き込み調査を行った。
十三歳の少女が一人で町へ赴いて聞き込みを行うなど不用心極まりないが、元やり手のバリキャリである彼女はそんなのお構いなし。
堂々と現地調査をやってのけてしまった。
そしてキャサリンは、町の行く先々でこんなことを尋ねるのである。
「私、最近この辺りに引っ越してきましたの! なんでも近くに〝幽霊城〟なんて呼ばれるお城があるらしいですわね!」
こう切り出すと、町の人々は『ホプキンス城』について知っていることをアレコレ教えてくれる。
当然、人々は嘘やデタラメなどあることないこと種々様々な情報を口々に語るが、そこは彼女にとってさほど重要ではない。
町の人々が『ホプキンス城』にどんなイメージを持っているかを知ることも一応目的の内ではあったが、彼女にとっての本題はそこではなかった。
しばらく話を聞いたキャサリンは、最後にこんな感じのことを尋ねる。
「私、オカルトの類が大好きなんですの! オカルト好きの著名人はいらっしゃらないかしら?」
「怖いモノ好きで有名な方はいらっしゃらない?」
「幽霊が出ると噂の『ホプキンス城』に興味のある方はどこかにいらっしゃいませんの?」
――勿論、キャサリンがオカルトが大好きだなどというのは噓八百だ。むしろ大嫌いである。少し前まで、そんなモノ滅んで消えてなくなればいいと本気で思っていた。
だが彼女は理解しているのだ。〝人間というのはオカルトや噂の類が大好きである〟と。
如何にここが日本とは異なる異世界であったとしても、その点は変わらない。町で聞き込みをしたキャサリンは思った通りだと感じていた。
町の人々は〝幽霊城〟という単語を聞くと様々な表情を見せたが、誰も彼も関心がある様子だった。だから「話したくもない」みたいな露骨な嫌悪を見せた人は、極めて少なかったのである。
キャサリンが知る限り、人間は基本的にオカルトが大好きだ。仮に怖いオカルトが嫌いな者がいたとしても、怖くないオカルトは概ね好きだったりする。
例えば「教会に行ったら神様が語りかけてくれた」というのは立派なオカルトだが、この話に悪印象を抱く人物は少ないだろう。無論、それが詐欺の類でないことが前提ではあるが。
〝好奇心は猫をも殺す〟なんて言葉があるように、生物は未知のモノへの関心を捨て切れないのだ。
故に、キャサリンには確信があったのだ。
「オカルトが大好きな有名人が必ずいるはず」「オカルト好きで繋がるコミュニティが必ず形成されているはず」だと。
特にオカルトというのは娯楽の範疇に含まれることが多い。
そして娯楽を楽しむ余裕のある者は経済的に余裕のある者、つまり貴族などの権力者が多くなる。
キャサリンの狙い目はそこであった。
縦や横の繋がりが深いハイソサエティーの人物に、あくまで娯楽として〝幽霊城〟を体験してもらう。
得てして経済的に余裕のある者は非日常を求めがちなので、もしホラー体験に感動してもらえたなら、必ずその人物は周囲に言いふらすはずだ。
「〝幽霊城〟はとてもよかった」――と。
そして〝幽霊城〟の存在がコミュニティ内で話題になれば、最初の目標は達成したも同然。
一つの集団、一つのコミュニティ、それも一定の権力を有する者たちをリピーターかつロイヤルカスタマーにすることができれば、あとは指数関数的に〝幽霊城〟の名が広まっていくこととなるだろう。
前世で様々な企画に携わったキャサリンは「具体的な顧客を想定する」ことの重要性をよく理解していた。
もっと言えば「この感動は○○という人に届けたい」まで煮詰めればベスト。
例えばネットで有名な化粧品のレビュアーがいたとして、新しく発売した化粧品をその人物に紹介してもらえれば、そのレビュアーを中心としたコミュニティに一気に広まることとなる。
そのコミュニティに属する人間が「こういう新商品が出たんだ」と興味を持つことになり、さらに学校や会社など他のコミュニティ内でも新商品の話をして、教えてもらった人はさらに他のコミュニティにも――と伝播していく。
これがキャサリンがバリキャリ時代に学んだ商売の仕方であった。
とはいえ、都合よくオカルト好きの著名人なんて見つからないだろうなぁ……とキャサリンはある程度の苦戦を想定していたのだが――ここに来て、転生後に不運続きだった彼女にようやく運が向いてくる。
「ああ、怖いモノ好きってんなら、ウチの領地じゃギルレモ・デル・ロロ子爵が有名だな」
とある一人の町人が、そんなことを口走ったのだ。
この領内に住まうギルレモという子爵は、怖いモノに目がないらしいと。
さらに、オカルト好きの貴族の集まりにもよく出席しているとかなんとか――。
それを聞いたキャサリンは、すぐにギルレモ・デル・ロロ子爵に〝お化け屋敷〟のテーマパークを開業する旨を伝える手紙を送った。
『本当に怖い〝幽霊城〟にご興味ありませんか? 最高の体験をご提供致します。よろしければ、ギルレモ子爵をご招待させてくださいませ』
――という一文を添えて。
そして後日、ギルレモ子爵から返事が届く。
『ぜひ体験させて頂きたい』と。
キャサリンは幽霊たちと綿密な打ち合わせの下、お化け屋敷のアトラクションを決めていき――いよいよ、ギルレモ子爵を〝幽霊城〟へ招待する日が来た。
▲ ▲ ▲
キャサリンが思い付いたアイデアはこうだった。
まず『ホプキンス城』をお化け屋敷にするに当たって、基本的に改装は行わない。
とにかくお金をかけることを避け、キャサリンや幽霊たちの人数でできることをする。
具体的には城中の掃除と、お客さんに見てもらうルートの模様替え。所謂本格感を演出するため、あえてボロボロで小汚いままにしておく場所もある。
数日かけて城内の清掃を終えたら、その後は調査だった。
キャサリンがやった調査とは、「オカルト好きの貴族・作家・町の権力者」などを見つけること。
もっと言えば、オカルト好きのコミュニティを見つけようとしたのである。
『ホプキンス城』は人里からはやや離れた場所に位置しているものの、幸いなことに『アルバ=ナポカ』という領内でも比較的大きな町が最寄りにある。
キャサリンはその町に繰り出し、徹底した聞き込み調査を行った。
十三歳の少女が一人で町へ赴いて聞き込みを行うなど不用心極まりないが、元やり手のバリキャリである彼女はそんなのお構いなし。
堂々と現地調査をやってのけてしまった。
そしてキャサリンは、町の行く先々でこんなことを尋ねるのである。
「私、最近この辺りに引っ越してきましたの! なんでも近くに〝幽霊城〟なんて呼ばれるお城があるらしいですわね!」
こう切り出すと、町の人々は『ホプキンス城』について知っていることをアレコレ教えてくれる。
当然、人々は嘘やデタラメなどあることないこと種々様々な情報を口々に語るが、そこは彼女にとってさほど重要ではない。
町の人々が『ホプキンス城』にどんなイメージを持っているかを知ることも一応目的の内ではあったが、彼女にとっての本題はそこではなかった。
しばらく話を聞いたキャサリンは、最後にこんな感じのことを尋ねる。
「私、オカルトの類が大好きなんですの! オカルト好きの著名人はいらっしゃらないかしら?」
