第95話 貴方に届かせる
佐藤大翔は特別な人間ではない。
少なくとも、大翔自身はそう思っている。
異能なんて持っていない。
魔術だってそこまで上手くない。
魔導技師の才能は誇れることかもしれないけれど、そもそも、勇者として任命されなければ、一生知ることのなかったものだ。
きっと、勇者にならなければ特段、何の才能も自覚することなく生きていただろう。
コミュニケーション能力が高いとは言われることがあるが、大翔は自分よりも数段上手く人と接する人間を知っているし――――何より、社交性に優れていたらもっと女子からモテていたはずだ、と大翔は思っている。
少なくとも、社交性に優れた奴は、クラスメイトの女子全員から遊びに行く誘いを断られたりしない。
あんな惨めで情けない想いなどするわけがない。
いや、モテなくてもいいし、彼女ができなくてもいいので、せめて夏休みの間には異性と遊ぶ素敵な思い出をたくさん作りたかったのが本音だ。
――――閑話休題。
大翔は自分自身の技能に自信を持っていない。
今までの冒険だって、正直、虚勢だけで乗り切って来た感がある。
「大翔はさぁー、なんつーか? 最初は虚勢でも、それを本物にしていく凄さがあるよな? それを女子との交流でも使えればいいのに」
以前、大翔は親友の弥太郎からこのように言われたこともあるが、それに関してはきちんと否定していた。
「本物になんかなってねーよ。俺は最後まで虚勢で頑張っていたし、全然凄くない。だからきっと、女子にもモテないんだ」
この言葉に、弥太郎は「いや、お前が女子にモテないのはがっつきすぎだからだぞ?」と冗談交じりに返し、大翔は「お前にだけは言われたくねぇ!」と笑った記憶がある。
だから、大翔はこの時の否定が受け入れられたのかどうか、理解していない。
理解していないからこそ、自分の虚勢は本物にならないだろうと考えている。
亡霊神殿でも。
封印都市でも。
天涯魔塔でも。
大翔はいつだって虚勢を張って、偽物の勇気で仲間たちを引っ張って来た。
仲間たちの誰か一人にでも、『この嘘吐き!』と非難されれば、そこで終わるようなちっぽけな虚勢だった。
けれども幸いなことに仲間たちは本物で――本当に凄い奴らで。そんな奴らが協力してくれたからこそ、自分なんかが勇者を騙れていたのだ。
そんな風に、大翔は本気で思っている。
そう、超越存在に成り果てようとしている今だからこそ、大翔は後悔している。
もっと、他の相応しい人間に勇者の資格が手渡されていたのなら、こんな反則染みた終焉は訪れなかっただろうと。
「でもまぁ、俺にしては頑張った方だよ、うん」
大翔は自身を慰める言葉を――貶める言葉を吐きながら、雑踏の中を歩く。
顔が見えない人間が溢れる街中。
雲一つない晴天。
故郷と酷似した光景。
見慣れているけれど、見たことのない商店街。
全世界のどこにも存在しない架空の街――晴嵐燕が作り上げた幻想領域の中に、大翔の精神はあった。
「いや、マジで頑張ったよ。ソルの修行とかぶっちゃけ、普通に冒険するよりも死ぬかと思ったし。多分、何度か死にかけて蘇生させられていたと思うし」
幻想領域。
それはこの世ならざるテクスチャだ。
肉を持たず、物質的に顕現することのない、薄っぺらな精神世界だ。
「銀狼との戦いは、本当に死んだし。ミシェルとの契約が無ければ、あの時に俺の物語は終わっていたね!」
――――もうすぐ崩壊する精神世界だ。
今、大翔の精神が辛うじて保っているのは、様々な要素が重なった奇跡に過ぎない。
聖火と冬の権能という、異なる超越存在の力が完全に成りきるのを邪魔して。
巨人から知らぬうちに送られていた『灰の加護』が、不純物として晴嵐燕を阻害している。
これらの要素がなければ、大翔の精神などは紙切れの如く消し飛んでいただろう。
ただ、それでも所詮は時間稼ぎに過ぎない。
「天涯魔塔だって、普通の男子高校生には本当に攻略はしんどかった。いや、ここで色々とレベルアップしておかないと、後が辛いだろうっていう直感があったから頑張ったけどさぁ! せめて、まともに戦えるようにはなりたかったなぁ!」
空から降る灰が、大翔の靴を汚しても。
