第9話 千里眼でも見通せぬ
シラノの能力を端的に表すのであれば、それは千里眼だった。
ただし、その効果範囲は時間軸にすら及ぶ。
過去。
現在。
未来。
三つの時間軸を同時に観測し、異なる世界にすら視野を広げることが可能な千里眼。あるいは、天通眼と呼ばれる異能こそがシラノの本領だった。
『《さて、辺獄市場の傭兵たちは…………質は悪くないけど、悪属性なのがちょっと問題》』
シラノにとって、過去を探ることは本を読み込むようなものだ。
数多の本棚の中にある本を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。すると、生物や物質を問わずに、その歴史とも呼べる情報を内部に取り込むことができる。
同時に読み込める本の数は、四千と少し。
流し読み程度で良いのであれば、八百万ほどに数が増える。ただ、それで得られる歴史は上澄みだ。環境を知るにはいいが、【攻略本】を作るには深さが足りない。
『《私たちの故郷の生き残りは、また三人ほど減った。全滅するのも時間の問題。でも、優先すべきは大翔の補助。だからごめんね、皆》』
シラノにとって、現在を見渡すことは、部屋の窓から外を覗くような物だ。
意外かもしれないが、千里眼では過去よりも現在を見通すことに苦労する。やろうと思えば、広く、多くを観測することはできるが、同時に異なる世界を観測することは難しい。特に、過去や未来を見ている間は、その視野は極端に狭まってしまう。
『《…………はぁ。早いこと【攻略本】を作って、大翔と再同期しないと。何時までも放置して、知らない間にバッドエンドなんて、まるで笑えない》』
シラノにとって、未来を観測することは、見知らぬ部屋の扉を開けるような物だ。
しかも、数秒後に同じ部屋の扉を開けたとしても、内装がまるで異なっていることがある。
未来の観測とは、それほどまでに不安定な代物だった。
過去や現在の観測が、確かな『結果』の観測であるとすれば、未来はシラノ自身の計算能力による『推測による疑似観測』である。実際に未来を予知しているわけではない。
ただ、朝比奈久遠と合流できなかったのは、この不安定さとは別の理由にある。
『《本当に笑えない。どうして、こうなったんだろう?》』
シラノにとって、自らの能力を行使することは、広大な図書館をさ迷うようなものだ。
求める情報を得るために、本を取り、窓を覗き、部屋を開く。
しかし、この能力には明確な欠点があった。
それは、自らよりも格上の能力を持つ者を『千里眼では認識できない』ということ。
冬の女王や、夜鯨などという超越存在に対してはもちろん、本来の勇者候補である朝比奈久遠も、千里眼では認識できない。
そう、勇者の資格を得てしまった元一般人、佐藤大翔でさえも見通せない。
『《見えない相手と組むことは覚悟していた。でも、一般人程度の力しかないのに、過去も未来も見えない相手なんて、流石に難易度設定が狂っている》』
大翔が持つ勇者の資格は、一つの世界でたった一人にしか与えられない、特別な加護だ。
その加護に守護されている大翔には、シラノの千里眼は通じない。千里眼を用いて、大翔を観測することはできない。
それでも、シラノが大翔の姿を観測できているのは、ラジオという媒体と介して、大翔自身と同期しているからだ。相性の問題で千里眼は通じなくとも、大翔の魔術耐性は一般人程度。肉体と同期することができれば、精査の魔術により、大翔の情報を得ることぐらいは可能なのだ。
ただし、得られる情報はあくまでも、現在と少しの過去のみ。
大翔というイレギュラーに対して、シラノは安全な未来を指し示すことはできない。
これが現在に於いて、最大の問題点だった。
元々、朝比奈久遠と組む時も似たような条件を覚悟していたシラノであるが、想定していた勇者と性能が違い過ぎるのだ。
シラノの千里眼は、当然ながら朝比奈久遠には通じない。だが、朝比奈久遠を知る周囲の人物から、ある程度の情報を閲覧することは可能である。
そのため、シラノは朝比奈久遠が、どれだけ凄まじい存在なのかを良く知っていた。
母親は八岐大蛇の血を引き継ぐ異能者。
父親は異世界出身の大魔術師。
そんな非凡なる両親の下に生まれた朝比奈久遠は、両親すら凌ぐほどの異才だった。
異能は概念クラス。世界のルールを限定的に書き換えるほどの強制力を持つ。
魔術は超一流。古今東西の魔術師が及ばないほど、魔法に対する深い知識を持つ。
まさしく規格外。
若くして、世界最強クラスへと足を踏み入れたほどの実力者だ。
更に付け加えるのであれば、幼少の頃から、世界の危機に関わる騒動に巻き込まれ続け、過去に三度ほど世界を救っている救世主でもある。
最強に近い力と、聡明なる知識、卓越した技術。
何より、世界を救ったという実績がある朝比奈久遠は、まさしく勇者に相応しい人材だ。
そして、そもそも――――シラノが冬の女王や夜鯨を予想できたのは、朝比奈久遠が周囲の仲間たちと共に、対策を講じようとしていたからだ。
