第88話 滅びの賢者
かつて、何処かの世界で強力な兵器創造能力の持ち主が作り上げた、戦乙女シリーズ。美しい少女の造形でありながら、通常の兵器と一線を画す『意志ある兵器』たち。その中でも特に、広域戦闘に優れた兵器がノワールだ。
数千年クラスの竜種にも負けない、膨大なる魔力。
殲滅級の魔術であっても無力化する、魔術抵抗力。
肉体の八割が損傷しても、一瞬で元に戻る修復力。
そのどれもが驚異的であるが、一番の脅威は『重力を操る』という機能だ。
ノワールがそのつもりならば、一つの城を永続的に空中に浮かし続けることも、一つの大陸を一瞬にして圧し潰すことも可能だろう。
それほどの出力と、広域に及ぶ射程を携えているからこその戦乙女シリーズなのだ。
外見だけならば、人形染みた容姿の黒髪美少女であるが、実際の性能はまさしく戦略兵器と呼ばれるに相応しい。
第93階層の機械天使を捉えることができたのも、ノワールが兵器として優れた性能があったからこそである。
「どれだけ速く移動しても意味は無いよ。だって、移動する先も含めた全域に、重力の檻を仕掛ければいいだけの話だもん」
大陸全土に及ぶほどの広域重力操作。
加えて、シラノによる千里眼の予測。
この二つが組み合わされば、ただ速いだけの兵器を地面に縛り付けることなどは実に容易な事だっただろう。
これにより、第93階層の攻略は予測していたよりも遥かにスムーズに行われたのだ。
そして、ノワールの加入は大翔たちパーティーにとって思わぬ快進撃を呼ぶことになる。
重力を操作する機能。
その気になれば、超小型の『ブラックホールもどき』すらも生成可能なノワールは、ありとあらゆる場面で役に立つ。
敵対者に与える重力を操作することによるデバフ。
空間を歪ませるほどの重力の盾。
広域殲滅による障害物、ボスエネミーの取り巻き排除。
それはもう、ノワールは最高傑作の肩書に相応しいほどに、ありとあらゆる場面でその性能を役立たせた。
多少、承認要求が強い性格がネックになることもあるが、主である大翔はコミュニケーション能力で世界を渡って来た勇者である。多少問題がある性格程度ならば、即座に対応して機嫌を直すことも可能だ。
加えて、仲間にはアレスという絆に関わる異能を持つコミュニケーション強者も居る。大翔が対応できない問題が起きても、アレスがバックアップとして機能している。
このコミュニケーションつよつよである二人のケアにより、ノワールは度重なる労働に対しても口では文句を言いつつ、内心ではまんざらでもないというメンタルを保っていた。
ノワールという『過去のトラウマ』すらも乗り越え、先を目指すための糧とする大翔の選択に間違いは無かった。否、間違いどころか、シラノの予測すらも凌駕する効果をもたらした。
戦力を多大に充実させた大翔たちは、駆け上がるように最後の十階層を攻略して行く。
どのような理不尽であろうとも、所詮は魔王クラスが精々。
世界最強クラスに及ばない相手であるのならば、今の大翔たちの勢いを止めることは敵わない。あらゆる理不尽も、仲間たちの力によって解決してく。
結果として、大翔たちは第93階層の攻略から、一週間も経たない内に第99階層の攻略に着手することになった。
●●●
天涯魔塔、第99階層。
そこはまさしく『楽園』だった。
見渡す限りに咲き誇る、色彩豊かな花々。
たわわに実った果実が揺れる、規則正しく並んだ木々。
川を流れる水はどれもが清流。そのまま飲んでも、腹痛どころか体の不浄を清める効果があるほど。それでいて、川を泳ぐ魚のどれもが絶品。焼いて食べるのはもちろん、刺身にしても寄生虫一匹も混入しない安全性がある。
そう、まさしく『楽園』だろう。
――――全てが人間にとって都合の良い『楽園』だった。
これこそが安楽死の極致。
何もかもに満たされているが故に、人類がその熱を失い、緩やかに滅んでいった世界の再現である。
そして、この第99階層のボスエネミーこそ、楽園の主にして、人類を安楽死に追いやった滅びの賢者。
誰よりも人類を愛していたからこそ、全ての人間を等しく救済し、『幸せな終わり』の中で絶滅させた稀代の魔王。
間違いなく、今までの階層の中でも群を抜いて、魔術師として優れている相手だった。
「おう、よく来たなぁ、冒険者ども。んじゃあ、さっさとこの爺を殺して、最上階まで進むといいさ」
「んんん???」
けれども、魔術師として優れ過ぎているが故に、『戦っても無駄』だと判断した相手にはさっさと白旗を振る人格の持ち主だった。
