第84話 マクガフィンズが彼女に会えない理由
冒険者に……いや、人間に休息は必須だ。
良い流れが来ているから、このまま最上階までぶち抜くぜ! という気分であったとしても、事前に立てた休息の予定は守るべきである。
具体的に言えば、ニコラスやアレスがノリノリのテンション爆上げの状態でも、断固としてリーダーである大翔は休息を取らせなければならない。
リリーから買い取った諸々の性能が素晴らしく、二人が早くそれを試したがっていたとしても、却下しなければならない。
何故ならば、疲労とは気づかないものだからだ。
肉体的、精神的、どちらであったしても気づかない内に重なっていく。
なまじ、それを一時的に忘れてしまえる精神状態の場合、あるいは、疲労自体に慣れている場合、自分が疲れているということ自体に気づかないのだ。
故に、大翔はリーダーとしての強権を発動し、本日を休暇と定めたのだった。
「さぁて、今日は休暇だから溜まっていたタスクを終わらせるぞぉ」
『《いや、貴方も休みなさい、大翔》』
もっとも、大翔自身が一番精神的疲労によって蝕まれていることには気づいていなかったので、休暇前にシラノからの説教が入ってしまったのだが。
大翔が選んだ休暇の場所は、迷宮都市南部にある喫茶店だった。
娯楽に関する店が多い区画の中でも、都市の外側に近い方。人通りが多くなく、静かで和やかな空気に包まれた場所に建っている喫茶店で、大翔はのんびりと休暇を満喫していた。
「ふむ。やはり迷宮都市は異世界間の交流が活発だからか、食事の質も悪くない」
封印都市で購入していた文庫本の小説を片手に、紅茶を飲む。
紅茶のお供には、バターと砂糖をたっぷりと使ったクッキー。それと、サクサクの生地に滑らかなチーズクリームが合わさったチーズケーキ。
大翔に紅茶の良し悪しはわからないが、たっぷりの甘い物と一緒に飲む紅茶は美味しいと思えた。
大翔たちパーティーの資金ならば、もっと美食を極めようと思えばいくらでも贅沢はできるが、大翔はこれぐらいのグレードの味が気に入っているらしい。
「ふぅ、落ち着く」
いくら勇者となって様々な偉業を為そうとも、大翔の根底にあるのは一般人の生活だ。
派手な栄光も、極上の美食も悪くはないが、心が疲れてしまう。
従って、たまにこういうのんびりとした時間を過ごすことが、今の大翔にとっては最上の休暇となっていたのである。
「(さて、と)」
そして、少しでもリフレッシュしたと感じたのならば、休暇中でも仕事のことを考えてしまうぐらいには、大翔は真面目だった。
「(天涯魔塔の攻略は問題ない。最後の十階層も脅威といえば脅威だが、既に『天涯魔塔の底は知れている』から、どうとでもなる。最悪、権能でちょうどよくフォローすれば詰まることなく進めるだろう)」
さくさくとクッキーの程よい舌触りに笑みを浮かべながら、ダンジョン攻略について思案を重ねて。
「(黒幕も復活の気配はない。故郷の世界からの連絡では、冬の女王と夜鯨は『まるで誰かを待っているように』動く気配がない。だったら、しばらくは大丈夫だ。このまま俺たちのスキルアップに時間を使っても問題ない)」
柔らかく鼻腔をくすぐる紅茶の香りを楽しみながら、世界救済の残り時間を数えて。
「(問題は首狩りだ。あれは確実に超越存在に匹敵する…………いや、その内に『成る』かもしれない。正体はわかりやすいぐらいに推測可能だが、分かったところで対抗手段が無いなら無意味だ。魔よけは単に、『配慮』をしてくれるって程度の代物。そして、『配慮』する必要があるということは、首狩りの目的には恐らく、俺たちが……『最上階に進めるだけの素質を持った冒険者』が必要だということ。だったら、いざという時は――ん?)」
ブックカバーで表紙を隠した、痛快冒険活劇の小説へと目を通して――と、ここで大翔は自分に向けらせる視線に気づく。
その視線を辿っていくと、少し離れた席からこちらを窺う赤髪ツインテールの少女の姿が見えた。年齢はニコラスと同じ程度だろう。ぴょこぴょこと左右に髪の束を揺らしながら、わくわくした様子で大翔を覗き見ていた。
「わひゃっ!?」