「怖いモノ好きで有名な方はいらっしゃらない?」
「幽霊が出ると噂の『ホプキンス城』に興味のある方はどこかにいらっしゃいませんの?」
――勿論、キャサリンがオカルトが大好きだなどというのは噓八百だ。むしろ大嫌いである。少し前まで、そんなモノ滅んで消えてなくなればいいと本気で思っていた。
だが彼女は理解しているのだ。〝人間というのはオカルトや噂の類が大好きである〟と。
如何にここが日本とは異なる異世界であったとしても、その点は変わらない。町で聞き込みをしたキャサリンは思った通りだと感じていた。
町の人々は〝幽霊城〟という単語を聞くと様々な表情を見せたが、誰も彼も関心がある様子だった。だから「話したくもない」みたいな露骨な嫌悪を見せた人は、極めて少なかったのである。
キャサリンが知る限り、人間は基本的にオカルトが大好きだ。仮に怖いオカルトが嫌いな者がいたとしても、怖くないオカルトは概ね好きだったりする。
例えば「教会に行ったら神様が語りかけてくれた」というのは立派なオカルトだが、この話に悪印象を抱く人物は少ないだろう。無論、それが詐欺の類でないことが前提ではあるが。
〝好奇心は猫をも殺す〟なんて言葉があるように、生物は未知のモノへの関心を捨て切れないのだ。
故に、キャサリンには確信があったのだ。
「オカルトが大好きな有名人が必ずいるはず」「オカルト好きで繋がるコミュニティが必ず形成されているはず」だと。
特にオカルトというのは娯楽の範疇に含まれることが多い。
そして娯楽を楽しむ余裕のある者は経済的に余裕のある者、つまり貴族などの権力者が多くなる。
キャサリンの狙い目はそこであった。
縦や横の繋がりが深いハイソサエティーの人物に、あくまで娯楽として〝幽霊城〟を体験してもらう。
得てして経済的に余裕のある者は非日常を求めがちなので、もしホラー体験に感動してもらえたなら、必ずその人物は周囲に言いふらすはずだ。
「〝幽霊城〟はとてもよかった」――と。
そして〝幽霊城〟の存在がコミュニティ内で話題になれば、最初の目標は達成したも同然。
一つの集団、一つのコミュニティ、それも一定の権力を有する者たちをリピーターかつロイヤルカスタマーにすることができれば、あとは指数関数的に〝幽霊城〟の名が広まっていくこととなるだろう。
前世で様々な企画に携わったキャサリンは「具体的な顧客を想定する」ことの重要性をよく理解していた。
もっと言えば「この感動は○○という人に届けたい」まで煮詰めればベスト。
例えばネットで有名な化粧品のレビュアーがいたとして、新しく発売した化粧品をその人物に紹介してもらえれば、そのレビュアーを中心としたコミュニティに一気に広まることとなる。
そのコミュニティに属する人間が「こういう新商品が出たんだ」と興味を持つことになり、さらに学校や会社など他のコミュニティ内でも新商品の話をして、教えてもらった人はさらに他のコミュニティにも――と伝播していく。
これがキャサリンがバリキャリ時代に学んだ商売の仕方であった。
とはいえ、都合よくオカルト好きの著名人なんて見つからないだろうなぁ……とキャサリンはある程度の苦戦を想定していたのだが――ここに来て、転生後に不運続きだった彼女にようやく運が向いてくる。
「ああ、怖いモノ好きってんなら、ウチの領地じゃギルレモ・デル・ロロ子爵が有名だな」
とある一人の町人が、そんなことを口走ったのだ。
この領内に住まうギルレモという子爵は、怖いモノに目がないらしいと。
さらに、オカルト好きの貴族の集まりにもよく出席しているとかなんとか――。
それを聞いたキャサリンは、すぐにギルレモ・デル・ロロ子爵に〝お化け屋敷〟のテーマパークを開業する旨を伝える手紙を送った。
『本当に怖い〝幽霊城〟にご興味ありませんか? 最高の体験をご提供致します。よろしければ、ギルレモ子爵をご招待させてくださいませ』
――という一文を添えて。
そして後日、ギルレモ子爵から返事が届く。
『ぜひ体験させて頂きたい』と。
キャサリンは幽霊たちと綿密な打ち合わせの下、お化け屋敷のアトラクションを決めていき――いよいよ、ギルレモ子爵を〝幽霊城〟へ招待する日が来た。
▲ ▲ ▲
「いよいよ明日、ですわね」
ギルレモ子爵を〝幽霊城〟へと迎える、前日の夜。
キャサリンは幽霊たちと共に決起会を開いていた。
「準備は万全……失敗は許されませんわ!」
『うむ、明日は必ずやギルレモ子爵に恐怖と感動を与えてみせよう』
『フフ、上手くいくといいですね』
『は、はわわ……子爵様をお迎えするなんて、おめかししなきゃでしょうか……!』
『興奮してきたな……骨がより燃え上がってきた』
皆それぞれ奮起し、明日を楽しみにしている様子。
キャサリンは一応最終確認を取ろうと、
「念のためもう一度確認しておきますけれど、デュラハン伯爵たち幽霊は基本的に普通の人間には見えないのですわよね?」
『ああ、だが例外が存在する。心が恐怖や不安に染め上げられた時のみ、普通の人間でも俺たちの姿が見えるようになる時がある。場合によっては触ったり、声が聞けたりもするようだ』
デュラハン伯爵が答えてくれる。
彼は言葉を続け、
『まあ見える触れると言っても、あくまで一時的なモノだがな。それに多くの場合は、その人間が怖いと感じるモノのイメージと重なって、歪ななにかとして五感が捉えるらしい』
「歪ななにか……例えば恐ろしい形相をしたように見えたり、恐ろしい声に聞こえたり、でしたわね」
『ふぅ、心外ですわ。私たちは可能な限り驚かせないように、落ち着いた声で微笑みかけているというのに……』
残念そうにため息を漏らす逆さま婦人。
逆さま状態のまま微笑みかけられても、それはそれで怖いような気もするけど……なんてキャサリンは思うが、言葉にはしないでおく。逆さま婦人を傷付いてしまいそうだから。
「では皆様は、最初にギルレモ子爵を不安にさせることに注力してくださいな。相手はオカルト好きのホラー好き。怖がらせるのは難しい相手だと思って、全力で挑んでくださいまし!」
『『おう!』』『『はい!』』
「ですが一点だけご注意を。〝幽霊城〟はあくまでお化け屋敷であって、アトラクションなのです。なにがあってもギルレモ子爵――お客様を傷付けてはなりません。特に人魂スケルトン様、あなたは役割的にもお気を付けあそばせ」
『うむ、承知している』
人魂スケルトンはカタッと頷く。心なしか、彼の身体を包む炎もいつもより燃え盛って見える。
「では――明日は絶対、ギルレモ子爵を怖がらせますわよッ!」
▲ ▲ ▲
「――この度はご招待に預かり感謝致しますぞ、キャサリン・ホワイト侯爵令嬢殿」
既に日没を迎えようかという時間帯。
空は薄っすらと暗くなり始め、あと一時間もしない内に外は真っ暗になるであろうことがわかる。
そんな頃合いに、ギルレモ子爵を乗せた馬車は『ホプキンス城』へと到着した。
勿論、夜に近い時間帯の方がより楽しめると提案したのはキャサリンの方。
「ご足労頂けましたこと、心より嬉しく存じますわ、ギルレモ・デル・ロロ子爵様。本日は私めが開業した〝お化け屋敷〟を、存分にお楽しみくださいませ」
