第90話 最後の試練
基本的に竜種族――ドラゴンと呼ばれる者たちは強い。
頑強な肉体。
聡明な頭脳。
尽きることの無い寿命。
ただの人間とは比べ物にならないほど、膨大な魔力。
ろくに『息吹』も吐けない下等な竜であっても、人類が討伐するには軍を動かさなければならない。ましてや、知恵を持つ竜ならば英雄の力が必要だ。数千年を生きた竜など、一国すら滅ぼすほどの力を持つ。
そう、黒剣の勇者であるソルによって、野菜の如く切り刻まれたドラゴンでさえも、本来は人間が立ち向かうような相手ではない。
生まれながらの強者。
存在するだけで伝説となり、生き続けるだけで研鑽が積まれていく。
まさしく、ドラゴンとは他の生命体と一線を画する存在なのだ。
『【よくぞ、天涯まで辿り着いた】』
そして、天涯魔塔、第100階層で待ち受けていた黒竜は、その中でも一際長く生きた『規格外』の存在だった。
けれども、巨大さはそれほどでもない。
第100階層は他のボスエリアとは異なり、塔の頂上――天の果てが戦場となっている。
最後の十階層の中では、異質。
滅んだ世界を戦場としていた他のボスエネミーと比べて、戦場は狭いと言えるだろう。精々が中層のボスエネミーと戦っていた時の階層と同程度。
そう、その程度の広さのフィールドであっても、圧迫しない程度には黒竜は大きくない。
全長は四メートル程度。
胴体が長いタイプの『龍』ではなく、四肢と重厚な胴体を持つ『ドラゴン』と呼ばれる形状だ。翼を広げ切っても恐らく、フィールドの四分の一も場所を取らないだろう。
黒竜は竜種族の中では小柄だ、それは間違いない。
『【数多の苦難、試練を踏破し、よくぞ我の下に辿り着いた】』
だが、それだけで眼前の黒竜を侮る者など存在しないだろう。
誰もがわかる。
この場に辿り着いた冒険者でなくとも、命あるものならば昆虫でさえ畏怖を抱く。
触れれば肉体が消し飛ぶ、溶岩流を忌避するように。
呼吸するだけで肺が傷つくような、極寒の冬に怯えるように。
黒竜という存在は、ただ在るだけで他を圧倒するほどの脅威を内包していた。
『【汝らの勇気と研鑽に、我は全身全霊をもって報いよう。仮初の肉体に過ぎないこの身だが、せめて一片たりとも残さず、燃やし尽くすように挑ませて貰おう】』
極めつけは、黒竜から発せられる声だ。
空気を伝わる振動としてではなく、魂を、世界構造を震わせる声。
それは自然と言霊となり、一言発するだけで世界を書き換え、塗り替える。
まさしく、規格外の怪物に相応しい能力である。
――――だというのに、黒竜の精神に全く油断は無い。
弛むことなく、正しく冒険者たちの力量を測り、誠実に向き合う。
たかが、数千年、数万年生きた程度の同族の傲慢さなどは持ち合わせていない。
『【さぁ、最後の試練だ】』
数億年を生きたエンシェントドラゴン。
その再現である黒竜は宣言通り、全身全霊の戦いを始めた。
「うっそぉ!? これでも動けるの!?」
ノワールの重力操作でも、黒竜は止められない。
言葉一つで星の楔を外し、戦乙女が放つ重力の檻を壊してみせる。
『これが、竜に挑む剣士の気分なのね』
イフの魔法剣でも、黒竜の肉体は切り裂けない。
鱗の一つ一つは切断可能だが、切断した傍から再生してしまう。
「ぬぅんっ!!」
「んんがぁああああ! 隙が、無さ過ぎぃ!」
「渾身」
ゴライの剛力も、ヅァルンの絶技も、バロックの魔弾も通らない。
黒竜の羽ばたきは、勇者たちの全力を阻み、近づかせない。
『【雷よ】』
「――ちぃ! 氷の盾を!!」
黒竜が一息で放つ魔術は、全てが滅亡級だ。
たった一言だけで、一つの国家を滅ぼす威力を持つ。
とっさにニコラスが威力を減衰させる盾を出現させなければ、パーティーは半壊していただろう。
『【我が息吹は天涯を貫く】』
「ぐ、が、黒の、閃光を!」
「手伝うぞ、ニコラス!」
そして、黒竜の息吹は世界すら崩壊させる可能性を秘めた一撃だ。
つい最近、類似する一撃を受けたニコラスだとしても、対処には全身全霊でも足りない。
異能により仲間の力を束ねたアレスの援護を受けて、ようやく被害を逸らせる程度。
完全なる相殺は不可能であり、逸らすだけでも二人のリソースが多大に削られてしまう。
『【我が息吹は塔を崩す】』