何故か、こちらの世界にやって来ようとする二体の超越存在。それに対抗する手段を、確かに朝比奈久遠は模索していたらしい。
だからこそ、シラノは朝比奈久遠を勇者だと推測していたのである。
『《現状、一番の問題は、どうして朝比奈久遠じゃなかったのか? 大翔が悪いんじゃない。大翔は多分、押し付けられた側だ……そう、恐らくは朝比奈久遠から、勇者の資格を押し付けられたんだ》』
対して、佐藤大翔はどこに居てもおかしくないような一般人だ。
特異な力も、突出した能力も何もない。明らかに性能が足りていない。
世界から勇者の資格を与えられるような存在ではない。
ならば、順当に考えれば可能性は一つ。
朝比奈久遠が大翔へ、勇者の資格を押し付けたのだ。
概念クラスの異能を行使し、世界のルールを書き換えて。
『《だけど、どうして?》』
けれども、その行動に対して疑問が残る。
シラノが調べた限り、朝比奈久遠は聖者ではないが、悪党でもない。積極的に他者を助けないが、目の前に誰か死にそうな人間が居たら放っておけない人間だ。その善性のため、世界を救う責務を背負ってしまうこともあるが、それを途中で放り出したことはない。
朝比奈久遠は消極的な正義の味方であり、一度背負った責務を投げ出すような人間ではなかった。ましてや、赤の他人にそれを押し付けることなどあり得ない。そう言い切ってしまえる程度には、朝比奈久遠の評判は善良に見えた。
『《悪意や諦観ではなかったとすれば……後は、必然性? そうせざるを得なかった?》』
従って、シラノは一つの推測を立てる。
朝比奈久遠は、勇者の資格を大翔に押し付ける――否、託すしかない状況に追い込まれていたという、絶望的な推測を。
『《イレギュラーが存在している? 冬の女王、夜鯨という超越存在二体の到来に合わせて、朝比奈久遠を窮地に追い込んだ存在が……敵がいる?》』
二体の超越存在の他に、対処すべき敵がいる。
千里眼でも見通せず、朝比奈久遠すら追い詰めた、恐るべき敵が。
その推測に、ただでさえ困難な世界救済の難易度が上がる気配がしたが、シラノは一旦、その思考を打ち切った。
対策は必要かもしれないが、それは今ではない。
『《だけど、あの朝比奈久遠がただでやられるわけがない》』
もしも、敵が万全の状態だったのならば、シラノと大翔の合流なんて許さなかったはず。仮に、大翔の存在に気づかなかったとしても、異世界への転移魔術は痕跡が残りやすい。
敵が万全であるのならば、すぐに辺獄市場まで追ってきて、大翔を殺していただろう。
そうなっていないということはつまり、猶予があるということだ。
朝比奈久遠が敵に与えたダメージが癒えるまでの間、それこそがシラノと大翔に残された猶予。その間に、戦力を増強しなければならない。
『《つまり、結局は信頼できる傭兵を探さないといけない、と》』
やれやれ、と内心で溜息を吐きながらも、シラノの心境は悪いものではなかった。
課題は山積み。
試練は困難。
敵対者も不明。
それでも、ただ一つだけでも幸運があれば、人は意外と頑張れるものだ。
『《敵云々はさておき、大翔だけは生かさないといけないからね……ふふっ、まったく。手間のかかる相棒だなぁ》』
シラノにとっての幸運。
それは、共に世界を救う相棒が、気の合う相手であるということだった。
●●●
「ん? おおっ! おはよう、シラノ」
翌朝。
大翔の助言通り、パフォーマンスを回復させるための休憩を挟んだ後で、シラノは再同期を行った。ラジオを媒介として、大翔の感覚と同期。千里眼では観測できぬ部分を、大翔の感覚と記憶で情報を補い――――そして、己の失策と現状を知った。
『《おはようございます、大翔。その、すみませんでした。昨夜、貴方が危機に陥っている時に助けられなくて》』
突然のドラゴンの来襲によって、安全な宿が焼失。
その後、空から降り注ぐ竜の息吹から逃げ回りながら、子供を一人救助。そのまま、子供の案内で教会へと辿り着き、ストリートチルドレンのグループに保護されることになった。
大翔が昨夜に経験した出来事を纏めると、このような感じになる。
千里眼を持ち、数多の人生を読み込んで来たシラノといえでも、このような状況に陥るとは予測できなかったらしい。
何せ、想定していた最悪でもなく、完全に新規のよくわからないルート(未来)を開拓していたのだから。
「いや、シラノが謝る必要はないさ。あれは流石に運が悪かった。それに、シラノが揃えてくれた魔法道具のお陰で何とか俺一人でも逃げ切れたし」
『《しかし、肝心な時に勇者の助言ができないのは、【攻略本】失格です》』
「じゃあ、俺も勇者失格みたいなものだからお揃いだね。今後も、一緒に頑張っていこう」
『《…………はい、ありがとうございます、大翔》』
まるで緊張感のない大翔の声に、柔らかな声で応えるシラノ。
シラノは、大翔のこういうところを気に入っていた。
確かに、勇者としてはまるで性能が足りない落第生かもしれない。だが、突然世界を救う使命を背負わされた上、ドラゴンに追われるという体験を経て、こんなことを言える男子高校生はどれだけ居るだろうか?