スカートの裾を摘まみ、しゃなりとお辞儀をするキャサリン。
そんな彼女の姿に、ギルレモ子爵は「うーむ」と唸って顎髭を撫でる。
「しかし驚きましたぞ? ホワイト侯爵家のご令嬢と言えば、少し前に領地から追い出されたと聞いたばかりですからなぁ」
ギルレモ子爵はぽっこりと突き出たお腹と見事な顎髭、そして丸眼鏡が特徴の初老の男性。
些か気難しそうな顔つきをしており、微妙にキャサリンを小馬鹿にしたように笑う。
キャサリンが生家であるホワイト侯爵家から追い出された話は、どうやら他領地の貴族たちにも広まっているらしく、開口一番にギルレモ子爵にそこを突かれたキャサリンは改めて父親と元婚約者を恨む。
あのバカ父親め、メンツに泥を塗ったのは自分じゃなくて婚約者の方だろーが、と。
意味不明な理由で婚約破棄したあのアホ婚約者も、もし生きてまた会えたら、顔に冷や水の一つでもぶっかけてやるぞ……と。
とはいえ、彼にバカにされるのもキャサリンにとっては想定の内。
言ってしまえば、彼女は没落貴族。生家から見捨てられた事実上の負け犬なのだから、他の貴族に露骨に見下されてもなにもおかくしくはない。
ましてや権力を失った上位貴族など、それより下の爵位の貴族からしてみれば貶めてバカにするには格好の的。
だからキャサリンは、ギルレモ子爵からなにを言われようと覚悟の上だった。
「まさかそのホワイト侯爵家のご令嬢が――ましてやこんなにもお若い方が、〝お化け屋敷〟などという珍しい事業を始められるとは」
ギルレモ子爵は皮肉を交えつつも、少し楽しそうな表情でキャサリンの背後にそびえ立つ『ホプキンス城』を眺める。
おそらく彼は本当にホラーやオカルトの類が好きなのだなと、キャサリンには一目でわかった。だから彼女を貶すよりも〝幽霊城〟を体験できるワクワク感の方が多少勝っているのだろうと。
「それも、あの本物が出ると噂の『ホプキンス城』でときたものだ。お手紙を頂いた時は思わず目を疑いましたぞ」
「あら、このお城をご存知でしたのね」
「勿論、領内のオカルト好きには名の知れた存在ですからな。ここに住まわれて事業を始められるとは、キャサリン殿もよほどの怖いモノ好きとお見受けできる」
完全にキャサリンのことをホラー愛好家と思い込んでいるギルレモ子爵。
対して「そんなワケないだろーが」とキャサリンは心の中で激しく突っ込む。こちとら祖母のために必死で怖いの我慢しとるんじゃい、と。
しかしそんなことを一言でも漏らせばムードが台無しになるので、肯定も否定もしないでおく。
「これまで中々尋ねる機会がなかったのですが、今日がいよいよその日だ。……ま、〝お化け屋敷〟としては過度な期待はしておりませんが……少しは怖い思いをさせて頂けるのですかな?」
明らかに上から目線の、舐めた態度。
彼からすればキャサリンの〝お化け屋敷〟を楽しみに来たというより、噂に名高い『ホプキンス城』を観光に来たという感覚なのだろう。
言わばギルレモ子爵は舌の肥えた客。ちょっとやそっとでは靡かないぞという自負心があるのだ。
そんなこと、キャサリンはわかり切っている。こういう相手も前世では何度か相手してきた。
だからこそ――
「勿論ですわ! ――最高の恐怖をご提供致します」
堂々と、彼女は宣言する。
ギルレモ子爵は付き添いの護衛をその場に待たせ、キャサリンに誘われるまま城内へ。城門へと続く長い橋を渡り、中庭へと入る。
人気など全くない中庭は静寂そのもの。今にも地平線の向こうに隠れてしまいそうな夕陽が、古びた石壁を紅く照らしている。今にも夜闇に沈んでしまいそうな鮮やかな色合いと静寂さが相まって、『ホプキンス城』は不気味な様相を醸し出していた。
二人は最初の建物へと入る。
そこは元々使用人居住区として使われていた場所だったがとうの昔に使われなくなり、現在は廃墟同然となっている。
そんな使用人居住区が、最初のスタート地点。
日没直前ということもあって建物の中は非常に暗く、灯りがなければ足元も碌に見えない。キャサリンは蝋燭に火を灯し、ギルレモ子爵を先導。
その最中、キャサリンはこんな風に会話を切り出した。
「――ところでギルレモ子爵、あなた様は『ホプキンス城』の歴史についてどれほどご存知でしょうか?」
唐突に、キャサリンが尋ねた。
ギルレモ子爵は思い出すように口を開き、
「えーっと……確かずっと昔、一度敵国に占領されたことがあるとか――」
「ええ、今からおよそ三百年前、このお城は城主たちもろとも敵の手に落ちたことがあるそうですわ」
キャサリンは言葉を続ける。
どこか語り口調になって。
「捕らえられた者たちは、それはもう残忍は方法で処刑されたそうです。城主はギロチンで首を落とされ、その姉は逆さ吊り状態で首から血抜きをされ、騎士は生きたまま火炙りにされてしまったのだとか……」
「それは……なんとも惨いお話ですな」
「この『ホプキンス城』には、そんな殺され方をしたが故に怨霊となってしまった者たちが憑り付いているのです」
キャサリンの持つ蝋燭の火が、ユラリと妖しく揺れる。
語り部となった彼女の一言一句に、ギルレモ子爵は耳を傾ける。
「敵に敗れ、あまつさえ残酷な殺され方をした怨霊たちは、死んでも死に切れず……。今も尚〝痛い〟〝苦しい〟〝憎い〟と泣き叫んで、この城に足を踏み入れる者に呪いを振り撒いているのです」
「……それは、〝お化け屋敷〟の設定ですかな? それとも――」
「フフ、ご想像にお任せ致しますわ」
そんな話をしている内に、二人はスタート地点に到着。
キャサリンが〝ガチャッ〟とドアを開けて中へ入ると、そこは完全に真っ暗な一室だった。位置的に外光が全く入ってこない場所のため、蝋燭の灯りがないとどんな場所なのか本当にわからない。
その部屋は元々なにに使われていたのかわからないほど狭く、身長約180センチのギルレモ子爵では寝そべられるかどうかギリギリというくらい。
空気が淀んでいて埃っぽく、思わずギルレモ子爵は口と鼻を手で覆う。
床は年季の入った板張りで、小柄で体重の軽いキャサリンですらも一歩歩く度にギシギシと音がなる。比較的大柄なギルレモ子爵は、油断すると板を割って床を踏み抜いてしまいそうだと不安になる。
オマケに、なにもない。
視界に入るモノと言えば寂れて汚れた白い壁と、部屋の隅に置かれた小さなテーブル、その上に置かれた火の消えた蝋燭。あとは強いて言えば、ドアを開けて部屋へと入ったのにまたすぐ目の前に現れるドアくらいだろう。
数歩歩けばドアからドアへ。外光が入らない空気が淀んだ狭い部屋。年季の入った板張りの床。
――まるで、ただ通り過ぎるためだけに作られたような謎の空間に、ギルレモ子爵は言い様のない違和感を覚えた。
「キャサリン殿、ここがスタート地点なのですかな?」
「はい」
一言、キャサリンは答える。
だが彼女は、ギルレモ子爵の方へ振り向かない。
背を向けたままのキャサリンは、
「ここから先は一本道ですわ。ドアを開けて、真っ直ぐにお進みください。それでは――どうかお楽しみあそばせ」
手にしていた蝋燭にフッと息を吹きかけ、唯一の光源となっていた蝋燭の火を消す。