雑踏の中から流れる、オルゴールの音が大翔の後ろ髪を引いても。
それでも、大翔の足は止まらない。
己の終焉に向かって歩を進めていく。
どこまでも青い空を仰ぎながら、大翔は街の果てを目指していく。
そこが大翔の終着点。
人間としての終わり。
あるいは、全世界が救済に包まれる始まりかもしれない。
どちらにせよ、大翔はここで終わりだ。
佐藤大翔という勇者は、身の程知らずの自業自得により、小さな約束も果たすこともできず、無惨な結末に至る。
超越存在として全世界を救済し、何者よりも孤独な救済者として――ありとあらゆる超越存在の頂点として君臨するだろう。
『《大翔、私の声が聞こえますか?》』
もっともそれは、大翔に頼れる相棒が居なかった場合の仮定に過ぎないが。
いつの間にか、大翔の眼前には銀色の筐体のラジオが置かれていた。
周囲の雑踏は消えている。
青い空から降る灰と、心地よいオルゴールの音色。
そして、見慣れたラジオから響いてくる機械音のみが、大翔の幻想領域の全てになっていた。
「……シラノ?」
『《よかった! まだ意識は残っているのですね!? だったら……うん! だったら、まだ引き戻せます!》』
冷静沈着を心掛けているシラノにしては珍しく、焦った口調。
そこで大翔はようやく、自分が生命を超越するかどうかの瀬戸際に居ることに気づいた。
いや、事実としては最初から理解していたのだが、感情を伴って気づくことができたのは、シラノの声が聞こえてからである。
「えっと、ひょっとして今、俺って凄くヤバかったりする?」
『《大丈夫です! 絶対に大丈夫ですから!》』
「うわぁ、シラノが具体的なことを何も言わないって超ヤバいじゃん……あー、段々と実感が伴って来た。そっかぁ、これが超越存在化かぁ……本当にギリギリというか、むしろアウト気味な気分がする」
『《状況が悪化するので、深く考えないでください! 今、アレスの異能で引っ張り上げるところです! その準備をしているので、大翔は少しでも人間に戻りたいと強く意識してください! 想いの強さこそが、何よりもアレスの異能を底上げしますので!》』
「うん、わかったよ」
慌てふためき、必死に大翔のために手を尽くすシラノの声。
その声は大翔の心を温かくさせるものだった。そこでようやく思い出す。そう言えば、ここまで虚勢を張り続けられたのは、ずっとシラノが居てくれたからだと。
「……いいや、やっぱり駄目だ」
故に、大翔は首を横に振った。
『《えっ? あの、大翔? 冗談を言っている場合では――》』
「俺はここで終わらないといけない」
今までならば、シラノの助けを受け入れていただろう。
シラノが居ないと俺は駄目だなぁ、と笑いながら受け入れていただろう。
だが、今は違う。大翔の精神はまだ人間の範疇にあったとしても、肉体は既に超越存在――晴嵐燕だ。
数多の世界へ嵐を招く、遍在する救済者だ。
「そうでなければ、確実ではなくなってしまう」
そう、だからこそ、今だからこそ大翔は気づけてしまうのである。
千里眼よりも遥かに高い視点から、『シラノがひた隠しにしていた秘密』に。
「超越存在でなければ、夜鯨と冬の女王に吸収されたシラノを、確実に救い出せない」
ラジオの向こう側にある、シラノの真実に。
◆◆◆
そもそもの話、シラノでは超越存在の領域に耐えられない。
対策を重ねればあるいは、上位異能者たちのように怪物として形が残るかもしれないが、それでも正気の大半は失われるだろう。
勇者と遭遇し、道先案内人として機能できなくなる可能性がある。
故に、シラノは考えた。
タイムリミットを迎えるまでは最も安全で。
千里眼の力を活かすことが可能な、高い視点の場所。
――――超越存在の内部こそが、隠れ潜むに相応しい場所ではないかと。
超越存在が周囲の生命体を吸収するのは、単なる惰性に過ぎない。
少なくとも、冬の女王と夜鯨の生態はそうなっている。
そう、意識的な吸収ではない。敵意による攻撃ではない。だからこそ、小細工を仕込める程度の隙は存在するのだ。
無論、そのためには超越存在の内部でも意識を保つだけの備えが必要となるが、それは白樺志乃の協力により実現した。志乃は異能の関係上、他者よりも圧倒的に自我の強度に優れている。そして、『関係の近い存在』ならば、その恩恵を他者に与えることも可能なのだ。
