タマとナナミの田舎日和
ナナミはスナックのカウンター越しに、常連客に笑顔を振りまきながら、ふと窓の外に目をやった。
「ふぅ…」
グラスを指で軽く回すと、冷たい感触が指先に伝わってきて、ほんの少し心が落ち着く。柔らかな照明の中で、ナナミの頭に浮かぶのは――タマのふわふわの毛並み。
「タマちゃん、ほんと可愛いんだよねぇ…」
思わず頬が緩む。最初は都会に連れて行って、カフェの窓際でオシャレな首輪をつけてみんなの注目を浴びさせたら素敵だと思ってた。でも、最近は考えが変わってきた。
都会のカフェ?高層ビルの窓際?
――そんなのじゃない。ここでいいじゃん。
「スナックの看板猫になったら、タマちゃんも私も最強じゃない?」
ナナミは思わずクスッと笑った。タマがカウンターの上で丸くなって、常連客たちに撫でられながら、みんなの癒しになってる姿が目に浮かぶ。最初は渋い顔するかもしれないけど、絶対タマの可愛さにメロメロになるはず。
「おじいさんも好きだけどさぁ…やっぱりタマちゃんと一緒に、ここで輝く方がしっくりくるなぁ。」
その時、隣の常連客が酔っ払って大声で笑った。
「ナナミちゃん、今日も絶好調だなぁ!」
ナナミはにっこり笑って、軽く肩をすくめた。
「まぁねぇ!タマちゃんと一緒にナンバー1目指さないとね!」
常連客たちの笑い声が店内に響く。その温かさに包まれながら、ナナミは心の中で静かに決意した。
都会のきらびやかな生活よりも、この田舎のスナックでタマと一緒に過ごす日々の方が、自分にはずっと合っている。
「タマちゃん、早く一緒にここで輝こうね。」
ナナミはグラスを置き、奥の棚から新しいボトルを取り出した。田舎のこの場所で、タマと一緒に築く新しい未来が、何よりも眩しく感じていた。
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ある日、スナックの開店準備を終えたナナミは、ふらりと村のタバコ屋へ向かった。ポケットの中のスマホがまた震える。画面を確認すると、元カレからの「ナナミ、いつ戻ってくるの?」というメッセージ。
「しつこいなぁ…」
ナナミはスマホを無視して、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。都会の騒がしさとは違う、この静けさが今は心地いい。
小さな坂道を下ると、村の中心にぽつんと佇む古びた木造の店が見えてくる。色あせた看板に微笑みながら、ナナミは思った。
――戻るわけ、ないでしょ。
軒先には色とりどりののぼり旗が風に揺れていた。ガラガラと引き戸を開けると、乾いた鈴の音が耳に心地よく響く。
店内には、駄菓子や、古びたタバコの箱がずらりと並び、昭和の香りがそのまま残っていた。ガラスケースの中には、今どき珍しいビン入りのラムネや、手作りの飴玉が並べられている。棚の隅には、色あせたマンガ本が山積みになっていた。
すると、奥の方でおばあさんが腰を曲げながら棚の整理をしているのが見えた。ナナミはその背中を見つけると、自然と声をかけた。
「おばあちゃん、元気にしてた?」
おばあさんはゆっくりと顔を上げ、ナナミの顔を見ると、目尻に深い笑い皺を寄せてニヤリと笑った。
「あらまぁ、ナナミちゃんか。相変わらず綺麗だごど~。都会の空気、吸ってきたか?」
その一言に、ナナミは少しだけ笑みを浮かべたが、どこか曖昧な表情を浮かべる。
「まぁねぇ。でも結局、ここが一番落ち着くのよね。」
おばあさんは、ガラスケースの中から小さな梅干し飴を取り出してナナミに渡した。
「ほれ、好きだったべ?都会のもんには負けねぇ味だど。」
ナナミは懐かしそうに飴玉を見つめ、そっと口に放り込む。ほんのりとした甘さの後に、梅の酸っぱさが広がる。
「うん、この味。やっぱり忘れられないわ。」
おばあさんはくすくすと笑いながら、ナナミの肩を軽く叩いた。
「おじいさんとはどうだい?」
その問いに、ナナミは一瞬言葉に詰まり、飴を転がしながら答えた。
「まぁ、ぼちぼちよ。でも…やっぱりタマちゃんの方が気になっちゃってさ。」
おばあさんは大きく笑い声を上げながら、ナナミを見つめた。
「猫一匹に心奪われるなんて、あんたもまだまだ若ぇのぉ。でもな、ナナミちゃん、気ぃつけるんだちゃ。欲張りすっど、大事なもんがスルリと逃げてまうがもしんねぇよ。」
ナナミはその言葉に少しだけ胸がチクリとしたが、すぐに軽く笑い飛ばした。
「大丈夫よ、おばあちゃん。私は逃がさないんだから。」
おばあさんの言葉に笑いながら店を出ようとしたその瞬間、ポケットの中でスマホが再び震えた。
――また元カレの名前が表示されていた。
ナナミは一瞬ためらったが、結局通話ボタンを押した。
「…なに?」
電話の向こうからは、少しだけ酔ったような声が聞こえてきた。
「ナナミ、元気か?最近全然連絡くれないから心配してたんだよ。…本当に戻ってこないのか?」
ナナミは思わず苦笑した。
「またその話?いい加減にしてよ。田舎の生活が楽しくて仕方ないんだから、もう都会に戻る気なんてないよ。」
元カレの声が少し焦ったように続く。
「でもさ、都会の生活の方がナナミに合ってると思うんだ。お前の好きなカフェも、オシャレな店もいっぱいあるし…だから、戻ってきてくれよ。」
ナナミはしばらく沈黙した後、答えた。
「無理だしぃ。こっちにはタマちゃんがいるし…それに、こっち(田舎)の方が落ち着くの。」
「…タマ?誰だよそれ?」
元カレの勘違いに、ナナミは思わず吹き出した。
「ふふ、あんたよりずっと可愛くて、モフモフで癒してくれる存在よ。」
スマホをポケットにしまいながら、ふと見上げた空は澄み切っていて、遠くの山々が柔らかな夕日に染まっていた。ナナミの心はすでに都会にはなかった。タマのモフモフと、ここで出会った人たちとの温かな日々が、何よりも大切に思えた。