直後、部屋は真っ暗になった。
なにも見えず、なにも聞こえない。
ギルレモ子爵の目には暗闇だけが映り、耳には静寂だけが聞こえる。
灯りに慣れていた目はすぐには夜目に切り替わらず、なにも見えない彼は訳もわからないまま立ち尽くす。
しかし――それは時間にして、僅か三秒程の間のことだった。
突然、ギルレモ子爵の視界が暗闇から解放される。
彼の背後で火が灯り、再び部屋の中が照らされたのだ。
驚いて彼が振り向くと、小さなテーブルの上に置かれていた蝋燭に火が付いていた。
――いつの間に? マッチをこする音もしなかったのに。
驚くギルレモ子爵。独りでに着火した蠟燭に、彼の心拍数が上がる。
しかしギルレモ子爵が驚いたのは、それだけではなかった。
「……キャサリン殿?」
ギルレモ子爵が部屋の中を見回すと――ほんの数秒前までそこにいたはずのキャサリンの姿が、忽然と消えていた。
あまりにも唐突に消えたのだ。
ドアを開けて出ていったのではない。それならば〝音〟でわかる。
急いでドアを開ければ必ず音が鳴るし、この部屋の床は一歩歩けばギシッと音が鳴る。実際、さっきキャサリンはゆっくりと歩いていたのにもかかわらず床がギシギシと鳴っていた。
つまりキャサリンは一歩も歩かず、ドアも開けずに、ほんの一瞬の間に部屋の中から消えたのだ。
まさに神隠しであった。
どうなっているんだ――とギルレモ子爵が思ったすぐ後、今度はさっき通ってきた方のドアが〝ガチャッ!〟と突然施錠される。
「なっ……!?」
慌てたギルレモ子爵はすぐにドアを開けようとするが、向こう側から鍵をかけられたドアはビクともしない。
ギルレモ子爵は――完全に退路を断たれた形となった。
「……」
ふと気付いて、彼は火が灯った蝋燭の方を見やる。
すると蝋燭に寄り添うように、テーブルの上に〝どうぞお持ちください〟殴り書きされた紙の切れ端が置かれていた。
「ハ、ハハ……これもアトラクションの一つ、ということかね……?」
ギルレモ子爵はそう自分に言い聞かせ、蝋燭を手に持つ。
そして文字通りの一本道となった進行方向のドアを、〝ガチャリ〟と開けた。
ギルレモ子爵がドアを開けると、そこからはさらに廊下が続いていた。
ただ廊下と言っても、非常に道が狭い。ギルレモ子爵一人が通るのがやっとの狭さで、極めて圧迫感がある。
しかもそれだけではない。この圧迫感のある廊下はかなりの長さがあるように見え、頼りない蠟燭の灯りでは廊下の端――つまり進行方向の終着点が見えない。
キャサリンが言っていたように文字通りの一本道のようだが、この時点でギルレモ子爵は「進みたくない」と内心思い始めていた。
ギルレモ子爵は既にキャサリンの術中に嵌っていた。
彼女が〝お化け屋敷〟を始める上で意識したことの一つは、「如何に先へ進みたくないと思わせるか」であった。
アトラクションという観点から見ると矛盾しているようにも思えるが、キャサリンは怖いモノ好きの〝怖いモノ見たさ〟という心理を概ね把握していた。
怖い、けれどその怖いモノが見たい、一体どんな恐怖が姿を現すのか――という好奇心。ホラー好きの人々は、そんな衝動に突き動かされている。
キャサリンにとっては全くもって理解に苦しむが、ともかくそれこそが彼らにとっての非日常であり、需要なのだ。
それがわかっているなら、あとはやるべきことは一つ。
即ち、如何に〝世界観〟にのめり込ませるか。
ギルレモ子爵は意識していなかったが、キャサリンが彼を出迎えた時には既にアトラクションはスタートしていた。
より正確には、彼女が『ホプキンス城』の歴史を語り始めた時から。
城の歴史を知る。城の背景を知る。城の物語を知る。
それらを知ることは〝世界観〟の中に身を浸すということ。
加えて、なにも知らないよりも半端に知ってしまった時の方が、恐怖というモノはより助長される。
例えばとある一軒家があったとして、その家に関して完璧に無知であるのと、その家で過去に殺人があったと知っているのとでは、一軒家に対して抱く印象が全く異なってくる。
なにも知らなければ一軒家の傍を通り過ぎてもなにも感じないだろうが、殺人があったと知っていれば近寄るのも避けるようになるだろう。人の心理とはそういうモノだ。
だからキャサリンはギルレモ子爵に半端な知識を与え、心理をコントロールした。
過去にこの城では凄惨な処刑があったんですのよ、と。
これらはキャサリンがバリキャリだった時代に習得したテクニックであるが、それがこんな形で活用されるとは彼女自身夢にも思っていなかった。
「……おや、曲がり角か」
狭い廊下の中を進んでいたギルレモ子爵。
彼が手にする蠟燭の灯りはようやく廊下の突き当りを照らし出してくれる。
廊下は左方向に直角に曲がっており、一本道であるのには変わりない。
そしてその直角に曲がった先は当然灯りで照らせないし目で見えないので、ギルレモ子爵は余計に進みたくないと思った――そんな時、
「――! 誰だ!?」
――彼の視界の端に、一瞬だけ映った。
曲がり角からこちらを覗き込む、人間の顔のようななにかが。
ギルレモ子爵は腕を突き出し、蠟燭で曲がり角をくまなく照らす。
しかしどこにも人間の顔などない。
蠟燭の灯りはあまりに頼りなく、照らせる範囲も狭いため「影の揺らめきを見間違えたのか……?」とギルレモ子爵は自問。
だが、彼には確かに見えたような気がした。
自分を見つめてくる、男の顔が。
「う……むぅ……」
――進みたくない。進めばなにがいるかわからない。
ずっと誰かに見られているかのような、ジメジメとした圧迫感。これはギルレモ子爵が体験したことのない恐怖だった。
この異世界にも〝お化け屋敷〟は存在し、それなりには一般的に親しまれている。
だがギルレモ子爵がこれまで入ったお化け屋敷は、どれも怪物の仮装をしたキャストがバッと飛び出てきて勢いで驚かせるような、そういう類のモノだった。
しかし、キャサリンが用意したこの〝お化け屋敷〟は違う。
勢いで驚かせようなどとはしてこない。それどころか、恐怖の対象が中々出てこない。
まるで真綿で首を締めるかのような、足元が徐々に水に浸かっていき少しずつ靴の中に冷水がしみ込んでくるような、そんな恐怖が続いている。
出てこない。見えない。――だから怖い。
否が応でも想像力をかき立てられたギルレモ子爵は、まだ始まったばかりだというのに両手が震え始めていた。
無論、それもキャサリンの狙いであったなどとは露知らず。
「な、なんの、まだまだ……。このギルレモ・デル・ロロ、ホラー好きで通っているのでね……」
無理矢理作り笑いを浮かべ、勢いに任せてギルレモ子爵は曲がり角を曲がる。
その先には視界の端に映った男の姿などなく、すぐに次の部屋に映れるドアがあるだけだった。
ギルレモ子爵はドアの前に立ち、ドア輪に手をかける。だが、開けるのにどうしても躊躇した。
このドアを開けた先に、なにがある?
今度はなにを見せられる?
いやそもそも、これは本当に〝お化け屋敷〟のアトラクションなのか?
自分は――なにか恐ろしいことに巻き込まれてしまったのではないか?
