盛り上がらない時間について
働く必要も出かける必要もない時間には、道端の電柱が熱を吐き出している姿がよく分かった。理解していたし、強く共感もしていた。世界に居たのは僕一人だけだった。息絶えた魚の喰いつきを夢見て水面に垂らした釣り糸の先にあるのは三日月のピアスだ。誰もがそんな時間を忌避している。ぼおっと焚火を眺めているのとは訳が違う。生き死にを考え、遠い未来のことをちっぽけな算数でしか割り出せない自分の頭を呪い、これから1週間の天気予報にさえ微積の証明が成されていることを省みない。かつては鳴り止まないとされた音楽がいとも簡単に商業の内に取り込まれた。事実として、それは鳴り止んでいないということになるのだろう。分別のついた大人たちの背中から漂う臭気は何物にも代えがたい堅牢な気体。意味解析の初期衝動だけが紛れもない事実である。見出した意味も理由もすべて、近辺に落ちていた手ごろな要素を流用しているに過ぎない。それを承知した上で、言葉による納得感というものは享受せねばならない。節度を守るということ。形から入るなら畳の上で正座をするということ。時にサラダだけの夜を過ごすこと。幼い頃から練習曲は欠かさない。鍵盤を渡るほど手がデカいと、それだけで丁寧な生活が送れるような気がしてくる。ピアノ経験者のピロートークが聞こえる。盛り上がらない時間についても僕は全く嫌いじゃなかった。