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第86話 魔王を倒すことが勇者の役目

 始まりは正義だった。

 それは間違いない。

 夜に閉ざされた世界を救うために、あらゆる研究を尽くした。

 相手は眷属に過ぎないとはいえ、超越存在に生み出された怪物である。

 世界中の叡智を結集して挑まなければならないだろう。

 ――――けれども、その過程で一体、幾つの言い訳を重ねたのか?



「世界を救うためなのだ」


「一人の命より、百人の命。百人の命よりも、人類の存続」


「我々は最大公約数の命を求めることしかできない」


「人智を越えるのだ。外道に落ちるのもやむなしだ」


「全てが終わった後は、地獄で永遠の責め苦を受けよう」



 心を殺して、罪悪感すら消し去って、研究に没頭した。

 外道と呼ばれることも、悪と罵られることも承知の上。それでも、『夜』を克服するために全力を尽くす。

 それが『魔術師』として、男が選んだ在り方だった。


 ――――滑稽なのは、それでも世界が滅んだこと。


 男はあらゆる冒涜的な知識を持って、夜の眷属を取り込み、その力を制御することに成功した。犠牲は多かったが、人類が滅ぶことはなくなった。

 後は、男がこの世界から立ち去り、適当な滅びかけの世界で眷属ごと心中すればいいだけ。

 本当に、あと少しだけだったのである。



『『『我々は【魔王】などに支配されない。尊厳ある死を選ぶ』』』



 そのあと少しだけ、の間に世界は滅んだ。

 男が犠牲にした人々の遺族。関係者。ありとあらゆる因果が、『世界崩壊』のトリガーとなり、世界中に修復不可能な被害をもたらした。

 それが大魔術によるものなのか、はたまた魔術兵器によるものかは不明である。

 確かなのは、最後に残ったのは眷属を取り込んだ男一人だけ、ということ。


「…………どう、して?」


 世界が完全に崩壊するその時まで、自問自答を続けても答えは出なかった。

 常闇の世界で【魔王】と呼ばれた男は、いつまでも後悔を続けたらしい。


 天涯魔塔、第90階層を支配する常闇の魔王は、そんな男の再現物である。



●●●



「よくぞ来た、勇敢なる冒険者たちよ」


 まず、一言目は歓迎の言葉だった。

 呪いや威圧が込められているわけでもない、ただの言葉。

 けれども、その言葉が紡がれた瞬間、周囲の空間が軋むように悲鳴を上げた。


「私が、第90階層を守護するボスエネミーだ」


 今までの再現物とは異なり、知性を感じさせる言葉。

 それは荒野にぽつんと置かれた王座から紡がれた。

 身に纏うのは、泥の如く蠢く黒衣。

 その中身は、深緑の髪と金色の瞳を持つ、長命種族の男に過ぎない。特別なところなどは何もなく、黒衣さえ脱ぎ去ってしまえば、迷宮都市に紛れていても何の違和感も抱かせない。そんな平凡な容姿の男だった。


「この先に進みたければ、私を殺すがいい」


 しかし、淡々と紡がれる言葉は重い。

 何故か?