彼の頭の中は、答えの出ない問いで埋め尽くされていた。
――意を決し、ギルレモ子爵はドアを開ける。
すると、なにやら狭い部屋へと出た。
ギルレモ子爵が出た先は、明らかに長年使われていないと思しき使用人部屋だった。
錆び、腐り、埃まみれになったベッドや小さなテーブルや暖炉が、時の流れを否応なしに感じさせる。
部屋には一つだけ窓が存在し、ほんの僅かにではあるが月光が室内へと注ぎ込まれている。
完全に真っ暗だった直前の廊下と比べれば、ギルレモ子爵にとって部屋の中はずっと目で見やすい環境だった。
そして――そんな部屋の窓際。
『うぅ……うぅ……』
黒い修道服を着た女性がギルレモ子爵に背を向け、床に膝を突き、窓の外に向かって祈りを捧げている。
修道女は頭に頭巾を被っており、全身を衣服で覆い包んでいるため、ギルレモ子爵からは彼女の髪の色や肌の色などは見て取れない。
そんな修道女は何故かすすり泣いており、悲しみに満ちた嗚咽を漏らし続けている。
『うぅ……うぅ……』
明らかに、異質な光景だった。
人が生活している気配が全くない朽ち果てた部屋の中で、修道女が祈りを捧げているのだ。
オマケに部屋に入るまではまるで人気など感じなかったのに、気が付けば彼女はそこにいた。
「……もし、シスター? なにかあったのかね?」
恐る恐る、ギルレモ子爵は修道女に近付いていく。
異常だ。おかしい。そうわかっても、そこに〝人〟がいるならば近寄らざるを得ない。
極限の不安環境に置かれた人間が必ず取る行動だ。勿論、これもキャサリンの思惑通り。
勿論、ギルレモ子爵だってこの状態がおかしいことなど理解している。だから彼は、修道女がキャサリンの手配したキャストなのかどうか確かめようとする。
「キミは、キャサリン殿が手配したキャストの一員なのかね? それとも――」
ギルレモ子爵は修道女のすぐ傍まで歩み寄り、尋ねる。
すると――修道女のすすり泣く声が、ピタリと止んだ。
『……』
ギルレモ子爵の言葉に反応するかのように、俯いていた頭が少しずつ持ち上がる。
そして、ゆっくりとギルレモ子爵へと振り向いた。
――〝顔〟のない修道女が。
「――!? ヒッ……!?」
思わずギルレモ子爵は腰を抜かし、その場に尻餅を突く。
彼が目にしたモノは、顔も手もない衣服だけの修道女だった。本来見えるはずの、本来そこにあるはずの肉体がない透明な修道女の姿だったのだ。
『フフフ……』
透明な修道女は僅かに笑う。
直後、修道女の衣服はまるで突然着用者が消えてしまったかのように、バサッと床へ落ちる。
被られていた頭巾も一瞬フワリと宙に浮き、少し遅れて衣服の上に落下した。
「あっ……なっ……!」
ギルレモ子爵は自分の目を疑った。
今、絶対にそこには人の形をしたなにかがいたはずなのだ。修道女の服を着た何者かがいたはずなのだ。
それが、一瞬にして消えた。衣服だけをその場に残して。
なにが起きたのか、自分はなにを目撃したのか、ギルレモ子爵には理解できなかった。
もしこれがトリックなのだとしたら、どうやって騙されたのか全くわからなかったのだ。
彼が愕然として顎を震わせていると、部屋にもう一つ備えてあったドアがキィッと開く。
この使用人の部屋はドアが二つあって通り抜けができる間取りになっており、さっきギルレモ子爵が入ってきたドアとは異なるドアが開いたのだ。
――〝こちらにお進みください〟
独りでに開いたドアは、明らかにギルレモ子爵をこっちに進めと誘っていた。
「フーッ……フゥーッ……!」
ギルレモ子爵は砕けた足腰にどうにか力を籠め、手足を震わせながら立ち上がる。
この時、ギルレモ子爵はもう一刻も早くここから出たいと思っていた。彼の頭の中は恐怖でいっぱいだったのだ。
開けられたドアを潜り、部屋から出たギルレモ子爵を迎え入れたのは長い廊下だった。
それも今度は先程のような狭い廊下とは違って較的広く、幾つものドアが見受けられる。
おそらくこのドア一つ一つが使用人の部屋なのだろうと、ギルレモ子爵にはすぐにわかった。
しかしそのドアのほぼ全てが×印に木の板が打ち付けられて、通れなくされている。
透明な修道女がいた部屋から出たギルレモ子爵は、長い廊下の中央にポツンと立たされる形となる。
進行方向としては、右にも左にも行けるようだが――
「こ、これは……どっちに行けばいいんだ……?」
一本道だと聞かされていたのに、道が二本に分かれてしまい困惑するギルレモ子爵。
しかし直後、たった今自分が通ったドアが〝ガチャンッ〟と閉められる。
「なっ……!」
またも退路を塞がれ、狼狽えていると――彼の視界の端に、〝灯り〟が映る。
見ると――ギルレモ子爵から見て左側の廊下の向こうに、いつの間にか〝骸骨〟が立っていた。
それも、青い炎に全身を包まれた骸骨が。
『……熱い』
目玉のない眼孔と、ギルレモ子爵の目が合う。
すると骸骨は足を動かし、炎を揺らめかせながら走り始める。
――ギルレモ子爵に向かって。
『熱い……熱い……! 火炙りだ! お前も火炙りになれえええぇぇぇッ!』
「ッ!? ヒ、ヒイィッ!」
明らかに生者ではない燃える骸骨に追いかけられる展開となったギルレモ子爵は、脱兎の如く逃げ始める。
この時退路が絶たれ、廊下の一方からは骸骨に追いかけられ、結果的に進む方向は一本道となる。
同時にギルレモ子爵はキャサリンから聞かされた話を思い出す。〝火炙り〟になって死んだ騎士が、かつてこの城にいたと。
アレは火炙りで処刑された騎士の怨霊だ。怨霊が生者を自分と同じ目に遭わせようとしているのだ。ギルレモ子爵にはそうとしか思えなかった。
必死に逃げるギルレモ子爵。
もう無我夢中になって足を動かし、廊下の端へと向かう。
そしてようやく、廊下の端が蠟燭の灯りで照らされる。廊下の端にはまたドアがあり、ギルレモ子爵は迷うことなくそのドアを勢いよく開けた。
ドアの向こうに入るや否やすぐに自らの体重をかけてドアを塞ぎ、向こう側から開けられないようにする。
〝ドンドンッ!〟と向こう側から荒々しくドアが叩かれる。
一度ドアが叩かれる度にギルレモ子爵は目を瞑って神に祈り「どうかお助け下さい」と慈悲を乞う。
何度かドアが叩かれた後――燃える骸骨は諦めたのか、急に静かになった。
「…………」
ギルレモ子爵はガタガタと身体を震わせながら、ゆっくりと目を開ける。
三秒、四秒、五秒――少し待っても、またドアが叩かれる気配はない。
どうやら諦めたらしいと、ギルレモ子爵は安堵する。
だが――それも束の間だった。
『……我が城でなにをしている、不届き者め』
「――!?」
突然、ギルレモ子爵は何者かに声をかけられる。それも怒りに満ちた声を。
彼が両目をしっかりと開けて自らが入った部屋の中を見回すと、そこは広々とした玄関ホールだった。
開けた空間の中央に大きな階段があり、中二階とも呼べる部分を経て左右に枝分かれした階段から上階へと上がれるようになっている構造。
そして、その中二階部分に――
『城主の許可なく、神聖な城内に土足で踏み込むなど……恥知らずめが』
一人の貴族衣装の男が立っている。
その男は、酷く恐ろしい形相をしているようにギルレモ子爵には見えた。
ギルレモ子爵は階段の下まで赴き、