だというのに、黒竜の攻撃は『連射可能』だった。
一発限りの必殺技でもなく、タメが必要な大技でもない。
通常技として、冒険者たちを消し飛ばさんと放たれる。
「流石にぃ!」
『それは!』
「「「防ぐっ!!」」」
ニコラスとアレスの全力。
加えて、仲間たちの献身により、二発目の息吹も何とか逸らす。
だが、この時点で冒険者たちのほとんどは満身創痍だ。
三発目を耐えられるかは不明だろう。
『【我が息吹は――】』
それでも、黒竜の息吹は尽きない。
平然と次の攻撃を放たんとする。
その姿はまさしく理不尽の権化。
英雄や怪物、魔王すらも凌駕する、圧倒的な力の顕現。
第100階層を守護する黒竜は紛れもなく、ソルやリーンと肩を並べる世界最強クラスだった。
【『「停まれ」』】
そして、時に世界最強クラスすら凌駕するのが権能だ。
正真正銘の反則。
チートの中のチート。
あらゆる道理を超越して、己の理を敷く『次元の違う』力だ。
無論、それは黒竜に対しても有効である。
『【ぐ、お】』
息吹は吐き出されない。
大翔が行使する冬の権能が一つ。
停止の力は、あらゆる行動を凍り付かせる。
【『「眠れ」』】
次いで、黒竜の肉体が白色の霜に覆われる。
大翔が行使する冬の権能が一つ。
封印の力は、あらゆる能力を眠らせる。
『【ぐ、お、お、は、ははははっ! 見事ぉ! 人の身でありながら、よくもまぁ、ここまで超越したものだ!】』
二つの権能を受けてしまえば、黒竜といえでも弱体化は避けられない。
否、二つも権能を受けて生命活動を保っている方が異常なのだ。全身の魔力を振り絞ってなお、弱体化が避けられないとはいえ、それでも耐えている黒竜は紛れもなく、世界最強クラスに相応しい。
『《――――今です! 総攻撃!》』
だが、歴戦の猛者たちの前で、その弱体化は致命的だった。
「黒の閃光よ、逆鱗を穿て!」
息吹を相殺しながらも、油断なく弱点を探っていたニコラスは、この機会を逃さない。黒竜が巧妙に隠していた弱点――竜種族ならば誰にでも存在する、逆鱗を己が持つ最大の魔術で穿って見せる。
『【がぁあああああああっ!!!】』
それでも、黒竜は死なない。
致命的な傷を受け、今もなお権能に晒されてもなお、冒険者たちを一掃せんと滅亡級の魔術を乱発しようとする。
「動くなぁ!!」
『凍り付いた方が、私にとってはよく斬れるわ!』
それよりも早く、ノワールの重力操作が黒竜を床に縫い留めた。
イフの魔法剣が、ニコラスが穿った傷を更に広げる。
「儂の剛力を!」
「私の技量を!」
「魔眼、貸与」
その傷を、勇者たちは見逃さない。
アレスの異能。
絆を束ねる力により、歴戦の勇者の力を今、アレスの下に集結させる。
「う、お、お、おおおおおおおおっ!!」
体が弾けそうな剛力、身の程を越えた技量、見え過ぎる魔眼。
三つの荒れ狂う力を、それでも異能によって制御し、アレスは黒竜の下へと踏み込む。
感慨も、達成感も、期待も、何もかもを置き去りにして。
ただ一つ、黒竜を殺すためだけに、傷口に向かって己の剣を突き立てた。
『【――――が、あ】』
突き立てた剣は、切っ先から力の奔流をさく裂させ、黒竜の体内を蹂躙する。
肺を。
心臓を。
脳髄すらも切り刻んで。
「おやすみ、黒竜」
それでもしぶとく復活しようとする黒竜の肉体を、大翔の権能が眠らせた。
もはや、抵抗するだけの魔術も紡げぬ今、黒竜の意識は冬の微睡みに落ちる。
苦痛すら感じさせない、優しい微睡みが黒竜の精神を包み込む。
『【見事だ。王への謁見を許そう、冒険者たちよ】』
だが、微睡みに包まれようとも、死の直前だろうとも、黒竜の言葉に揺るぎはない。
最後まで試練としての矜持を崩さぬまま、威厳ある声を残して朽ちていった。
●●●
試練は終わった。
天涯魔塔、全ての階層は今、六人と一機の冒険者たちによって踏破されたのだ。
けれども、冒険者たちが安堵の息を漏らす暇もなく、一つの足音が六人全員の注目を奪っていく。
「たらったらららー♪」
調子外れな鼻歌を口ずさみながら、六人の下に現れる異形が一つ。
豪奢な刺繍が入った、真紅のマントを靡かせながら。
王者にしか許されない、荘厳たる意匠の儀礼服を身に纏って。
首から上が存在しない異形が、『首無し』が露骨なほどの足音を伴って登場する。
