第85話 第90階層
辺獄市場。
数多の異世界の中でも、特に多数の世界間で交流があり、治安の悪い場所である。
常に災厄が降り注いでいるわけではない。
戦場のように銃弾や魔法が飛び交っているわけではない。
ただ、人間の悪意と欲望が渦巻く貿易都市として、ここまで安定している場所は中々見つからないだろう。
悪意と悪徳に満ちているだけならば、街に秩序は宿らない。
単なる悪党どもの巣窟であるというだけならば、街が賑わうことはない。
悪の中にも、利益と善と秩序を。
自己中心的な悪党の群れではなく、身内意識の強い組織による統制を。
単に醜悪であるだけではなく、それを釣り合うだけの利点があるからこそ、辺獄市場は存在している。
地獄に傾くことなく、ギリギリの境界線上で成り立っているのだろう。
故に、この辺獄市場に慣れた悪党たちにとっては、ここは生まれ故郷よりも親しみやすい都市である。
何故ならば、辺獄市場の『ルール』をきちんと弁えていれば、他の場所とは異なり、自分たちが過ごしやすいような治安の悪さで暮らすことができるのだから。
しかし、そんな辺獄市場の悪党たちも、今日だけは胸を張って歩くことはできない。
勘の鋭い者は自宅に籠り、やけ酒を煽りながらベッドに倒れ込んで。
勘の鈍い愚か者は、背筋を丸めて大通りから逃げるように立ち去っていく。
――――勇者四人組という、辺獄市場には似合わぬ正義の集団から。
『《こちらになります。ここの店主は非常に偏屈で、武器に客を選ばせるという独自の経営スタイルを貫くハゲですが、武器の性能は折り紙付き。どれもが伝説級です。良い感じに自分を強化できそうな武器に選ばれてください》』
「おい、ガキ。お前の相棒の機嫌が悪すぎるぞ?」
「あー、ゴライさん。それはちょっと昔にですね、俺が色々ありまして」
「ねぇねぇねぇ、少年っ! あの槍! あの槍が私を呼んでるぅ!」
「…………見分」
「わぁ、ゴライさんと話している間に、大人二人が店内をダッシュしていきやがった」
「奴ら、外見は英雄でも中身はクソガキだからな。儂の言うこともたまにしか聞かん……だがまぁ、奴らの世界を救ったお前の言葉なら聞くだろう」
「つまり、言わなきゃ常に自由行動しているみたいな人たちなんですね? いや、来て早々に伝説の武器に選ばれたのは頼もしいですけど…………はははっ」
「おい、ガキ。唐突に暗い顔をするんじゃねぇよ、それでも『勇者同盟』の盟主か?」
「うっす、頑張ります」
『《ここは大翔のトラウマスポットなのです。少しは配慮してください、マッチョ髭》』
「なぁ、ガキ。お前の相棒って口が悪くねぇか?」
結局、勇者たちが用事を済ませて辺獄市場から立ち去るまでの間、悪党たちは息を潜めて姿を現さなかった。
さながら、嵐に怯える子供のように。
悪徳の街は、勇者たちが滞在している僅かな間、かつてないほど静寂に包まれていたのだった。
●●●
天涯魔塔、第90階層。
そこに足を踏み入れた瞬間、まず違和感を覚えるのは空だ。
今までのような『再現された偽装の空』ではなく、正真正銘の本物。果てなく広がる夜空が見えるのだ。
けれども、周囲にあるのは荒涼とした大地のみ。
砂漠のように砂で覆われているわけではない。
乾いて劣化したスポンジのように、大地の至る所が枯渇し、ひび割れているのだ。
――――滅んだ世界。
そう、天涯魔塔の第90階層は『滅んだ世界』を一つの階層としたダンジョンである。
探索範囲は、文字通りの世界規模。
階層を突破するための手段は、他のボスエリアと変わらず、ボスエネミーの討伐が条件。
そして、第90階層はボスエネミー以外のエネミーが存在しないようなエリアではない。きちんとボスの強さを引き立てるような取り巻きが存在している。
夜空を埋め尽くすような、翼を持つ魔物の集団。
荒涼とした大地を埋め尽くすような、牙を持つ魔物の集団。
圧倒的な大多数による数の暴力。これこそが、第90階層に足を踏み入れた冒険者に向けられる、最初の洗礼だった。
「ぬぅうんっ!!」
「雑魚狩りの時間だぁ! 新しい槍を試す時なのよ、ひゃっほう!」
「……肩慣らし」
「俺、こいつらの隣で殲滅魔術を撃つの比較されそうで嫌だ……いや、撃つけど! 撃つけど、俺に対する配慮を考えろよ、馬鹿ヒロト!」
もっとも、それは普通の冒険者の場合だ。
今日、この時、第90階層に足を踏み入れた冒険者たちの中には、数だけが多い雑魚の群れに怯える者など一人もいない。
そう、『錆びた聖剣』の勇者が三人。
『天穿つ極光』の魔術師が一人。
合計四人による殲滅級の攻撃は、それを証明するかのように魔物の群れを一掃していた。
『《残党を確認……数はゼロ。お疲れさまです、対象の全滅を確認しました》』
「あっはっは! いやぁ、やっぱり英雄クラスが増えると攻略が楽でいいよね、アレス!」
「一応、オレも最近、英雄クラスだとソル師匠に認定されたんだが?」
四人が為した破壊の様子を、二人と一機の仲間たちが頼もしそうに眺めている。
とはいえ、これはあくまでも小手調べ。
六人と一機。
『錆びた聖剣』と『天穿つ極光』による合同攻略。
攻略目標は、上層と最後の十階層の境界を守護するラインキーパー。
――――そう、常闇の魔王との戦いは、これからが本番だった。
第90階層の攻略のため、『錆びた聖剣』から一時加入することになった三人の勇者は、誰もが精鋭である。