「ま……まさかあなたは、かつてこの城で処刑されたという――!」
この時も、ギルレモ子爵の脳裏にはキャサリンから聞かされた話がよぎっていた。
彼女が言っていた話の中に〝ギロチンで首を落とされた城主〟というのがあったと。
『貴様も……断頭台に送ってやる。俺と同じように』
そう言った直後――貴族衣装の男の〝頭〟がゆっくりと首からもげて、ボトッと床に落ちた。
にもかかわらず、落ちた頭の視線はギルレモ子爵へと向けられ、身体は直立を保っている。
「な……なっ……!」
衝撃的な光景に、ギルレモ子爵は絶句する。
つい今しがたまで話していた人間の首が、床へ落ちたのだ。それも胴体から離れた頭は怨めしそうにギルレモ子爵のことを見続けている。
ギルレモ子爵の目は、首なしの貴族へ釘付けだった。
当然――この視線誘導もキャサリンの計画の内。
彼が恐怖のあまり身動き一つ取れず、首なしの怨霊を見続けていた――その時、
『――ばぁッ!』
突然、ギルレモ子爵の目の前に〝宙吊りになった女〟が振ってくる。
口の端が耳まで裂けるほど笑っており、首から大量の血を流して顔と髪を真っ赤に染め上げた貴族衣装の女が、ギルレモ子爵の視界を遮ったのだ。
いきなり目の前に不気味な貴婦人が振ってきたギルレモ子爵は――
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
もう耐えられなかったとばかりにパニックを起こし、絶叫しながら走り出す。
最後の最後、突然振ってきた宙吊りの貴婦人に驚かされたことよって、僅かばかりに残っていた彼の理性は蒸発。
逆さ吊りのまま血抜きをされた城主の姉というのも、キャサリンの話に出た通り。このままでは本当に呪い殺されると思い込んだ彼は、もう「死にたくない!」の一心であった。
ギルレモ子爵は首なしの貴族や宙吊り貴婦人に背を向け、手にしていた蠟燭も放り投げて、彼らから逃げるように全力疾走。
無意識に首なしの貴族が立っていた階段の向かい側にある〝玄関ドア〟へと走る。
ギルレモ子爵からしてみれば、怨霊たちから逃げるように走った先にあったドアがたまたま玄関ドアであったのだが――このドアへの誘導も、キャサリンが仕組んだ通り。
恐怖のあまり涙も鼻水もよだれも垂れ流し、これ以上ないほど取り乱したギルレモ子爵は玄関ドアを勢いよくあける。
すると、その先で彼が見たモノは――
「――ゴール、ですわ!」
幾つもの松明に火を灯し、できる限り周囲を明るくしてギルレモ子爵を出迎えてくれたキャサリンの姿だった。
彼女は満面の笑みを浮かべ、手作りと思しき〝クリアおめでとうございます〟と刺繍された横断幕を両手で広げている。
「へ……?」
「〝お化け屋敷〟のクリアおめでとうございます、ギルレモ子爵様。ここがゴール地点でしてよ!」
ポカン、と間抜けな表情をして呆気に取られるギルレモ子爵。
改めて彼が周りを見渡すと、そこは城内の中庭。さっきキャサリンと一緒に入った使用人居住区への入り口もそう遠くない場所にあり、どうやら建物の中をグルリと回ってきただけのようだと、理性の蒸発した脳でかろうじて理解する。
「キャ、キャ、キャサリン殿……!? ゆ、ゆ、幽霊、本物の幽霊が……ッ!」
まだパニックが収まらないギルレモ子爵は、小柄なキャサリンの身体に這う這うの体でしがみつく。
そんな彼の姿に、キャサリンはご満悦だった。もう最高の気分だった。
「幽霊? 嫌ですわ、なにを仰られるのかしら。彼らはキャストでしてよ」
「キャストだと……!? だ、だがアレは確かに……!」
「ギルレモ子爵様が遭遇した顔のない修道女も、燃える骸骨も、首なしの貴族も、宙吊りの貴婦人も、全て私がご用意した〝お化け屋敷〟のキャストの皆様ですわ。勿論、そのキャストの中には私も含まれていますの」
私も――というキャサリンの一言に、ギルレモ子爵はハッとする。
最初にキャサリンが突然姿を晦ましたが、あの時にもう〝お化け屋敷〟は始まっていたのだと。
そして〝お化け屋敷のオーナー〟としか思っていなかったキャサリンが唐突に消えたことで、彼女が作り出した演出にまんまと飲み込まれてしまったのだと。
いや、処刑された城主たちの話をしていた時には既に――とギルレモ子爵はようやく理解した。
だが理解しても尚、彼の混乱と困惑は収まらない。
「だ、だがあれらの演出はどうやったのだ!? とても人間にできる芸当とは思えん!」
「お気になられますかしら? 顔のない修道女が服だけ残して消えたのも、燃える骸骨が追いかけてきたのも、男の身体から首が落ちたのも、宙吊りの女が振ってきたのも……突然私がギルレモ子爵の前から消えたのも、一体どうやったのか」
キャサリンは得意気にフフンと笑うと、
「それは……〝企業秘密〟でしてよ♪」
唇に人差し指を当て、ウィンクしながらそう言った。
「さて、ギルレモ・デル・ロロ子爵様……私めがご提供した〝恐怖〟と〝非日常〟は、存分にお楽しみ頂けましたでしょうか――?」
「うっ……」
そんな彼女の問いに、ギルレモ子爵は認めるしかなかった。
自分の完敗だと。キャサリン・ホワイトの〝お化け屋敷〟は、ホラー好きが泣いて逃げ出すほどの非日常を味わえる素晴らしいモノだったと。
これより後、ギルレモ子爵はキャサリンが経営する〝お化け屋敷〟のスポンサーに名乗り出る。「この恐怖はもっと多くのホラー好きに知られるべきだ」と太鼓判を押して。
さらにキャサリンの狙い通り、ギルレモ子爵はあちこちで今回の体験を話した。彼が所属するホラー好き・オカルト好きのコミュニティ、元々ホラーやオカルトには関心がなかった貴族たち、さらには商人や町人たちにまで。
文字通りギルレモ子爵は〝情報発信者〟の役割を担ってくれたのだ。
結果、たちまち〝お化け屋敷〟の存在は多くの人々に知られることになる。加えて没落したホワイト伯爵家の令嬢であり、まだ十三歳のキャサリン・ホワイトという少女が経営しているというのも話題性に拍車をかけることとなった。
同時に、ギルレモ子爵の体験談が広まったことでとある〝噂〟が囁かれるようになる。
「キャサリン・ホワイトは、〝お化け屋敷〟のキャストに本物の幽霊を使っている」――と。
▲ ▲ ▲
――ギルレモ子爵が『ホプキンス城』を訪れる少し前。
「では、各所アトラクションのおさらいをしますわよ」
MTGと称し、キャサリンは四人の幽霊たちを集めて最終確認を行っていた。
キャサリンの言葉に対し、デュラハン伯爵たち幽霊は真剣に耳を傾ける。
「念のため再度私の考えを共有しておきますけれど、今回私が目指したのは〝ミニマムに恐怖演出をまとめ上げること〟ですわ。融資を受けない時点で起業資金はないも同然ですから、できるだけ内装や演出にお金をかけずにギルレモ子爵を怖がらせてやりますの」
『ああ、腕が鳴るな』
『フフ、幽霊の本領発揮といった所でしょうか』
意気込むデュラハン伯爵と逆さま婦人。
そんな二人を見てキャサリンもニッと笑い、話を続ける。
「ですから、ギルレモ子爵に通って頂くルートは使用人居住区のごく一部となります」
キャサリンはテーブルの上に城の見取り図を広げる。これも彼女が城中を歩き回り、自分で手書きしたモノである。