けれども、大翔と視線が合うと小石でも踏んだ小型犬の如き悲鳴を上げる。
「うう……」
顔を真っ赤に染めて、一端は俯きそうになった赤髪ツインテールの少女であるが、何やら勇気を振り絞ったらしい。きっと瞳に気合を込めると、意を決して大翔の席へと近づいてきた。
「あ、あのっ!」
「ええと、何か用かな?」
敵意は感じられないので、ひょっとして『勇者同盟』に入りたい新しい勇者だろうか? 考えていた大翔であるが、次の言葉を受けて思考が止まった。
「――――ファンです!!」
「ファンです!?」
一体、何の!? とツッコミたい大翔であるが、それよりも早く赤髪ツインテールの少女が言葉を続ける。
「は、はい! 私、貴方たち――『天穿つ極光』のファンで!」
「なんて???」
「憧れているんです! あ、あの! サインください!!」
「サインって何!!?」
そして、大翔は赤髪ツインテールの少女との交流で知ることになる。
リーダーである大翔が知らない内に、仲間二人が勝手にパーティー名を考えて流布していたことを。大翔が『勇者同盟』によりクソ忙しく異世界を回っていたから知らなかっただけで、今、大翔たちは迷宮都市ではその名を知らぬ者が居ないほど、有名人であることを。
●●●
赤髪ツインテールの少女は、大翔のサイン――単なる日本語での実名――が書かれた色紙に貰うと、ほくほくとした笑顔で喫茶店から飛び出ていった。
どうやら、これから同じパーティーの仲間たちに自慢しに行くらしい。
「…………まるでスター気分じゃないか、なぁ?」
その後ろ姿を見送った後、大翔は誰に問いかけるでもなく自虐的な笑みを浮かべた。
封印都市での英雄扱いもそうだったが、誰かから『凄い奴』という扱いを受けることが大翔という人間は苦手らしい。
かつて、一年にも満たないような少し昔は、先ほどのように可愛らしい女の子から尊敬を集めることに憧れていたというのに。
名実ともに『凄い奴』になった大翔の心にあるのは、空虚な感動だけ。
封印都市に到着した頃はまだ、男子高校生らしく同世代の女の子からのおべっかに喜んでいたはず。けれども、今の大翔は自分自身に対する称賛に、まるで興味を示せない。
むしろ、赤髪ツインテールの少女が『両親の病気を治すために、お金を稼ぎに来ました!』と恥ずかしそうに告げた時の方が感動したものだ。
――――尊い志を持つ人間がいることを、喜ばしく思ったのだ。
「いや、どちらかといえば『神様気取り』か? まったく、『勇者同盟』といい、俺は随分と聖人君子を気取るようになったもんだよ」
自身の変質を忌々しく思いながら、大翔は冷めてしまった紅茶を飲み干す。
今のところ、超越存在化は止まってはいるが、一度進んでしまった変化は戻らない。過剰なほどの善性と自己犠牲の精神は、人ならざる領域へ精神が到達しかけている証拠である。
例え、このまま何もかもが上手くいって世界を救えたとしても、大翔が無事にかつての『普通』な日常を取り戻せることはないだろう。
能力やコネクション以前に、存在レベルで『普通』とは相容れなくなっているのだから。
「それで、そっちの君も俺のサインが欲しいのかな? それとも、不穏分子を今の内の処理でもしておく?」
だが、『その程度のこと』は今更なので、大翔は特段気にしない。
気にすることなく、新たに現れた気配の主へと声をかける。
「いえ、我々マクガフィンズは冒険者の方々を排除しません。試練の塔の運営に支障が出ない限りは」
深緑の髪を持つ首無しの王の眷属、マクガフィンズの一人へと。
「なるほど、権能を使う時はもうちょっと気を遣えと?」
「…………そうでもありますが、そうではありません」
「んん?」
マクガフィンズの一人――十代前半の少年は、その顔に苦笑を浮かべる。
「我々……いえ、僕が貴方に会いに来たのは、少しお尋ねしたいことがありまして」
「俺に? 君たちが? 首無しの王の眷属なら、この街のことは全部把握しているんじゃないのかな?」
「ええ、ご明察の通り、我々マクガフィンズは塔内や街の出来事はほぼ把握しております。しかし、中には例外があるのも事実なのです」