『錆びた聖剣』の頭領にして、城壁すらも上回る頑強さを誇る盾役、ゴライ・スーアルド。
二丁拳銃の達人にして魔弾の英雄。トレンチコートを羽織り、口数少なく仕事をこなす、頼れる仕事人、バロック。
無駄口と早口で常にうるさい少女であるが、一度槍を持てば誰もが黙らざるを得ない、絶技の達人。風よりも速い疾風の英雄、ヅァルン・コロロット。
この三人の勇者は、『錆びた聖剣』の中でも有数の実力者であり、三人とも大翔に故郷の世界を救われた者たちだ。
従って、実力も忠誠心も十分過ぎるほどにある。
仮に、『天穿つ極光』――大翔たちのパーティーを逃がすための殿を任せられたとしても、命尽きるまで一歩も退かない程度には、覚悟を決めてこの場に立っているのだ。
だからこそ、ゴライは他二人の覚悟を代表して、大翔へ忠告する。
「いいか、ヒロト。儂らは捨て駒として使え。第90階層は今までの階層とは桁が違う広さ……まともに戦っていては、疲労で魔王と戦う前に倒れてしまう」
第90階層という魔境を攻略するには、大翔たちもまた自分たちを使い潰すほどの覚悟を決めなければならないのだと。
「儂らの他に挑戦した冒険者は誰もが、この階層の広さに絶望していったのだからな」
ゴライは知っている。
第90階層の広さを。
魔王の足取りを掴むために、世界各地に残された魔王の痕跡を辿らなければならないという困難を。
この階層を移動している間は、尽きること無く襲い掛かって来る魔物の群れの厄介さを。
何よりも、ラインキーパーの特性として――『攻略する者が多いほど力が増大される』という魔王の不条理を。
広大な階層を攻略するには、本来、多数の冒険者が必要だ。
けれども、その多数を維持するためには大量の物資が必要だ。多数の誰もが実力者でなければ、魔物の群れによっていずれは駆けていくだろう。
その上、人数を多くした分だけ魔王が強化されるのだから、結論としては多数の冒険者の仕事を少数精鋭でこなすしかない。 (「大多数」は「非常に多い」とかの意味ではないので)
故に、ゴライは大翔に忠告したのだ。
自分たちを使い潰せ、と。
「ふむ、なるほど」
そんなゴライからの忠告を、大翔はきちんと受け取る。
経験者からの言葉を馬鹿にせず、あらゆる可能性を考慮した上で、ゴライへと言葉を返す。
「いや、ゴライさん。今回からはシラノが居るから大丈夫だよ」
それは杞憂なのだと、あっさりと断言する。
『《はい、魔王の居場所は既に把握しています。魔物の群れや罠が少ないルートを導き出したので、最長で三時間後のボスエンカウントとなりますが、よろしいですか?》』
「…………は?」
ゴライは知らない。
『《今までは大翔たちの成長のために口出しはしませんでしたが、ここから先は明らかに時間効率が悪いですからね。最短ルートの【攻略本】で魔王を討伐してしまいましょう》』
過去、現在、未来。
三つの時間軸を見通す、千里眼の持ち主が仲間として存在していることを。
ゴライに予感が無かったかといえば、嘘になる。
ゴライも含めた『錆びた聖剣』の勇者たちは、シラノの異能によって救われたのだから。予測に関わる能力の持ち主であることは推測していた。
けれどもまさか、そこまでとは思っていなかったのだ。
大翔の『権能使い』という肩書きがあまりにも目立っていたから、シラノが持つ異能の凄まじさに気づけなかったのである。
シラノの千里眼が、魔王が支配する世界すら見通すほど規格外の代物だったことに。
『《まぁ、魔王もピンキリですからね。世界規模の加護を受けている勇者ならともかく、この程度の魔王の妨害は受けません。さぁ、さっさと攻略を進めましょう》』
シラノの言葉は残酷に、しかし、頼もしく『錆びた聖剣』の三人に響いた。
第90階層の恐ろしさを思い知っているが故に、それを軽々と扱うシラノの言葉に希望を見出したのだろう。
「んもう、シラノ。激励が苦手なのは知っているけど、敵を侮る言葉はフラグだよ?」
「はんっ、そんなフラグなんざ叩き潰せばいいってことだろうが。俺の進化した魔力操作ナノマシンの力を見せてやるぜ!」
「ヒロト兄ちゃん。ニコラスってば、またオレが知らない間に魔改造を受けてるの?」
「シラノさん? 保護者の許可は取りましたか?」
『《身の安全を守るためだと言ったら、泣いて喜んでくれましたけど?》』
「後で絶対にソルから愚痴を聞かされる流れだね、これは」
一方、大翔たち『天穿つ極光』の足取りは軽い。
今更のシラノの異能に驚いたりするものは居なかった。
誰もがその力を知り、その力に助けられてきたのだから、今更である。
そう、今更なのだ。例え、この第90階層が数多の冒険者と、屈強な勇者たちの心をへし折った階層だとしても関係ない。
目的のため、邁進するのみ。
「やれやれ、頼もしいガキどもだのう」
「負けてられないよね、絶対に! 先輩風を吹かすために私は全力を尽くすよ! そういえば、先輩風って色んな世界の語彙にもあるけど、これは風が道を阻む障害的な意味から来ているかな? でも、風が良い意味で使われることもあるからケースバイケース!」
「…………奮起」
そんな大翔たちの背中を追い、勇者たちは先に進んでいく。
既に聖剣が錆びついたような勇者なれども、せめて胸の中に宿る勇気は鈍らせないように。
明けることのない夜空の下を、最善最短の道のりを進んでいく。