「まずスタート地点。元々緊急時の避難路として使われていた使用人住居棟の裏口に、ギルレモ子爵をご案内します。そこで私が蠟燭の火を消したら、さっそく逆さま婦人様の出番ですわ」
『はい、キャサリンさんをギルレモ子爵の頭上に引っ張り上げればよろしいのですよね』
穏やかな微笑を浮かべながら、逆さま婦人が答える。
ちゃんと役割を覚えて理解もしてくれているようだと、少しキャサリンも安心。
「その、私を持ち上げるのは少々大変かもしれませんが……どうか頑張ってくださいまし!」
『大丈夫ですわ、キャサリンさんがとっても軽いのは予行練習で確認済みですもの』
ウフフ、と笑う逆さま婦人。
自分の全体重を他人に預けるというのはキャサリンにとって気恥ずかしく、それも貴族の女性にとなれば申し訳なさもあったのだが、逆さま婦人は気にしていない様子だった。
常に逆さ吊り状態で浮遊する彼女であるが、特技の一つとして〝自分が浮遊する高度を自在に変えられる〟というモノがあった。
逆さま婦人には接地という概念がなく、果ては霊体であるが故に身体が壁をすり抜けられるため、天井という概念すらない。なのでやろうと思えば、何メートルも上空を漂えるらしい。一応は地縛霊なので、城の周囲を漂うに限られるようだが。
キャサリンはそこに目を付け、〝ギルレモ子爵の目の前から自分を消し去る〟という演出を取ることを決めた。
スタート地点で蠟燭の火を消すと同時に逆さま婦人がキャサリンの身体を引っ張り上げ、ギルレモ子爵の頭上まで移動させる。
灯りが消えて真っ暗な状態では、ギルレモ子爵はキャサリンの動きを目で追えない。
それにキャサリンは〝歩く〟ではなく〝浮く〟状態となるワケだから、足音もしない。
ギシギシと足音が鳴る場所でも、逆さま婦人に持ち上げてもらってゆっくりと床から足を離せば、音でバレることもない。
もし床から足を離す際に多少軋み音が鳴ってしまったとしても、人間特有の歩行音がなかった時点でギルレモ子爵は不気味に思うはず――というのがキャサリンの狙いだった。
つまりギルレモ子爵が「目の前からキャサリンが消えた」と思ったあの時、彼女は逆さま婦人に引っ張り上げられたままギルレモ子爵の頭上で息を潜めていたのだ。
次にキャサリンは人魂スケルトンの方を見て、
「私がギルレモ子爵の頭上に移動したら、続けて人魂スケルトン様の出番。部屋の隅にある蠟燭に火を灯し、〝どうぞお持ちください〟と書かれた紙を置いてくださいまし」
『承知した』
「この時、蠟燭に独りでに火が付いたとギルレモ子爵は錯覚するはずです。おそらく心情的にまだそれほど恐怖心はないはずですから、人魂スケルトン様のお姿も見えないでしょう」
『なに、見えたら見えたでいいサプライズにもなるさ』
相変わらずのイケボで微笑する人魂スケルトン。
彼は『見られてもすぐ壁の向こうにすり抜けしまえばいいしな』と余裕を見せる。
もっとも骸骨なので表情がなく、余裕の表情を浮かべているのかまではキャサリンにはわからなかったが、いずれにせよ頼もしいことだった。
続けてキャサリンの視線はデュラハン伯爵へと向き、
「蠟燭に火が付き、私が消えたことをギルレモ子爵が認識したら、デュラハン伯爵様は部屋の鍵をお閉めになって」
『これで退路を断って、一本道にする――だろう?』
「ええ、これで一気にギルレモ子爵の心情は揺さぶられるはずですわ」
そう言って、キャサリンは改めてデュラハン伯爵、逆さま婦人、人魂スケルトンの三人を交互に見やる。
「ギルレモ子爵が先へと進んだら、お三方はすぐに次の持ち場へと向かってくださいまし。遅れることのなきように!」
『おいおい、俺たちは壁をすり抜けて移動できるんだぞ? 心配無用だ』
ハッハッハと笑うデュラハン伯爵。
全く調子いいんだから、この伊達男は……と内心でちょっと白い目で見るキャサリン。
とはいえ彼女もギルレモ子爵がデュラハン伯爵たちより先にそれぞれの持ち場に辿り着くとは思ってはいないので、言ってみただけではあるが。
『とはいえ、ギルレモ子爵の顔色を窺うくらいはやってもいいだろう? こう、曲がり角から覗き見るくらい』
「……構いませんけれど、覗き見るだけですからね」
『わかってるわかってる、自重するよ』
――ギルレモ子爵が最初の狭い廊下を進んでいた際、視界の端に映った〝自分を見つめてくる男の顔〟。
アレの正体は『ギルレモ子爵、ちゃんと怖がってるかな~』とチラッと様子見したデュラハン伯爵であった。
既に恐怖を感じ始めていたギルレモ子爵の目に、朧気ながら覗き見るデュラハン伯爵の顔が見えたのだ。
もっともデュラハン伯爵もすぐに顔を引っ込めたので、幸か不幸かちょっとしたサプライズ以上にはならなかったのだが。
「ギルレモ子爵が狭い廊下を抜けたら……一番槍ですわよ、透明人間シスター様」
『ひゃ、ひゃい!』
キャサリンに言われ、ビクッと肩を揺らす透明人間シスター。
彼女は暗唱するように呟き、
『え、えっと、キャサリン様がご用意してくださった修道服をまとって、窓に向かって祈りを捧げながら、悲しそうに泣いていればいいんですよね。それでギルレモ子爵様にお声をかけて頂いたら、ゆっくりと振り向く』
「そうですわ。ギルレモ子爵が驚いたら修道服を脱ぎ捨てて、床の下にすり抜けてくださればOKですの」
『う、うぅ……なんだか殿方の前で全裸になるみたいで、は、恥ずかしいです……』
なんとも気恥ずかしそうに透明な両手を透明な頬に当てる透明人間シスター。
どうせ透明で見えるモノも見えないのでは……? とキャサリンは突っ込みたくなったが、恥ずかしがり屋な彼女の性格を考慮してなにも言わないでおいた。
そもそも、そんな恥ずかしがり屋さんがこうやって手伝ってくれているだけでもありがたいのだから、と思って。
――透明人間シスターを始め幽霊たちに一貫して言える特徴だが、彼女たちは物質に対して触れるもすり抜けるも自由に選べる。
だから触れようと思えば触れられるようだし、すり抜けると思えば大体のモノはすり抜けられるのだ。
これは物質であればなんでも含まれるようで、当然〝衣服〟も。
幽霊たちの特徴を理解したキャサリンは、買ってきた修道服を透明人間シスターに着てもらい、ギルレモ子爵を驚かす演出を思い付いた。
服の中身が忽然と消えるなど、常人から見れば恐怖でしかない。これは「イケる」と踏んだのだ。
一方、透明人間シスターからしてみれば服を脱ぎ捨てる=すっぽんぽんになるという感覚のようで、相当に恥ずかしかったらしい。
なので最初キャサリンがこの演出を思い付いた時、透明人間シスターを説得するために少しばかり時間を要していたりもする。
最終的に意を決してやってくれることになったので、無事キャサリンの狙い通りギルレモ子爵は腰を抜かしてくれた――という流れだ。
「私の予想ですが、この段階でギルレモ子爵の心は恐怖で満たされると思いますわ。あなた方幽霊も、歪な姿として見え始めてくるはずです」
『そこで二番槍、僕の出番というワケだ』
人魂スケルトンはカタッと顎の骨を鳴らして笑う。
キャサリンは頷き、
「ギルレモ子爵が広い廊下に出た後、彼と目が合い次第ダッシュで追いかけてくださいまし。ただし――」