 ――――強いからだ。

 この平凡な男の体に詰め込まれた魔力に。視線に宿る絶望に。身に纏う異常に。再現物である周囲の世界すら軋んでしまうほどに。


「殺せるものならば、な」


 常闇の魔王。

 夜の眷属を取り込み、世界を滅ぼす原因となった男は、紛れもなく強者としてこの場に再現されていた。



 シラノが導き出した最短ルートは、紛れもなく最善の道のりだった。

 道中での損傷は皆無。

 可能な限りの消耗を避けて、万全な状態で大翔たちは常闇の魔王と対峙していた。

 それでもなお、パーティーのほとんどは常闇の魔王の姿を見た瞬間、『勝てない』と精神が圧倒されている。


「…………づぅ」

「くそ、馬鹿げてやがる」


 特に、アレスとニコラスの反応が顕著だった。

 ほとんど天涯魔塔の『ちょうどいい敵』としか対面したことのない二人は、あまりにも自分と力量が隔絶している相手との対面に慣れていない。

 いくら世界最強クラスの師匠に鍛えられていたとしても、教えられないものはある。

 それは経験だ。

 格上の相手が本気で殺しに来るという、理不尽な経験がまるで足りていないのだ。

 故に、二人の体が震えているのは仕方がない反応だった。


「復讐。再戦」

「あーもう、嫌になるね。鍛え上げたのに、まだまだ足りないってわかる瞬間は」


 そして、気圧されながらもバロックとヅァルンは動いていた。

 子供二人とは違い、勇者として理不尽に抗う経験値が違う。常闇の魔王が現れた時には既に、バロックは二丁拳銃から魔弾を、ヅァルンは音を置き去りにする刺突を放っていた。

 どれもが手加減なしの、紛れもなく本気の一撃だった。

 しかし、二人の攻撃は常闇の魔王に届くことはなく、泥の如く蠢く黒衣によって絡めとられている。本体には、まるで影響を及ぼせていない。


「無明の泥か」


 苦々しく言葉を吐き捨て、ゴライは仲間たちの前に出る。

 震えぬ足と、震える心を携えて、常闇の魔王から仲間たちを守るように。


「奴の黒衣は『世界改変級』の攻撃でなければ、物理、魔法を問わずに本体への干渉を遮断する。生半可は通じん……各自、乾坤一擲の攻撃を重ねろ」


 過去の敗北を乗り越えるために、ゴライは今、常闇の魔王と対峙している。


「……ふむ。どうやら、私とまともに戦ったことのある冒険者がいるようだな」


 自らに挑みかかるような目つきのゴライに対して、常闇の魔王の態度は余裕だ。

 興味深い研究対象を見るような目で、淡々と言葉を紡ぐ。


「だが、初めに言っておくぞ。私はこの塔によって再現された紛い物に過ぎない。冒険者がこの階層に踏み入るごとに生成され、居なくなれば破棄されるだけの再現物だ。故に、何か『復讐』などを考えていたとしても、それはお門違いという奴だ。そもそも、お前を殺した『私』は既に存在しないのだから」


 それはまるで、幼子に世界の法則を説く学者のようだったが、ゴライの敵意は微塵も揺るがない。


「そうかい、じゃあ安心したぜ。つまり、儂の手札はまだテメェにバレていないってことだ」

「まぁ、そういうことだ。この天涯魔塔はあくまでもお前たち冒険者のための試練だ。あまり悪辣な設定にはしないだろう…………いや、逆に言えば、こうでもしなければお前たち冒険者は私に勝てないのかもしれないな?」

「テメェ……」

「そもそも、一度死んだだけでも大分間抜けだろう。本来なら、それでおしまいだ。二度も死を許容されているお前たちは大分優遇されている……だから、次の死で学びたまえよ、敗北者ども。お前たちでは私に勝つことはできないのだと。三度目の死によって、無駄にその命を散らす前に」


 ゴライの敵意は揺るがず、けれども怒りによって拳が震えていた。

 常闇の魔王に悪意はない。

 挑みかかる冒険者たちを馬鹿にしているつもりではなく、単なる世間話として言葉を紡いでいるだけ。むしろ『リップサービス』だと思ってすらいるかもしれない。

 その言葉がゴライの仲間を心底侮辱し、尊厳を踏みにじる行為だとはまるで気づいていないのだ。いや、気づいたところでどうとも感じないだろう。

 平然と、何も変わらぬ顔で『それは済まなかった、謝罪しよう』と頭を下げるだけ。まるで気持ちのこもっていない謝罪をして見せるだけ。


「いや、流石にそれはお前たちに失礼だった。そこまでの馬鹿は居ない。三度も私に挑んで、無駄に死ぬような馬鹿は居るわけがない。例え話だったとしても不快だっただろう。謝ろう、お前たちを侮辱して悪かった」


 『こういう人間』だったからこそ、この男は常闇の魔王などと呼ばれることになったのだ。


「――――貴様ぁ!」


 意図せず重ねられる侮辱に、ゴライの理性はついに限界を迎える。

 元々、ゴライは気が長くない方だ。その上、『馬鹿であることは事実』とはいえ、過去の仲間を侮辱されることは許せない。自分自身を侮辱されるよりも、ゴライは仲間のことを侮辱されることが許せない人間だ。