協力を取り付けるために、かなり渋る志乃を説得するのは苦労したが、シラノにはそれが最善だという確信があった。
超越存在の残滓に影響されない。
最後まで自我を保つことができる。
万が一の際でも、何者かによって排除される可能性が皆無。超越存在が健在である限り、シラノは最後まで端末を介して、勇者のサポートを行える。
事実、その甲斐もあって、ここまでは問題なく勇者である大翔の道先案内人で居られることができたのだ。
「正直、俺は全世界の救済なんてどうでもいい。今、俺の肉体がやろうとしていることはどうでもいいんだ。あれは単なる生態で、惰性で、何か信念があって誰かを救っているわけじゃない。だけど、それでも、俺の友達やシラノが確実に救われるというのなら、俺はそれでもいいと思う」
大翔と意見が分かつ、この時までは。
『《待ってください、大翔! でも、それでは! それでは、大翔自身が救われません! 救われている他者を観測したからわかります! 大翔の権能では、大翔自身は救われない! 誰のどんな物語からも排除される!》』
「月並みの言葉だけど、俺一人の犠牲で大切な人たちが救えるのなら、それも十分に『あり』な選択肢だと思う」
『《駄目です! そんなの! 全然、貴方らしくない! 大翔らしくない言葉です! こういう時、大翔はいつだって! 無茶苦茶でも、もっと悲劇を蹴飛ばすような――》』
「君を救いたいんだ、シラノ」
大翔から紡がれる言葉は、いつもの虚勢ではない。
確実な手段を掴んでいて、どうしても助けたい大切な人たちが居るが故の言葉だ。
本当の意味での自己犠牲を覚悟できた者の言葉だ。
「万が一だって起こしたくない。失敗したくない。本当に、本当に、助けたいんだよ、シラノ。だから、そのためなら俺は、『俺自身』を諦められるさ」
『《駄目! やめてください、大翔!》』
「そのためなら、何も怖くない――――いや、嘘だけど。普通に怖くて泣いちゃいそうだけどさぁ。最後くらいは格好つけたいから、うん」
だから、大翔は歩を進める。
ラジオの横を通り過ぎて、街の果てに向かって歩いていく。
『《待って!》』
言葉だけでは止まらない。止められない。
幻想領域に仮初の形を作ろうとしても、ここは大翔の精神世界。大翔が知らない姿を象ることはできない。大翔の固定概念が邪魔をする。顕現させることができるのは、自ら望んだラジオの姿のみ。
シラノはこの時ほど、自分の状態がもどかしく思うことは無かった。
もしも、足があれば大翔の下に駆けていく。
もしも、手があれば大翔を掴んで離さない。
強く、強く、何度もそう思う。何度も願う。
「ごめんね、シラノ……今までありがとう」
けれども奇跡は起こらない。
少女一人の祈りで、都合よく起こる奇跡なんて存在しない。
「君と冒険ができて、俺はとても――」
『《…………ブチッ》』
「あれ? あの、シラノ? なんで、通信が切れたの?」
故に、これは奇跡ではない。
「な、なんか、物凄く背中に寒気が」
ラジオを起点として、幻想領域がひび割れているのは奇跡ではない。
繋がっているからだ。通信を通して、強い縁を通して、大翔とシラノが繋がっているからこそ可能な芸当だ。
そして何より、シラノには『ご褒美』があった。
天涯魔塔を踏破した時、首無しの王から与えられた『ご褒美』が。
本人もこの時までは気づいていなかったが、シラノもまた、試練を踏破したパーティーの一員とカウントされたからこそ与えられたものがある。
「――――大翔」
それは化身を作る技術。
陽光の乙女などの超越存在と同じように、己の分身を送り込む技術だ。
例えそこが精神世界だろうとも、観測しているのなら手を届かせる技術だ。
従って、大翔の背中からかけられた声は今までの機械音声ではない。肉声だ。本当のシラノの声だ。
「歯を食いしばりなさい」
「えっ?」
そして当然、これから大翔に振るわれる拳も紛れもなく本物で。
「このっ、ばかぁあああああああっ!!」
「ごぶぁ!?」
思いのほかしっかり腰が入った拳に、大翔は抵抗の余地もなく殴り倒されたのだった。