『接触は厳禁。怪我をさせるのはもっと厳禁。だろう?』
「ええ、充分にお気を付けあそばせ」
『フッ……精々本気で逃げてもらうとしよう。大声でも張り上げてみようかな』
このイケボで大声を張り上げるのか~イメージできないな~、とキャサリンは思ったり。
とはいえ無傷のまま怖がらせられるのであれば、それに越したことはない。人魂スケルトンは冷静な人だし、裁量は彼に任せようとキャサリンは判断する。
「最後に、人魂スケルトン様がギルレモ子爵を玄関ホールまで追い立てたら――」
『三番槍、大トリを務める俺たち姉弟の出番だな!』
興奮したデュラハン伯爵は頭を外し、ボールのように宙に放り投げる。そしてすぐにキャッチして腋へと抱えたのだが、何度見ても慣れないキャサリンは少しだけ目線を逸らした。
「お、お二人はできるだけ派手で仰々しい登場の仕方をしてくだるといいかと。なにせクライマックスですから」
『任せてくれ! そういうのは大得意だ!』
『ええ、どうぞお任せを。最後は〆として、ギルレモ子爵を玄関ドアへと誘導して差し上げればよろしいのでしょう?』
逆さま婦人の確認に対して「ええ」と返事をするキャサリン。
「彼が玄関ホールから飛び出てきたら、私がお迎えして差し上げます。そこで〝お化け屋敷〟はクリアですわ」
そう言って――キャサリンは改めて、幽霊たち四人を一瞥する。
これから〝お化け屋敷〟のキャストとなり、会社の社員となり――そして仲間となる、大事な者たちのことを。
「全て上手くいけば、ギルレモ子爵は泣いて鼻水を流しながらゴールに辿り着くはずでしてよ。ですがそうなるかは、私を含め皆様の双肩にかかっておりますの」
『『『『……』』』』
「私は皆様を信じます。ですから――思いっっっきり、ギルレモ子爵を怖がらせて差し上げましょうッ!」
『『おう!』』『『はい!』』
「絶対に成功させますわよー! オーッホッホッホ!」
口元に手を当て、高笑いを上げるキャサリン。
一つ、彼女が前世の頃より大事にしている考え方がある。
〝企画の責任者は笑顔でいなければならない〟
病は気からというように、余計な不安は時に失敗を誘発する。だからこそ責任者は笑顔でいて、自信を持って部下を引っ張っていかねばならない。
勿論、笑顔でさえいればそれでいいというワケではないが――少なくとも部下に安心感を与えるには笑顔が一番だと、彼女は知っていた。
そうしてこの後、実際に〝お化け屋敷〟は最高のスタートを切ることができたのであった。
▲ ▲ ▲
〝お化け屋敷〟のスタートは、これ以上ないほど幸先のいいモノだった。
評判を聞きつけた者たちが少しずつお化け屋敷を訪れるようになり、さらにギルレモ子爵がスポンサーになってくれたことで、運営資金は確実に溜まっていった。
話題は話題を呼び、お金を呼び、人を呼ぶ。
いつしか『ホプキンス城』には人の往来ができ始め、ボロボロで寂れた過去の遺物でしかなかった城に活気が戻り始めていた。
まさに順風満帆という言葉がぴったりだった。
これなら幽霊たちの願いも叶えて、祖母にもいい暮らしをさせてあげられる、とキャサリンは思っていた。
――しかし、そんな矢先のこと。
グラニーが、ある日突然倒れる。
心臓の病が悪化したことが原因であった。
元々身体が弱っていたグラニーはほとんどベッドから出られなくなり、キャサリンはどうにか〝お化け屋敷〟を運営しながら看病するように。
どうにかこうにかキャサリンは時間をやり繰りし、祖母の回復を願って必死に看病を続けたが――グラニーがベッドから出られなくなって十日後、彼女は静かに息を引き取る。
孫に看取られながら、眠るように穏やかな最期であった。
亡くなる直前、グラニーはキャサリンに言っていた。
「キャサリンと会えて本当によかった」
「このお城がこんなに賑やかになるなんて、思いもしなかったわ」
「このお城は自由に使いなさい。私は天国から見守ってあげるから――後悔のないように、やりたいことを精一杯おやり」
この遺言があったことにより、『ホプキンス城』の所有権は正式にキャサリンへと譲渡されることに。
幸いなことに元の城の所有者であったメイトランド家は口出しをしてこず、ギルレモ子爵の働きかけなどもあったことで、僅か十三歳の少女が城主となる手続きはスムーズに行われた。
グラニーの葬儀の日、キャサリンは大声で泣いた。泣いて泣いて、一日中泣き続けた。
だが葬儀の翌日以降、彼女は決して泣かなかった。
本当は泣きたかったけれど、いつまでも泣いているのは祖母の望む所ではないように思えたから。
グラニーの遺体は『ホプキンス城』の敷地に埋葬され、墓石が建てられた。
本来であれば出生の地であるホワイト侯爵領にお墓を立ててあげるべきであったが、それは叶わなかった。
――葬儀から数日経って、この日もキャサリンはグラニーの墓石の前でしゃがみ、そっと花を添える。
そして両手を合わせて、安らかなれと祈る。
「……」
『……お婆さんが亡くなられて、寂しいかい?』
祈りを捧げるキャサリンの傍には、四人の幽霊たちの姿が。
デュラハン伯爵はキャサリンの背後に佇み、逆さま婦人と人魂スケルトンは黙祷。透明人間シスターは『神の下で安らかでありますように……』と祈りを捧げる。
「……お婆ちゃまは、どうしてあなた方のように幽霊にならなかったんですの?」
『さあな。だが幽霊っていうのは、なにかしらこの世に未練があるからなるモノだ。例えば俺なら、この城がかつての活気を取り戻す所が見たいって未練がな』
デュラハン伯爵はグラニーの墓石を見つめ、
『きっとミセス・グラニーは、思い残すこともなく大往生したのだろうよ』
「……」
『彼女にとって、死ぬ前にキミと出会えたことこそ幸福だったはずだ。それは間違いない。死者である俺が保証する』
「ありがとうございますわ。慰めてくれて」
キャサリンはフッと笑うと、立ち上がる。
「でも、もう大丈夫ですわ。あんまりクヨクヨしていては、天国にいるお婆ちゃまに怒られてしまいますもの」
『キャサリン嬢……』
「正直、やるせないですわ。お婆ちゃまのために頑張ろうと決意したのに……とも思います。けれどお婆ちゃまは私に言ってくださいました。〝後悔のないように〟って」
キャサリンは幽霊たちの方へと振り向くと、
「寂しくないか、と聞かれればとっても寂しいですわ。ですが今、私にはあなた方がいてくれますもの。だから私は、一人じゃない」
社員であり、部下であり、仲間である彼らを力強い目で見る。
自信と決意に満ちた、経営令嬢の目で。
「お婆ちゃまの願いは、私が後悔のないよう生きること――。なら私はお婆ちゃまから受け継いだこのお城で〝お化け屋敷〟を経営して、全力で盛り上げてやるだけですわ!」
キャサリンは拳を掲げ、歩き出す。
「さあ、今日もお客さんたちをビビり散らかさせてあげますわよ! 本日の〝お化け屋敷〟、オープンですわ~!」
『『『『おお~~~~ッ!』』』』
頼り甲斐のある小さな背中に幽霊たちも続き、同じように拳を掲げる。
――〝お化け屋敷〟は、今日も怖く楽しくオープンだ。
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