「つまり?」
「ええと、つまり、ですねぇ」
大翔の問いかけに、マクガフィンズの少年はまるで人間のように言いよどむと、恐る恐る言葉を紡いだ。
「彼女――リリーの様子はどうだったのかな? と」
「…………やっぱり、あいつはそっちの管轄じゃなかったわけだ、首狩りの件も含めて」
「うぐっ」
「それどころか、首無しの王でもコントロールできない存在と」
マクガフィンズの少年は、だらだらと冷や汗を流して視線をさ迷わせている。
その様子は超越存在の眷属としては、まったく相応しくないものだが、大翔からすれば微笑ましく感じられるものだった。
故に、大翔は油断したわけではないが、追及の言葉を重ねようとはしない。マクガフィンズにも色々あるんだなぁと勝手に納得して、話を進める。
「それで、君はリリーの何を聞きたいのさ?」
「いえ、その…………元気、だったかなぁ? と」
「そんな、久しぶりに会った同級生の様子を訊ねるみたいに」
「まぁ、えっと、似たようなもの? らしいので」
「ふぅん。よくわからないけど、少なくとも病気や怪我をしているようには見えなかったよ。元気に商売していたと思う」
「そっか、そうですかぁ……よかった」
大翔の他愛ない報告に、マクガフィンズの少年は心底安心したように息を吐く。
その様子があまりにも切実そうに見えたから、大翔はつい余計な口を挟んでしまったのだろう。
「そこまで心配しているのなら、直接会いに行けばいいのに」
そして、言った直後に後悔した。
こんな質問をマクガフィンズがしている時点で、何らかの理由があって会えないのだと考えるべきだというのに。
いくら超越存在の眷属が相手だからといって、デリカシーが無さ過ぎる言葉だったと。
「悪い、さっきのは失言――」
「殺されちゃうんですよね」
「……は?」
けれども、大翔の謝罪よりも先に、マクガフィンズは答えた。
「僕たち、マクガフィンズは眷属であり、王の紛い物ですからね。きっと存在が許せないのでしょうね。接触を試みた個体は一言たりとも交わす暇のなく、生命活動を停止しました」
苦笑交じりに。
何故か嬉しそうに。
恋人の我が侭を受け入れるかのように。
マクガフィンズは同族の死を、仕方がないものとして納得していた。
あるいは、そうなることが『本望』とでも言わんばかりの、儚い笑みだった。
「許せない、ね。さっきの反応で大体は予想がつくけど、あまり派手に喧嘩はしないで欲しいな。そっちの喧嘩に巻き込まれて、世界を救う前に事故死なんて御免だ」
「ええ、それはもちろん。最低限、皆さんの安全だけは保障しますよ。もっとも、そんなことが起こる可能性なんて――」
「俺たちが第100階層に到達しなければあり得ない、か?」
「はい。ご明察ですよ……佐藤大翔様」
頷き、答えるマクガフィンズの言葉に、大翔は自らの推測が当たっていたことを確信する。
そして、最悪の場合――――この世界が無くなってしまう結果を予測し、苦虫を噛み潰したような表情を作った。
「それも、ご明察です。ですが、まぁ、こういうものなので。王も、我々も、そして恐らく、彼女も」
「…………迷惑じゃない超越存在なんて居ない、か」
「あははは、王に直接聞かせたい言葉ですね! でも、その通りかと。どれだけ理性的に振る舞おうとも、所詮は超越存在です。人間を害さないのは、たまたまそういう理に沿って動いているだけ――――なので」
そんな大翔へ、マクガフィンズの少年――『首無しの王の眷属』は、たっぷりの実感を込めて告げる。
「超越存在になんてならない方がいいですよ、成りかけのご同類?」
全てを見透かしたように。
大翔の苦悩すらも、かつての自分が通った場所だと言わんばかりに。
「大切な人が居るのならば、特に」
あまりにも見事に痛い部分を貫く指摘だったので、大翔はもはや苦笑もできない。
まともにマクガフィンズへ視線を向けることもできない。
だから、この感情がシラノへ伝わらなければいい、と思いながら言葉を吐き捨てる。
「ご忠告痛み入るよ、先輩」
幸か不幸か、ぴしりと何かがひび割れたような音は、誰の耳にも届くことは無かった。