それはもう、緊張しながら楽園を進む大翔たちをして、『あ、こいつはやる気ないな』と全員に悟らせるほどの無抵抗状態だった。
滅びの賢者は自らの装備を用意することなく、Tシャツに短パンというラフな姿。もちろん、その服には魔術的な効果は何一つない。滅びの賢者の肉体は、外見だけながら禿頭のやせ衰えた老人なので、服装も相まって『ラジオ体操に公民館までやって来た爺さん』にしか見えない状態だった。
「ほれ、さっさと殺すがいい……ん、ああ。ここの素材が欲しいのなら、根こそぎでも持って行け。どうせ、この爺も含めて再現物。気楽に殺して、気楽に奪え」
大翔たちの目の前で、もしゃもしゃと桃に似た果実を食べながら寝そべる、滅びの賢者。
そこに敵意や戦意は欠片も無い。
シラノの千里眼で読み取っても、念のために大翔に異能を貸与して確認しても、僅かたりとも『戦おう』という意思は見当たらなかった。
「ぬぅん! おい、貴様ぁ! それでもボスエネミーか!?」
「これでもボスエネミーじゃい」
「無抵抗で死ぬなんて真似をするぐらいなら、潔く戦えい!!」
「嫌じゃわ、んなもん。時間とリソースの無駄じゃい。お主らの『教材』になるのもかったるいしのう……それにまぁ、お主らなら最上階も大丈夫じゃろうて」
「ぬぐぅ」
それどころか、業を煮やしたゴライが発破をかけてもどこ吹く風。
へらへらと笑いながら、ゴライの気力が萎えるように語り掛けるのだから、もはや大翔たちは信じる他無かった。
この階層のボスエネミーは、本当にこのまま無抵抗を貫くつもりなのだと。
「…………再現物でも、無抵抗の相手。しかも、老人を殺すのはなぁ」
「だよね。オレもちょっと嫌な感じ」
『《ご心配なく、大翔、アレス。こういう時のために『錆びた聖剣』に恩を売って来たのです。さぁ、そこの三人。誰でもいいので、無抵抗の老人を殺してください》』
「ぐ、ぬぬぬっ! えええい、気に食わんが、恩人のためだ!! 儂が殺す!!」
「…………代役」
「いやいやいや、私らの頭領がそんなことするのはどうかと思うよー? ねぇ? 私とバロックがさくっと殺しちゃうからさぁ」
「「いやいやいや、押し付けるぐらいだったら、こっちが!」」
『《……もう、私が遠隔で殺した方が手短に済むのでは?》』
そして、これに困ったのが基本的に善人しか居ない大翔たちパーティーである。
ボスエネミーとして攻撃してくるのならともかく、無抵抗の相手を殺すのは忍びない。というか、普通に嫌だ。例えそれが、仮初の命に過ぎない再現物だったとしても。
故に、その『汚れ役』を誰が担当するかで、少しばかりもめ始めたのだ。
もっとも、その揉め事の内容は、シラノを除き、『嫌だけど……でも、この嫌な仕事を他人に任せるのもちょっとなぁ』という善性極まりないものだったが。
「ふん、馬鹿どもが」
だが、ニコラスはその輪の中には入っていない。
善性が極まっているパーティーの中で、ニコラスは比較的割り切れるタイプの人間だ。
人間を利己的な理由で殺したことも、一度や二度ではない。そして、そのことをニコラスが後悔することはない。
ましてや、再現物に過ぎない老人を焼き殺すのに、躊躇を感じる道理などなかった。
「火竜の牙よ」
仲間たちが話し合っている間に、ニコラスは魔術を紡ぐ。
鬱陶しい楽園の一角ごと、寝そべっている滅びの賢者を焼き尽くす――そのつもりだった。
「なんじゃい、その下手くそな魔術は」
「――――っ!!?」
いつの間にかニコラスの隣に転移していた滅びの賢者が、その魔術構成を一瞬で無効化しなければ。
「かーっ、情けない。装備は一流なのに、中身が三流の小僧。『鎖』に引き上げられている癖に、魔術師のなんたるがわかっとらん」
羽虫でも払うかのように、ほんの少し手を振るっただけだった。
それだけで、滅びの賢者の枯れ木の如き指が、空気中の魔力とニコラスの魔力をかき乱し、発動しようとしていた魔術がキャンセルされたのだ。
「ちぃっ! 抵抗はしないんじゃねぇのかよ!? この爺が!!」
「いやはや、そのつもりだったんだがのう……どうにも」
吠えながら距離を取るニコラスへ、滅びの賢者は「かかか」と笑って告げる。
「流石に、下手くその魔術で殺されるのは、ちょっとなぁ?」
「…………は、はははっ」
「なぁ、小僧。せめて、もうちょっとマシな魔術はないんかのう?」
「――――殺す」
挑発と呼ぶには悪意の無い言葉。
しかし、それ故にニコラスは獰猛な笑みを浮かべてブチ切れる。