佐藤大翔という人間は、どこかには居そうな普通の男子高校生だ。
しかし、どこにでも居るような、ありふれた存在ではない。
苦境に陥っても前に進める勇気と、他人を気遣える優しさを持つ大翔のことを、シラノは相棒としてきちんと認めているのだ。
『《ところで、大翔は現在、何をされているのでしょう?》』
「料理」
『《いえ、行為ではなくて、理由を知りたいのですが?》』
謝罪と現状確認を終えたシラノは、妙な気恥ずかしさを誤魔化すため、大翔の行動について訊ねることにした。
具体的に言えば、手狭なキッチンで器用に調理用の魔法道具を使いこなしている理由を。
「んー、寝床を提供してくれたお礼兼、戦力確保のための媚売り、ってところかな?」
大翔はシラノの問いかけに答えながらも、手は止めない。
それは、理想的な朝の洋食だった。
少し甘い味付けのフレンチトースト。香辛料を振りかけたホットミルク。バターをたっぷりと使ったオムレツ。カリカリに焼いたベーコン。野菜とソーセージのスープ。
休日の朝に用意されていたら、気分良く一日を過ごせそうなメニュー。それらを十数人分、手際よく調理しているのが現在の大翔である。
『《え? 大翔って料理ができる系の男子高校生だったんですか!?》』
「そんなに驚くところ? 今時、誰だってこれぐらい作れない?」
『《少なくとも、私は難しいですね。なんかあらゆるものをフライパンで焦がします》』
「シラノの本体に会える時が来たら、オムレツの作り方を教えようか?」
『《ええ、その時は是非……と、話を戻しますが、誰に対する媚び売りなのです? 正直、ここの孤児たちに媚を売っても、財布を抜き取られて終わりですよ?》』
「まぁ、この食費も俺が提供した物だから、間違ってはいないけど」
シラノと会話している間に、大翔は料理を全て器へと盛り付け終わったようだ。きちんと均一に配分されていることを確認すると、他の部屋に向かって大声で呼びかける。
「おーい、クソガキども! 飯ができたぞぉ! さっさと取りに来い!」
口調はシラノと話している時よりも乱暴だが、この場合はそれが適していた。大翔の声が響くと、呼びかけられた部屋から段々と子供たちが集まって来る。
「わぁい、ただ飯だぁ!」
「これだから、お人よしはちょろいぜ!」
「ついでに、お小遣いもちょーだい!」
「絞れるところからは、絞る主義!」
「うるせぇ! さっさと行け、クソガキども!」
「「「はぁい」」」
わらわらと周囲に集まる子供たちに対して、大翔はぞんざいな扱いを返す。
だが、千里眼を持つシラノから見ても、その行動は正解だった。過度に情を向けず、かといって突き放すわけでもなく、当たり前の自然体で接している。多少舐められてはいるものの、子供たちの中では既に、大翔に対する敵意を持つ者は居ない。
昨日知り合ったばかりとは思えないほど、大翔はこのグループに馴染んでいた。
『《大翔は割と誰とも仲良くなれそうですね?》』
「まさか。俺にも好き嫌いはあるし――子供は結構苦手だよ」
『《苦手でこれなんですか?》』
子供たちが各自、皿を持って行くのに合わせて、大翔もキッチンから移動する。
そして、キッチンのすぐ隣には、十数人が全員入り切るぐらいの食堂があった。長いテーブルに人数分の椅子。それ以外の家具は無いが、代わりに老朽化した建物なりに清潔に保たれた空間である。
「んでもって、自腹を切ってクソガキどもに賄賂を贈っているのは、今のところ、あいつらの説得ぐらいしか効果がなさそうってことなんだ」
子供たちがワイワイと騒ぎながら席に着く中、一人だけ離れた場所からそれを眺めている者が居た。
黒髪細めの優男――ソルは大翔の姿を確認すると、気まずそうに眼を逸らす。ただ、その直後に「人見知り治せ!」とニコラスから痛烈な蹴りを尻に叩き込んでいた。
「ニコラス――ここのまとめ役曰く、あの黒髪の男が『信頼に足る強い傭兵』なんだってさ。だから、こうして外堀を埋めて言っているんだけど、シラノはどう思う?」
大翔の問いに、シラノは直ぐに答えることはできない。
何故ならば、見通せなかったからだ。
シラノの異能では、ソルを認識できない。存在を認識することができない。
つまりは、自分よりも格上の能力を持つ何者かであること。
『《やれやれ、まったく……大翔と一緒に居ると退屈しませんね。わかりました、賭けの部分が強いですが――――今からオリジナルチャートを作っていきましょうか》』
けれども、シラノは怯まない。
【攻略本】を投げ捨ててもなお、頼れる相棒らしく不敵に宣言する。
『《大翔。ここから、私の凄いところを見せてあげます》』
千里眼が通じなくとも、勇者の相棒足り得るのだと、証明するために。