「らららー、ららー♪」
下手くそな鼻歌を口ずさむのは、『首無し』の右手に乗せられた生首。
その生首は、マクガフィンズの中でも少年型に似た容貌だった。あるいは、それこそがマクガフィンズの基礎となった容姿なのだろう。
どこか機嫌よく鼻歌を口ずさむ生首の表情は、親しい友を見つけたかのように柔らかい。
「たららららー♪」
そう、自前のBGM付きで登場したこの異形こそが、首無しの王。
天涯魔塔に君臨する王者であり、紛れもない超越存在である。
その証拠に、先ほど黒竜を倒した冒険者たち、全ての表情が強張っていた。
異形を恐れたのではない。
生首を怖がったのではない。
天涯魔塔を踏破した冒険者たちは、今更そんなことで動揺しない。
ただ、圧倒されたのだ――黒竜ですら霞むほどの存在感に。
生命を超越し、自らと次元が違う存在を目のあたりにして、本能が、魂が悲鳴を上げそうになっているのである。
「ららら、らー♪ お・め・で・とー♪」
それでも今、冒険者たちが辛うじて発狂していないのは、首無しの王という超越存在が友好的だからだ。
とても理性的で、冒険者たちの精神を崩壊させないために、存在を抑え付けているからだ。
そう、ほぼ唯一『理性的で人類と交流可能な超越存在』との接触すら、こうなってしまう。
故に、超越存在を知るどんな人間も、口を酸っぱくして警句を残すのだろう。
――――超越存在は関わるだけ損だ、と。
「すーばらしぃねぇ! ご褒美をあげよう!」
だが、冒険者たちは元々、それを承知で試練を踏破した者たちだ。
それだけ圧倒されようとも、首無しの王は約束を守る。試練を踏破したものには、望む褒美を与える。その法則を信じて、辛うじて逃げ出さずに居た。
「はーい、どうぞぉー」
首無しの王は軽快な足取りで、こまで到達した冒険者――踏破者たちへ、『ご褒美』を手渡していく。
王と呼ばれる存在だというのに、まるで、友達にプレゼントでも渡すように、気軽に。
ゴライ、バロック、ヅァルンの三人には、望み通りの『最善の解決策』に繋がる代物を。
アレスには、透き通った青色の宝玉――世界一つのリソースを賄える代物を。
ニコラスには、真っ黒な装丁の魔導書――滅びの賢者が遺した全ての魔術が記された代物を。
「君も…………まぁ、ヨシ!」
『《????》』
シラノには、何故かラジオ筐体をつんつんと突くという謎行動を取って。
最後に、緊張した面持ちの大翔の前に立つと。
「うむ! 偉いぞぉー」
「????」
何故か、大翔の頭を左手で撫でていた。
存在に圧倒されて気づいていなかったが、首無しの王の肉体はやや小柄な少年のものだ。大翔の頭を撫でる時、少しだけつま先立ちしている。
その動作が大翔にとっては微笑ましく思えて、少しだけ緊張を緩めて笑みを浮かべた。
「はい、特製の奴」
「おぼぉっ!!?」
そして、笑みを浮かべた直後、首無しの王から謎のドリンクを口にぶち込まれた。
何故かペットボトル容器に入った、薄緑色の液体である。
喉奥からせり上がって来る匂いはレモン。味はミント。全体的な甘い味わいのそれは、呼吸一つ分の猶予すらも与えずに、大翔の喉を通って行って。
――――変革が行われる。
一瞬の変革だった。
存在の位階が上がるには、それだけの時間で十分だった。
超越存在との対話が可能となるということは、即ち、それだけ超越存在と存在が近しくなるということ。それでいて、首無しの王が与えた液体は、大翔の人間としての理性を担保したまま、存在を変革させる。
「う、ごほっ、うえほっ! な、何が……」
急激に度数が高い眼鏡をかけさせられたような、高濃度のアルコールを脳髄に直接ぶち込まれたかのような感覚。
一度の死を経験しなければ、気絶は避けられなかった衝撃に耐え、大翔は見る。
正しく、存在の位相が近づいた状態で首無しの王を見る。
「さぁ、後は早く逃げた方がいい……この世界から、逃げた方がいい」
首無しの王。
超越存在であり、何もかもを凌駕する圧倒的な存在。
しかし、優しい声色で告げるその姿は、生首が浮かべた表情はまるで、『強がっているだけの子供』のようで。
「久しぶり、ホロウ」
――――その意味を考える前に、新たなる超越存在が顕現した。