挑発にも値しない、と言外に告げている滅びの賢者を殺すため、全身全霊の戦いに挑もうと魔力を練り上げる。
「いや、お主じゃ無理じゃよ、小僧」
けれども相手は、第99階層のボスエネミー。
天涯魔塔の再現物の中でも、紛れもなく頂点に位置する魔術師である。
ニコラスの怒りは戦果に繋がらず、仲間たちが放置する程度にはきっちりと手加減された上で、無力化されることになった。
●●●
このクソ爺を殺さなければならない。
ニコラスは己の誇りを取り戻すために、滅びの賢者を打倒することにした。
「ほれ、集中。なんでそんなに雑念が多いんじゃ、お主は?」
「ぐぎぎぎぎ……」
そのためには、あらゆる屈辱に耐えなければならない。
例え、殺すべき相手である滅びの賢者に教えを乞うことになったとしても。
「別に戦闘中でもないんじゃから、ほれ。もうちっと深く『底』に潜れ。頭に乗せる本も、分厚い奴を後三冊ほど追加してやろう」
そのような理由で現在、ニコラスは滅びの賢者の住まいで修行を受けていた。
滅びの賢者の住まいは、簡素な木造づくりの一軒家であり、本棚以外の家具はベッドが一つある程度。それ以外に必要な物は何もない、と言わんばかりの場所だった。むしろ、人の住まいというよりもベッド付きの書庫と呼んだ方がしっくりくる有様である。
「これ、楽な姿勢に逃げるな。どんなに辛くとも呼吸は一定」
そのような場所で、ニコラスがどのような修行を受けているかと言えば、それは瞑想である。魔術師にとっての基礎を改めて、滅びの賢者から指導を受けているらしい。
もっとも、ニコラスが行っている『禊ぎ』形式とは異なり、滅びの賢者が指導している瞑想は、肉体的な疲労を伴うものだった。
「体勢を維持することに思考を使い切ってどうするんじゃい。もうちょっと真面目に精神を整えるんじゃよ」
空気椅子の如き中腰の状態で、手は腰ではなく前へ。肘は曲げずに真っ直ぐと。頭部には積み上げられた書籍が幾つも。
さながら、カンフー映画の肉体修行の如き光景であるが、これは紛れもなく魔術の修行であり、瞑想の体勢だ。
「肉体を、酷使、しながら……っ! 瞑想なんて、できるかぁ!」
「いやいや、お主は戦闘魔術師じゃろ? だったら、肉体に負荷のある状態で魔術を扱えなければ意味ないじゃろうが。んでもって、肉体に負荷がある状態でも、きちんと瞑想ができれば、あんな下手くそな魔術が出力されることもなくなるわけだからのう」
滅びの賢者の指摘に、ニコラスは苛立ちながらも黙り込む。
その言葉を、ニコラス自身が正しいものだと納得してしまったが故に、文句を言うのを止めたのだ。
「必ず殺してやる、クソ爺」
「かかかっ! 楽しみにしておるぞ、小僧」
全ては、好々爺の如く笑う滅びの賢者を、討ち滅ぼすために。
どういう経緯で、ニコラスが滅びの賢者の教えを受けることになったかと言うと、完全にその場の流れとしか言いようがないものだった。
「はぁー、下手くその上にしつこい。わかった、わかった。もう適当に殴られただけで死んでやるから、さっさと殴りかかって来い」
「魔術は!!?」
「いや、小僧の魔術で死ぬのはダサすぎてちょっとなぁ……」
「ぶち殺す!」
「無理だから困っているんじゃろうが。なんか、お主の仲間たちも遠巻きに生温い視線を送って来とるし」
「んあああああ!! ヒロトォ! ビデオカメラで撮影してんじゃねぇぞぉ!? 誰に見せる気だぁ!? ソルか? ソルの奴だなぁ!?」
「…………はぁー。これはもう、この爺が小僧を鍛えた方がまだ面倒がないかもしれん」
きっかけは、ニコラスのしつこさに負けた滅びの賢者が提案したことだった。
「この爺を殺したいのならば、もう少しマシな魔術を使え。使えないのなら、教えてやる。自分が『死んでもいい』と思える魔術を使えるように、お主を鍛えてみせよう」
当然の如くニコラスは激怒し、魔術を乱発することになるが、精神が乱れた状態での魔術など滅びの賢者には通じない。
従って、嫌でも冷静に状況を把握したニコラスは、とても屈辱的ではあるものの、滅びの賢者の教えを受けることになったのである。
『《では、ニコラスが強化されるまで、しばらくこの階層で休暇を取りましょうか》』
「そうだね。いざという時は俺がボスエネミーを殺せばいいし」
「ヒロト兄ちゃんだと殺しきれるか不安だから、その時は一緒に殺そうな!」
なお、仲間たちからすれば、ボスエネミーがよくわからない理由で仲間を強化してくれるイベントが発生したので、特に文句を言うこともなく、ラスボス前の休暇として対応することにしたのだった。