 だからこそ、不利になると知りつつも、常闇の魔王へ斧で斬りかかろうとして。



「エンチャント・ファイア」

「あっづあぁ!!?」



 いつの間にか常闇の魔王の背後に移動していた大翔が、聖火で不意打ちをかましている姿を目撃した。

 それはもう、先ほどまで余裕綽々だった常闇の魔王が、悲鳴を上げながらとっさに地面に転がるほど、完璧な不意打ちだったという。


「あー、やっぱりダメージ入るんだな、これ。でも、聖火は元々攻撃用じゃないから効果薄いな……ソルの場合もそうだったからなぁ」


 自分の足元で常闇の魔王が転がっている。

 そんな奇妙な光景を見下ろしても、大翔は平常だ。常闇の魔王の醜態に愉悦を感じるわけでもなく、達成感で笑みを浮かべているわけでもなく、ごく普通の表情で手を叩いた。


「はい、注目! 今までとは格の違い相手で緊張するのはわかるけど、この通り、やり方によっては攻撃も通るし、普通に痛みを感じる相手だ。絶対に勝てないわけじゃない」

「…………お前」

「おっと、危ない」


 ようやく炎を消した常闇の魔王から、無明の泥を差し向けられようとも、大翔の平常は崩れない。

 視線すら向けずに、平然とした様子で回避を繰り返しながら仲間たちへ声をかける。


「もっと気楽に戦おう。今からそんなに気張っていたら、残りを攻略する時に疲れてしまうからね?」


 ただそれだけのことで、場の空気は完全に変わった。


「――く、くはははっ! そうだ! ああ、そうだったのう!」


 ゴライは先ほどまでの憤怒を吹き飛ばす勢いで大笑いして。


「反省。共感」

「うひゃひゃひゃひゃっ! やっぱり、我らが盟主はさいっこうだねぇ!!」


 バロックとヅァルンからは気負いが消えて。


「やっぱり、オレたちのリーダーって頭おかしいよな?」

「同感だぜ、くそったれ」


 アレスとニコラスは、大翔の所業に若干引きつつも、既に心身の硬直は解けていた。

 誰もが当たり前に、常闇の魔王に挑む準備を終えていた。


「なんなんだ?」


 再現された精神でも、蓄積されていない経験でも、常闇の魔王は理解する。

 無明の泥をあっさりと焼き払い、仲間たちを鼓舞する大翔という冒険者が、明らかに異常であることを。

 自分の魔術を、攻撃を、平然と避け続ける姿を見せつけられてもなお、『こいつは強くない』と錯覚させる気配の持ち主。強いのに弱い。そんな感想を抱かせる、異質な勇者であることを。


「お前は一体、なんなんだ!?」


 従って、常闇の魔王が声を荒げたのも無理はないだろう。

 それほどまでに、常闇の魔王にとって大翔は異常な冒険者だったのだから。


「ん? ああ、そうだね、名乗りが遅れて悪かったよ」


 けれども、大翔の態度は変わらない。

 道端ですれ違った他人へ、挨拶するような気軽さで言葉を紡いでいる。


「俺は佐藤大翔。ご覧の通りの、クソザコ勇者さ」


 故に、後のことは説明不要だろう。

 例え、常闇の魔王が『第二形態』と切り札として隠していたとしても。

 眷属由来のしぶとい生命力を発揮したとしても。


 ――――魔王を倒すことが勇者の役目なのだから。


 この道理を覆すには、ただの再現物である常闇の魔王では足りなかったのである。



●●●



 かくして、数十年ぶりの偉業は瞬く間に迷宮都市中に知れ渡った。

 第90階層。

 最後の十階層の先へ進むための境界線。

 数多の英雄、勇者、賢者の心を折った『絶望』は今、六人の冒険者たちによって砕かれることになったのである。


「嘘だろ!? あの魔王が、倒された?」

「そうか……そうか! 『錆びた聖剣』がついにやったか!」

「おいおい、『天穿つ極光』なんて登録から半年も経たずの偉業じゃないか?」

「…………もしかして、誕生するのか? 古い伝承にしか記録されていない『到達者』が、ついに現代でも!」


 迷宮都市に住む者は、誰もがその偉業に夢中になるだろう。

 曰く、聖剣の錆は落とされた。

 曰く、極光は天に向かって放たれた。

 曰く、新しい伝説が生まれようとしている。

 誰もが身勝手に、けれども確かな現実感を帯びた予想を語っていた。

 彼らならば、やるかもしれない。

 その期待で迷宮都市中が浮足立つように、祭り騒ぎに発展して。



「もうすぐ逢えるね、ホロウ」



 静かな足音が、天に向かって登ろうとしていた。

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